第5話 純白

 この学園の教室は階段教室になっていて、私と純麗は最後列の窓際端の席に着いた。

 理由は特にないけれど、強いて言うなら眺めが良いからといったところ。

 私達の教室となるここAクラスは三階で、窓からは遠くに海が見える。


 私達の教室とは言っても、この学園の授業では実技を除いて出席を取らない。戦闘技能を学ぶことが主であるため、流石に実技に関しては強制であるのだけれど。

 高校と言うよりも、どちらかといえば大学に近いだろうか。

 定期的に行われる試験にさえ合格すれば、極端な話授業に出席しようとしなかろうと構わないという方針だった。やろうと思えば他のクラスの授業を受けることもできるし、実際にそうする生徒も少数だが存在するらしい。

 例えば、自分がもう十分だと感じた授業に出席せず、不足していると感じる授業を隣のクラスで受ける等だ。担任の授業が分かりくい、という理由でそうする者もいるそうで、そういった部分で教師の人気が出たりもするそうだ。


 とはいえ授業や試験は難易度が高く、赤点を一度でも取ろうものなら退学が見えてくるし、ニ度も取れば即刻退学となる。

 それ故、基本的には全ての生徒が真面目に出席するし、必死になって勉学や訓練に励む。寮から通っている生徒等は部屋に戻ってからも協力して試験対策を行ったりするようで、これだけ厳しい条件にも関わらず毎年の退学人数は基本的に0であるらしい。


 そもそもこの道の先にあるものは命懸けの戦いだ。ここでの授業は自分達の命を護ること、ひいては市民の命を護ることを目的としている。この道を志してこの学園に入った以上、誰だって生存確率を下げるようなことを好んでしようとは思わないだろう。現時点でまとも授業に出るつもりがない者など、私くらいのものだろう。

 隣に座る純麗などは、緊張とやる気の間で何とも形容しがたい表情をしていた。


 そんなことを考えながら窓から外を眺めていると、一人の女生徒が私達の居る最上段へと近づいてきた。遠目にも目立つ銀色の髪に縦ロール。外見の特徴から、恐らくはの彼女だろう。私の顔は知らない筈だから、きっと目当ては純麗だ。こちらへと歩いてくる彼女に気づいた純麗がそわそわし始めた。何か因縁でも付けられるのではと思っているのだろうか。


「ごきげんようですわ!貴方は縹家のご令嬢だとお見受けしましたが相違なくて?」


「え、こっち!?私の方だったんですか!?」


 どうやら自分ではなく、私に用があって近づいて来ているのだと思っていたらしい。

 突如自分へとかけられた声にびくりと身体を震わせる。

 純麗には申し訳ないけれど、私の知り合いはとても少ない。

 それにファンクラブ会員No.2───誠に遺憾であるが───の純麗ですら私の顔は知らなかったのだから、『七色』方面の理由で声をかけられることもないだろう。


「な、なんですの?そこまで驚くことですの?」


「あ、いえあの、家の事情で声をかけられることが余り無くて・・・あはは」


「そうなんですの?縹家の、それも本家の令嬢ともなれば、ひっきりなしに声をかけられていそうなものですけれど」


「私は、その・・・あまり家から期待されてないんです・・・あはは」


 そう話す純麗の声には影があった。

 今朝も一人で登校していたことや、入学式の席についた時のこと。これまでのごく短い時間の中でさえ気になる点はいくつかあった。恐らくはこれらが彼女の抱える問題なのだろう。そんな純麗の様子を見た彼女は、意外と言うと失礼だけれど、空気を察してそれ以上その話を続けることはなかった。


「・・・まぁいいですわ。ともかく、以前に一度だけ貴方のお顔を見たことがありましたの。わたくし、このお国にはあまり知り合いが居なくて不安だったんですの。そうしたら同じ教室に貴方がいるじゃありませんの!これは挨拶しなければと思い、こうして伺ったというワケですわ!」


「あ、そうだったんですか。それは・・・ごめんなさい、私覚えていなくて・・・」


「それは仕方がありませんわ。遠くから一方的に見たことがあるだけですもの。それに貴方は、わたくしが声をかけられるような相手ではありませんでしたもの」


「そ、そう言ってもらえると助かります・・・もしかして、本家のパーティーで、とかでしょうか・・・」


 こうして挨拶に来た相手を覚えて居ない等、通常であれば失礼極まりないことだ。

 だがどうやら事情があるらしく、彼女自信もまるで気にしていないといった振る舞いを見せた為に、純麗も随分と気を楽にさせてもらえた様子。

 どうやら彼女は、ともすれば高慢とも言えるその口調や態度とは裏腹に、随分と他人の心の機微に敏感な少女のようである。


「御名答ですわ!わたくし所謂妾腹の子でしたから末席も末席、隅っこのほうで座っていただけですの。それにまだ幼少の頃の話ですから、貴方が覚えているはずもありませんわ」


 否、何も考えていないだけなのかもしれない。

 自分が妾の子であるなど、ほぼ初対面の相手に対して言うものでは無いと思うのだけれど。そんなことどうだっていいとでも言いたげな彼女の振る舞いは、ある意味では清々しい。


「そうでしたか・・・じゃあ改めて、私は縹純麗です。ご存知の通り一応縹家の長女です。家のことは関係なく仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いしますね。えっと・・・」


 そこで純麗は、まだ彼女の名前を聞いていないことに気づいた。

 末席とはいえ、縹家のパーティーに参加したことがあるのならばそれなりの家の息女だろうという程度には純麗も予想しているだろうか。実際にはそれなりどころの家の娘ではないのだけれど。


「あら?そういえばまだ自己紹介していませんでしたわね。申し訳ありませんわ。わたくし白雪純白しらゆきましろと申しますの。同じクラスのようですし、これから是非よろしくお願いしますわ」


「あ、はい。是非是非・・・白雪ッ!?」


「ですわ」


「え、あの白雪ですか?」


「ですわ」


「き、きき聞いたことないですよ!?白雪家に海外の・・・え、あれ?名前、純白って・・・日本の方なんですか!?その顔と髪で!?」


「おハーフですわ」


「おハーフでしたわぁ!」


 動揺しすぎたのか純麗にも口調が移っていた。

 なんでも頭に『お』を付ければ丁寧になるというものではないと思うのだけれど。

 予想通り、やはり彼女が白雪純白。私がこの学園に入ることになった理由、あるいは原因の一つ。


 白雪家現当主である白雪斑雪しらゆきはだれ

 十数年前、彼がまだ当主ではなかったころ、彼とイギリスの名家の女性との間にできた子供が純白だ。当時既に斑雪は結婚しており、言ってしまえばただの浮気。

 けれどそれを知った斑雪の妻、白雪六花しらゆきりっかは怒るどころか、優しく浮気相手の女性を迎え入れたらしい。包容力の塊のような女性だ。

 曰く『こんな助平のせいで迷惑をかけてごめんなさい』とのこと。


 日本で生まれた純白は両親や六花、それに異母姉からも大層可愛がってもらえたらしい。けれど当時の当主、つまりは斑雪の両親からは認めてもらえず、幼少期からはイギリスの母方の実家で生活することとなった。白雪と英国名家、良家の血が為せる業だったのだろうか、純白は感応力リアクトに目覚めた。そして数年前、白雪家の当主が斑雪へと移ったために、反対していた先代の影響力を上回り、ようやく母娘共々日本へと呼び戻すことができたという。


 何故私がこんな内部事情を知っているかと言えば、偏にこれが白雪家から天枷家、もっと言えば私個人へと頼まれた依頼へと繋がるからであり、事情説明を受けたからだ。


 単刀直入に言えば『日本で学園生活を送ることになった可愛い娘の面倒を友人として見守ってやってほしい』である。純白の異母姉であり白雪家の次期当主がこの学園に在籍しているのだけれど、彼女は現在3年生で、あと1年で卒業してしまう。代わりの者が必要だったということらしい。


 天枷家は他の『六家』に対して基本的に無関心であり、それは白雪家も同じ。

『六家』とはいうものの、実態は四家とニ家といったところだろうか。

 ともあれ、白雪家が『軍』を取りまとめており、天枷家から『軍』へと兵を輩出している関係から、この両家同士には交流があった。


 その繋がりで天枷へと持ち込まれたこの依頼。

 同年であり、感応する者リアクターとしても活動していた私は、娘を溺愛する白雪斑雪にとってまさにうってつけであったのだろう。

 お父様からこの話を聞いた私は、当初はもちろん断るつもりでいた。

 けれど明確な見返りがなければ私に断られることなど、白雪家は予測していたのだろう。彼らは幾つもの見返りをしっかりと準備していたのだ。


 そんな幾つも用意された見返りの中、私が依頼を承諾した決め手となったものが『軍』からの境界振の情報提供だった。

 当然天枷家も『境界針』は所持しているが、全国全ての境界振を感知することは不可能だ。分家や支援者の物を含めても精々が関東地域をカバーできる程度のもの。


 だが『軍』は全国各地に拠点があり、全国余すことなく境界振を捉える事ができる。

 その情報を優先的に私個人へと寄越し、全てとは言わないまでも、強力な境界鬼テルミナリアの情報、討伐依頼を正式に私へ出してくれるという話であった。


 私にとってこれは大きなメリットだった。そして白雪家も私が食いつくであろうことを知っていたのだろう。上手く使われるようでいい気分はしなかったけれど、それ以上に彼らの差し出す情報は魅力的だった。


 他の条件は、学園関係のものと金銭だ。私にとってそれ事態は然程も嬉しいものではないけれど、白雪なりに私に配慮した結果だろう。

 白雪家が『軍』を統括している以上、その下部組織ともいえる学園もまた白雪家の領分の内だ。多少の特例など如何程のものでもない。

 金銭に関しては私個人が持つ総資産の半分ほど。もともとお金の使い道があまりない私にとって、金銭的な報酬はついでのようなものだった。無いよりは、といった程度。


 私が自分の在籍するクラスを知っていたり、純白の事にすぐ気づいた理由もこのせいだ。ついでにまともに授業を受けるつもりが無いのもそう。

 授業中に境界鬼テルミナリアが現界した際すぐに向かえるようにと、授業や試験に関しては免除されている。正確に言えば最低限の点数が保証されている。

 卑怯だと思われるかも知れないけれど、そもそも私は学園に来るつもりなど最初はなかったのだから仕方ない。今でこそ少し楽しみにはしているけれど、それとこれとは話が別だ。


 などと考えて居るうちに、純麗と純白の会話はいつの間にか随分と弾んでいた。


「ま、純白さんも難民なんですか!?私もですっ!見て下さい!」


「純麗さんもですの!?・・・No.2ですって!?くうっ、わたくしはNo.4ですわっ・・・無念ですわ」


「憧れに順番なんて関係ありませんっ!」


「・・・!?そうですわ!純麗さん、ありがとう存じますわっ」


 頭痛の種が増えていた。

 今まで聞いたことのなかった謎の会員が、今日だけで二人も現れている。しかも二人とも一桁上位だ。

 もはや件のファンクラブについては諦めるとしても、せめて本人の居ないところでやって欲しい。とりあえず純白を元いた席へと戻さなければいつまでも盛り上がり続けそうだった。

 これまで黙って二人のやり取りを見ていたけれど、ズキリと痛む額を押さえ、意を決して割り込むことに決めた。


「二人共、そろそろ教師が来るわよ。貴方も席に戻りなさい」


「あら?もうそんな時間ですの?ではここに座りますわ」


 駄目だった。そういえば自由席だった。

 とはいえ今更自分が席を移るなど、無愛想を超えて嫌味ですらあるだろう。

 私個人としてはそれでも良いのだけれど、純白に悪印象を与えるのも今後を思えば避けておくべきだ。つまり私は入学式に引き続き、またしても詰んでいた。


「そういえば貴方は純麗さんのお友達ですの?」


 私へと水を向ける白雪純白。先程口を挟んでしまった弊害が出た。

 疲れて居るのだろうか、今日の私は悪手を打ってばかりのような気がする。

 事ここに至り、私は流れに身を任せることにした。


「・・・ええ」


「そうでしたの。それは失礼しましたわ。わたくしは白雪純白といいますの。これから仲良くしてくださいな」


「・・・こちらこそ、宜しく」


 少し無愛想過ぎるだろうか。

 それでも、この後起こるであろう事態をどうにか避けるためには、興味を持たれないことが肝心だ。どうにかして純麗との会話へと戻ってもらうしかない。

 私の努力が実ったのか、彼女は純麗のほうへと話しかける。


「純麗さんのご友人は大人しい方ですわね。先程は騒いでしまって申し訳ありませんわ。それにとってもお綺麗な方ですの。二人は昔からのご友人ですの?縹さんのお友達ということは、やっぱり良家の娘さんですの?」


「あ、いえ。禊さんとは私も今朝知り合ったばかりなんです」


 頭を抱える。

 頭痛がひどくなった気がする。


「禊さんというんですの?素敵なお名前・・・あら?」


 馬鹿。阿呆。

 私の努力を返しなさい。


「あの『災禍の緋』と同じお名前ですのね!素敵ですわ!!とっても良いお名前ですわ!わたくし彼女の大ファンですの!これも何かの縁に違いありませんわ!名字はなんと仰るんですの?ご友人になって欲しいですわ!きっと仲良くなれますわー!」


「・・・」


「あ・・・ごめんなさぁいぃ・・・」


 入学式で目立ちたくないと言っていた私が、今も名前を隠そうとしていたことに漸く気づいたのだろう。涙目になりながら私へ謝意を送る純麗。

 もちろん純白からすれば何事か分かるはずもない。


「え、なんですの?聞いてはいけなかったんですの?」


「はぁ・・・天枷よ。天枷禊」


 もはや諦めるしかなかった。

 やはり入学式のあとに帰っておくべきだった。


「・・・あら?」


 こうして今朝の純麗に引き続き、二人目の限界オタクが生まれてしまった。

 担任の教師が来るまでの間、私に出来ることはといえば時間が過ぎることを待ち、一刻もはやく教師がくることを願う事だけであった。

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