17 突然の来訪者

 突然の来訪者は、イスキュロス・アグロスを大いに戸惑とまどわせた。何の用事で来訪してきたか分からなかったから、ではない。

 一瞬、誰が来たのか分からなかったからだ。


「あー……っと……いらっしゃい」


 たっぷり三秒は考え込み、来訪者のフードから見えた顔の特徴的な痣でようやく、目の前に立っているのが異母兄だと気が付いた。

 彼の隣にいる小柄な少年に見覚えはないが、本当に初対面なのかはたまたすっかり失念しているだけなのか、それすらも分からない。

 自他ともに認めていることだが、イスキュロスは人の顔を認識するのが極端に下手なのである。


「少し相談したいことがあって。突然すまない」


 アグロス姓を持つ貴族が住んでいるとはとても思えないような小さな家に、二人を招き入れる。きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回しているところを見ると、連れの少年はやはり初対面なのだろう。

 形のいいまゆをしょんぼりと下げたヒュステレオに、別に構わないと声をかけて椅子を勧める。

 玄関から部屋の全てが見える程度の本当に小さな家だ。隠れ家というにはあまりに堂々とし過ぎているが、イスキュロスがほんの少数の身内を除いて誰にも場所を教えず、自らの手で建てた家だ。そう考えれば、隠れ家に近いのかもしれない。

 家の周囲はほとんどが麦と野菜の畑になっていて、裏手には馬が数頭繋いである。彼らは耕作や荷運びを手伝ってくれる、イスキュロスの家族だ。

 家の枠組みから家具まで、ほとんどを作ったのはイスキュロスだった。近くに住んでいる農民たちも一緒になって手伝ってくれはしたが、木を切り出し、加工し、うちを振るったのは大半がイスキュロス自身である。

 貴族の手習いにしては本格的すぎる趣味ではあるが、昔から一つのことに延々と打ち込む性格だったのが一因だろう。母も父もイスキュロスが何に没頭しようとあまり気にしていなかったのは救いである。


「簡単なものしかないけど」


 兄とはいえ水しか出さないのも無愛想かと、そう思って戸棚を開ける。ちょうどそこにはパンを使った焼き菓子が眠っていたので、閉じてあった袋を開けてざらざらとバスケットに移し、テーブルに運ぶ。水は各々勝手に飲んでくれとばかりに、大きめの水差しに入れてどかりと置いた。

 大皿に盛ったまま個人にとりわけないのは無礼だとアグロス家では言われたりもするが、複数人で食べるときに大皿のままにしておくのは、毒殺に対する懸念けねんを解消するためでもある。

 同じものを同じように飲み食いするのだ、毒を入れたら自分にも当たる可能性が高い。


「いや。ありがとう」

「いただきます」


 遠慮えんりょなく手を伸ばしたヒュステレオとは違って、少年の方は恐る恐る手を伸ばしている。この辺りでは見ない顔立ちからして、流れ者かもしれない。

 短い黒髪はバシレイア国内ではあまり見ることのない髪色だ。それを考えると、彼は海の向こうの出かもしれない。だがそれにしては大陸の人間の顔立ちをしている気もするので、混血なのか。そんなことを考えながらじっと見つめていると、居心地悪そうにその少年が顔を上げた。

 彼は一口がやけに小さい。手に持っている菓子はほんの少し端が欠けているだけなのに、やたらと口がもぐもぐ動いている。ごくんと喉が動かしてから、少年が首を傾げた。


「あの、何か……?」

「いや、君と兄の関係は?」


 少年の隣で菓子を頬張っているヒュステレオは、おとなしそうな外見に似合わず健啖家けんたんかだ。アグロス家の傾向の一つで、例外なくイスキュロスも同じである。


「助けてくれたんだ。泊まる場所を探してるんだって」

「イラ、と言います」


 座ったままで、その少年は頭を下げた。ふうん、と鼻を鳴らす。

 なんとなく違和感のある少年だと思ったが、すぐにその感覚を脳内から追い出す。余計なことに首を突っ込むとろくなことにならない。


「泊まる場所、ね。残念ながらこの家は一人暮らし専用でね」


 手製の家のため、イスキュロスが暮らすための最低限の調度品しか置いていない。

 両手を広げてそれを示すと、イラが慌てて首を横に振った。


「い、いえ、その、どこか宿の場所を教えてもらえれば、と……」

「西の方に行けば大きな街があるから」


 そっけなくそう告げると、彼はわかりましたとうなずいた。

 ヒュステレオはその様子を黙って見ていたが、話が途切れたところでうれいを帯びた表情でイスキュロスを見る。イスキュロスは昔から、兄のこの表情が嫌いだった。顔を大きく覆うあざと相まって、非常に暗い表情に見えるのだ。

 闊達かったつな性格になれとは言わないが、何事にも消極的なくせに踏ん切りもつけられない優柔不断さにどうしようもなく苛立つ。


「お前は無事か?」


 はっきりと何があったかは言われなくとも、その一言でおおよそのことは察しがつく。イスキュロスは鼻を鳴らした。


「おかげさまで。この場所を知ってるのはそういないんだ」


 そもそもヒュステレオにも教える気はなかった。アグロス家とはほとんど縁を切ったような形で生きていきたかったのだ。

 イスキュロスに権勢欲などは一切なく、むしろこうして土を耕していたり、木材を加工したりしている方が好きだ。アグロス家の一員でいるとそうした仕事をすることは許されない。汗水垂らして働くのは庶民の仕事で、貴族は優雅に采配さいはいを振るっていればいいというのが基本理念だからだ。

 そんな考えと合わずに飛び出してきたが、思いの外快適な暮らしが送れている。


「そうか……」

「言いたいことがあるならはっきりどうぞ?」


 もごもごと何かを口ごもるヒュステレオに、イスキュロスは苛立って指の先で机をとんとんと叩いた。

 そもそも短気なのは、この赤銅色しゃくどういろの髪からの遺伝である。


「母の居場所を知らないか? それか、家に見つからないように暮らせる場所」


 意を決したように顔を上げてこちらを見てくるヒュステレオに、イスキュロスは鼻を鳴らした。


「知らないね。馬鹿双子に見つからない場所ならまあ、どこにでもあるんじゃないのか。広いんだから」

「追っ手が鬱陶うっとうしくてな……」


 どうしてそれをイスキュロスが知っていると思うのか。妙に甘い兄の思考に溜息ためいきが出そうになる。

 父であるゲオルゴスが死んだ知らせはイスキュロスの耳にも届いている。いずれ始まるだろう後継者争いのためにここ最近は身の回りを警戒していたが、幸いなことにこの場所は漏れていないようで誰の気配もない。

 だが万が一ヒュステレオを追っている誰かがいたとしたら、ここも少々危ないかもしれない。

 そこまで考えて、今度こそ舌打ちをした。引っ越しは面倒だ。畑もある。


「いっそ死んだことにでもしたらどうだ」

「死んだことに?」

「なんか、あっただろ、そんなおとぎ話」


 あれは美しいお姫様の話だったがと、イスキュロスは思い出して口元を釣り上げる。皮肉げな笑いは図らずも、母方の親戚にそっくりだ。


「ああ、確か……豚の心臓を差し出した、とか」

「そうそう。殺した証を欲しがってんだろ、双子は。そこの……なんだ、えっと」

「イラです」


 すぐに名前を忘れてしまっていけない。自分のことを言われていると察したのか、少年がもう一度名乗り直した。

 そうだったとうなずいて、続きを口にする。


「イラにでも持って行ってもらえ。うまくいけば金一封ぐらいもらえるかもな。当面の宿賃になるかもよ」

「なるほど……」


 平穏な暮らしを壊されたくなくて思いつくまま口にした案だったが、思いの外真剣にヒュステレオが考え込んでいる。イスキュロスは早々に家を出てきてしまったのでそれほど関わりはなかったが、少ない経験の中でもあの双子の執念はよく知っていた。

 あの双子は欲しいもの、あるいは邪魔だと思うものに対して納得いくまで追い回す。それが顔のいい女だったり、当主の座であったりと対象は様々だが。そういうところは彼らが一番父に似ている、と思う。


「そういう工作なら、お手伝いできますよ」


 イラがそう言ってちょっとだけ胸を張った。驚いたようにヒュステレオが彼を見る。イスキュロスもじっと彼を見つめた。

 外見は小柄で人畜無害そうな少年だが、ヒュステレオを助けたのだという。おまけに、人をひとり死んだことにする工作も得意と宣った。どう控えめに見ても、ただの旅の少年ではない。


(どこの関係者だ……? どっかの身内じゃなさそうだが。)


 方法をいくつか提示しているのを見ながら内心首を傾げる。協力している、ということは少なくとも敵ではないらしい。

 だが、そうだとしたら余計に分からない。


(味方する理由はなんだ?)


 正体を明かさない以上、イスキュロスが口を挟む余地はない。ヒュステレオはどう思っているのか、彼の計画に乗る気らしい。

 人見知りで警戒心の強い彼らしくもなく、つい最近知り合ったこのイラという少年に随分気を許しているようだ。


「話がまとまったなら出ていってくれよ」


 思考を脳内で一周させて、イスキュロスは結論を出した。この件については忘れよう、と。


「ああ。すまないな。急に来て」

「ごちそうさまでした」

「どういたしまして」


 万が一自分に類が及ぶようであれば、今度は逆に迷惑を擦り返してやろう。そう思いながら、イスキュロスは二人を見送るために立ち上がった。

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