6 誰のことも支持しない
「で、そんな話のために呼んだわけじゃないですよね?」
「これはファジュルへの伝言だ。本題はここからに決まっているだろう」
どうせファジュルが了承するとは思っていなかった話である。アスワドはつまらなくなったらしいハディドの言葉に乗ることにして、話の先を変えることにした。
「近々シュティカで動きがありそうだ。ラヴィム侯爵家としての身の振り方と立場を明白にしておこうと思ってな」
「へえ、後継者争いです?」
「そういうことだな」
流石にハディドもファジュルも察している話で、言葉を発しなかったファジュルも
戦争では明白に誰が手柄を得たわけでもない。停戦や講和に尽力したのは大鴉とアヴレークであり、どちらの公爵家も立場を強めるには至らなかった。そして三人の王女も誰も、抜きんでたとは言えない。
少しばかり強めたとすればバルブール家かもしれないが、愚鈍な現侯爵は放置しておいてもラベトゥル公爵家に魚の
「どれもろくなのじゃないのに選べなんて、嫌な話ですね。
「もう無理だな。そこは僕のしたことではあるが、エハドアルド・ハーフィルを退けるにはそれしかなかった。そうしないと僕がメルに死んでから殺される」
「死んでからも侯爵を殺すなんて、相変わらず
ルシェルリーオ・エレヴ・ルフェソークがそのまま王位継承権を所持していれば、リヴネリーアはおそらく彼女にその玉座を渡したのだろう。そして彼女は本来王家の青銀を有しているのだから、異論を唱えたとて民衆の支持は彼女に集まる。
そうであったのならば、アスワドはラヴィム侯爵家としてルシェの後ろ盾となっただろう。けれど、彼女にはもうその権利がない。
あのまま彼女を王族として置いてはおけなかった、というのが一つの理由ではある。メルシェケールの約束を守った形ではあるが、果たしてそれが正しいことであったのかアスワドには分からない。
それでも、他にはなかった。だからアスワドは彼女に甘い顔もできない。重いものを背負わせたのに、ここで今更甘い言葉をかけて何になるのか。
「その
「生きてはいる。生きていてもらわねば困る。とはいえお前たちにも所在は明かせない」
エハドアルドがルシェを探していることは分かっている。エヴェンを通じてその状況を知ってはいるが、アスワドが想像していた以上にエクスロスの当主は行動が早かったらしい。
それならばそれで構わない。彼の手の内にあるのならば、エハドアルドとておいそれと手出しはできないのだから。
「あ、それは良いです俺聞きたくないですし。クエルクス地方のことだけで手一杯なんで」
「俺も特には」
それが明らかに面倒事であることを理解しているハディドとファジュルは、興味すら持とうともしなかった。まったく良くできた部下たちである。
「お前たちはそれでいい。あの場所ならば安全は保障されている、後は保護している先の領主がどうするかだけだな。あの様子なら大丈夫だとは思うが」
エクスロスの当主が「要らない」と捨てるのならば再度考えることは必要だが、あの調子なら大丈夫だろう。そもそも
リヴネリーアも何も反対はしないだろう。むしろリヴネリーアもそれを分かった上でルシェに国へ戻ることを禁じた部分はありそうだ。もっとも一番大きな理由は、オルキデ女王国内では王家の青銀を隠しておけないという部分があるからだけれども。
あのまま国へ戻れば、確実にルシェを食いものにしようとする誰かが現れる。それはエハドアルドであるかもしれないし、ラベトゥルかあるいは他の侯爵家の誰かかもしれない。
「で、ラヴィム侯爵家以下はどうすれば?」
「どれにも味方はしない。僕らは女王派であり、けれどリヴネリーア陛下の娘の誰も支持はできない」
三人の王女の誰も、女王になるには
そもそも一番年若いクルタラージュですらも、二十を超えた年齢になった。そこまで成長してしまっては、方向性を変えてやることも容易ではないのは確かだ。
ならばもう、リヴネリーアの次を支持する必要はない。必ず誰かを支持しなければならないと、そんなことはないのだから。
「僕らは更に次を待つ。ラヴィム侯爵領およびシュリシハミン侯爵領はそういう結論だ」
「……シュリシハミンもですか。第一王女殿下の後ろ盾にはならないと?」
「元々お怒りだったところに火に油を注いだのはジェラサローナ殿下だ。僕らの知ったことじゃない」
ジェラサローナは最初にラフザから長男を奪った。そして今回の戦争で、次男も奪った。
男が三人もいれば後継は安泰であると思われていたというのに、シュリシハミン侯爵家は一気に
情と義で
「ケヴェス・イェシムの件ですね」
「ああ。デュナミスが責を負うのを厭っているのか補償の話も進んでいない上に、面倒事も舞い込んだ。そんな後継者争いに首を突っ込む金も
デュナミスは当主が病床にあるなどと言って、のらりくらりと補償の話を先延ばしにしているという。
本来ならば当主が教育不足として謝罪に来るべきほどのことであるというのに、リオーノ・デュナミスの所業をデュナミスはその態度で肯定したということになる。バシレイアは無礼者の国かと
「本音は?」
「後継者を二人も奪った馬鹿など誰が支持するか、かな」
とはいえデュナミス以上にラフザが怒りを覚えているのは、ジェラサローナなのだ。ただ自分の後継者争いを優位にするためだけにケヴェスを戦地に将として送り込み、結果死なせた。
こうなることは本当ならば分かっていたはずのことなのだ。イェシム家はアルナムル家と異なり、武人の家ではないのだから。
「
「そして侯爵としては
聞き捨てならない言葉があって、アスワドは
「ハディド」
「
咎めるように名を呼んでも、彼は
誰かに聞かれては困ることであったのだが、ハディドはきちんと確認していると言い張った。これだけですぐに真実に繋がることでもないかと、アスワドは
「
リヴネリーアは五十を超えている。そもそも四十や五十で死んでいく人間が多いオルキデ女王国にあって、アスワドすらも既に隠居しておかしくない年である。
その中であと二十年近く。そもそも必ず最初に娘が生まれるとは限らず、生まれたとて青銀であるかどうかは分からない。それを待つ間ずっとリヴネリーアが女王として在れるかと言えば、それは不可能だ。
「種を
「それは大丈夫だろう」
むしろもう二度と、エハドアルドが手を出せるとは思えない。
九年前、幼い子供が泣いていた。血に塗れ、何が起きたのかも分からないという様子で。あれを見付けた時にアスワドは自分を責めたが、あれが人生で三番目の責め方だった。
「見ようによっては、エハドアルド・ハーフィルよりも恐ろしいものを引き当てたかもしれないが。とはいえ無理に奪い取ったりせねば、こちらに牙を
「父親として介入したりは?」
「そんなものには興味もない男だろうよ、あれは」
鴉さえ与えておけばそれで満足しているだろうからと言えば、ファジュルは
あとは――そういうものなのだ。ずっとずっと、昔から。
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