20 俺のようにならないでくれ

 ハイマに連れられて紫音しおんが足を踏み入れたのは、エクスロスという名の領地であった。硫黄いおうのにおいが強いその大地では、あちらこちらで溶岩が赤く輝いていた。秀真ほつまは火山島ではなく珊瑚礁さんごしょうの島であったので、目の当たりにするのは初めてだった。

 ごつごつとした岩場を歩くのは苦にならないし、馬に乗るのも苦手ではない。ただ自分は秀真ほつまという狭い世界ですべてを完結させていたのだなと、こういうものを見ると思うのだ。

 建物の構造を頭の中に叩き込まなければならないのだが、どの階層もどこも似たようなつくりをしている。これはつまり、侵入してきた敵の目を惑わせるためということだろう。

 多分これは、何も知らなければぐるぐると同じところを回っているように錯覚することになる。そして頭の中に地図があったとしても、自分の居場所を見失う。おそらく一族には何かしら目印のようなものが分かっていて、それを確認するのだろう。

 とはいえ紫音は、それを探すつもりはなかった。むしろどこも同じであるのならば、それを覚えておけばいい。


「それにしても」


 最上階へと向かう階段の手前で、足を止めた。

 ハイマは俺の部屋があるとしか言わなかったが、辿ればそこに気配が一つある。道中エクスロス家について説明はされたが、ハイマのきょうだいは異母兄と異母姉、そして実弟。従妹がいるとは聞いているが、その従妹はこの屋敷に住んでいるわけではない。

 ならばこの、最上階にある動きもしない気配は誰なのか。その気配に覚えがあるような気がして、紫音はぐしゃりと前髪を握り潰す。その足元で、三七十みなとがぱたりと一つ尾を振った。


「紫音、お前そんなとこで何してる?」


 この気配はどこで出会ったものだろうかと考えていると、上階からハイマが降りて来るのが見えた。紫音が階段下でぐるぐる考え込んでいた気配でも感じ取ったのだろうか。

 階段を降りて来るハイマは、その体格のせいか足音が大きい。どすどすというような音を立てて階段を降りて来た彼は、紫音からは見上げなければ視線がぶつからない。


「ハイマか」

「上には俺の部屋しかねぇぞ。迷ったのか?」

「この屋敷でどうやって迷えって言うんだ」


 構造は確認したが、紫音が迷うようなものではない。むしろ雑多に人の気配がしていて動き続けている外の方が、紫音は自分の場所を見失う。


「構造を知らんヤツはよく迷うぞ?」

「俺は建物の中なら迷わない」


 建物の中というのは、人の気配が限られる。どうせ区切られたその建物の中から出ないのだ、迷いようもないだろう。最悪壁伝いに歩いて行けば、どこかには辿り着ける。

 やはり上階にある気配は一切動かない。最上階は使用人も滅多に入らないということだから、ハイマは何かを隠しているということか。本当は聞かない方が良いのかもしれないが、このまま放置をするのも気にかかる。


「……上階の、気配は?」


 それを口にした瞬間に、ぎろりとハイマににらまれた。

 おそらく小心者ならそのまま心臓を止めてしまうだろう、それくらいには鋭い睨み方だった。紫音はそれに肩をすくめて、両手を挙げる。


「おい、人が殺せそうな睨み方するなよ。璃空りくおびえるだろ」


 おそらくは人に聞かれたくはないだろうと判断して、紫音はハイマに一歩近寄る。そして声を潜めて、彼にだけ聞こえるようにささやいた。


「気配が薄い。このまま放っておくとまずいと思うぞ」

「それ、本当か」


 こくりと一つ首を縦に振る。

 実際に見てみなければ分からない部分はあるが、どうにも気にかかる。そのまま死なせても良いとハイマが言うのならばそれまでであるし、見せたくないのなら構わない。

 ただ紫音は、死んでしまう命を放置できないだけだ。けれど、どうしてもというわけではない。だからハイマが嫌だと言うのならば引き下がるつもりだった。


「こんなことで嘘をくかよ。状態は?」

「人に聞かれるとまずい。行くぞ、ついて来い」


 ハイマの頭の中でどのような結論がはじき出されたのかは分からないが、彼は紫音に背を向けて階段を上がっていく。その後ろを足音を立てずに紫音はついていった。

 紫音が貸し与えられている部屋は二階にあり、最上階に足を踏み入れるのはこれが初めてである。最上階はしんと静まり返っていて、使用人もほとんど入らないとの言葉の通り、人間の気配は感じ取れなかった。


「ルシェ、入るぞ」


 ハイマが部屋の扉を開けて、さらにその中から壁と同じ色をした扉を開く。一見してそこに扉があるとは分からないようにしているというのは、何とも念が入っている。

 それだけ厳重に隠さなければならないということか。

 開かれた扉の向こう、ベッドの上で眠っているのは女性だった。その髪の色も顔立ちも見覚えがあって、ああ、と紫音は声を上げる。


「……お前が回収してたのか」

「何の話だ?」

「エクスーシアで死にかけてるのを助けた。人の気配がしたからそのままにしたんだが、あの時の気配はお前か?」


 取り急ぎ怪我の治療だけだったが、とりあえず彼女の命は繋がれたらしい。

 ならば紫音もあのままあの場所に残っていても問題なかったか、とは思うが、それは結果論である。そもそもあの時はハイマがどのような人物かとんと分からなかったのだから、逃走は正しい判断だ。


「何やってんだお前。侵入者じゃねぇか」

「道に迷ったんだよほっとけ」


 それだけ言い捨てて、眠っている彼女の顔を見た。顔色は悪くなく、本当にただ眠っているだけだろう。シーツの上には長い青銀色の髪が散らばっている。

 とんとこめかみを叩いて、視るものを切り替える。魔力というものは本来目に見えるものではなく、認識も難しい。ただ紫音は少しばかり特殊で、それに慣れているというだけのことだった。


「……とどこおってる」


 彼女の体をめぐる魔力の色は銀と青。混ざり合うとちょうど、彼女の髪の色と同じになる。それに絡みついた黒い魔力は、後天的な何かだろう。けれどその黒がところどころこごってしまって、魔力のみちが途切れている。

 動力が供給されないということは、心臓すら動かせなくなるということだ。


「ずっと寝てんだ、あれから。息はしてんだけどな」


 それはそうだろう。

 動力がなければ動けない。最低限の動力で生命を維持するためには、極力何も動かさないということが必要になる。生物せいぶつの冬眠と似たようなものではあるが、そもそも人間は冬眠するようにできていない。

 動力が尽きれば、死ぬだけだ。彼女はまさにその状態であり、眠りながらゆるやかに死へと向かっている。


「はあ?」

「バシレイアにはないんだったな、魔術。人間というのは器となる肉体のはく、核となるこん、動力となる魔力で作られている。心臓の近くにある魔力が魔力を生成し、全身に血管同様に張り巡らされた魔力のパスによって循環じゅんかんする」


 ハイマの顔を見れば、彼は眉間みけんしわを寄せていた。

 秀真ほつまでは当たり前であった知識も、外へ出れば当たり前ではない。あの閉鎖的な国は魔力による科学によって発展していたが、それは既に失われた。

 バシレイアにおいて、魔術がないのは見ていれば分かる。魔力というものの認識がないことも。


「分からん、話が長い」

「だろうな」


 別に理解をしてもらおうとは思っていない。こんなものは紫音が頭の中を整理するために紡いだもので、ハイマに理解を求めたものではない。

 動力がきちんと供給されるようになれば、最低限とする必要もなくなる。そうすれば、彼女も目を覚ますだろう。


「お前、何とかできるか」

「……できるが、今からか?」

「危険な状態か」

「いや……ゆるやかに死んでいっているだけだ。今日明日すぐに、というわけでもないし。とどこおりを何とかしてやったら目は覚ますと思うが」


 今日明日にすぐ死んでしまうということはないだろう。それは彼女の顔色を見ていれば分かる。

 それから、ここに死神の気配はない。死神の連れている蝶も飛んでいない。ならば死神は、まだ彼女を迎えにはやって来ない。


「今日はちょっとな……俺がいねぇ時に起きても困る。明日でもいいか」

「ああ、構わない」

「じゃあ、頼む」


 さらりとハイマの大きな手が青銀色の髪を一房持ち上げる。彼が彼女を見る目に宿ったものが何であるのか、それは紫音が勝手に決めつけることでもない。

 太い指の間を、青銀色が滑り落ちる。どこか名残惜しそうにその髪を見送るハイマに、紫音は思わず溜息ためいきいた。


「準備しておく、が……いいのか? どこの誰だ、彼女」


 果たして自覚してか、していないのか。

 視線を逸らせば、背を向ければ、失われるものがある。手に入らないものがある。この世界は決して寛容なものではなく、手を伸ばさないものには何も与えない。

 欲しいのならば、手を伸ばせ。そうでなければすべてを失う。紫音はそれを嫌と言うほど知っていて、この手の中にはたった一つしか残っていない。

 愛する人は失われた。主の愛した国も、仲間も、なにもかもすべて消えて行った。


「……オルキデの鴉だ」

「オルキデの?」


 それはバシレイアと戦争していた国ではないだろうか。ある意味敵と言えるような相手をこうして隠してかくまう理由を、あんな風に髪に触れる理由を、紫音は一つしか想像できない。

 けれど紫音が何かを問う前に、彼女を見ていたハイマが弾かれたように顔を上げた。


「あ、やべ、時間」

「用事か?」

「訓練の日だ」

「あー、そうか。ハイマ、後で聞きたいことがあるし、俺も訓練場行って良いか」


 多分これは放置しておいて良いものでもないと判断する。このまま何も気付かないままでいれば、ハイマも失うのかもしれない。そうなった時に、彼も紫音と同じような末路を辿たどるのか。


「いいぜ、兵士たちにもちゃんと紹介しとかないとな」

「いや別にそれは要らない……」


 紫音はすべて壊してしまった。

 生まれながらの化け物は、それでも何とか人間のふりをしていたのだ。けれど黎紅りくの首を落とされて、紫音は最後の一線を踏み越えた。人間のふりをしていた化け物は、結局化け物にしかなれなかった。

 どうか俺のようにならないでくれ。

 紫音のそんな感傷などいざ知らず、ハイマはその太い腕を紫音の肩に巻き付ける。さあ行くぞと言われて、紫音はただ「重い」と彼に文句を言った。

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