第4話 入学式
「わぁ、素敵なお名前ですね!こちらこそ宜しくお願いします禊さん・・・あれ?」
私の名前を聞いた後、彼女は数拍置いて怪訝な顔を見せた。
勿論理由は分かっている。本当に彼女が縹家の者ならば、私の名前を聞いて気づかない筈もない。
けれど私は素知らぬ振りをする。
自らそうだと名乗るほど、私はその家名に誇りを持っていなかったから。
無論両親への感謝はあるけれど、それとこれとは話が別だ。
「何かしら」
「あの・・・禊さんのお名前・・・天枷って、『あの』天枷ですか・・・?」
「そんなに恐る恐る尋ねなくても、取って食べたりしないわよ」
私の家は俗に『六家』と呼ばれる、純麗の家と同じ括りの古い家だ。
けれど、縹家と何か確執が有るなどといった話は聞いたことがない。
そもそも、天枷家は『六家』の中でも立ち位置が特殊な関係上、白雪家以外との交流は殆ど無いといっても良い。
天枷は古くより、ただ『虫』を駆除するためだけに存在し続けてきた。
時には国から請われて。時には自家の判断で。そして地域の民達の嘆願で。
誰にも与せず、強いて言うならこの国に与して。そうしてずっと戦ってきた、それが天枷家。
無論、時代と共にその有り様は変わってきた。今では天枷に属する分家から『軍』へと出向、所属する者もいる。流石に本家からは無いのだけれど。
これには事実上『軍』を取り纏める立場にある白雪家が関係しているのだけれど、ひとまずは置いておく。
ともかく今大事なことは、天枷と白雪の両家は、『六家』でありながら『六家』の権力争いに無関心、あるいは無関係であるということだ。
「そうね。貴方の想像している、その天枷。私はそこの長女よ」
「や、ややややっぱり・・・」
しかしこうして必要以上に動揺して見せる純麗の様子を見れば、やはり何か家同士の問題が有るのだろうかと勘ぐってしまう。
仮にそうだとして、私の行動には微塵も影響しないのだけれど。
「何?家から天枷とは距離を置け、なんて言われていたりするのかしら?」
「い、いえっ!あの、天枷家の長女ということは・・・その、禊さんは、噂の『
ああ、そっちの方か。
私が知らぬ間にそう呼ばれていることは知っている。
曰く、『災禍の緋』『歩く災害』『天枷の鬼』『異常者』等々。
実際に会ったこともない大勢の人間が、好き勝手に私を称したその言葉達。
別に私をなんと呼ぼうと構わないし、興味もないのだけれど。
それでも、回り回って噂となった言葉が、こうして初めて会った人間を恐怖させる。
新しく採用されたメイドや執事、門兵や家庭教師、挨拶に来た分家の跡取り等。例を上げればキリがないけれど、今となってはその殆どが、初めて見る私に恐怖を抱く。
だから今回も、純麗もそうなのだと思った。
「・・・ええ、そう呼ばれているみたいね」
入学初日にして、学園に到着する前に友人が出来たと思ったのだけれど、そう上手くはいかないらしい。どうでも良いと、そう思っていたつもりだったけれど、少しは残念に思う気持ちが私にもあったのだろうか。ほんの少しだけ、言葉が詰まった。
けれどそんな私の予想は少し、否、随分と違っていたらしい。
「ほ、本当ですかっ!あ、あのあのあのっ!!握手!してくださいっ!実は私、貴方の大ファンなんですっ!」
「・・・何ですって?」
彼女は何を言っているのだろうか。今彼女はファンと言ったのか?
間抜けにも聞き返してしまった私に、彼女は興奮したように頬を赤らめながら再度言う。
「好きなんです!!」
話が変わっていた。
私は聞き取れなかったのではない。言っている意味が分からなくて聞き返したのだ。
もう一度説明してくれと頼んだのであって、言い換えろと言った訳では無い。
顔を紅潮させながら好きだなどと言っては意味が変わってくると思うのだけれど。
つまり彼女は、私の『
だとすれば彼女は、私にとって初めて出会う人種だった。
「私のファンだと聞こえたのだけれど。本気で言っているのかしら?」
「本気も本気ですっ!大マジですっ!!初めて『災禍の緋』を知った時から、『六色』が『七色』になったときからっ!大、大、大ファンなんです!!是非握手とサインをお願いします!!」
興奮してまくし立て、鼻息荒く迫り来る彼女はとても良家の令嬢とは思えなかった。
おまけにしれっと要求が増えていた。実は強かなのだろうか。
鬼気迫るといった彼女の圧に負け、そろりと差し出した私の右手を、純麗はしっかりと握り込むようにして両手で掴み、上下に大きく振り回す。
痛くはないけれど、鬱陶しいことこの上なかった。
「あああああ幸せですぅ!夢が叶いましたぁ!全然表に出ないから、顔とか背格好も分からなくてっ!同い年の女の子って事しか分からなくてっ!どんな人なんだろうなってずっと想像してて!カッコイイ方なんだろうなぁとか、キレイな方なんだろうなとかっ!あと───」
「分かったわ、分かったから落ち着きなさい。暑苦しいから離れなさい。それといい加減に手を離しなさい。壊すわよ?」
「ああッ!壊して下さいぃ・・・」
先程までは僅かに残っていた知性も、今ではすっかり手放したようだ。
限界オタクと化した今の純麗は、もはや私の手には負えなかった。
ちらりと運転席をルームミラー越しに見てみれば、社が楽しそうに笑っているのが見えた。どうやら助けるつもりはないらしい。私は必ずカメラを壊すことを決めた。
幾分か落ち着きを取り戻した純麗を座らせると、純麗が今度は鞄を漁り始めた。
うんざりしながら暫く眺めていると、目当ての物を見つけたらしく、手のひらサイズのカードを取り出して私に見せつける。
「今度は何かしら?というよりも、学園はまだなのかしら?」
もしかすると社はわざと速度を落としているのではないだろうか。
そんな疑いすら頭を過る。
「見てくださいっ!『災禍ファンクラブ』の会員証ですっ!No.2ですよ!凄くないですか!?」
そう言って彼女が取り出した物を見た私は、額に手を当て頭痛に抗うことになった。
何を言っているのだろうかこの女は。ファンクラブ?そんなもの私は知らないのだけれど。誰がなんの為に設立したのか、彼女の取り出した黒いカードには確かに『災禍ファンクラブ』の文字と、『難民No.2』などという不穏な番号が刻まれていた。
「本当は一番が良かったんですけど、私よりも早く設立した人がいて仕方なくてッ!ちなみに会員数は3万人を超えています」
「・・・馬鹿なのかしら?見たこともない相手のファンなんて正気とは思えないわ」
「そんな些細な事は、憧れの前では無力なんですッ!」
「はぁ・・・なんだか急に疲れたわ。帰ろうかしら」
結局私は学園に着くまでの間、純麗の妙に熱の籠もった『災禍愛』なるものを聞かされ続けることになった。なお予想通り、社はわざと速度を落としていた。間に合わないかも、などと言っていたくせにどういう事かと思えば、その理由はどうということもなかった。
社曰く「あれだけの事件が学園のすぐ近くで起きたとなれば、避難民の受け入れも含め式に遅延が発生する筈ですので」とのことだった。
冷静に考えれば当たり前の事で、そしてその読みは見事に的中していた。やはり社には敵わないと実感させられる。
いずれにせよ、気づかなかった私が間抜けだったというだけの話だ。結局のところ、急ぎ学園へと向かった殆ど意味はなかったということ。
けれど、不思議と悪い気分ではなかった。
学園へと到着した私達は、誘導される避難民達の脇を抜けて講堂へ向かった。
私達新入生は受付で名前と、事前に送付されていた学生証を提示する。
一応保護者という扱いになる社は、新入生である私達よりも手続きに時間を取られていた。流石というべきか、厳重で慎重な受付に少しだけ感心する。
受付の担当が私と純麗の名前を見た途端に表情を強張らせ、緊張した面持ちで案内をしてくれたのが印象的だった。どうやら彼は『六家』を知っているらしい。あるいは事前に通達されていたのか。いずれにせよ余程失礼な応対でなければ、取って食べたりはしないというのに。私は家の名を笠に着て傍若無人に振る舞ったことなど、生まれてこの方一度も無いはずなのだけれど。
そう思っていると、隣の純麗から「禊さんは表に出なさすぎて、人物像が独り歩きしてるんですよ」と聞かされた。是非も無い。
社はメイド服のままであったが、さほど目立つこともなかった。
一般家庭のみならず、良家や金持ちの子息子女も多く集まるこの学園では、社のようなメイドは多くはないとはいえそれほど珍しい存在でもないからだ。
問題はその後だった。
クラス分けの発表すら行われていない今、生徒達は自由席だった。
目立つつもりなど毛頭なかった私は最後列に近い席へと移動したのだけれど、意外というべきか、純麗も私の隣へと着席した。
彼女は縹家の人間として顔を売らなければならない筈で、このような位置に座るのは都合が悪いのではないか。そう彼女に問うて見れば、純麗は苦笑いを浮かべるだけであった。彼女にも何か事情があるのだろうとそれ以上追求はしなかったけれど、先程まで笑っていた彼女が今は表情を曇らせているのを見れば、どうにも触れられたくない話題だろうことは容易に想像できた。
そして問題の社だ。
保護者席は二階の全席で、VIP席のように特別扱いされるような席は存在しない。
これは身分に関係なく云々、という学園側の理由からそうなっているらしい。
そんな保護者席の舞台側、最上段の席に社はいた。否、正確には着席していない。
私達の顔を撮るように此方側を向き、うつ伏せになって例のバズーカを構えていた。
なにやら先程までは持っていなかった多種多様な機材までも辺りに展開しており、当然彼女は目立っている。
「おい、見ろよアレ」
「ああ、すげぇよなあのメイドさん。どこの家のメイドだろう」
「こっちを撮ってないか?なにしろあの望遠だ、表情までバッチリだ」
「あれは相当過保護にされてるに違いない」
「あとで値段を相談しないと」
周囲から私の耳に入ってくる声に、顔から火が出そうだった。
私に出来ることは、無心でこの羞恥に耐えることだけだ。隣で純麗が何かを呟いていたが、事ここに至り、そんなことはどうでもよかった。
もはや壇上の学園長の有り難い言葉も、在校生を代表した学生会長の言葉も頭に入って来はしない。社の件が無くとも、もともと聞くつもりはないのだけれど。
当然、新入生代表の挨拶など聞いている筈もない。
何か大層な事を宣って極一部から盛大に拍手をされていたような気がするけれど、私はただただこの地獄が一刻も早く終わることを祈るばかりだった。
結局、内容など何も頭に入ることなく入学式を乗り越えた私は、引き続き純麗を伴って校舎の正面にある広場へ。ここにクラス分けが張り出されており、各自確認した後に教室へ向うこととなっている。
各クラスは25名ずつ、A~Dまでの4クラスに分けられる。このクラス分けは
正直に言えば私は自分のクラスを初めから知っている。そしてここには私の名前は載っていない。主席の私が新入生代表ではないことも、事前にクラスを知っていることも、ここに名前が載っていないことも。それら全てに理由があるのだけれど、それは然程重要ではない。ならば何故ここに来たのかといえば純麗のクラスを確認するためだ。
当の純麗は私の名前を探している様子だった。随分と懐かれたもので、自分と同じクラスに私の名前が無いことに気づき、すっかり落ち込んでいる。
「ほら、行くわよ」
「で、でも・・・まだ禊さんのお名前が見つかっていません・・・」
「それでいいのよ。私の名前はここには載っていないもの」
「えっ?ど、どどどどういうことですか!?」
一から説明するのも面倒で、私は促すように純麗の背を軽く叩く。
少しだけびくりと肩を震わせ、直後にふにゃりと相好を崩し、私に促されるままに歩みを進め始める。
説明する必要も、彼女が心配する必要もない。だって───
「いいから。心配しなくても、貴方と私は同じクラスみたい」
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