11 ゆるやかに朽ちるもの
血縁の上では
「漣花」
かさりと木々の葉がこすれる音がした。縁側の向こう、現れた人影に驚くようなこともなく、漣花はただそちらに視線を向ける。
背の高い男が一人、月の光に照らされていた。あなたですか、と、それだけを紡ぐ。
「何の御用です、
天宮の屋敷を燃やした男が、月光に照らされて笑っている。凪墨はつかつかと縁側に近付いて、どかりとそこに腰を下ろして足を組んだ。
息を一つ吐き出せば、心臓は少し落ち着いたようだった。吐き出した息が冷たいような気がして、漣花は
「あの
縁側にいる凪墨のところに歩み寄り、その隣で正座をする。相変わらず真ん丸の月は
「それはそうでしょう、貴方は神殺しですから」
「一応な」
神を殺せるものはある。漣花は少しばかり
そういう神は存在するのだ。ひとつは炎、ひとつは刃物。
「お前、追放なんだって?」
「お耳の早いことで」
「どこへ行くつもりだ?」
「バシレイアへ。ただその後は、何も決めておりません」
いっそどこか、戦乱でもあるところへ飛び込めば良いだろうか。そうすれば安穏たる死ではなく、苛烈なる死を得られるだろうか。
どうせ漣花の前に道はない。その道は途中で崩れ落ち、あるところからは真っ暗闇だ。
「ふうん」
「貴方は穏やかに暮らせると良いですね」
「穏やかに? やなこった。俺もこの島を出る、
吐き捨てるように言って凪墨が笑う。知ってはいたが、改めて言われるとやはりそうかと思うのだ。
「俺は多分、あっちの方が相性が良い。神なんてクソッタレなもの、大嫌いだからな」
「ご自身のことを棚上げですか」
「ああ、棚上げだとも。このまま緩やかに死ぬのを待つくらいなら、俺はこの島を捨てて行く」
自浄作用がなくなれば、腐っていくだけだ。止水となれば死水となる。
この島はきっと、その途上だ。流れを失った水は腐っていくだけ、いずれはひどい腐臭を撒き散らし、誰もが眉を
「そうですか」
「そうだ」
何一つとして、未練はない。
父の、母の、兄の、弟の、彼らの遺したものを一つずつ。
「お前の追放の日、途中まで一緒に行ってやるよ。嬉しいだろ?」
「いえ、特には」
「そこは嘘でも嬉しいって言えよな、お前。お前は人間のくせに嘘が下手だ」
疑いとは、横道とは、人間にあり。神にも鬼にもそれはない。人間だけが偽りを口にして、神や鬼すらも疑うのだ。
嘘が必要なこともあるのだと漣花に教えたのは父だった。兄や弟はよく分からないという顔をしていたが、多分父はそれを漣花にだけ伝えたかったのだろう。
「そうでしょうか」
「そうだよ、クソガキ。まったく、クソガキならクソガキらしく、ふてぶてしく生きていられりゃ良かったのにな」
ぐしゃりと凪墨が漣花の髪を掻き回すように撫でた。どうせもう眠るだけで、今更髪型が崩れただのなんだのと言うようなものもない。
空を見上げれば、やはり月がそこにある。
「土台無理な話です」
「だから言ってんだよ、分かれそれくらい」
凪墨が立ち上がった。彼はこの島を捨てて、
それはそれで、良いのだろう。ゆるやかなる死があったとて、それは明日のことではない。
「ほら、さっさと寝てしまえ。酷い顔だ」
「そうですか」
眠る前に、いつだって思うことがある。凍てつく心臓と刺すような痛みを抱えながら、ひとり布団の中で丸くなって。
安穏と眠りながら死ぬのは間違っている。だから明日も目が覚めますようにと、そう願うのだ。
※ ※ ※
悲鳴が聞こえる。怒号が聞こえる。
八洲葦原を出た船は、
追放前にディアノイアに出した手紙には返答があり、その返答だけを
異変は、群島諸島連合の海域に入ってからだった。群島諸島連合に海賊が多いと言うのはよく聞く話ではあるが、まさかそれに自分がまきこまれるとは、というところである。
甲板の上、積まれた木箱の影で息を殺す。どうしたものかと状況を
「あ」
まずいと思ったものの、相手から敵意はなさそうだ。
前方では
「……私以外にも、隠れている人がいましたか」
太陽の光に照らされて、銀雪色が輝いている。どこか冷たいような顔だちのその人は、声を
すっと細められた黒曜石の瞳は、
重なって倒れる人が、船員であるのか海賊であるのか、はたまた乗客であったのか、漣花からは分からない。それでも一つ分かるのは、それが理不尽な死であるということだ。
「貴女は、戦えますか」
「人並みには」
「
彼に問われて、漣花はさして迷うこともなく首を縦に振る。
ここで死ぬのならばそれはそれだ。人を助けて死ねるのならば、それは意義のある死と言えるのかもしれない。ならばそれは望むところなのだ。
「わかりました」
「助かります」
名も知らぬ人は表情を変えることなく、すっと目の前の光景を指し示す。少し日に焼けた指の先、また誰かが死んでいく。
「あの海賊は排除対象です。海神様があれは駄目だと」
彼の言葉の意味は分からない。
群島諸島連合の人々は、とにかく海に住まうという大蛇――海神様の名前を口にするのだという。つまりは彼も群島の人間ということなのだろう。
「……私、出ますね」
「どうなさるおつもりですか?」
ふらりと漣花は立ち上がった。腰に
兄が持つには少し短かったそれは、漣花にはちょうどいい。
「一応女ですので、気を逸らすことはできますから。私の容姿は、使えると思いますよ」
自分の使い道というものは知っている。母に似た容姿を日頃どうこう思うことはないが、こういう場合に人目を惹くというのは使えるものだ。
別に色を使うとかそういうわけではないが、海賊というからには相手を値踏みするものだろう。商品になるようなものならば、きっと彼らは手を伸ばす。
襲い掛かって来るのならばそれはそれ。そうなれば迎え撃つだけのこと。
「そうですか……では、お気を付けて」
「ありがとうございます」
心臓が冷たく凍えていくような感覚に、
あとどれくらい生きるのか、そんなことを問いかける。この
特別な死に方なんてない。あの女にもそう告げた。漣花とて無価値なのだから当然だろう。この身に価値はなく、意味もない。
それでも苛烈な死を願ってしまうのは、生まれた意味を知りたいからか。何のために異端に生まれ、何のためにこの世界で生かされているのか。
その答えは、どこにもないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます