第6話 風花幾世

「近い、離れなさいな」


「もう少しだけお願いしますわ!あっ、良い香りがしますわ!甘露ですわ!」


 数分前に比べれば幾分か落ち着きを取り戻した純白だったけれど、それでも未だに私の方へぐいぐいと顔を押し付けてくる。恐れ多くて触れられませんわ、などと言いながらふすふすと鼻を鳴らしている。鬱陶しい事この上ない。


 と、そこへようやく担任が教室にやってくる。

 それに気づいた数人の生徒達が、立ち話を止めて急ぎ席へと着く。

 恐らくは今朝の境界振のせいで予定が押しているのだろうけれど、もっと早く来て欲しかった。おかげで私の疲労は必要以上に溜まっている。帰っても良いかしら?


 担任は教壇へと上がりながら教室内を見回し、私と眼が合ったかと思えば他の生徒には気づかれない程度に軽く会釈してみせた。はて、見覚えがないのだけれど何処かで会ったことがあっただろうか。


「皆さん、入学おめでとうございますぅ。今日からここ、Aクラスの皆さんの担任を務めることになりましたぁ、風花幾世かざはないくせニ尉ですぅ。これから宜しくねぇ」


 温和というよりもどこか緩い印象を受ける話し方をする彼女、風花先生は自己紹介を始めた。『軍』の人間は所謂叩き上げの軍人ではない場合が多い。自衛隊や各国の通常の軍隊とは違い、感応力リアクトに目覚めたことで、スカウトされて中途入隊する者が多いせいだ。もちろん軍人が感応力リアクトに目覚めて『軍』へと所属を変える場合もあるし、その場合は言葉遣い等もしっかり教育されている。

 おそらく彼女は前者なのだろう。

 間延びしたような、ともすれば気の抜けるような話し方は、境界鬼テルミナリアが現れてから新たに設立された『軍』ならばともかく、通常の軍隊ではあり得ない。


 だけどそうなると、余計に彼女と面識があるとは思えなかった。

 家の仕事、つまりは『害虫駆除』の関係で、家を通して自衛隊や警察から応援依頼が来ることが多いために、そちら方面で出会っているというのならば一応の納得は出来る。けれど白雪家からの依頼を受けた今ならばともかく、それ以前に『軍』と関わったことなどほとんどなかったと記憶している。もしかすると私に会釈したというのは勘違いで、純麗か純白に対してのものだったのだろうか。


 だとすると恥ずかしい。私としたことが、ファンを名乗る者が二人も現れたせいで自意識過剰になってしまっていたのかもしれない。そういった承認欲求のようなものは全くと言っていいほど持っていない筈なのだけれど。

 けれどそんな私の疑問は、続く彼女の自己紹介によって解消された。


「元は境界管理局日本支部の、第一特務部隊に所属していましたぁ。とある任務中に部隊が壊滅寸前になりまして、その時に隊員の多くが怪我をして引退してしまったんですよぉ。それで私も引退しようかなぁなんて考えていたところを拾われて、現在は教導隊に所属してますぅ。隊長は引退してここの学園長になったんですけど、私はまだ現役なんですよぉ」


 特務部隊といえば『軍』の中でも精鋭揃いであり、通常の部隊では対応できない任務を遂行するための部隊だ。各所からの依頼に応えて戦力を出す天枷家の役割に近い。当然要求される能力は非常に高いものになるし、戦闘能力のみならず人格面すらも選考の対象になる。つまり彼女は、一言で言えばとんでもないエリートだった。


 そして彼女の話していた『壊滅寸前になった特務隊』という言葉でようやく心当たりが見つかった。

 確か1年ほど前だっただろうか。

 関東の山奥で大量の境界鬼テルミナリアが現界、対処に向かった部隊が全滅するという事件があった。敵の情報すら不足していたため、事態を重く見た『軍』から特務部隊が送られる事になったのだけれど、現場にはCカテゴリーSの境界鬼テルミナリアまでもが現界していた。その結果、特務部隊すらも壊滅の危機に陥ったことでついに『軍』から天枷家、というよりも私に応援依頼が出された。


 つまり風花先生は、その時にその場にいたということ。

 私にそのつもりがなかったとしても、彼女からすれば命を救われたと感じたのだろう。おそらくはそういう理由で私に会釈をしたのではないだろうか?

 あの夜は随分と楽しかったことを覚えている。私としては、こちらこそお礼を言いたいくらいだった。


「ちなみに私の感応力リアクトはバリバリの戦闘系なので、皆さん私を怒らせないようにしましょうねぇ。私は聞き分けの悪い子がとても嫌い、とだけ言っておきますぅ」


 柔らかい態度とは裏腹に、話している内容はもはや脅しだった。

 風花先生の話し方や態度を見てか、先程まではどこか気の抜けた様子だったAクラスの生徒達はたちまち背筋を伸ばしていた。聞き分けが良いようでなによりだ。


「わたくし、あの方のことは存じておりますわ。『軍』では結構な有名人だった筈ですわよ。お父様からも、担任は怒らせるなと言われておりましてよ」


「えぇ・・・怖い先生だったらどうしましょう・・・居眠りでもしたらチョークで頭蓋骨を射抜かれたりするんじゃないでしょうか」


 純白の言葉を聞いた純麗がぶるりと震えている。けれどそれでは怖いを通り越してサイコだ。あるいはただの殺人狂シリアルキラーか。そんな者が教鞭を執っているなど一体何処の地獄だ。異世界のスラム街でだってもう少しまともな授業が行われているに違いない。


「先生の自己紹介は以上ですぅ。改めまして、これから宜しくねぇ」


 そういって話を締めくくった風花先生に対して大きな拍手が送られる。

 皆純麗と同じような想像をしているのだろうか。

 背筋を伸ばし、眼を見開いて拍手を送るクラスメイト達の様子を見れば、風花先生の脅しは効果覿面だったと言える。


「さて、先生の紹介が終わったところで、本日の予定は以上ですぅ。明日からの授業に備えて帰るもよし、学園内を見て回るのもよし。会話を楽しんで友人を作るもよしの自由行動ですよぉ。あ、問題は起こさないようにして下さいねぇ。私は問題を起こす子がとても嫌い、とだけ言っておきますぅ」


 どうやら風花先生は話の最後に不穏な気配を漂わせるのが基本らしい。

 再度告げられた脅しのせいか、浮かれた様子のクラスメイトは一人もいなかった。

 風花先生が退室したあとも10秒ほどは誰も席から動かず、会話もないままだった。

 その後は各々、緊張が解けたかのように思い思いの行動を始めていた。

 そしてそれは隣の二人も同様だった。


「終わりましたわ!禊さんに純麗さん、学園内を探索しましてよ!」


「あ、いいですね!食堂が凄いらしいですよ!禊さんも一緒に行きますよね!」


「帰るわよ?」


 なにやら盛り上がりを見せている二人には申し訳ないけれど。

 私は今朝から続くイベントの連続によって疲れが溜まっていた。

『学園内の窓ガラスを割って回りましてよ』などと誘われていれば付き合っていたかもしれないけれど。


「おフ○ックですわ!何故ですの!?今のは親睦を深める流れですわよ!?」


「おファッ・・・純白さん、言葉遣いが大変なことになってましてよ」


「イギリスでは挨拶のようなものですわ!」


 動揺しすぎたのか、純白の言葉遣いが純麗にも感染っていた。

 仮にも白雪家の娘が言って良い言葉ではないとは思うけれど、それにしたって純麗は動揺しすぎだ。

 そもそもこの二人は何故私が帰らないなどと思っているのだろうか。


「いいではありませんの!折角憧れの方とお友達になれたんですのよ!もう少しくらいは一緒に居たいですわ!」


 ああ、成程。

 一般的に友人とはそういうものなのだろうか。

 生憎とそういったものとは無縁だったせいか、私はその手の感情に疎い自覚がある。

 けれど生まれて初めて自分へと向けられた同年からのその好意は、不思議と嫌ではなかった。むしろ意外なことに、どこか心地よく感じてすらいる。友人とはこういうものか。とはいえ、やはり付き合うことは出来ない。残念だけれど。


「元々早く帰るつもりだったから、従者を外で待たせているのよ」


 今日は午前で全ての予定が終わることが分かっていたために、社を外で待たせているのだ。遅れると連絡を入れれば彼女は二つ返事で了承するだろうけれど、いつも世話になっている彼女の好意に甘え続けたくはなかった。

 それに元々、社は私の学園での用事が終わるまで一度家に戻って待つと申し出てくれていた。それを私が、すぐに終わるから待っていて欲しいと頼んだのだ。である以上、やはり帰れなどとは言えない。ただの私の感情面の問題で、自己満足に過ぎないのだけれど。


「そうなんですの?それは・・・仕方ないですわね。無理を言ってしまって申し訳ありませんわ」


 もう少し食い下がるかと思っていたのだけれど、純白はあっさりと引き下がってくれた。やはり彼女は人の心の機微に敏感だ。考えてみれば彼女と会話していている時、不愉快に感じることが一度もなかったように思う。人付き合いを煩わしいと思っているこの私が、だ。


「構わないわ。私の方こそ付き合って上げられなくてごめんなさい。また今度誘って頂戴」


 私らしくもない言葉。

 どうやら入学初日、たった二人と話をしただけなのに、私の心境に多少なりとも変化が現れているらしい。これが良い変化なのか、それとも悪い変化なのかは分からなかったけれど、やはり嫌いではなかった。


「次は絶対ですわ!」


「じゃあ二人で見に行きましょう!次回は私達で案内します!」


 こうして二人と別れた私は、校内の駐車場へと向う。

 一般的な学校と比べ、随分と広いスペースが確保された駐車場の隅に、できる限り目立たないよう駐車された天枷家の高級車。

 運転席を覗いてみたところ、社の姿は無かった。どうやら後部座席に居るらしい。

 運転席よりも後部座席の方が広い上、飲み物等も備え付けられているのだから、後部座席へと移動して待機しているのも考えてみれば当然のことだった。


 車の側面へと回り後部座席の扉を開くと、そこにはノートパソコンを使用して何かを行っている社の後ろ姿があった。密閉型のヘッドフォンを装着しているためか、私が扉を開けたことにも気づいていないらしく、一心不乱にキーボードを叩いている。

 社の背後からパソコンの画面を覗き込んでみれば、彼女が行っていたのは先程の入学式で撮影した私の写真の加工であった。

 無駄に解像度の高いその写真を大きく引き伸ばしたり、色調を調整したり、光源を追加してみたりと様々な加工が行われていた。私は無言でノートパソコンを叩き潰した。


「ああっ!!」


「はぁ・・・帰るわよ社」


「・・・あら?禊様、いつお戻りに?」


「今よ。貴方が怪しげな作業をしている後ろにいたわ」


「これは申し訳ございません。すぐに出しますのでどうぞ中へ」


 そう言って社はいそいそと回り込み、運転席へと戻ってゆく。

 先程私が叩き壊したノートパソコンは残骸も含めていつのまにか無くなっていた。

 相変わらず、どうやっているのか分からないほどの早業だ。


「安心して下さい禊様。バックアップは大量にありますので。一分おきに保存しておりましたのでロストも微量です」


「何を安心しろというのかしら。全て捨ててしまいなさい」


「駄目です。いくら禊様の命令でも聞けません」


「はぁ・・・疲れたわ、出して頂戴」


 長かった入学式を終えてようやく帰路につくことが出来た。といっても未だに12時をすこし回った程度の時間なのだけれど。

 色々な出来事が重なったせいか、随分と長く感じられる朝だった。

 そんな事を考えていると、社が運転席から話しかけてきた。


「禊様、本日は如何でしたか?」


「そうね───」


 今日は疲れもしたし、これから先も疲れそうな予感しかしないけれど、それでも。


「───悪くは、なかったわ」



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