25 自覚した感情の行方

 サラッサからの手紙には、会って話がしたいと書かれていた。にも関わらず、待ち合わせの場所として記されていたのがヒュドールではなくディアノイアだったことに、ハイマは首を傾げる。

 エクスロスからはディアノイアへ行く方が近いのでハイマとしては一向に構わないのだが、話の内容に察しがついているだけにディアノイア家を巻き込むことには一抹いちまつの不安があるのだ。

 サラッサがしたい話というのは、十中八九王家についてのものだろう。講和の席の一件で、ハイマは面目を完全に潰された。たとえどれほどいきどおっていても時間というのは勝手に過ぎていく。淡々と流れていく時間の中で忘れかけている出来事のようにも思われがちだが、ハイマはあの瞬間の屈辱くつじょく羞恥しゅうちを忘れてはいない。


(大丈夫なのか……?)


 サラッサはハイマほどの熱量でもって、あの出来事に怒っているわけではないだろう。むしろサラッサにとっては、わりとどうでもいい事柄に分類されるはずだ。ハイマの怒りを利用しようとしていることはわかっているし、サラッサが皇太后をはいしたい理由はハイマと違うこともわかっている。

 だが、ハイマはサラッサの手を取ることに決めた。理由は単純で、サラッサとは長年の友人であるため、お互いある程度利害を抜いた場所において互いの感情を尊重するとわかっていること。そしてこれも付き合いの長さから、何を考えているのかの想像が一定の範囲内でということはあれどもつけやすいこと。ただ利害だけで繋がったよく知らない相手と組むより、よほどやりやすい。


(ディアノイアか……ヒカノスでも巻き込む気か……?)


 手紙を手で細かくきながら考える。本当は見られたくない内容であれば燃やしてしまうのが確実なのだが、生憎とこの部屋に今火種はない。外に出て火口にでも放り込めばいいのかも知れないが、それも面倒だ。

 ただの呼び出しの手紙でしかないのだから、万が一誰かに復元されても困るようなことはない。そんな手間をかけてハイマの私的な手紙を見たがる相手など、現状心当たりもなかった。

 ディアノイア家とエクスロス家は伝統的に仲が悪い。一方的に嫌っているわけではなく、双方お互いが嫌いなのだからある意味で両思いである。

 ハイマとヒカノスのように、エクスロスの人間とディアノイアの人間が親しい間柄であることは非常にまれだった。両者は遥か過去には争いをおさめるための人質をわざと酷い扱いをし、挙句死なせるようなこともしてきた。そんな殺伐とした関係である。現にハイマも、当主であるテレイオスは苦手である。嫌いではないのだが、どうにも話しかけにくい。

 テレイオスの方も素っ気ない反応をするが、彼の対応はエクスロス家に対してだけではなくそのほか大勢に対しても同じようなものなので、エクスロス家が嫌いというよりは単なる性格の問題だろうが。

 そんな両家に生まれ育ったハイマとヒカノスが親しくなったきっかけはまた別の話だが、まだ片手で数えられるぐらいの歳の頃から現在に至るまで、二人は手紙をやり取りしたり、時には親の目を盗んでこっそりと遊んだりと親交を暖めてきた間柄である。


 だが、サラッサが皇太后の一件にヒカノスを入れたいと考えているのなら、ハイマは率直に言えば反対だった。ヒカノスとハイマやサラッサとでは決定的に違うことがある。

 それは、立場だ。

 ヒカノスは当主ではなく、ただディアノイア家に連なる人物であるだけだ。当主の座にいているハイマやサラッサとは、ことが露見した場合の危険性が違いすぎる。当主ならば何らかの言い訳や体裁ていさいで許されることも、当主でなければ見逃されない。

 ましてや、ディアノイア家はあのテレイオスの支配下だ。テレイオスがディアノイア家に類が及ぶことを嫌って、ヒカノスを切り捨てる可能性などエクスロスの火山の噴火率よりも高いだろう。


「まあ、いいか!」


 ぐるぐると頭の中でこの話題を三周ほどさせた結果、ハイマは一つ手を叩いて思考を打ち切った。静かに気配を殺して本を読んでいた紫音しおんが、びくりと肩を震わせる。

 思えば、すっかり彼の存在を忘れてしまっていた。


「おお、悪いな」


 じとりとにらまれたが、にっこりと笑うとすぐに視線は離れていく。

 ハイマは細切れになった手紙を屑籠くずかごに放り込み、机に積み上げられている書類を一枚手に取った。これ以上サラッサの意図について考えてもどうしようもない。

 どうせ、サラッサにしかその本心はわからないのだ。良くも悪くも、あの年下の友人はハイマの予想の斜め上をいく。今回もハイマが懸念けねんしているよりももっと別の理由でディアノイアに呼び出している可能性は否定できない。ハイマにできるのは、隣室の気配を気にしつつこの書類の山をくずしていくことだけだった。


  ※  ※  ※


 ハイマがルシェのいる部屋へ戻ってきたのは、書き置きにしるした通り夜になってからだった。何食わぬ顔で一族と食事を済ませて自室へ戻り、さらにそこからルシェの部屋へと続く扉をくぐる。

 そしてハイマが見たのは、床の上に落ちている丸い物体であった。一瞬ぽかんとしたものの、その丸い物体が器用に丸くなって床の上で眠っているルシェだと気づいて思わず苦笑いをする。

 いつぞやエクスロス領を案内した時に、宿の主人が彼女の部屋のベッドが使われていなかったとにやけた顔で脇腹を突いてきた。その理由にようやく思い至る。何のことを言っているのかとあの時から不思議だったのだが、なるほど彼女はこうして床で寝ていたらしい。


「やれやれ。子供じゃねーんだから」


 ちゃんとベッドで大人しく寝なさいなどと寝相について言及された、懐かしくて遠い過去が脳裏をかすめていく。ルシェにもそうした思い出があるのだろうか。いつか聞いてみたいと思いながら、よっこいしょと抱き上げる。ひどく軽くて、やはりしっかり食べさせようと再度心に決めた。

 ふにゃふにゃと寝惚ねぼけるルシェを楽しみつつ、オルキデから届いた扱いに困る手紙について話をしているとどうにもみ合わないことが多々あった。

 どうやらルシェは、ハイマから向けられる情を勘違いしているらしい。オルキデの事情には、ハイマは詳しくない。義姉あねになったファラーシャにでも聞けば教えてくれるだろうが、今その情報は必要ない。だから手紙を送ってきたエハドアルドがオルキデの中でどのあたりの地位にいて、ルシェを差し出すことでその地位を利用できるだとか、そういうことは考えもしなかった。

 ただハイマは、自らのふところに入れた相手を無遠慮ぶえんりょに奪い去ろうとするやからは気に入らない。


「あのな、ルシェ」


 売らないと告げた時のルシェの顔は、恐怖と不安と安堵あんどが入り混じった何とも複雑なものだった。

 自分の生き方をたった一つしか知らないその姿はひどく哀れで、庇護欲ひごよくをそそる。エハドアルドとかいう男もルシェのこういう姿を見て我が物としたくなったのかもしれないと思うと、同じような思考をしている可能性に脳を洗濯したくなった。

 だがそれはそれとして、ハイマはルシェが自ら狭めている選択肢を広げてやりたいとも思っていた。小さな場所でさえずるよりも、大きな空を羽ばたく鳥の方がハイマは好きだ。


「どうして、俺がお前にここまですると思う」

「え……と、それは……」


 もぞもぞとひざの上でルシェが居心地悪そうに身動みじろぎする。だが、本当に嫌がっているならばルシェの実力ならば飛び降りることは容易たやすいだろう。

 居心地悪そうに見えるのは単に不慣れだからか。お互いに少し体勢をくずせば口が触れ合いそうなぐらいの距離だ、相手の表情など手に取るようにわかる。


「その……再戦を、回避、するため……?」

「二十点だな」

「う……」


 とても表面的な回答を酷評こくひょうすると、ルシェがひるんだ。ハイマの顔色から、不正解だとは気づいているらしい。

 そこまで気づけるのにその先の答えにはたどり着けないのが、彼女らしいと言えばそうかもしれない。


「好きだ、ルシェ。俺はお前が大切なんだ」

「へ……?」


 ルシェが音を立てて固まった。何を言われているのかわからないといった風情で口を半開きにして硬直し、やや経ってからじわじわと顔を赤く染める。どうやら、頭の中まで言葉の意味が浸透しんとうしたようだ。

 ここで友愛の意味に受け取られたなら、今度はハイマから口をふさいでやろうと思っていた。だがその心配は無用だったようで、ルシェは口をはくはくと動かしながら真っ赤になっている。


「やっとわかったか?」


 にんまりと笑いかけると、途端とたんにルシェの体が後ろへ跳ね飛ぶ。ひざから転げ落ちそうになって、慌ててハイマはルシェの腰を抱き直した。

 声にならない声をあげて、ルシェがじたばたともがいている。体を動かしていないと羞恥心しゅうちしんでどうにかなりそうなのだろう。


「今すぐに返事しろとは言わないさ。一晩考えて、また明日答えを聞かせてくれ」

「う……あ……」


 脱兎だっとの如く逃げ出しそうだったが、ルシェにこのまま部屋を飛び出されるのはあらゆる意味で困る。ルシェもすんでのところで理性がまさったのか、飛び出すのをやめた。

 代わりにうつむいてしまって、その顔はハイマから見えなくなった。だが、首筋まで真っ赤であることは隠せていない。無防備なそこに歯を立てたくなる気持ちを沈めつつ、ハイマは立ち上がる。


「おやすみ、ルシェ。ベッドで寝ろよ。それから明日は食事を取ろうな」


 念を押したが、それでも床で寝ている気はする。

 明日の朝もしそれを見つけたら、今度は自分がベッドの上できかかえて寝かしつけてやろう。そんなことを考えるハイマの予想が当たるまでは、あと数時間。

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