第18話 露草藍

「ど、どどどどどうするんですか!?あんな事言ってしまって!」


「落ち着きなさい」


 純麗の兄、縹千早とのやり取りの後。

 社の運転する車に乗って天枷家へと戻る途中のことだ。

 私が勝手に決めてしまった純麗の試合。

 まさかそんなことになるとは思っていなかった純麗の、第一声が先の台詞だった。


「だって、私F級なんですよ!?あの藍はC級です、絶対勝てません!!」


 純麗の言いたいことは分かる。

 けれどそれは勝てない理由にはならない。


「あら、貴方知らないの?感応する者リアクターの等級は感応力リアクトの強さだけで決まるのよ?」


「知ってますよう!だからF級私じゃ相手にならないと───」


「対抗戦、出たくないのかしら?」


「それはッ!・・・出たいに決まってますっ」


 私は元々、この等級というものに疑問を抱いていた。

 今言ったように、等級というものは感応力リアクトの強さ、その一点のみで決められる。そして強さといっても、文字通り戦闘に於いて強力だとかそういうことではない。その系統における出力、或いは効果の大きさの話。


 例えば医療系の感応力リアクトであればどの程度の傷を、どのくらいの時間で治療することができるのかで計測される。身体の欠損まで修復出来るのならS級と言われており、医療系感応力リアクトにおける現実的な到達点はここだ。けれど、そんな到達点でさえも欠損部位が無ければ不可能。


 ちなみに医療系の頂点と言われる『希望の白』は欠損部位がなくても治療出来るとか。感応力リアクトの不思議は今に始まったことではないけれど、一体どういう原理なのだろうか。にょきにょき生えてくるのかしら?

 一度だけ彼女には会ったことがあるけれど、実際に能力を使って治療しているところは見たことがなかった。今度会うことがあれば見せてもらおうかしら。


 それはさておき、結局のところ強さと一概に言っても、能力によってそのベクトルは違うということ。


 だからこれは私に言わせれば馬鹿らしい、ひどく下らない指標だった。

 境界鬼テルミナリアに対して効果の高い攻撃系感応力リアクトを持っていたとして、戦い方をまるで知らない素人が戦って境界鬼テルミナリアに勝てるのか。ただ感応力リアクトで攻撃していれば倒せるのか。

 答えはノーだ。


 医療系のS級能力者だと認められれば、感応力リアクトを使うだけで怪我や病気を無条件で治す事ができるのか。

 これも答えは否。


 戦闘系ならばその能力を活かす戦い方や技術を。

 医療系ならばしっかりとした医療知識を。

 きちんとした基礎、下地がなければ宝の持ち腐れだ。


 けれど一般的にはこの等級が全てであるかのように言われているし、感応する者リアクターの中にはそれを誇り示威する者も多い。まるで等級が高ければ偉いとでも言うように。それはこの学園でも同じことだった。

 まだ実戦を知らない彼ら彼女らが、等級を指標としてしまうのは仕方のないことなのかもしれないけれど、それは全くの無駄で愚かな行為。

 そして戦場ではそういう者から死んでゆく。


 無論、感応力リアクトが強力なのに越したことはないだろう。

 けれど最も大事なことは他にある。

 それが技術、知識、戦術。

 感応力リアクトの強さなんて曖昧なものよりも確実に積み重ねることができる、古来より伝えられてきた人間の武器だ。


 だから私は告げる。


「ほんの一月前、ほとんど素人同然だった貴方は今、純白と肩を並べて戦う事が出来ている。感応力リアクトの手伝いもあるけれど、それだけの努力を貴方はしたわ。それこそ一度死んでまで。相手と比べる必要なんて無い。貴方がこの一月で手に入れたその技術と努力を誇りなさい」


「あ、えと・・・それは、はい・・・」


「この一月、貴方を鍛えたのは私よ。やりもしないうちから諦めるなんて、許すはずがないでしょう」


「うっ・・・」


「それに計測していないとはいえ、感応力リアクトも確実に成長しているわ。技術も、付け焼き刃に近いとはいえ最低限のことは出来るようになった。これなら勝ち負けはわからないでしょう?」


「そう・・・でしょうか・・・」


 ここまで言ってもまだ自信が持てないのは筋金入りだ。

 彼女は戦闘経験が殆ど無いのだから仕方のないことではあるけれど。

 それでも、私の見立てでは悪くても3割、上手く行けば5割ほど勝ち目があった。そんなことは伝えないけれど。


「そうなのよ。私が貴方達に教えたのは対人戦を想定した戦闘技術よ。こんな事もあろうかと、ね。でもそうね・・・それでも不安だというのなら、これから試合の日までの間に、とっておきを教えて上げるわ。それこそ付け焼き刃になってしまうけれど、お守り代わりにはなるでしょう?」


「ほ、本当ですか!?やった、頑張ります!!」


 最近知ったことだけれど、純麗は案外現金なところがある。強かと言うべきなのだろうか。


「そ。当然だけど、特訓は厳しくするわよ」


「ゔっ・・・が、頑張ります」


 歯切れが悪い。

 五割増しで厳しくしよう。



 * * *



 学園内の訓練施設。

 不運にも捕まってしまった監督役の風花幾世による試合開始の合図と同時、露草藍つゆくさあいが駆け出した。

 口角を上げ、犬歯をむき出しにして不敵に笑う藍は、純麗の実力をよく知っていた。


 藍は縹家の分家、露草家の長女だった。

 このままいけば、感応する者リアクターとして軍に席を置くか、或いは縹家傘下の貿易企業で働くか、はたまた家のためにどこかへ嫁ぐかのどれかだった。


 藍には感応する者リアクターとしての才能があった。

 故に実家からは期待されて育てられた。本家へ赴く際には必ず両親に付いていった。

 お陰で次期当主である千早へ顔を売ることも出来たし、純麗の立場の悪さや実力も知ることが出来た。


 そんな彼女にとって、本家の長女である純麗が勘当同然に家を追い出されたことは好都合だった。当時は立身栄達が望みというわけではなかったが、さりとて流されるままにただ生きてゆくつもりなど無かった彼女は、これを好機とばかりに本家と千早へ積極的に能力をアピールした。そうした結果、数年前に千早の側付きという役割を与えられるまでになった。


 この頃には既に藍は千早に少なからず好意を抱いていた。

 そうなれば彼女が次期当主の正妻の座を求めるのは当然の流れであったのかもしれない。そうしてこそ、自ら選び勝ち取った道だと言えると信じて。


 そんな彼女には一つ気に入らないことがあった。

 それが純麗の存在だった。

 別に藍がのし上がるにあたって、純麗が邪魔になるわけではない。藍にとって純麗はもはや負け犬同然だった。

 だが、本家に生まれた利点を感受しながらも、その恵まれた生まれを活かすことも出来ず、ただ言われたままに生き、努力することもなく、腐ってゆく。

 純麗の心の内や葛藤はまるで知らず、考えもしていなかった藍にとって、そんな純麗の姿がただただ不快だった。


 程度はあるだろうが、人間とは不快なものを自分の領域内から排除したがるものだ。

 そして藍の程度は、随分と狭かった。故に彼女はここで純麗を完全に引きずり降ろしてしまおうと考えていた。

 純麗の実力をよく知っていた藍にとって、模擬試合で純麗を負かすなど赤子の首をひねるよりも容易いことだった。


(今更出てきてどういうつもりか知らないが、お前はもう終わってるんだよッ!!)


 今回の試合は武器を用いない徒手空拳での勝負。

 当然藍は武術を学んでいるし、その実力も確かなものだと縹家の師範に認められるほど。そんな自分が負けるなど、それこそ天地が返ってもあり得ないと断言できる。


 唯一の不安は、昨日いきなり現れたあの女のこと。

 年上であり上級生でもある自分に、まるで敬意の欠片も見せない不遜な態度。

 だというのに、そんな年下の女にただ一睨みされただけで身体は竦み、震え、腰が抜けて動けなくなってしまった。屈辱だった。まるで本能が跪くことを選んでしまったようであった。


 あの後、藍は千早に女の事を尋ねたが、千早は詳しい事は何も答えることはなかった。ただ一言、『迂闊に手を出すな』と言われただけであった。


 今も観客席から、偉そうに腕と足を組んでこの試合を眺めているあの女。

 眼の前の純麗を叩きのめした後は、あの女と戦おう。

 あの時の態度から察するに、随分と力に自信があるようであった。実際には禊は殊更そのような態度を取っていたわけではないのだが、当時の藍にはそう見えた。


 千早には釘を刺されたが、そんなことは関係ない。

 不快な者は取り除かなければならないのだから。


 そんな風に思案しながらしばらく戦っていた藍は、ふと気づく。

 何故、自分は


 自分が今戦っているのは、あの得体の知れない女ではない。

 落ちこぼれの負け犬、縹純麗である。

 何故、まだ動いている?

 自分の攻撃が当たっていない?否、何度かは拳や蹴りを当てている。

 なら何故倒れていない?

 純麗は支援能力者だ。本人の戦闘能力は皆無な筈だし、脳内を遡ってみても純麗が戦っている姿を見た記憶は無かった。


 考えに耽っている間に何があった?あの女はこれほど動けたか?

 分からない。理由も、手段も、皆目検討がつかない。

 藍に取って今分かることは一つだけだった。


 認めたくは無かったが、純麗と自分は今、互角であるということだけが藍の脳内をぐるぐると回っていた。


 屈辱。


 ぎり、と歯を食いしばりちらりと相手を見やれば、額にうっすらと汗をかき、張り付く髪を鬱陶しそうに払いのける純麗が見えた。その表情は悲壮なものでは決してなく、焦っているわけでもなく。表情を変えずに、ただこちらの一挙手一投足に注目しているだけであった。


 それでも藍の攻撃を躱し切ることは出来ていない。攻撃は相変わらず当たっている。

 だがそれが決定打には程遠いというだけ。上手く打点をズラされている感覚が、拳を通して藍へと伝わる。


(こいつッ・・・何だよコレは!どういうことだッ!こんな女に・・・ッ)


 ふと、あの偉そうな女の顔が藍の脳裏に浮かぶ。

 あの女が何かしたに違いない。卑劣な、下らない策でも授けたか。そうでなければ、自分がこんな落ちこぼれ相手に攻めあぐねるなどという恥辱に塗れる筈もない。


 そんな怒りに顔を歪める藍の耳に、不意に届いた音があった。


「・・・うん、よしっ!」


 純麗の口から聞こえてきたそれは、藍の神経を逆撫でするのに十分なものだった。


「ッ・・・貴様ッ、舐めるなァッ!!」


 怒りに任せて大勢を崩しながら放った蹴りは、純麗を捉えることはなかった。

 眼前には既に純麗の姿はなく、代わりに藍の脇腹へ僅かな痛みが走る。

 それはダメージとは到底言えないような、ほんの僅かな衝撃。

 だが純麗の放った、今日始めて藍へと届いた拳だった。


「ここからは・・・勝ちにいきますっ!」


 藍に言わせれば身の程を知らない、そんな純麗の声が藍の脳内を支配した。

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