第16話 交渉
天枷家の敷地内、別邸の裏手にある修練場。
その隅に腰掛けて見学している私の目の前では、妹である白雪純白が友人である縹純麗と共に特訓を行っていた。
二人に稽古を付けているのはあの『災禍』本人だ。
はっきり言ってしまえば少し羨ましい。
世界の頂点である七人、その一角から手ほどきを受けるなど望んだところで叶うことではない。
けれど、今は私の関心は他にあった。
(・・・どんな魔法を使ったのかな?)
純白が駆ける。駆ける速度は普段の純白よりもずっと疾い。純麗ちゃんからの速度支援を受けているのだろう。
そんな純白の死角を埋めるように純麗ちゃんが追従する。
彼女は支援専門で、戦闘自体はからっきしだと報告が上がって来ていた筈なんだけど。でも今私の目には、悪くない動きで一生懸命純白に付いていく彼女の姿が映っている。自分にも支援をかけているのだろうか。
純白が攻撃を仕掛けるも、禊さんにはあっさりとあしらわれてしまう。
彼女は腕を組んだままだ。構える必要すらないのだろう。
純白もそのままでは終わらず、二度三度と続けて仕掛けている。
禊さんは事も無げに躱しているけど、私が仕込んで、支援を受けている今のあの子の格闘術はそう簡単に凌げるようなものじゃない。実力に大きな開きがあるから簡単そうに見えるだけで、毎日見ていた私にはよく分かる。
あの子の
攻撃の威力も、防御力も。少し前と比べて随分と上がっているのが一目で分かる。
それに動きも良い。今までのあの子はムラっ気があるというか、動きの端々でキレの悪さやモタつきがあった。
けれど今は、随分と滑らかに動いている。純麗ちゃんの支援のお陰もあるだろうけど、それ以上に動きに迷いが無くなった気がする。
そして縹純麗ちゃん。
授業でも、すっかり妹のパートナーとして二人で組んでいることが多い彼女。
彼女の
そんな彼女の支援を受けた純白の疾さや跳躍力、そういった機動力に類する部分の上昇量がF級支援のそれでは無い。少なく見積もってもD級の支援くらいはありそうに見える。
純白が「禊さんのお宅で特訓をしてきますわ!」等と言って飛び出して行ったのが一週間ほど前のこと。
そう、たった一週間なんだ。
それがこんな事になっているなんて、予想だにしていなかった。
そう考えているうちに、純白が蹴り飛ばされて宙を舞う。
禊さんは
けれど純白は、飛ばされこそしても、ダメージは受けていないように見える。
そして蹴りを放った禊さんへと純麗ちゃんが拳をお見舞いする。
まだまだ練度は低いけど、自ら支援を行っているお陰か、技術の低さを上昇した能力でカバーしている。まぁ、当たりはしないんだけど。
ともかく、この二人は信じられないほどに成長している。
それもたった一週間では考えられない程の成長。
「・・・聞いたら教えてくれるかな?」
誰に言うでもなく呟いたその言葉に、ふと背後から反応が返ってきた。
「はは、『お断りよ、面倒だもの』なんて言われるんじゃないかなぁ?」
振り返れば、柔和な表情を顔に貼り付けた胡散臭い男の人が私の後ろに立っていた。
天枷凪。
ここ天枷家の現当主であり、あの天枷禊の父親。
私のお父様である白雪斑雪とも仲がよく、家同士も良好な関係を築いている。
今日、白雪家次期当主である私がここに来られているのもこの人のおかげだ。
禊さんに直接頼めば断られること間違い無しと見た私が、ならばと凪さんに見学を申し入れたところ二つ返事で許可してくれた。おかげで私は妹の訓練風景をこうしてのんびり眺めることが出来ている。本来ならば他家の人間がそう簡単に足を踏み入れられる場所じゃない筈なんだけど、日頃の親同士の付き合いに感謝するべきか。
「ふふ、確かに。嫌とかじゃなく、面倒だからってところが彼女らしいですね」
「でしょ?」
そう言いながら私へと気さくに話しかける姿はとてもあの天枷の当主とは思えない。でも、私は彼が海千山千の強かな人物だと知っている。油断のならない人物だとも。とはいえ今はただの一人の親馬鹿にしか見えないけれど。
「今日は他家の娘である私に、敷地内の立ち入りばかりか見学の許可も下さって、有難う御座います」
「いいっていいって、僕も見たかったしね。そういえば対抗戦の選抜、もうすぐなんじゃないの?あの二人は間に合いそうかい?」
「訓練を見ている限りでは、今のあの二人は1年生の中でもトップクラスの実力でしょう。問題なく選ばれるかと思います」
これは本心だ。
トップクラスとはいったけど、もしかすると頭一つ抜けているかも知れない。それほどまでに、一週間前とはまるで別人だ。旭姫の次期当主がどの程度の実力なのかはまだ見ていないからなんとも言えないけど、仮に彼が圧倒的な力を持っていたとしても残りの枠はあの二人になるだろう。それに報告では以前の純白と同じD級だと聞いている。
1年生の時点でD級というのは凄いことだけど、早熟な可能性も有るし判断が難しい。多感な時期でもあるしこれからの伸びしろに期待、といったところだろうか。
「そっかー・・・いいなぁ、斑雪君は。今年は娘が二人も出場するんだから。毎年自慢されて鬱陶しいったら。禊ちゃんも出てくれないかなぁ」
・・・これは好機では?
どうやら天枷家の当主殿は娘の活躍を見たいらしい。
彼女が出場を渋っていたのは家とは関係の無い理由のようだ。ならばこれを利用しない手はない。
「私も禊さんにお願いしたのですが断られてしまいまして。良ければ凪さんからも頼んで貰えませんか?」
「はっはっは。まぁそうだよねぇ。あの子は興味ないだろうねぇ。とはいえ、君が考えている通り今年はチャンスだよね。君もいるし、何より禊ちゃんが出るとなればその競技はほとんどフリーパス状態だ。君が卒業した後、或いは当主となった後。白雪の将来の事を考えればここらで優勝しておきたいよねぇ?」
やっぱり、この人は一筋縄ではいかない。
柔和に笑う瞳の奥で、政治的な意図も当然感じ取っている。
「もちろん協力するよ。僕も禊ちゃんの応援と自慢はしたいしね。とはいえ、僕が言ったところで禊ちゃんが本当に嫌なら断られちゃうよ?神楽さんが頼めば渋々でも出てくれるだろうけど、禊ちゃんが嫌がることは神楽さんは絶対にしないしね」
凪さんの言う神楽さんというのは彼の妻であり禊さんの母親である天枷神楽さんの事。彼女も凪さんと同じ様に禊さんと祓さんの二人を溺愛しているし、娘たちの事を第一に考えている人だ。そんな神楽さんに娘の嫌がる事を頼めはしないだろう。
「そうですか・・・何か手はありませんか?」
はっきり言ってしまえば、私には手段を選んでいる時間がない。
なんとしても今年こそは優勝しなければならない以上、恥を忍んででも素直に心当たりを聞いてみる他無かった。
「断られたっていうのは、本当にただ目立ったりするのが面倒なだけだと思うよ。禊ちゃんはああ見えて素直な子だからね、案外本気で頼んでみたらすんなり出てくれたりするんじゃない?」
嘘でしょう、と言いたかった。
確かに、利己的なだけではない何かがあると先日彼女と話したときにも感じた。
恐らく彼女の中には何かの線引があって、利益と不利益のバランスが取れるのならば他人に協力することも吝かではないのだろう。
だがそうなると、今この場で行われているこれには一体何の利益があるのだろうか。彼女が二人を教えていることが、余計に私を混乱させている。
もしかして本当に、損得ではない何か?
「ま、そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない?別に失敗したって取って食べられたりはしないから、色々試してみようよ。僕もいろいろ機嫌とってみるからさ。一先ず任せてみて」
そういって凪さんは訓練の見学を始めた。
釣られるように私も、今度は禊さんのほうへと注目して見学する。
二人を怒鳴りつけるわけでもなく、苛立っているようにも見えない。ただあしらっては改善点を伝え、その後二人を蹴り飛ばすといったことを繰り返している。
微妙にムスっとしているような気はするけど。
「・・・」
お父様にもう一度相談するべきか。
それとも当たって砕けてみるのが一番だろうか。
そんな事を考えながら、暫くの間訓練を見学し続けた。
「あ、そうそう、最悪大きくて立派な活きの良い
人類の敵をカブトムシ感覚で語らないで欲しい。
* * *
「今日はここまでにするわ」
蹴り飛ばした純白と、それを受け止めた純麗へと訓練の終了を告げる。
この二人は、一週間前と比べると随分動きが良くなった。
勿論まだまだ足りない。実戦に放り込めば直ぐに死んでしまうだろう。
だが少なくとも、学生同士の競技会程度ならばそれなりに良い所までは行けるのではないだろうか。世界の学生がどのくらいの強さを持っているのかなんて全く知らないけれど。
「はぁっ、はぁ・・・押忍!有難う御座いましたわ!!」
息を切らせた純白はすっかり日本語が怪しくなっていた。
中腰のまま、顔をあげることも出来ずにただ地面へと汗の雫を落としている。
「あ、ありがとうございましたぁ・・・」
純麗も似たようなものだ。彼女は完全に地面へと座り込んでしまっている。
体力はそう簡単につくものではないので仕方がないけれど、この子の一番の課題は持久力かしら。
息も絶え絶えといった様子の二人をその場に放置し、訓練場を引き上げる。
途中で社がタオルと飲み物を持ってきてくれた。汗は一滴も流れてはいないし対して動いてもいないので喉も乾いてはいないのだけれど、それでも好意は受け取っておく。そうしなければ、社からしつこく脱水症状のあれやこれやを長々と聞かせられるからだ。
「禊ちゃんお疲れ」
そんな私の元へと声を書けてくる胡散臭い男が一人。
見学していたのは勿論気づいていたけれど、目が合うとはしゃぐので意図して無視していたお父様だった。
「いやぁ、あの二人見違えたね。いやまぁ以前を知らないんだけどね?」
お父様の恐ろしい所は、こんなふうに全く中身のない会話を得意としているところだ。知らないなら聞くな、言うな、と言いたくなる。
「知らないなら聞かないで下さい、言わないで下さい」
「ひどっ!」
どうやらそのまま口から出てしまったようだ。
別にお父様のことが嫌いだとかそういうわけではないけれど、この人はまともに付き合うと疲れるのだ。適度にあしらうくらいで丁度いいし、本人も何故かあしらわれるのが嫌いではないらしい。
お父様をあしらいつつ、その後方を一瞥すればそこにいるのは白雪のご令嬢。純白もそうなのだけれど、今回は聖の方だ。今朝から見学させて欲しいと申し出があって、妹を預かっている手前断るわけにも行かず許可を出したのだけれど、まさか本当に一日中見学しているとは思わなかった。
「お疲れ様。驚いた、と言うべきかな?一週間前の純白からは想像も出来ないほどに力が上がっているわ。どんな方法を使ったのか聞いてもいい?」
「断るわ。面倒だもの。それにやる方は貴方には向いていないし、受けるのも貴方にはもう必要ないもの」
「つれないなぁ」
別にそういうつもりではないけれど、彼女が知ったところで意味のないことだ。
というか妹の心配をして見に来たと言っていた割に、向こうでついに地面へと倒れた妹を放置していいのだろうか。建前は大事だと思うのだけれど。
「あ、そうそう禊ちゃん。聖ちゃんから聞いたんだけど、対抗戦出てくれなくて困ってるんだってさ。出てあげたら?」
ああ、やはりそういう話か。
お父様の隣では聖が『ちょっといきなり何いってんのコイツ』『もうちょっと言い方があるでしょう』みたいな呆気にとられた顔でお父様を見つめていた。
成程、大方私へとりなすよう頼んだのだろうけれど、聖はまだまだお父様の事を理解っていない。この人は如何にして人の意表を突くかしか考えて居ないのだ。本心はどうかは知らないけれど、やっぱりそっちのほうが面白そうだから、などという理由だけで意見を180度変えることすらある人なのだ。
「ちょっ、凪さん!?」
「僕も応援とか自慢とかしたいしさぁ。二年前から斑雪君がうるさいんだよ、うちの聖がー、ってさ。放送見てたから知ってるって何度も言ってるのに、だよ?ほら、でっかい
カブトムシか。
「・・・はぁ」
なんとなくは予想していたけれど、彼女は未だに私を出場させようとしていたらしい。諦めが悪いというかなんというか。そこまで必死になるからには、ただ最後の対抗戦だから思い出に、などと言ったものではない何か別の理由があるのだろう。
彼女の目的なんて興味はないけれど。
「・・・一つだけ条件があるわ」
「・・・え!?出てくれるの?今ので!?何で!?」
「ならやめておく?」
「ああ違う、そういうつもりじゃないの、ごめんなさい!」
何で、とはどういう事だ。貴方が出てくれと私に乞うたのではなかったか。
ともあれ、こう何度も頼まれるとあっては断り続けるのも、まぁ思うところが無いわけではない。私自身の希望はともかく、現実には自分のしたいことだけをして生きていける等とは思っていない。何よりしつこくて面倒だった。
お父様が聖に向かってサムズアップをしているのが見えてとても腹立たしい。
「・・・それで、条件って何かな?私に出来ることなら何でもやって見せるけど、あんまりにも無茶なことだと難しいよ」
「別に難しいことじゃないわ。生徒会長であり白雪家の貴方なら」
思うところがあるとはいえ、目立ちたくないのは事実だ。まして放送されるなど、私の感覚で言えば見世物小屋の動物と大差がない。
だからこれは妥協案。そして私なりの責任の取り方だ。
「故障やトラブルで選手が出場できなくなった場合の補欠枠、あるでしょう?それなら構わないわ。私が教えたあの子達がもしも試合に出られなくなってしまった場合は、私が出てあげる。こういうの、何というのだったかしら・・・ああ、そうそう。『ケツ持ち』、だったかしら?」
「禊ちゃん、その言葉はあまり使わないかなぁ?というか天枷の娘がケツとか他所で言っちゃ駄目だよ?」
言わないわよ。
補欠枠に贔屓の選手をねじ込む程度、彼女の立場ならば問題ないだろう。
ともあれ私の妥協できるラインはここまで。
いかに私が折れた形とはいえ、メインの選手枠など冗談ではない。
「ああ、それと試験を受けるとその時点で本末転倒になってしまうから、そこはそちらでなんとかして貰えるかしら?」
「勿論任せてよ、ありがとう!いやぁ良かった。選手枠で使えないのは残念といえば残念だけど、最強の保険がかけられたと思えば全然許容範囲だよ!それにあの二人も随分と鍛えてもらっているし、1年生は盤石と言って良い」
少しは食い下がられるかと思ったけれど、思いのほかすんなりと聖は納得してくれた。これ以上下手な事は言わないほうがいいかしら。
こうしてなし崩しに試験も免除させてしまえば、こっそりメイン枠に入れられてしまうという事態を防げる筈だ。
試験を受けても居ない人間が選手として選ばれていれば周囲からは大いに反感を買うだろうし、不信感も募る。それは生徒会長としても、学園としても、更にいえば白雪家としても避けたい筈だから。
「そ。ならそういうことでいいわ。ああ、そうそう」
「何?私に出来ることなら何でも言って?」
これは忘れるわけにはいかない。
彼女の考えや私の責任とはまた話が別。貰えるものは貰わなければ。
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