12 友情とは脆いものか
サラッサ・ヒュドールは、そもそも多忙な身である。国内で最も豊かな領地であるヒュドール領を維持するためには、必要となる仕事の量も他の領地の比ではない。最近ではひょっとすると王よりも仕事が多いのではと思わなくもないくらいである。
つまり、間違っても他領地に数日間滞在して、そして女性一人を
「何してんだお前ほんと」
冷めた目でハイマがサラッサを
ハイマの方こそ最近は領地で何か楽しいことでもあるのか、サラッサへの手紙の返答がいまいち歯切れが悪いのだ。それを突っ込んでやれば彼は何か酸っぱいものを丸ごと飲み込んだような顔をして、明後日の方向を向いていた。聞こえてきた舌打ちには、礼儀正しく反応しないでおく。
「お互い様だろ? なあ?」
「勝手に言ってろ」
サラッサとハイマは古くからの友人同士であり、それはお互いが当主という自分の感情だけでは身動きできない立場になっても変わっていない。だが、昔よりも口にできることは減った、と思う。
腹の中にある全てを口に出して喧嘩をしたり馬鹿な奴だと笑い合うことは、今はもうなくなった。それが少しだけ寂しいと思うのは、サラッサだけなのだろうか。
「ヒカノスが邪魔しなきゃもうちょっと、こう……」
むっすりと頬を膨らませながらサラッサは
あの頃とただ一人変わらない立場のはずのヒカノスでさえ、最近はよく分からなくなってしまった。仲の良い三人の中で唯一当主ではないということに、彼は劣等感を抱くような性格ではなかったはずだ。だというのに、最近のサラッサを見るヒカノスの目が日に日に鋭さを増していることが不思議で仕方がない。
聞けばヒカノスと漣花は
自分で言うのも難ではあるが、サラッサ自身は自らを優良物件だと思っている。金もある、地位もある、顔もまあそこそこ。となればヒカノスが
「こんなに優良物件なのに、なんでだ?」
「その堂々と言い切れるとこ、俺は好きだよ」
ハイマは笑いながら、用意されたブドウを一粒ちぎって口に放り込んでいた。
※ ※ ※
ハイマがディアノイア家にやってきたのは、昼を少し回った頃だった。ハイマがこれくらいの時間に来たのであれば、朝のうちに漣花と二人きりで散策くらいはできただろうと、サラッサはじとりとヒカノスを
甲斐甲斐しく、慣れない食事と向き合う彼女を補佐し、あるいは手助けする姿は、どう控えめに見ても仲の良い
ヒカノスは決して面倒見が良い方ではなかった気がサラッサはするのだが、彼は唐突に父性にでも目覚めたのだろうか。
流石にこれから行う話し合いを、異国の人間であり全く関係のない漣花の前でするのは
だというのに、かれこれ三十分は経過している。部屋に送るだけで、何にそんなに時間がかかるのか。
「はあ……」
「俺はお前がそんなに執着する方が意外だったな」
机に伏して脳内に漣花の後ろ姿を思い描いていたサラッサは、何個目かのブドウを
「そうか?」
「来るもの拒まず、取っ替え引っ替え、って感じだったろ」
「
バシレイア国内ではそういう男が大半ではあるが、惚れた女の子には少しでも好感度が下がる要素は隠しておきたい、そんな単純な男心である。
釘を刺されたハイマは分かっているのかいないのか、適当な返事をしてくるだけだ。
「漣花は今までの女とは違うからな!」
「へえ。なんか昔言ってたろ、誰か探してるんだ、とか」
「え? ああ、そう……だったかな……」
ハイマに言われて、はたと思い至る。
確かに女性なら誰でも良かったのは、本当に欲しい一人以外は誰でも同じだと思っていたからだ。その欲しい一人が誰なのか分からなくて、言い寄ってくる女誰彼構わず試していた事実は否めない。サラッサの夢を侵す初恋の少女が誰なのか、顔を見て分からなくとも触れ合えばわかるかと思ったのだ。
だが結局、その少女はわからず仕舞いだ。
「多分、漣花がそう、なんだ」
「へー」
聞いておきながらどうでも良さそうな返事をするハイマだったが、サラッサが彼に腹を立てることはなかった。頭の中で何かがぐるぐる回っていて、薄ぼんやりした不快感がある。
漣花のことは、一目見た瞬間に気に入った。他の女性の誰にも抱かなかった思いを抱いた。だが、それは果たして探していた相手を見つけた歓喜だったのだろうか。
(そうだ、最初、手紙が来たから漣花についてきたんだ。それで、テレイオスに会って……?)
いつもの悪筆のせいで宛名が判然としなかった手紙を口実に、ヒュドールからディアノイアまで漣花と旅路を共にした。そして、ディアノイア家でテレイオスと会った。
そこまでは覚えているのだが、彼と何の話をしたのか、その中身がすっぽりと抜けている。ヒュドール家の当主という立場上、サラッサが人と話した内容を忘れるのは極めて珍しい。
つまり、彼とは何かの話をしたはずなのだ。それなのに、まるでそこだけ切り取られたかのように思い出せない。
「おい、サラッサ!」
「え?」
うんうん
「
「あ、ああ、悪い」
苦笑すると、ヒカノスはあからさまに視線を外した。そんな彼の様子に、サラッサは少しだけむっとする。
今までに築いてきた友情は、女一人のせいで
「俺は、いよいよやろうと思ってる」
ぴりっと部屋の空気が変わった。
サラッサのかねてよりの願望を、この二人は知っている。
「俺も乗ろう。あのクソババア、我慢ならん」
ハイマがその金色の目に怒りを燃やしながら身を乗り出した。はっきりと名前を出すと万が一誰かに聞かれていた場合に言い訳が立たないので、核心を口にすることはない。だが、サラッサはハイマが皇太后に対して大変怒り狂っていたことを知っている。
自らがお膳立てした講話の場をぶち壊したのだ、
「……それは、罪を
唯一消極的な反応を示したのはヒカノスだ。平和的な解決をと思っているのだろうが、少なくともサラッサはその程度で終わらせるつもりは毛頭ない。
なぜなら、皇太后を廃した先にあるのは王の交代だ。今の王はまだ若く
というのは建前で、全てはサラッサが国の実権を握るためだ。
ヒュドール家は代々、取り憑かれているかのような執念で王の座を狙い続けている。サラッサも父から、当主としての教育の一環として「あの席は本来我ら一族が座るべきものなのだ」と聞かされてきた。奪われたのならば、取り戻さねばならない。
今のエクスーシア家で王になれるのは、現王の息子と、王弟のテロス・エクスーシアの二人だけだ。つまり、息子を王に据えてサラッサが
「もう一人、どうにも邪魔なんだよなあ…」
問題はテロス・エクスーシアをどうやって排するか、だ。
それなりの年齢であるあの王弟は、皇太后と折り合いが悪いようでほとんど表に出てこない。そのせいで逆に手の出しようがないのだ。
「それはおいおい考えたらどうだ。そのうち良い案が出るかもしれねぇぞ」
ハイマは誰が王になろうと気にならないと公言しているので、サラッサが描く未来予想図に意を唱えることはない。ヒカノスはと見れば、渋い顔はしているものの口を出すつもりはないようだった。
「方法は?」
「ありきたりだが、これかな」
代わりに手段を聞いてきたので、にっこり笑ってブドウを一粒ちぎり、ぼとりと落としてみせる。
毒殺、と口に出すのは
「そこらへんの店だと足がつくぞ」
「ああ。大丈夫だ、考えてある」
ハイマの
サラッサはその領地柄、諸外国との繋がりも多い。国内の薬師に頼めないことも頼める
根無草はどこにでもいるもので、それは少し調べればサラッサでも掴むことができる。今回はうってつけなことに、戦争があった。人が傷付けば、それを癒す薬も売れる。腕が確かで、けれど出自が確かではない――最悪消えてしまっても問題がない薬師がクレプトに一人いる。
「頼みたいことも出てくるからな、ハイマ、ヒカノス」
「俺はあまり巻き込んでくれるなよ。二人と違って立場がないんだ」
つんとそっぽを向いたヒカノスの横顔は、なるほど漣花とよく似ている気がした。
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