第3話 縹の少女

「やはり中止、ですか?」


 感応力者養成学園の学園長室で、二人の男女が会話をしていた。


 一人は当然、部屋の主である学園長。

 彼女はかつて『軍』に所属しており、境界鬼テルミナリアとの戦いで負った怪我が原因で1年前に退役したところを、その経験を見込まれて学園長に抜擢された、実戦経験豊富な感応する者リアクターでもある。

 現役時代の境界鬼テルミナリア討伐数は54体。

 29歳という若さで、この国の『軍』におけるエースオブエースとして名を馳せた、まさに境界鬼テルミナリア専門家エキスパートである。


 もう一人は副学園長。

 彼は学園長とは違い、研究畑の人間であった。

 感応する者リアクターではないものの、研究者である彼は学園長とはまた違った分野の専門家エキスパートだった。

 その広い知識をもって学術的な面から学園長を補佐し、この二人が互いに足りない経験を補いあうことによって学園の運営を円滑に行っていた。


 そんなこの学園のトップである二人が話しているのは、この後予定されていた入学式についての話である。


「無論私とて残念に思うが、致し方ない。生徒達の安全には代えられん」


 つい先程、学園のすぐ近くと言ってよい場所にて境界振が発生、境界鬼テルミナリアが現界したとの報せが届いた。既に講堂へと生徒の案内が始まっていたところであったためすぐさま講堂を閉鎖。学園所属の感応する者リアクター6名を現場へ向かわせると同時に状況説明を行うと共に一時待機するようアナウンスを行ったところである。こういった緊急事態に際し、戦力を多数保有する学園は協力するよう義務付けられているためである。


「それに付近の避難民も受け入れている。とても続けられる状態ではないだろう」


 この学園には教員や警備の者を含め、多くの感応する者リアクターが在籍しており、緊急時の避難場所にも指定されている。学園の近くで起きた境界振となれば、ここへ避難してくる者がいるのも当然であった。


「それは理解しております。ですが今年は────」


「それも解っている。『六家』が煩いというのだろう?」


「はい。今年は『六家』の関係者が直系を含めて7名が入学してきます。これで在学生を合わせれば『六家』の次期当主が我が校に揃うことになります」


「ふん、わめくのならば自分達で処理すればよいものを」


『六家』とは桂華けいかはなだ旭姫あさひ白雪しらゆき冷泉れいぜい天枷あまかせの6つの家からなる、古くから裏で国を支えてきた名家の俗称だ。現在においてもその力は絶大であり、政治的にも無視出来ないほどの影響力を持っている。また境界発生以降はその血筋のせいなのか、強力な感応する者リアクターを多く排出しており、『軍』への影響力も増していた。


 だが彼らは一枚岩などではない。

 他家よりも上の立場を得るために、白雪と天枷のニ家を除いた四家がそれぞれ互いを牽制しあっているのが現状だった。

 そんな彼らにしてみれば、入学式は大事な後継者のお披露の場でもある。

 先の事を考えれば、各界からも賓客として要人が招かれているこの場で顔を売っておきたいというのが彼らの思惑である。

 それが中止となれば色々と文句を付けてくるであろうことは想像に難くなかった。


「白雪家や天枷家のように、不干渉でいてくれれば楽なのですが」


「そういえば例の『緋』は後継者から外されたらしい。現在は妹が後継者となっているようだ」


「まさか!確かなのですか?『七色』ともなれば力の象徴としてこれ以上無いはずですが・・・天枷は何を考えているんでしょうか」


「知らん。彼らの考えることなど私には理解できんよ」


 そう言って学園長は肩を竦めて見せる。

『軍』に所属していた彼女からすれば、組織のトップには能力の有る者を据えるべきである。それが突出しているのなら尚更だ。仮に組織の運営能力が欠如していたとしても、多少異常な性癖を持っていたとしても。それは周囲が埋められる程度の欠点に過ぎない。無論妹がそれに匹敵するだけの力を備えているというのであれば理解もできるが、そういった噂は寡聞にして聞いたことがなかった。


「学園長は彼女を見たことがあるのですか?」


「一度だけだがね。は別格だよ」


「あの学園長から見ても、ですか・・・」


「私は現役時代、境界鬼テルミナリアを50かそこら討伐してエースなんて呼ばれていた。自分で言うのも何だがね。だが知っているか?の討伐数は15歳にして200を超えている。頭がおかしいとしか思えん」


 境界鬼テルミナリアとの戦いは常に死と隣り合わせだ。

 境界という未だ曖昧な場所から突如として現れる彼らとの戦いにはイレギュラーがつきものだった。そもそも事前の予測より遥かに強い敵が現界することもあれば突然敵の数が増えることもある。場合によっては敵の形態が変化することもあった。

 格下の相手であっても常に勝てる保証など何処にもないのだ。


 歴戦の感応する者リアクターである学園長であっても、境界鬼テルミナリアとの戦いは常に緊張の連続であった。故に、未だ15歳の小娘がそんな相手を既に200体以上も討伐しているなど何かの間違いだと思っていた。

 彼女が引退することになった作戦の、その最中。

 当時14歳であった彼女の戦いを見るまでは。


 CカテゴリーC程度の境界鬼テルミナリアはまるでゴミのようだった。

 Bですら彼女の足止めにもならない。圧倒的な破壊でもって境界鬼テルミナリアを蹂躙し、周囲に死を撒き散らす。血濡れになって心底楽しそうに笑うその姿は正しく『災禍』。

 当時を思い出す度に思う。感応力リアクトの光と瞳の色から『緋』と呼ばれているなどというが、本当は血塗れになったその姿から連想しているのではないか、と。


「・・・そんな頭のおかしい生徒が今年入学してくる訳ですが、大丈夫でしょうか」


「なに、は戦闘中以外は別人のようだったよ。変に不興を買わなければ問題ない。少なくとも、鼻の伸び切った他家の者達よりもよほどマシだ。なんなら彼女が奴らの鼻をへし折ってくれるかもしれんぞ?」


「そうだと良いのですが・・・ともあれ、入学式の方は───」


 そう言って副学園長が脱線した話を戻そうとしたところであった。

 不意に、この学園長室の扉を叩く音が飛び込んできた。

 急いでいるのか、心なしか強いノックであった。

 学園長が扉に向かって入室の許可を出せば、その正体は感応力リアクトの実技指導を担当している教員の一人であった。


「失礼します、来栖くるす学園長」


「どうした?講堂の封鎖は終わったのか?」


「そちらは恙無つつがなく。先の警報の件ですが、対象が討伐されたとの報告が入りました」


 そうして教員から齎された報告は、つい先程まで学園長達が相談していた問題を一挙に解決してくれるものであった。だが先の警報から30分も経過していない。どう考えても早すぎる討伐に、報告を受けた彼女は訝しむ。


「確かなのか?優秀な者を送ったとはいえ、流石に早すぎる。誰がやった?」


「それが・・・我が校の感応する者リアクターが現場へ到着した時には既に討伐されていたとのことです。避難が遅れて現場近くにいた市民の話によれば、当校の制服を着た女学生がやった、と」


「何?現界したのはCカテゴリーBではなかったのか?如何に我が校が精鋭揃いだとしても、生徒には荷が重い相手だぞ」


「申し訳ありません、詳しいことはまだ何とも・・・」


「まぁいい。そちらは追々調査しよう。何にせよ、入学式が開催できるならそれでいい。ご苦労だった、講堂に戻ってくれ」


 報告にきた教員を見送った学園長は、窓から外を眺めて息を吐いた。

 気になることはあるが、今は入学式を中止にする必要がないだけで有り難かった。

 多少時間が押すことにはなるが、これで煩わしい『六家』からの文句も随分と減るだろう。

 そもそも学園長とて出来ることなら入学式は執り行いたかった。

 直截に言えば学園は戦闘要員、ひいては将来の軍人を育てる場だ。無論戦闘以外の分野に進む者もいるが、しかし殆どは戦う術を磨くためにここへ来る。さほど意味があるわけではないがそれでも、これから先のことを思えばせめて今日くらいは彼ら彼女らに晴れやかな気分を味あわせてやりたかった。


「はぁ、ひとまずは安心といったところか」


「ですね。私は来賓の方々への事情説明へ向かうとしましょう」


「頼む。あまり待たせても後が怖い、式は三十分後から執り行うと伝えてくれ。私も後ほど講堂へ向う」


「承知しました。では後ほど」


 短い会話の後、副学園長が部屋を後にするのを学園長は見届ける。

 たったこれだけのやりとりでも、あとは彼が細かい部分を調整してくれるだろう。彼の細かい気配りには随分と助けられている。昔は研究畑の人間など、どいつもこいつも頭が固いなどと思っていたが、彼と共に仕事をするようになってからはその印象は払拭された。それと同時に、境界鬼テルミナリアとの戦い一筋であった自分の至らなさにも気付かされたのだが。


 とはいえ今の自分は学園の責任者。

 部下を使い、裁可して、それで問題があれば最後に責任を取る。

 だが今回の件は問題がない。どこかの誰かのおかげで迅速に収束した。

 ならば後からどうにでも帳尻は合わせられる。


「ふぅ、ストレスで禿はげそうだ」


 ストレスの原因の殆どは、どこぞの煩い家々のせいだ。

 こんな時代になったというのに、いつまでも無駄に意地を張り、プライドを守って権力争いを続けている。ただでさえ各国が牽制し合う面倒な情勢だというのに。

 勝手にやっているだけならまだしも、こうして被害を受ける身になってみれば堪ったものではなかった。今は適当にあしらっているが、各家の後継が揃う今後は彼らの干渉が一層強くなることが目に見えている。

 これならば現役時代のほうが余程気楽だったというものだ。


「いかんな、感傷的になっている場合ではない」


 思案を止め、かぶりを振り、そうして学園長は講堂へと向う。

 各家の後継がまともであることを祈りながら。



 * * *



「禊様、直に到着します」


 人通りの少なくなった道を、高級車で飛ばしに飛ばした社のおかげか、想像していたよりも随分と早く学園に到着することが出来そうであった。


「ええ、ご苦労様。ほら、あなたもいい加減にとしなさい」


 未だに何が起こったのか分かっていない様子で、呆けたまま車の対面に座る女子生徒へと声をかける。碌に説明もせぬまま半ば無理矢理連れてきた形になってしまった為、多少の申し訳無さはある。とはいえあのままであれば間違いなく遅刻していただろうことを考えれば致し方なかっただろう。


「あっ、はいっ!あの、さっきは有難うございました!お礼を言うのが遅くなって申し訳ありませんっ!」


 慌てた様子で謝意を伝えてくる彼女は、未だ緊張しているようだった。

 こんな厳つい高級車にいきなり乗せられたのだから無理もないだろう。


「構わないわ。さっきも言ったけれど、助けようとしたわけではないもの」


「いえっ!例えそうだとしても、あのままなら私は、死んでいたと、思いますから!ですからやっぱり有難うございました!」


 どうやら拉致紛いなことをされて緊張している、という私の想像とは少し違うようだった。身体を小さく震えさせながら、言葉遣いも、息継ぎも滅茶苦茶で。矢継ぎ早に言葉を重ねる彼女は、緊張というよりも未だ恐怖心が抜けていないのだろう。


「・・・そう、なら受け取っておくわ」


「はいっ!」


 満面の笑みを浮かべてみせる彼女。

 助けてもらって、感謝して、それを受け取って貰えて。

 それが嬉しくて安心したのだろう。身体の震えも、どうやら治まっていた。

 彼女の笑顔は、私には少し眩しいくらい。


「あっ、その、申し訳ございませんっ!」


 そう思っていたら今度は唐突な謝罪。


「貴方の情緒はどうなっているのよ、少し落ち着きなさい。それと、必要以上に遜る必要はないわ。普通に話しなさい」


「ご、ごめんなさい・・・えっと、助けてもらったのに、自己紹介まだしてないな、って思って」


 幾分マシになった話し方で、けれどどこかぎこちない話し方で。

 そんな彼女の唐突な謝罪は、どうやら自己紹介が遅れたことに対してのものらしかった。無理矢理連れてきておいて何だけれど、言われてみれば確かにそうだ。

 言い訳がましくなるけれど、忘れていたわけではない。記憶を遡ってみれば、私にはそもそも自己紹介などという経験が殆ど無かったのだ。

 これまで私には、それをする相手も、する必要もなかったから。


「私は、縹 純麗はなだすみれと言います。今日から学園の1年生としてお世話になりますっ!よろしくお願いしますっ!」


 思案する私をよそに、元気よく自己紹介する彼女。如何に広い車内とはいえ些か声が大きすぎる。だが彼女の自己紹介にはそれよりも気になる点があった。


「・・・縹?珍しい苗字ね。どこかで聞いた覚えがあるのだけれど」


「禊様、『縹』といえば六家の一つ、あの『縹』ではないでしょうか」


 喉元まで来ていたものの、どうにも思い出せない。

 そんな私に、社が運転席からすぐさま助け舟を出してくれる。

 そう、『六家』だ。

 さほど興味も無いため記憶の片隅へと追いやっていたそれは、祖父母やお父様から聞かされた6つの家の名前。なお他の家の名前はさっぱり思い出せない。


「ご存知なんですかっ!?普通の人は『六家』なんて知らない筈なんですけど・・・いえ、こんな車、どう見ても普通の人じゃないですよね・・・」


 普通の人ではないとは聞こえが悪い。

 悪いが、否定はできない。例の悪癖も手伝って、両親や社にはよく迷惑をかけてしまっていることは自覚しているのだ。そんな自分が普通の人間であると言い張れるほど、私は厚顔無恥ではない。


「あの・・・お名前、教えてもらってもいいですか?」


 おずおずと、上目遣いでこちらを伺う彼女。

 知ってか知らずか、そんな彼女の所作は小動物的、あるいは後輩的な可愛らしさがあった。面倒事が起こりそうで『六家』とは関わりたくはなかったが、少なくとも彼女個人とはこれからも付き合っても良いと、そう思える程度には可愛らしかった。

 だから私も告げることにした。あまり好きではないその家名を。



「禊よ。天枷禊あまかせみそぎ。これから宜しく、純麗」

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