13 鬱憤晴らし

 皇太后を排除するという明確な未来への目標が定まったとはいえ、今すぐに毒薬を飲ませるのはあまりにも性急だろう。今すぐ殺さなければというのっぴきならない事情があるわけでもないのだから、入念に下準備をした上で事に及ぶのが定石じょうせきだ。

 考えなければならないことは山とある。

 例えば、毒薬の入手方法。一つ当てにしているところがあるが、果たして真っ当な手段で売ってもらえるかどうか。サラッサの身分であっても、そこは疑問だ。もしも正規の手段で手に入らないのであれば、別の方法を考えなければならない。だが極力サラッサに繋がる証拠は残したくないとなれば、切り捨ててもいいような駒が必要だ。幸いにして、駒に該当がいとうしそうな相手はいる。

 しかし毒薬を入手できたとしても、毒薬をどうやって皇太后に飲ませるかも問題だ。最悪の手段としては直接城に乗り込んで口にじ込む方法があるにはあるが、これは本当に最終手段だろう。できれば、こちらも毒を盛る役を雇いたい。当然、足切りをしても支障のない人間を。


「これからどうする?」


 ヒカノスがハイマを見つめる。どこかそわそわしているのは、漣花れんかに会いに行きたいからだろう。当然サラッサも、同じことを考えている。ハイマがヒカノスを連れ出して手合わせでもしてくれないかと、サラッサも期待を込めてハイマを見つめた。

 二人からそれぞれ違う意味合いでじっと顔を見られたハイマは、怪訝けげんそうな顔をした後に、鬱陶うっとうしいとばかりに眉間みけんしわを寄せた。


「アグロスに用事がある」

「そうか。残念だ。漣花にも紹介したかったのに」

「俺も気になるな。だが、今日はちょっと時間がないんだ。また来る」

「わかった」


 意外だなと、サラッサは心の中だけで鼻を鳴らした。ヒカノスとハイマはサラッサが彼らに出会う前から親しい間柄だったようで、三人で顔を合わせても最後は二人で手合わせをしていることが多い。どうにもこの三人でいると二対一のような構図になってしまうことが、サラッサの密かな不満でもあった。

 武人同士で分かり合えるところもあったのだろう。根っからの商売人気質のサラッサとは思考回路や第一に考えるものなどが違うのは事実だ。違うからこそ親しくし続けられた、という側面も否定はしない。

 だが今日は、ハイマは手合わせはせずにアグロス領へ行くという。それだけ大事な用事があるということかもしれない。

 考え込んでいたサラッサは、アグロスという地名にふと何とか呑み込んでいた鬱憤うっぷんを思い出した。


「あ! ハイマ、お前!」

「なんだよ」


 いきなり声を荒げて立ち上がったサラッサに、ハイマがびくりと肩を振るわせる。

 童顔だの迫力がないだの、常々異母兄エイデスに馬鹿にされる顔を精一杯しかめて、サラッサはハイマに向かってわめき立てた。


「俺の領地でなんてことしてくれたんだよ! おまけに後処理も丸投げだし! 大変だったんだぞ!」

「あ? ああー……」


 気まずそうに、ハイマが視線をらす。ヒカノスがなんのことかわからないという顔をしていて、その表情だけで例の一件が大ごとになっていないことは分かった。

 世が世なら今頃バシレイア国内は紛争状態だったであろうに、平和けしたものである。


「あれはほら、兄さんだしさあ……」

「知らん! 当主はお前だろ! 全責任は! お前!」


 ハイマの異母兄であるリノケロスが、妻と旅行に訪れたヒュドール領でアグロス家の当主だったゲオルゴスを切り殺した。話を聞くに原因を作ったのはゲオルゴスの方だったようだが、彼は当主でリノケロスはそうでない。

 同じ貴族でも、当主とそうでない者の間には明確な身分差があり、格下が上を切り殺すというのはアグロス家にとっては看過かんかできない大問題だ。ましてそれを行ったのがヒュドール領であったものだから、この一件にヒュドールも絡んでいたのではと、そんな無駄な詮索せんさくを受けたことはサラッサの記憶に新しい。

 こうして自らの欲求や目的のためにく時間ならいくらでも作るが、どうでもいいことへの対応をしているほど暇ではない。にもかかわらず、アグロス家の面々はひっきりなしに事情を教えろと使者を送ってくるものだから、サラッサはほとほと疲れ果てた。

 アグロス家が一枚岩ではなく、後継者の争いで家庭内がぎすぎすしていることも要因の一つだ。意見をまとめて送ってくればいいものを、それぞれ自分に都合のいい事実が欲しくて思い思いに連絡をよこすものだから大変面倒だった。

 実行したのはリノケロスなのだから全てエクスロス家へどうぞと窓口を変えようとしてみたが、エクスロス家からは通り一遍いっぺんの謝罪と経緯説明の簡潔な手紙が来ただけ。あとは何を送っても無視されるのだとうったえられてしまった。

 それこそサラッサにしてみれば知ったことではない。そうこうしている間にお家芸でもある後継者騒動が激化したため有耶無耶うやむやになったが、ひと段落したらまた送ってくるのではないかとサラッサとしては気が重い。


「あの変態ジジイが死んだことは歓迎だけどな! なんかもっとあるだろ! ほら、俺に言うことは!」

「ごめんな?」

「軽い! もっと真剣に!」

「うるせーなあ……今は静かなんだろ? じゃあほっとけよ」


 謝罪を要求したサラッサの願いは、あっさりと叶えられた。愛想笑い付きの謝罪は吹けば飛びそうなくらいに軽く、サラッサは思わずえた。すると先ほどまでの殊勝しゅしょうさはどこへやら、ハイマは鬱陶うっとうしそうに眉間みけんしわを寄せながら、耳の穴を小指でふさいでいる。

 謝罪の気持ちなど、これっぽっちもない。間違いなく。


「なんかあったのか」

「まあ、色々とな」


 ヒカノスが心配そうに問う。彼の心配はハイマとサラッサの仲が悪くなることではなく、ハイマ個人に何か類が及ぶことがないか、だ。

 ハイマは詳しく説明するつもりはないのか、軽く肩をすくめてヒカノスの問いをあしらった。


「はあ……まあいいや。その分、こっちで働いてもらうからな」

「はいはい」


 サラッサもハイマとは長い付き合いだ。何も本気で怒っている訳ではないし、心からの謝罪が欲しいわけでもない。ひとしきり鬱憤うっぷんをぶちまけてすっきりしたかっただけである。

 溜飲りゅういんを下げたサラッサは、ふんと鼻を鳴らして胸を張る。ハイマもそれで話が終わったことを察したのか、にやりと人の悪そうな笑みを浮かべた。


「ま、せっかくアグロス行くんだ。妙な動きがあれば知らせるさ」

「ああ。そうしてくれ」


 ハイマが立ち上がり、次いでヒカノスも席を立った。サラッサもヒカノスの後に続く。

 漣花のところへ行こうと思っているのだが、それを察したのかヒカノスが実に嫌な顔をした。


「帰らなくていいのか?」

「帰って欲しいのか?」

「漣花に近づかないなら滞在しててくれてもいいが」

「それだとここにいる意味がないな」


 ヒカノスがあからさまな舌打ちをする。これほど彼は短気だっただろうかと、サラッサは首をひねった。

 恋は人を変えるという。漣花はヒカノスにとっては従姉妹だが、血が繋がっていようといなかろうと、相手に惹かれる気持ちは抑えられるものではないだろう。今までヒカノスはさほど浮いた話がなかったが、なるほど漣花のような相手が好みだったのならばうなずける。彼女はバシレイアではあまり見ない顔立ちと性格だ。

 サラッサとしてはヒカノスがそう望むのならば漣花を分け合ってもいいのだが、この様子を見るにヒカノスにその気は無いらしい。

 となれば、なんとか彼の目をくぐって親しくならなければ。サラッサはどうしたものか、と腕を組んでうなった。

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