12 あれは駄目

 理不尽に人を殺したのならば、己もまた理不尽に殺されても仕方がない。

 そうでなければならない。そうでなければ、漣花れんかのやったことはただの虐殺ぎゃくさつになってしまう。

 するりと漣花が前へ出ようとしたところで、横から伸びて来た腕が制止をかけた。それは今しがたお気を付けてと漣花を送り出したはずの彼の腕であり、どうしたのかと彼の顔を見た。


「伏せてください、砲門が向いています」


 声を上げる間もなく、ぐいと腕を引かれた。腹ばいになるような形で伏せられた瞬間に、立っていてはいられなかっただろう振動で大きく船が揺れる。

 一せきは船に横付けをして、海賊たちはこの船へと乗り込んでいる。もう一隻が砲門を向け、この船を沈めるために砲撃をしてきたということか。もう一隻は様子見なのか、海上で浮かんでいる。


「ナハト」


 船の揺れが収まってきたところで、目の前に人影が飛び降りて来た。どこにいたのかは分からないが、帆のところにでもいたのだろうか。

 金茶色の髪が風に揺れる。黒い服を身に纏ったその人は、左右の腰のところにそれぞれ短い剣を差していた。


「カイエ様」

「その子、は」

「私が身をひそめていたところに、ちょうど居合わせました」


 カイエと呼ばれたその人の瞳は、海の色をしていた。ちょうど今の時間帯のような、晴れ渡った真昼の海と同じ色で、そこだけがやけに鮮やかに色づいている。

 再び船は揺れて、ぐらつく船上で漣花は立っていることもままならない。けれどカイエとナハトは平然とした顔で、揺れる船の上で手を付くこともなく立っていた。


「……きみ、は」


 再び揺れが収まって、前方で帆柱が折れたのが見えた。甲板の上にけたたましい音を立てて落ちて来た帆は、誰かを巻き込んだだろうか。

 カイエが海色の瞳をまたたかせて、漣花を見る。けれども彼はゆるりと首を横に振って、前方を見据えた。


「今は、いい」


 悲鳴が聞こえる。

 いつまでもここでのんびりしゃべっているわけにはいかない。砲門を向けている船の残弾がどれほどのものか分からないが、海上には未だ沈黙しているもう一隻もある。


「ナハト」

「はい」


 カイエの言葉に、ナハトが「え」と声を上げた。

 起動するという言葉の意味は分からないが、ナハトの反応からしてそれが当たり前のことではないのは伝わってくる。

 そもそも海賊たちを退しりぞけるには、今この船に乗り移ってきている彼らだけではなく、残りの二隻も何とかしなければならない。この船にも砲門はあるのかもしれないが、それだけでどうにかできるものなのか。


「本気ですか?」

「なんで?」


 カイエが首を傾げている。彼が指を差した先には、剣を振り上げる海賊の姿。カイエがその手に嵌めている黒いグローブの手の甲、金属が埋め込まれたそこが太陽の光を反射して鈍く光っている。

 声が聞こえる。人はこうして無為に死ぬのだ。どの命にも、価値がないから。


「だって、


 ナハトが言っていたことと同じことを、カイエも口にする。海神様があれは駄目だと言った、神様が決めた。

 そんなものはとても傲慢ごうまんなことなのだろうけれど、彼らはそれを当たり前のように受け入れている。そして、当たり前のようにそれに従う。


「時間、稼いで」

「かしこまりました」


 ナハトが背負っていた弓を手にする。腰のところにあった矢筒から矢を引き抜いて、つがえる。再び船が大きく揺れて、けれど今度は漣花も踏ん張ることはできた。

 カイエが海色の瞳を漣花に向ける。


「きみも」


 それは、どこまでも静かな色をしていた。静かで、穏やかで、そして、

 空は青くて海も青くて、けれど混ざって境目が分からなくなってしまうこともない。それでも漣花の目に映ったそれは途端に色褪いろあせて、灰色になっていく。


「手伝って」

「……分かりました」


 腰の刀、そのつかに手をかける。

 どうせ何もかも、価値などない。死ぬのならばそれまでで、それは漣花とて同じこと。ここで死ねるのならば、やはり意義ある死と言えるだろうか。

 とはいえ、父の故郷の土を踏みたいという願望はある。死ぬ前に、それだけは。


「全員、殺して。あれらは、要らない」


 それはどこまでも静かで、けれど傲慢な命令である。カイエはそう命じることに慣れているのか、表情が変わることはない。ナハトもそれを当たり前のものとして受け入れているのか、彼はただ「かしこまりました」と返答をしただけだった。


  ※  ※  ※


 甲板には乗員が血を流して倒れていた。やはり人間なんてこんな風にあっけなく突然死んでしまうものだ。他にも海賊もいれば、乗客もいる。世界なんて、そういうものなのだ。

 海賊たちは理不尽に殺したのなら、自分たちも理不尽に殺されても仕方ないと分かっているのだろうか。それとも自分たちはであって、殺されることなどないと高をくくっているのだろうか。

 どぼんと何かが海に落ちる音がした。その音は明らかに武器などの軽いものではなく、人間くらいの重さの音だ。子供が泣き出した。母親が何とか泣き止ませようと必死になっている。


「うるせぇ、そのガキ黙らせろ!」


 怒声が聞こえ、子供が怯えて更に泣いた。ぼさぼさの頭に無精ひげの男が子供に手を伸ばす。

 可哀想に、とは思うのだ。泣いて、怯えて――あの子も、冷たい水の中に沈んでいった。


「怯えさせれば、更に泣きますよ」


 ナハトは少し距離を取って、その矢の先で狙いを定めていることだろう。漣花はその得物から、間合いまでの距離には行かなければならない。

 さらさらと真珠色の髪が潮風に揺れた。自分の容姿が他人からどう映るのか、それくらいのことは知っている。

 するりと子供と男の間に入り込み、毛の生えた男の腕を掴んだ。怯えているが何とか勇気を振り絞ったという体で頭目に言葉を投げれば、男が漣花の顔を見る。そして下卑た笑みを浮かべた――なんとも分かりやすい行動をしてくれる。


「へえ、これは上玉だな。あんたが俺の相手をしてくれるならガキは見逃してやるよ、おじょうちゃん」

「その言葉に、偽りはありませんね」

「ああ。どうする?」


 目を伏せれば、長い睫毛まつげが影を落とす。欲望に忠実な男というのは、なんと即物的で扱いやすいことだろう。

 漣花の腰にあるものが見えていないのか。値踏みをするように顔だけはじっと見たくせに、それ以外を見ることもない。


「分かりました」

「ならついてこい! おいお前ら、見張っとけよ!」


 ぐい、と男が漣花の腕を引っ張る。少し抗うふりをしてたたらを踏んで、無理矢理に連れて行かれるという風を装った。一歩、二歩、三歩、怯える乗客たちの集団からの距離を測る。


「……らまく、しめ」


 冷たい空気が渦を巻く。パキパキと何かがひび割れる音がする。まとわりついた冷たい神力が、男の手を凍らせた。驚愕きょうがくの表情をした男の手を振り払い、刀の柄に手をかけた。

 体勢を低くして刀を抜いて男の腕に斬りつけて、血払いをしてまたさやに戻す。

 耳障りな悲鳴と、ごとりと腕の落ちる音。

 男が痛みに声を上げている隙に、乗客たちのところへと駆ける。守ってやるなどと大層なことを言うつもりはないが、海賊たちに理不尽に殺されたくはないだろう。

 飛来した矢が、剣を手に向かってきた海賊の目のところを寸分たがわず貫いた。一人が足を止めたところで、また放たれた矢は今度は心臓を正確に貫いていく。


「やれ! やっちまえ!」

「お断りします」


 間合いに入ってきた海賊を再度体勢を低くしてから斬り、そして呼吸を整える。何度となくそれを繰り返していると、当然刃の切れ味は鈍くなっていく。

 乗客たちと同様に集められていた船員が、まだ息のある海賊を縛ってくれてはいる。ただ残り二隻の船に乗っている海賊がいつやって来るとも分からない。

 間合いに入ってきた海賊を切り捨れば、遠くにいたものは射貫かれる。いくら血払いをしているとはいえ、このままでは刀が潰れてしまう。


「ねえ、きみ……海神様、こわい?」


 静かに、静かに、カイエの声が響いた。先ほど漣花が腕を落とした男が、その言葉と彼の顔とに瞠目どうもくする。


「お前、まさか……!」

「ざんねん。もう、おそい」


 にわかに空が暗くなった。赤黒い雲が空を覆い、ゴロゴロと雷鳴の音がする。雲の中を走るそれは赤く、とうてい普通の雷とは思えない。

 ぴしゃりと落ちたのは真っ赤な太い雷で、それは間違いなく船に横付けされていた海賊船を貫いた。海賊船は一瞬にして燃え上がり、真っ二つになって海へと沈んでいく。

 同じようにして、残りの二隻も。


「くそおおおお! 海神だろうがなんだろうが知ったことか! あんなもの、ただのおとぎ話だ!」

「……今、目の前で、見たのに?」


 男が剣を抜く。カイエに剣を振り下ろそうとした男の目の前に駆け、漣花は刀を抜いてその首に狙いを定めた。振り下ろされた剣をカイエが避けたところで、男の首を突く。

 血飛沫が上がり、漣花にかかる。着物やはかま、髪も赤く染まったが今更何を言うこともない。

 それにしても、この後始末はどうするのだろうか。生き残った船員たちに任せていいものなのか、そして船は無事にバシレイアまでたどり着くのか。

 男が息絶えて、ようやく周囲は静かになった。


「別に、海賊が、全部悪い、とは、思わない、けど」


 ナハトが弓を手にしたまま歩み寄って来る。甲板の上は惨状と言うのが相応しく、折れた帆柱があり、屍は転がり、血が流れている。

 漣花は結局、ここで生きて立っている。命は繋がって、けれど心臓が冷たく凍えている。


「あれは、駄目」


 かは、と変なせきが出た。口から飛び出してきた氷の欠片のようなものは見なかった振りをして、手の中でそれを握り潰す。

 そうすれば氷は融けて、消えてしまった。


「ナハト」

「はい」

「船、ラグリマの、港へ、行かせる、から。きみ、送って」


 カイエの言葉はたどたどしく、やはり内容は掴めない。けれどもナハトはそこから言いたいことを汲み取ったのか、少し考えるような素振そぶりを見せた。

 ナハトが黒曜石の瞳をカイエに注ぐ。カイエはそんなことを気にした様子もなく、自分の手の平をじっと見ていた。


「……かしこまりました」

「じゃあ、おれ、言ってくる、から」


 あとは頼んだよと、カイエが甲板を歩いて行く。

 ナハトと漣花の間に会話はなく、潮風がまた吹き抜けて血の臭いを届けて行った。ナハトはその臭いでひどく嫌そうに顔をしかめて、それから船室へと続く扉へと消えていく。

 漣花は一人残されて、空を見上げた。


「……灰色、ですね」


 空は晴れ渡って青くて、雲はほとんど浮かんでいない。

 ああ、灰色だ。

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