第7話 出陣

 春の日差しが柔らかく降り注ぎ、竹林から届く爽やかな香りが漂う空間。

 陽が中天に差し掛かろうかという頃だったが、枯山水の庭が涼しさを感じさせる。


 そんなとある料亭で、二人の男が会話をしていた。

 まだ昼だというにも関わらず、二人は酒の注がれたグラスを手にしている。

 恐らくは持参したのであろう。一人は舞い散る雪の結晶を、もう一人は輝く天の河を切り取ったかのような美しい模様を模った切子のグラスだった。


「今日は態々ご足労頂いて申し訳ない」


「構いませんよ、こちらで所用もありましたので。ともあれ、話は一献傾けてからにしましょうか」


 社交辞令もそこそこに、二人はグラスを傾ける。

 勿論一気に飲み干したりなどはしない。若い頃は二人共無茶な飲み方をしたものだったが、流石にこの歳になって、それも日本酒でそれをやる勇気はなかった。


「改めて今回の件、受けて頂いて有難うございました」


「それは娘に直接言ってやってよ。それに僕としては、形はどうあれあの子が学園に通うのは喜ばしく思っているよ。こちらこそ、切掛を貰えて感謝してるんだ。本当はもっと早くに通わせてやりたかったんだけどね」


「そう言ってもらえると少しは気が楽になりますね。頼んでおいて何ですけど、内心嫌われていないかとヒヤヒヤしていましたからね」


 恐らくは普段から高級な料理を食べ慣れているのであろう。

 超が付くほどの一流料理に舌鼓を打つでもなく、ともすれば然程も味わっているようには見えない様子で口に運びながら、二人が話すのは娘の話であった。

 互いに見知った仲なのだろう。この席が始まった当初の丁寧な言葉遣いは、徐々に崩れていた。


「それこそ禊ちゃんが聞いたら機嫌を悪くしそうな話だね。『受ける受けないはともかく、そんな程度でいちいち腹を立てたりしないわよ。私を湯沸かし器か何かだと思っているのかしら』なんて言うに決まってるよ」


「いやぁ、直接会って会話したのなんてもう何年も前になりますから。下らないと分かっていても、どうしても噂を意識してしまうというか。そもそも凪さんが会わせてくれないからじゃないですか」


 娘をちゃん付けで呼び、自身を凪と呼ばれた男は天枷凪あまかせなぎ

 柔和な笑みを浮かべながら、愉快そうに娘の話をする彼こそが天枷禊の父親であり、古くから続く名家、天枷家の現当主であった。


「当然だよ。禊ちゃんに悪い虫が付くなんて許せないからね。ましてや前科持ちの斑雪くんにはとても近づかせられないよ。あ、見て見て、これウチのメイドから送られてきた制服姿の禊ちゃん。どう?最高じゃない?」


 そう言って凪は、スマートフォンに映る我が娘に魅了されるかのように、目尻を下げながら画面をもう一人の男へと見せびらかす。

 斑雪と呼ばれたもう一方の男、白雪家現当主である白雪斑雪しらゆきはだれは、凪から促されるままに画面を覗き込む。


「いやぁ、昔っから美人になるだろうと思ってましたけど、本当に綺麗になりましたね。・・・いやいや滅茶苦茶不機嫌そうじゃないですか」


「そこがまたいいんだよねぇ。一筋縄じゃいかないところとか猫みたいじゃない?この間もふらっと外出したと思ったら、返り血塗れで帰ってきたよ」


「いやホラーですよそれ。駄目だ、親馬鹿が限界突破してる」


 未だに情けなく鼻の下を長くしてスマートフォンを眺める凪を見て、斑雪は呆れた様子でグラスを傾ける。今の凪を見て、一体誰が彼を天枷家の当主だと思うだろうか。


 昔からこの二人で何か話し合いをするときは酒を飲みながら行うのが常であった。

 共にこうして当主となる以前、家の仕事の関係上で跡取りの頃から知り合いだった二人は、仕事の隙を見つけては頻繁に飲みに出掛けていた。

 現在のように高級な料亭であったり、あるいはそこらの安居酒屋であったり。

 そのおかげか、年齢は凪のほうが少しだけ上だったが、当主となった今でも互いに友人のような気安い関係が続いていた。


「親馬鹿とは失礼な。そういう君の方こそ、件の純白ちゃんに会わせてくれないじゃないか」


「いやいや、純白がこっちに来たのはついこの間なんですよ、仕方ないじゃないですか。あ、見てくださいよ、これ聖から送られてきた純白の写真です。控えめに言って女神じゃないですか?」


「よく僕に親馬鹿だなんて言えたね君・・・」


 そう言って斑雪が負けじと、凪に対してスマートフォンの画面を見せびらかす。

 凪が覗いて見れば、そこには異母姉である白雪聖しらゆきひじりと共に、制服を着こなした銀髪縦ロールの少女が、姉の腕に抱きつくようにして満面の笑みで写っていた。

 白雪純白しらゆきましろが両親のみならず、姉からも可愛がられていることがよく分かる写真だった。


「こっちは聖ちゃんだよね?随分大人っぽくなったねぇ。で、この娘が純白ちゃんかぁ。母親似なのかな?君に似なくて本当に良かったよ。色々と、凄い英国イズムを感じるね」


「こんなに縦ロールが似合うのなんて、ウチの娘とクロワッサンくらいですよ」


「それは褒めてるのかい?」


 お互いの娘を一頻り見せびらかしあった二人は、漸くスマートフォンを懐にしまい込んた。なんのことはない、二人共ただ娘を溺愛する親馬鹿であったというだけの話だった。こんな姿を両者の妻が見ればどう思うだろうかと心配にもなるものだが、彼らの妻達もまた娘たちを溺愛しているため似たような行動に出るだけである。


「それにしても、聖ちゃんと純白ちゃんは仲が良くて羨ましいねぇ」


「ということは、禊さんと祓さんは未だにすれ違ったままですか?」


 斑雪の言う祓とは天枷家の次女、禊の妹である天枷祓あまかせはらえの事だ。

 世間的には特に知られているというわけではないのだが、斑雪は度々こうした酒の席で凪から愚痴紛いの相談を受けていたために、天枷家の姉妹仲についてもある程度は知っている。


「そうなんだよねぇ。禊ちゃんは全然気にしてないみたいなんだけど、ああいう娘だからね。自分から積極的に関係を修復しようとは思わないみたいでさ。祓ちゃんは祓ちゃんで、ウチの両親から色々言われてるみたいでさぁ。あーもう、なんかほんと余計なことしかしないよねぇ。追い出そうかなぁ?」


「ウチも似たようなものでしたから、その気持ちは良く分かりますよ。別に両親のことを嫌いなわけじゃないんですけどね。頭の痛い問題ですよ」


 互いに自分達の両親である先代からの圧力によって、娘に苦労をかけているという点では同じ思いであった。斑雪に関しては問題の半分は自分の不徳であるのだが。

 とはいえ、凪の言うように追い出すなどということは、当主となった今でもそう簡単に出来ることではない。自分達の両親であるということもそうだが、彼らもまた彼らなりに家の事を考えてのことだと分かってはいるからだ。


 凪と斑雪が家族を優先しているように、先代達にとっては家のことが優先なのだろう。当主を継ぎ、家を護る立場にある今、家の事を優先する先代達の考えも一概には否定できなかった。

 こうして愚痴るのはいつもの二人の姿だが、結局未だ何も解決しないままでいる。


「はぁー。入学式終わった頃かなぁ。自分の眼で見たかったなぁ」


「凪さんは家に帰れば会えるからまだいいじゃないですか。ウチなんて二人とも別荘から通ってるんですよ?二人に直接会ったのなんて一週間も前ですよ」


「そもそも斑雪君がよりによって今日呼びつけるからじゃーん。自業自得だよ。それに禊ちゃんは普段別邸にいるから会えないことも多いんだよぉ」


「勘弁して下さいよ。俺だって見たかったのに、今日しか予定合わなかったんですから。ていうかまだ話全然進んでないのにもうベロベロじゃないですか」


「もういいじゃーん、適当に調整しておいてよぉ」


 2人の話し合いは牛歩の如く。

 彼らの相談内容は非常に重要で、ともすればこの国の未来にも関わりかねないような、そういったレベルの会話であるというのに、遅々として進まなかった。

 本題から外れに外れ、娘の話ばかりを続けてゆく。

 割合でいえば、娘の話が八、本題がニといったところだろうか。


 こうして彼らの会話が進まないのは、いつもの通りであった。

 それでも結局、諸々しっかりと回して見せるのは、この2人が非凡であることの証左なのかもしれなかった。



 * * *



 入学式を終え、学園から戻った私は真っ先に制服を脱ぎ、ハンガーへとかける。

 別に制服が嫌いだという訳ではないのだけれど、これを着ていると私を見る社の視線が妙に生暖かいのだ。

 見守るような、なにか微笑ましいものを見ているかのような。

 私が学園に通うことを喜んでくれることは、素直に嬉しいのだけれど。

 とにかく非常に居心地が悪かった。今日が初日だからというのもあるだろうけれど、それにしたって喜びすぎだと思う。


 下着姿から動きやすい訓練服へと着替えて一階へ。

 物音が聞こえたホールを覗いてみれば社が掃除を行っていた。

 着替えを済ませて降りてきた私に気づいた社が声をかけてくる。


「おや、これから訓練されるのですか?」


「ええ、今朝はやっていなかったから。昼食は要らないわ」


「畏まりました。では夕食を少し早めに致しましょうか」


「ええ、お願い」


 そんな短い会話。

 昼食は要らないと言うだけで、夕食を早めにしようかと提案してくれる社はやはり優秀だ。全てを伝えなくても、一を伝えればニ、三と先のことまで読み取ってくれる。

 無駄な会話が嫌いな訳ではないけれど、やはりスムーズな会話は好ましい。

 本邸に務めるそこらの一般メイドではこうは行かない。彼女らは基本的に言われたことのみに全力を尽くす。勿論それが彼女らの仕事であるし、悪いことではないけれど。私に仕えるメイドは社でいい。社がいい。


 別邸の裏手、屋敷の正面からは見えないそこは、今となっては私しか使用者が居ない、私専用の訓練場になっていた。

 訓練場とはいっても、広いスペースに巻藁や人形などが置いてあるだけの簡素なものだ。ほとんどただの庭といっても差し支えないくらい。


 軽く準備運動をして身体を解したあと、まずは刀を手に取った。

 刀を握り、木人形の前に立つ。それだけで、不思議と戦意のようなものが湧いてくる。刀は日本人の魂だなんて言うけれど、あながち嘘でもないのかもしれない。


 天枷家には様々な剣術が昔から伝わっているらしいけれど、私が刀を使う時は、所謂霞の構えをとる。

 剣術において対上段として有名な霞の構えは、防御に優れ、自分よりも遥かに巨大な境界鬼テルミナリアと戦うのにも適していたからだ。

 刀はリーチでいえば槍や薙刀に劣るため、リーチの長い境界鬼テルミナリアから先手をとることが難しい。故に、初手を相手に取らせて後の先を狙う。一度受けてしまえば後は構えなんてなんでも良い。感応力リアクトを使って斬るなり突くなり、やりたいようにやればよかった。

 私の感応力リアクトには防御なんてほとんど意味を為さない。

 今、ほんの数秒のうちに私の目の前で無惨な姿を晒した人形のように。


 そうして鍛錬を続ける。

 刀から始まって、槍、薙刀、斧、棒、長剣、細剣。使うことはないけれど、弓の訓練も一応は行うことにしている。


 そうしてしばらく、気がつけば陽が傾き初めていた。

 それほど熱中していたつもりはなかったけれど、随分と長く続けていたらしい。

 そろそろ切り上げなければ、きっと社が夕食の準備を済ませてくれている頃だろう。


「すぅ───ふッ!」


 最後は徒手空拳。

 踏み込みと共に、感応力リアクトを纏った貫手を放つ。

 まるでそこには障害など何も存在していなかったかのように、木で作られた人形に穴を穿つ。足元には既に何体もの木人形が転がっていた。


「ん・・・物足りないわね」


 とはいえ、仕方のないことだ。

 そもそも今朝に一度境界鬼テルミナリアが現界している。そうそう頻繁に現れていては、感応する物リアクターの存在に拘わらず誰も安心して暮らすことなど出来ないだろう。いつも都合よく私の前に境界鬼テルミナリアが現れてくれるわけではないのだから。


 それに境界鬼テルミナリアが現れるということは、少なからず被害が出るということだ。付近の建物や市民、討伐に向かった感応する者リアクターにしろ。

 そんな境界鬼テルミナリアの出現を喜ぶことなど、大っぴらには出来る筈もなかった。


 屋敷へと戻った私はその足で浴室へと向う。

 汗を吸って張り付く服と下着を脱ぎ捨て、冷たいシャワーで汗を流す。

 消化不良による身体の火照りは未だ治まってはいないけれど、幾分気持ちは落ち着いたように思う。


 裸のまま濡れた髪を乾かした後は、部屋着へと着替えて食堂へ向う。

 予想通り、社が夕食の準備を済ませてくれていた。時間も丁度、今完成したところのようだ。一体どうやって、これだけ手の込んだ料理を私の都合に合わせて作っているのだろうか。完璧過ぎて不安にすらなるというものだ。


 そうして社と2人で夕食をとっていた時の事だ。

 机の上に置いていた私のスマートフォンが鳴った。デフォルト設定のままの、面白みのない音楽が私達の食事を遮る。

 そんな無機質な音に少しだけ不機嫌になった私の表情は、けれどすぐに変わることになった。

 スマートフォンに表示されていたのは、私のためだけに作られた白雪家のアカウントからのメッセージ。


『現時刻より推定250分後、京都、白雪家監視領域内にて境界振の予兆有。推定震度7以上。CカテゴリーS現界の恐れ有。可能な限り応援に向かわれたし。該当地区の詳細は別途───』


 ここまで読めば十分だった。

 食事中だというのに、ましてや直前までは不機嫌になりそうだったというのに、我ながら現金なもので自然と笑顔が零れそうになる。


「ふふ、どうやら今日は都合が良い日だったみたい」


「どちらまでお出かけですか?」


 何も言わずとも、私の表情を見ただけで社は察してしまう。

 すでに立ち上がり、出発の準備を初めている。

 新幹線のほうが早いだろうかとも考えたけれど、駅から遠ければその時点詰みだ。

 やはり車で向かったほうが良い。


「京都よ。4時間程しかないけれど間に合うかしら?」


「ギリギリです。少し遅れると思った方が良いかもしれませんね」


「そう言って、今日も貴方は遅れなかったもの。信用できないわね」


「今回はさすがに、遠すぎて何も予測できませんよ」


「いいわ、あちらにはそう伝えておきましょう。それじゃあ申し訳ないけれど、お願いできるかしら?」


「お任せ下さい」


 そういって社は正門へと連絡を入れてから車を回しに行った。

 私も着替えなければ。いくらなんでも部屋着の娘が救援に来たとなっては格好がつかないどころの話ではない。

 そうして着替えている間にも、口角が上がるのを押さえられない。


「今日は運が良いのか悪いのか、よく分からないわね」


 学園では疲れの溜まるような出来事ばかりだったけれど、これから向う先で待つ境界鬼テルミナリアを好きに出来る。それもCカテゴリーSかも知れないという話。Sはそうそうお目にかかれる相手ではない。

 学園での疲れと差し引きすれば大きくプラスだ。訓練のときに感じた物足りなさも考えれば、気分も高揚するというものだ。


 着替えを済ませた私は玄関へ。そこでは社が扉を開けて待ってくれていた。既に車は目の前に駐車してある。あとは向かって、私の好きなようにするだけ。これから戦いに行くというには緊張感が足りないだろうか?否、私は戦いに行くのではない。


「禊様、いつでも出せます」


「そ。それじゃあ壊しに行きましょうか」


 こうして私と社は京都へ向かう。

 明日の学園は遅刻になるだろうかと、そんな事を考えながら。



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