3 我が愛する鳥の王様

 けたたましい音を立てて中庭へと続く扉が開き、ナフラとどこか似た面差しの青年が顔を出した。けれど微笑ほほえんでいるナフラとは対照的に、彼はまなじりを釣り上げていた。

 アサール・ネシュル、彼女と同腹の弟である。オルキデ女王国において妾という存在は在れど、妻と呼ばれるのは基本的に一人しかいない。ただラベトゥル公爵家の場合はヘフレリの母である先の正妻が早くに亡くなり、ナフラとアサールの母である今の正妻をめとったという経緯けいいがある。


「姉様なんですか! また人を呼びつけて!」

「あら遅かったわね、アサール。あの使用人は何をもたもたしていたのかしら」

「使用人ならきちんと呼びにきましたよ。貴女の我儘で人を振り回さないでいただきたい!」


 ぎゃんぎゃんと吠えているアサールの言葉を右から左に聞き流して、ナフラは平然と紅茶のカップに口をつけていた。優雅な仕草で一口を飲み、音もなくカップを戻す。


「何か問題でも?」

「さっさと用件を済ませてもらえますか! ああお前たち、姉様に付き合う必要はない。後で呼ぶから、各自仕事をしに行ってくれ」


 ナフラのわがままから解放してやるとばかりに、アサールは使用人たちに指示を出す。その指示を受けた使用人たちがほとんど音もなく消えて行くのを見送って、ナフラは満足げな笑みをその顔に浮かべた。

 アサールもまた不機嫌な顔から平素のものに表情を戻し、何事もなかったかのようにあいている椅子に腰を下ろす。


「……相変わらず見事ね、アサール」

「当たり前ではないですか。誰に言っているのです姉様」

「アサール、声が大きいわよ」

「おっと……すみません。あまりに普段娯楽がなさすぎてですね。クルタラージュ殿下の相手をするのもなかなか大変なんですよ」


 ナフラに苦笑して咎められて、彼は肩をすくめる。そして、隠すこともなくクルタラージュのへの愚痴ぐちのようなものをこぼした。

 第三王女であるクルタラージュと彼が結婚したのは、二年ほど前のことだったとエデルは記憶している。あまりそういった行事にカムラクァッダ神殿の神官は関わらないので、その辺りは明確ではない。


「仮にも妻なんだよね?」

「仮ですよ、仮。エデル様がおっしゃる通りに。ヘフレリ異母姉ねえ様が言うから殿下は俺を選んだだけですし。殿下にとって俺はあの人と義姉妹になるための駒でしかないですからね」


 俺にもくださいとアサールはナフラの返答も待たずに菓子をひとつ摘まんで口に入れている。ナフラも特にそれをとがめることはなく、彼女は静かに紅茶を飲んでいた。

 彼とクルタラージュの仲が冷え切っているという話は聞いていない。そもそも一年前には、慶事があったはずなのだ。


「子供もいるのに?」

「さあ? あれ本当に俺の子ですかね。ヘフレリ異母姉ねえ様の子なんじゃないですか」


 彼の言葉に、エデルは何も言わずに苦笑するだけに留めた。確かにアサールが伴侶の座にいるものの、どちらかと言えばクルタラージュはヘフレリの方にべったりである。

 ラベトゥル公爵がそれを放置しているのは、どうであれ結婚しているという事実が変わらないからだ。むしろそうしてクルタラージュを篭絡ろうらくし、アサールと結婚までさせたヘフレリの手腕を褒めているまであるだろう。


「男だったので次をせっつかれていますよ。めんどくさいんで嫌なんですけど」

「それは殿下から?」

「殿下からですね。どうせ入れ知恵ですよ。自分では何も考えられないなんですから」


 アサールは皿の上に最後に一つ残っていた菓子へ何の躊躇ためらいもなく手を伸ばし、それを口へと放り込む。

 クルタラージュは自分では何も考えられない、というのは多くの人が知る事実だ。リヴネリーアやアヴレークもそう評していたが、それは隠しようもない。


「奥様の悪口を堂々と言う旦那様なんて嫌だわ」

「旦那様の悪口を堂々と言う奥様になりそうな姉様に言われたくはありませんね?」

「良いのよ別に、予定もないのだから」

「おや、それは父様がなげきそうなことで」


 姉と弟は軽口の応酬おうしゅうをしている。

 彼らに結婚の自由というものがないのは事実なのだ。貴族というのはそういうもので、好きだの何だので結婚相手を選べるはずもない。それは彼らには、家を維持していくという義務があるからだ。

 彼らの家というのは、何も一家や一族のことだけではない。彼らの肩の上には領地がある、領民がいる。その家がついえた時に路頭に迷うのは、一番害をこうむるのは、そこに住んでいる領民だ。


「順番というものがあるのよ、どれだけお父様が頑張ったところで」

「ああ、そう言えば我が家にはまだ上に片付いていないのがおりました」

「そうよ、片付いていないの」


 ヘフレリは既に三十を超えている。いくら婚姻の年齢が両極化しているオルキデであっても、三十になって結婚していない貴族令嬢というのは珍しい。

 ましてヘフレリは長女であり、後継ぎと目されてもいる。さすがに上から順番にという意識はあるので、ナフラの父であるラベトゥル公爵もナフラの結婚話を無理にまとめようとはしていない。


「片付きようもなさそうだけれどね、あの様子では。殿下がべったり、本人は男装。この前間違って女性からの縁談が舞い込んだそうじゃない?」


 ヘフレリについて回る愉快な噂話は、エデルの耳にも入っていた。いわく、ヘフレリ・ネシュルは男よりも女を好んでいる、と。

 そんなものは人それぞれであるし、個人の趣味嗜好しゅみしこうなのだから他人がとかく言うものでもない。けれどそうであったとしても、結婚はしなければならないものだ。もし彼女がそれをしたくないのならば、取れる道は二つ。

 後継者の座から自ら降りるか、あるいはナフラに頭を下げて結婚して貰い子供を養子とするか。きっとどちらもヘフレリは選べないだろうなと、エデルは内心で嘲笑あざわらった。


「ネシュル家は愉快なことになっているね」

「ええ、とっても。ついえるのも近いかしら、いい気味だわ」

「ラベトゥル公爵家が消えるのは困るのだけれども」


 ラベトゥルがどんな状態であろうとも、ついえてしまうのは非常に困る。そもそも二大公爵家と呼ばれるように、オルキデ女王国に公爵家は二つしかない。その片方がついえるということは、もう片方が強権を持つということに繋がる。

 この力関係が崩れるというのは、決して看過かんかはできない。


「そうね……いつまでもお父様や異母姉おねえ様をのさばらせておくのもしゃくだもの」


 白い指先が、エデルのほほに伸ばされる。そっと触れて、また離れて、ナフラはどうしてか宝物にでも触るようにエデルに触れるのだ。

 アサールはそんな光景を見ても目を細めているだけで、何も言わない。


「私、エデルとの約束は忘れていないわ」

「それなら良かった」

「ええ、安心してちょうだい。我が愛する鳥の王タイル・マリク様」


 いつか、約束をした。エデルが自分に課せられた役割を彼女に告げた時に。ここではなく光の降り注ぐカムラクァッダの神殿で、淡い光の中でした、本当につたない約束だ。


「やっと動きますか、姉様」

「そうね。でも、まだ少し材料が足りないの。自分一人でやれることってたかが知れているのよね。噂を放置しているおかげでまたわがままを言っているという扱いだから、何をするにも楽は楽だけれど」


 ナフラが何をしていようと、父の公爵は何も言わない。その放置の理由などエデルは知らないが、ナフラはとてもくだらないことよと笑っていた。

 ラベトゥルの黄金の姫、ラベトゥルのわがまま娘。その噂の上に、ナフラは甘んじて座っている。与えられるものがどれほどの贅沢ぜいたくであるかを知っていて、けれどその時のために今はそれを受け取っている。

 そこから逃げ出してしまえば、彼女は約束を果たせない。彼女がると決めているものは、ここにいなければ奪えない。


「最後には全部引っくり返すわ。全部こうむってくださいそうな異母姉おねえ様もいることだし」


 幸いにして、ラベトゥル公爵は馬鹿ではない。ある意味では面倒ではあるが、ナフラにとっては功を奏している部分だろう。

 これでもし領民に重税を課して絞れるだけ絞り、自分たちだけが贅沢ぜいたくしているとなれば、きっと最後には一族諸共民衆に殺される。けれどそうならないのは、ラベトゥル公爵領の民衆が他の領地の民衆よりも裕福であり、絶えずやって来るキャラバンからの恩恵を受けているからだ。

 そのあめむちの使い方で、これまでラベトゥル公爵家はやってきた。隣接するシュリシハミン侯爵家が情と義でもって領地を治めるのとはまた違う。


「俺も手伝いますよ、姉様」

「あら、どういう風の吹き回し? 貴方そんなに私のことが好きだったの?」


 ナフラの言葉に、助力を申し出たアサールが一気に顔を赤くする。


「なっ、馬鹿なことを言わないでくださいよ! 俺のためです! ヘフレリ異母姉ねえ様のせいで俺は色々と大変なんですからね!」


 彼の言葉は確かに偽るところのないものだろう。ヘフレリの画策で成人して早々に結婚することになり、その相手はまるで自分では考えられないお人形ときた。

 これでアサールにクルタラージュへの愛情や執着があれば、とそこまで考えて、エデルは前々から疑問に思っていたことを口にすることにした。


「ところでアサール様、聞きたかったのだけれどね」

「何でしょう、エデル様」

「君、クルタラージュ殿下と離縁したいのかな?」

「……できるのならしたいですよ。俺、殿下嫌いなんで。この家に生まれた以上好きな人と結婚するとか意味不明なことは言いませんけど、誰が好き好んで、嫌いな人間と結婚生活を続けたいと思うんです? 苦行が趣味でもなければそんなことしませんよ」


 あまりの言い草ではあるが、これがアサールの隠すところのない本心なのだろう。

 クルタラージュがもっと賢ければ、もっと自分で考える頭があれば、そうは思っても彼女はもうきっと変わらないし変われない。

 父にも母にも似ていないとなげかれる三人の王女たちは、誰も彼もが欠点をかかえていた。それも、女王になるには致命的な欠点を。


「まして放置しておいてくれるのならばともかく、子供は欲しいと言ってくる。いっそ愛人でも作ってくれませんかね。王族の女性の胎から産まれていれば何でもいいんでしょう、要は」

「それはそうよね……別に父親がアサールであろうとなかろうと、にしてしまえば良いだけだもの」

「でも、クルタラージュ殿下の胎からは、青銀は産まれないと思うけれどね。リトファレル様もこの前そんなことを仰っていたよ」


 先日カムラクァッダ神殿にリヴネリーアからエデルあての手紙をたずさえてきたリトファレルは、世間話ついでのようにエデルとそんな会話をしていった。

 戦争が終わったと思ったら今度は後継者問題だってさ。そんな風にして、彼は他人事のように笑っていたのである。


「殿下の胎から青銀が産まれたら、シャムスアダーラのご乱心だと思いますけど、俺」

「そうね、私もそう思うわ」


 次代の女王となるべきものの印は、その髪に。けれど今のオルキデ女王国に、女王になる権利を持っている王家の青銀が一人もいない。

 その代において、青銀は必ず現れる。それは確かにその通りで、青銀は生まれた。けれど生まれ落ちた青銀は、愚か者の手によってその権利を失うことになった。

 ならば次。それを生むのは。


「本気でるの、ナフラ」

るわ。当たり前じゃない。だから今、私はお父様と異母姉おねえ様を放置しているの。今更誰かを可哀想だとか、人を殺してはいけませんとか、きれいごとを言う段階は過ぎてしまったわ」


 犠牲なんてものは、本当は少ない方が良い。けれど、きれいごとだけでは何も動かない。

 ラベトゥル公爵は確かに民衆にとって悪いことはしていないだろう。けれど彼は下にはともかくとして、上に対して決してやってはならないことをした。

 彼の独断により、オルキデはバシレイアと戦争をするに至った。彼に付き従ったバラックは愚かだったと言うしかないが、それでも護国騎士団長を失ったのは事実。それから、シュリシハミン侯爵家も犠牲を払った。

 だというのに、ラベトゥルは何の犠牲も払うことなくのうのうとしている。


「……何が、ある?」


 分かっていて、エデルはあえて彼女に尋ねた。

 種は既にかれていて、芽吹いて刈り取られる時を待っている。アヴレークがどこまで計算をして、ラベトゥル公爵をそそのしたのかは分からない。

 オルキデ女王国内でたとえとなっていようとも、その命が失われているのは紛れもない真実だ。だからもう、アヴレークの思惑など誰も分からないまま。


「殺されるわよ。シャロシュラーサ殿下」


 そうだろうなと、エデルも分かっている。けれどもう、誰もそれを止めはしない。リヴネリーアすらも、三人の王女が犠牲になることをいなと言わない。

 そうしてここから、シュティカはきっと赤く染まるのだ。

 アサールは溜息ためいきいて肩をすくめている。エデルはすっかり冷めてしまった紅茶を口にした。色鮮やかなラベトゥル公爵家の中庭、昼下がり。わがまま娘だけが笑みを浮かべて、けれどちっとも楽しそうにはしていなかった。

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