10 いい趣味を見付けたらしいな

 やれやれまったく、とリノケロスは大きく息をいた。侍女から押し付けるように渡された書状に書かれている内容が何なのかは予想がついているが、一先ひとまず開けるのは後回しにしておく。この内容について確認するのは、ファラーシャと話しながらの方が良い。

 彼女が激昂げっこうしたところは初めて見た。ファラーシャの普段の性格上そう長いこと怒りを引きずるとは思えないので、望むようにすればおそらく夜には落ち着いているのではないか。この多分にリノケロスの希望的観測を含んだ予想が当たっているとするならば、今やらねばならないことは無礼を働いた妹をしつけることだ。


「はあ……」


 リノケロスにしては珍しく、重い溜息ためいきいた。

 バシレイアでは各家ごとに、大まかな性格の傾向がある。遺伝なのかあるいは生活環境がそうさせるものかはわからないが、なぜか似たような性格の人間が育ちやすい。

 エクスロス家は大概血の気の多い人間が多かった。それぞれ琴線きんせんは異なるものの、割とすぐげきするし手も出る。口で論破するような人物は少なく、力に物を言わせて喧嘩けんかをすることが圧倒的に多い。

 ラグディナはそういったエクスロス一族のあまりめられないところを凝縮ぎょうしゅくしたような性格をしていて、自らの物差しから少しでも外れた相手を見下して馬鹿にする。兵士と同じように武器も扱うため、なまじそこらの女性より喧嘩が強いのもよろしくない。というよりもそこらの兵士よりもなまじ強いのがいただけない。

 どうにも短慮たんりょで、そして気遣いに欠ける。そんな女性を嫁に迎えたいと望む家はいくら政略であろうとも多くなく、過去何度かあったラグディナの結婚話は途中でついえるのが常だった。いつしか父も諦めたのか無理に嫁がせようとはせず、放り出すようになって今に至る。

 父親にすらどうしようもできなかったものを、今の当主であるハイマが制御できるはずもない。結果、彼女は野放しだ。

 そんなラグディナを、規律を重んじて礼儀に厳しいファラーシャは到底見過ごせなかったのだろう。


(さて、どうするか。)


 隻腕せきわんとなったことに、リノケロス自身は微塵みじんの後悔もない。そして腕を落としたルシェに対しての恨みもない。そもそもが命ではなく、利き腕ではない腕一つで終わったのは僥倖ぎょうこうであったのだ。だがその詳細を教えていないラグディナにすれば、敬愛する兄が片腕を無くして帰ってきたという話である。結果、彼女は大変な騒ぎようだった。

 他人のことでそうも真剣に感情を荒げられる精神は、リノケロスにはない。そういう点についてだけは、ラグディナに感心してすらいる。

 ただ、如何いかんせん彼女は人の話を聞かない。自らに都合のいい、あるいは聞きたいところしか耳に入らない。その性分をハイマがひどくうらやましがっていた。


「兄さん」


 隣に立つラグディナがむっすりとした顔でリノケロスを見上げている。ほんの少しばつの悪そうな顔をしていはいるが、これは決してファラーシャを怒らせたからではない。彼女はただ、リノケロスの手をわずらわせたことを反省しているだけなのだ。

 リノケロスが真実かえりみてほしいのはそこではないのだが、何度伝えてもいまいち要領を得ないので半ば諦め気味である。


「ファルは俺の妻で、お前よりも序列は上だ。勝手は許さんぞ」

「しかし……」


 貴族というのは家族の中であろうとも序列が決まっている。当然ながら当主が一番上で、そして二番目からは男女問わず年功序列だ。つまりエクスロス家で言うならば、ハイマ、リノケロス、ラグディナ、末弟のフローガ、更に従妹のスキラ、と続いていく。

 リノケロスの妻であるファラーシャは、リノケロスの次席、つまりラグディナの一つ上の序列となる。

 エクスロスは伝統的にそこまで家の中の階級を重んじる家ではないが、無礼は無礼だ。尚も言い募ろうとするラグディナを、リノケロスはひとにらみで制する。


「いいか。現状、俺の意に沿わないのはお前だけだ。二度目はないぞ」


 突き放すような口調はいささか乱暴であったが、ラグディナが一番邪魔なのだとはっきり言わねば彼女には伝わらない。彼女は肌を上気させて何かもの言いたげに口を動かそうとしていたが、冷然とした兄を見上げるとぐっとくちびるめて身をひるがえした。

 足早に去って行くラグディナの姿が廊下の曲がり角に消えるのを見届けてから、リノケロスは息をく。果たしてどれほど身に染みたか定かではないが、しばらくは大人しくしていることだろう。


(いっそのこと、もう一度家から離すか……?)


 リノケロスが戦争から戻り、そしてファラーシャがやってきてエクスロスに馴染むまでの間、リノケロスはハイマと相談してラグディナを遠方への仕事に出していた。ただでさえ異国の地で、そこにああいった面倒な手合いがいてはファラーシャの気も休まらないだろうと話し合ってのことである。

 案の定ラグディナは兄の結婚を聞いて荒れ狂ったので、そんな彼女の頭を冷やすための期間でもあったのだが。

 ラグディナからファラーシャへの当たりが強くなるのは予想していたが、その延長として彼女の母国まで罵倒ばとうするとはリノケロスも予想外だった。もっともリノケロスにとっては、ファラーシャがあれほど激昂げっこうした点も誤算ではあった。

 そもそも国よりも各領地ごとの意識が強いバシレイアでは、王を侮辱ぶじょくされたからといってそれほど怒ることはない。むしろ同調して自らも悪態あくたいくまである。その上、当主以外の発言力など一部を除いてたかが知れている。したがって、誰か一人の発言が全てその家の意思だと思われることは余程よほどの相手でなければありえないのだ。

 ラグディナがどれほど傍若無人ぼうじゃくぶじんな態度をとってもエクスロス家に対しての風当たりがそう強くならないのは、そんなバシレイアの背景もある。誰しもそこら辺を通る一般市民がとある貴族の悪口を言っているからといって、民衆全てがその貴族に悪感情を持っているなどとは思わないだろう。バシレイアにおいては、ラグディナの発言などそれと同じなのだ。

 ある意味ではオルキデよりも身分の貴賤に対する意識が低いのかもしれない。


(だが、なるほどな。ファルはそういう風に受け止めるのか。)


 残った片方の腕であごをざらりとり、ふむ、とうなる。久方ぶりに、ファラーシャとの異文化交流をした気分だった。


   ※  ※  ※


 ファラーシャの言いつけ通りにリノケロスが一人大広間で食事をとっていると、もの言いたげなハイマの視線が突き刺さった。だがそれについては綺麗に黙殺する。

 ラグディナはと言えば何食わぬ顔で食事の席に座っていたので、本当にりているかは疑わしい。二度目はないというのはリノケロスのせめてもの恩情なのだが、果たして彼女はそこまでくみ取って振る舞いを正してくれるかどうか。

 おそらく、望みは薄い。


「ハイマ、後で話がある。部屋に行くから、おけよ」

「わかった」


 さっさと食事を終えて席を立つハイマに声をかける。彼はうなずいて、そして足早に去って行った。

 彼が部屋の中にを隠していることをリノケロスは知っている。だが、知らないふりをしてやっている。知らないままでいてやるからせめて隠しておけと、そういうことだ。

 ファラーシャが隣にいなければ、リノケロスもまた食べ終わるのは早い。ハイマがであろう頃を見計らって席を立つ。

 先ほどからちらちらと見てくる視線がわずらわしくて、ぎろりとその方向を睨みつける。その視線を受けて、末弟のフローガが慌ててうつむいて視線をらした。

 彼はエクスロス家にしては珍しく、武人ではない男児だ。年が離れているせいでリノケロスはほとんどフローガと関わった記憶がない。だが、彼が幼い頃は父がよく稽古けいこをつけていたように思う。

 武器を扱う適性がないと判断されたのがいつ頃なのかは定かでないが、いつからかフローガは一日のほとんどを執務室で過ごし、書類整理や内政を主に手掛けるようになった。

 決してリノケロスは彼が嫌いではない。彼の存在そのものを嫌う理由もない。ただ時折向けてくるおびえたような視線は、ひどく不快だった。言葉を知らぬ幼子でもあるまいに、用事があるなら話しかければいいのだ。

 声をかけてこないのならば用はないと判断して、リノケロスはさっさと大広間を出た。

 宣言通りにハイマの私室へと向かえば、そこはいつか見た通りにハイマ一人が使っている部屋のままだった。ふん、と鼻を鳴らす。


「ラグディナをどこか遠いとこに出せ」


 できれば嫁に出すのが一番だがと付け加えると、ハイマがとても嫌そうな顔をした。


「相手がいねぇよ」

「いないものを作り上げるのが貴族だろ」

「兄さん、泥から人間は生まれねぇんだぜ?」

「どっかの誰かならやれるだろうさ」

「じゃあそっちに頼んでくれよ……」


 実に頭が痛そうな顔をしているハイマに、もう一度鼻を鳴らす。

 何が起こったのか知っているのか、ハイマは詳しいことを尋ねてこない。聞かれれば話すつもりでいたが、聞かれないのに話そうとは思わない。

 結局言いたいことだけを言って、リノケロスはさっさとハイマの部屋を後にした。これからファラーシャともう一度話をしなければならない。

 足の悪いファラーシャのために部屋を一階へと移したが、最上階のハイマの部屋からは少し遠い。階段をいくつも降りなければならなかったが、武人にとっては大した運動でもなかった。


(ファルは機嫌を直しているか……?)


 目下、リノケロスの最大の懸念けねん事項はこれである。彼女が望んだ通りに夕食は別々にとり、今に至るまでお互い顔を合わせていない。彼女がいるのは二人の部屋なので、リノケロスは部屋に戻らずに適当に時間を潰していた。

 万が一まだファラーシャが気分を損ねていた場合は、今夜は別室で過ごさねばならないが、果たして。

 彼にしては珍しくほんの少しだけ緊張しながら自室の扉を開くと、そこにいたのは意外な人物だった。


「何をしている、フローガ」


 こちらを向いて椅子に腰掛けているファラーシャの目の前に、末弟のフローガがかがみ込んでいる。フローガの手はファラーシャの頬に添えられていて、ちょうどリノケロスに背中を向けているために彼の手元や表情は見えなかった。だが、リノケロスが知っているよりもずっと二人は親しげだ。

 ほとんど無意識に、腰に下げている剣に手が伸びた。かちゃりと金属音が鳴って、初めて自分が剣を抜きかけていることに気づく。


「旦那様、フローガ様は手当をしてくださっていただけですわ」


 フローガが飛び退くように振り向いて、ファラーシャから離れる。

 声をあげてリノケロスを制したファラーシャをじっと見つめれば、彼女は視線を逸らさず見つめてきた。その瞳の中に嘘がないことを確信して、リノケロスは手を剣の柄から離す。


「申し訳ありません……」


 そそくさと部屋を出ようとしながら、フローガがリノケロスに頭を下げる。その表情ににじむのが恐怖だけではないことを悟って、リノケロスは薄くくちびるを釣り上げた。

 酷薄こくはくな笑みだと、いつだったか誰かに言われた。

 いくら奔放ほんぽうなバシレイアであっても、さすがにきょうだいの配偶者に手を出すのはご法度はっとだ。勿論もちろんそんなものは、建前だけの部分もあるが。


「知らん間にいい趣味を見つけたらしいな」


 かっとフローガの耳にしゅが走る。無言で部屋を出たフローガは脱兎だっとごとく廊下を走って消えていく。

 それを見送ることなく、リノケロスは部屋へ入って扉を閉めた。にこりと微笑ほほえんだファラーシャがいつも通りであることに安堵あんどして、リノケロスもまた目元を和らげた。

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