23.エクスロスに吹く熱の風

 エクスロスは今日も、硫黄のにおいがしていた。

 アグロスの件は単純な話で、死んだことにする工作など造作もない。殺してきましたこれが心臓ですと、他人の心臓を当人のものに仕立て上げて渡しても良いし、首を加工してもいい。ただここはバシレイアであるので、現実的なところを言えば心臓だろうか。

 首の加工となると、どうしても手間がかかる。まして似た顔をまず探すところからで、ではそれに犠牲を強いるのかとなれば、どうしてもルシェは躊躇ちゅうちょしてしまう。

 心臓ならば手配もできそうだと、その旨を手紙にしたためた。バシレイアの文字はやはり慣れず、少しばかり乱雑なのには目を瞑って欲しい。どうせこれはルシェではなく、イラという架空の少年からのものなのだから、これくらいで良いのかもしれない。


「ワールンガン」


 エクスロスの屋敷の最上階、相変わらずルシェは屋敷内ではこの部屋から出ることはない。行くとして、影を伝ってファラーシャのところへ行く程度だ。ハイマは根回しがと言っていたが、それほどに根回しに時間がかかるものなのかと疑問はある。

 一体どういう扱いにしようというのかは不明だが、悪いようにはしないだろう。もし何かしら不都合があったのならば、それはそれだ。そうなったらどこか別の領地にでも移動すればいい。

 窓辺にやってきた黒い鷹の足に手紙をくくれば、ワールンガンは心得たとばかりに翼を広げる。


「これを頼む、アグロスにいるヒュステレオ・アグロス殿のところへ」


 飛び去ったワールンガンを見送って、ルシェは窓から自分の姿が見えないように部屋の中へと身を戻す。

 別に放っておけばいいとハイマは言っていたが、ルシェはさすがに目の前にあったものを見捨てられるほど冷酷にはなれないのだ。多分そういう部分を捨て去れないから、アスワドにも厳しい言葉をかけられる。

 これは弱くてどうしようもない部分だ。冷然と、冷淡に、そうであれば大鴉という役割をこなすのも、きっともっと楽だった。

 影のところに手を入れて、エヴェンに合図を送る。

 ここにルシェがいることを知っているのは、エヴェンと、それからエデルやアスワドといったリヴネリーアに近しい人間だけだ。エハドアルドにもいずれ知れるかもしれないが、それはそれでバシレイアの誰が彼と繋がっているかを確認する機会にもなる。

 ややあってから、ぞわりと影が動いた。影の中からずるりと這い出るようにして、エヴェンはその姿を見せる。


「お呼びですか、大鴉カビル・グラーブ

「ああ。シュリシハミンのところのの様子はどうだ?」

「おとなしいそうですよ、今のところは。死にたくはないでしょうからね」

「ならいい。預かってやっている以上、役に立ってもらわねばならないからな」


 アグロスに介入できる手段は持っておいた方が良いと踏んではいる。だからこそファラーシャのしたことをルシェは黙認したし、自らアグロスへも出向いた。

 ヒュステレオに恩を売れたというのはひとつの収穫だ。と、それで自分のしたことを正当化しようとしているだけかもしれないが。

 アグロスを継ぐのは十中八九あの双子だろう。どちらかが当主になるというよりは、双子で共同統治という形になるだろうか。けれど何かしら不具合があったときに、挿げ替える首はある方がいい。

 もっともそれは、さらにアグロスを混乱におとしいれることになるのかもしれないが。


「そういえば、シャロシュラーサ殿下が死んだとか?」

「はい。エデル様からお聞き及びかと思いますが」

「ラヴィム侯爵もシュティカに入ったそうだな。陛下は幽閉、ジェラサローナが随分勝手をしているらしい」


 アグロスの話はさておき、本題の方に話を移すことにした。

 シャロシュラーサの件は当然ルシェのところにも入ってきている。エデルは早々にルシェに鷹を飛ばしてきたし、ファラーシャを経由してシハリアからも報告があった。


「主犯は、ヘフレリ・ネシュルか」

「おそらくは」

「とうとう動いたか、愚か者共め。閣下がき付けたのはあるが、よもやそこに飛びつくとはな。先に何が起きるか考える頭もないようだ」


 殺すのならば殺すでも構いはしないが、もう少し時機を見られないものか。

 とはいえヘフレリにとっては、今が好機だったのかもしれない。ただ彼女の誤算は、ここでジェラサローナが早々に動いてしまったことだろう。

 そうでなければ犯人をヘフレリが捕らえたことにして、クルタラージュに実権が渡ったはずだ。この場合はクルタラージュというのは名前だけで、結局実権をヘフレリが握ったのだろうけれど。


「エヴェン、お前は一度オルキデへ戻れ。ガドール公爵家をラヴィム侯爵家に介入させるな。お前がクエルクス地方か、あるいは侯爵閣下の傍にいれば彼らも文句は言えまい」


 ここまでごたついてくると、各家の後継者問題にも発展しかねない。

 ラヴィム侯爵家はオルキデ唯一の穀倉地帯を預かるというのに、侯爵位を継げるのがエヴェンしかいない。そしてそのエヴェンは鴉の雛鳥であり、現状国外に出ている。

 となるとうるさくなるのが、アスワドの後継者の話だ。食糧というものは当然ながら他家に大きな影響を及ぼすものであり、クエルクス地方を欲しているのは何もガドールだけではない。

 ただ、アルナムル家はほとんど外からの血を求めない。同じくクエルクス地方にあり、かつてアルナムル家から分かれていったという家々から妻を貰うことがほとんどで、外に嫁に出すこともない。ただその中で唯一例外であったのが遠い親戚らしく、それがいつぞやのガドール公爵家に嫁いだとかでガドールは自分たちにもクエルクス地方を、ラヴィム侯爵家を継ぐ資格があるなどと時折騒ぐのだ。

 それを黙らせるには、後継者たるエヴェンがアスワドの傍にいる他ない。あるいは、クエルクス地方で侯爵領を守るか。


「護衛の任はよろしいのですか」

「実際エクスロスの防衛がどの程度か、ファラーシャの扱いがどうなるのか、そこが判然しなかったからの護衛だ。リノケロス殿があの様子ならば、お前がおらずとも問題あるまい。ましてこの天然の要塞ようさいぶりなら尚更な」


 リノケロスがファラーシャを放置しておくようならば、カリサ一人では護衛も心もとなかっただろう。けれどリノケロスはファラーシャを捨て置くことはなく、何事もなければむしろ同じ部屋にいることが多い。

 彼が一人いれば、ほぼ他の護衛など不要だろう。さすがにハイマより強いとまでは言わないが、裏を返せばハイマ以外に負けることもない。そしてそれは、隻腕だろうが何だろうが、である。

 ルシェが彼の腕を取れたのは、おそらくリノケロスの方が全力で戦う気もなかったというところはあるだろう。腕の一本くらいはびにくれてやると、そういうことだったのかもしれない。


「クエルクス地方を、アルナムルの直系以外に任せるわけにはいかない」

「はい、分かっております。ガドールになぞ、渡すわけにはまいりません」


 それでもエヴェンの言葉は若干歯切れが悪く、ルシェは彼の弁柄べんがら色の目を覗き込んだ。ゆらゆらと、どこかその瞳が揺れている気がする。


「だが、何か気がかりのある顔だな」

「……出ておりますか」

「気にせずとも良いことだ。素直なのは悪いことではない。敵に気取られなければな」


 ここは戦場ではなく、ルシェは別にエヴェンに何もかもすべて感情を隠せと言うつもりもない。戦場で、あるいは情報を集めている先で、敵に気取られてはならない。けれどここならば、別に隠す必要もない。

 彼はまだ成人もしていないのだ。そんな子供に感情のすべてを殺して見えないようにしろなどと、当然無理な話だ。


「叔父上を、心配しております」

「侯爵閣下を?」

「クレプト、シュリシハミン侯爵領、クエルクス、エルエヴァットと、どうにも走り回っておられるようで」

「相変わらずひとところに落ち着かないのだな、侯爵は」


 また随分と動き回っているらしい。

 彼が何を知りたいのか、ルシェはある程度知っている。もう二十年以上前に失われたものの手掛かりを求めて、女王リヴネリーアを守って、それはまるで自分のことを二の次三の次にしているようでもある。


「お前がおれば、無理はすまいよ。エヴェン、心配ならば早々に戻ってやれ」


 窓の外から硫黄のにおいがする。

 同じように暑いというのに、エクスロスとオルキデでは風が違った。クレプトはむしろオルキデの荒地に吹く風と同じような風が吹いていたが、エクスロスはもっと熱を孕んだ風が吹く。

 その風は、砂のにおいではなく硫黄のにおいを運ぶのだ。そして、どこかひりつくような熱さも。


「かしこまりました。そのように」

「お前の準備次第だが、どうする? 一応当主殿やファラーシャには伝達も必要だろう」


 一週間後でも構わないと告げれば、エヴェンは「いいえ」と短く答える。


「明朝、出ます」

「随分と早いな?」

「いつ何時も動けるようにしておけと俺に教えたのは、大鴉カビル・グラーブではありませんか」

「ああ、そうだな」


 鴉とはそういうものである。

 いつであろうとも、女王のためだけに翔ぶのだから。ここがバシレイアであり、オルキデから離れていたとしてもそれは変わらない。


「ではエヴェン、頼んだぞ。陛下のことも、侯爵のことも」

「かしこまりました」


 折り目正しく頭を下げたエヴェンが、影の中に沈んでいく。

 吸い込んだ空気は、やはり熱い。けれどもそれがどこか懐かしいような気もして、そんなにもここに慣れてしまったのだろうかと、ルシェはひとり首を傾げた。

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