9 復讐の果てに命は尽きず

 これは、少しばかり前の話だ。

 バシレイアやオルキデより、群島諸島連合よりもさらに東。海上にある玉垣内たまかきうちという最も大きな島国の北、そこに小さな小さな、閉鎖的な島国が一つ。

 その名を、八洲葦原やそあしはら。外には決して交わらぬ、と呼ばれる国である。

 一人の少女と二人の男が八洲葦原やそあしはらで最も大きな屋敷に押し入って、火を放った。それは決して物取りであるとか、そういうものではない。

 彼らの中に共通してあったものは――怨嗟えんさと、呼ぶべきか。

 ごうごうと炎が燃えている。もうじきこの屋敷はすべて燃え落ちて、たくさん積み上がった死体もすべて燃えてなくなってしまうだろう。目の前の女を護ろうとしていた男を何の感慨かんがいもなく斬り捨てて、血払いをしてからさやにしまう。

 ひ、と女が短く声を上げた。すぐそばに転がっている男の死体は、彼女がなどと言っていた相手だが、そのとやらは誰の命も守ってはくれないようだった。


「何をそんなに怯えているのですか、ミコト様」


 心の底から不思議だった。彼女の前で殺された人たちも、同じように怯えていただろうに。そんな怯えた人を笑いながら殺してきたのは彼女だろうに。

 どうして自分だけ、そうならないと傲慢にも思えるのだろう。心底不思議で、少女は無垢むくな顔をして首を傾げる。


「この、人間風情が、わらわに触れるでないわ! 誰か、誰か!」

「人間風情、ですか。ええ、そうですね。私は人間です」


 一歩、また一歩。

 白の死装束の袖は血を吸ってやけに重く、赤黒い色に染まっていた。薄青の袴の裾もまだらに赤く染まっている。白かったはずの足袋も、底から赤黒く染まっていた。どれだけ斬って、どれだけの血を流したかなど、別に数えたりはしないし興味もない。

 ただ立ちふさがったから排除した、それだけだ。

 どうせ彼らも、この女を止めなかった。手を貸したものだっている。ならば見逃してやるなどという甘えた選択肢はありえない。逃げたものは追わないでおいたのだから、温情はかけている方だろう。ともにこの屋敷を襲った二人が彼らを見逃したかどうかなど知らないが。


「そして貴女は今から、その見下し続けた人間に殺されるのです」


 女が腰を抜かしたまま、後ろへと逃げようとする。しゃがみこんでその顔を覗き込み、彼女の顔を右手で掴んで笑顔を浮かべた。

 べったりと女のおしろいを塗りたくった白い面に赤黒い血がつく。


わらわを誰と心得ておる、水端みずは漣花れんか!」


 名前を呼ばれ、はて、と漣花は首を傾げた。

 その顔はやはり無垢むくな少女のもので、血に塗れているのが何とも不釣り合いで違和感もある。けれども確かにこの惨状は、漣花が作り上げたものだ。


天宮あまみやみこと様。この国の統治者でいらっしゃる……今のところは」


 他の国のように言えば、女王、ということになるのだろう。ただこの八洲葦原やそあしはらにはそんな呼び名はないから、とりあえず統治者という言葉にしておいた。

 真っ白な顔に、べったりと赤。白と赤でめでたいなと、なんとも意味のないことを考える。


「あは、よくお似合いです、血の色。その紅の色よりもこちらの方が似合っておられますよ。貴方の恋のお相手の血……かどうかは、たくさん殺してしまいましたので分かりませんが」


 この人が好きなの、。そんな吐き気のする言葉を紡いだ口かられるのは、小さな悲鳴と命乞いの言葉。

 べったりと頬に血をつけて、今まで居丈高いたけだかに漣花をさげすんできた女は、ただ青褪あおざめた顔をしている。それがなんだか、とても笑えた。


「助けて? 助けて欲しいんですか?」


 ぱちぱちと炎の音がする。あかあかと燃える炎に照らされて、やはり女の顔は気味が悪いほどに白かった。

 いつだって真っ白な顔をして、真っ赤な唇をして、虫けらのように人の命をもてあそんだくせに。それなのに自分だけは助かろうと命乞いをしていて、本当に滑稽こっけいだ。


「嫌です。だってミコト様、今までそうして命乞いをした方を助けたことがありましたか? どうして自分だけは助けてもらえると思っているんです?」


 あの人が欲しい、あれが欲しい、これが欲しい、ただそれだけの欲望で、一体どれだけ犠牲になったのか。

 一目惚れをしましたのと、真っ赤な紅を塗りたくった唇が弧を描く。不美人ではないがとびきり美人でもない、その評価が劣等感になったのか、この女の化粧というのはとても厚い。白粉おしろいは分厚く真っ白で、ともすればひび割れそうなほど。唇は赤く、赤く、そこばかりが目をいた。


「私の父様も、兄様も、弟も、みんなみんな貴女が殺したのに。どうして自分だけは殺されないと思っているんです?」


 漣花の父は毒に倒れた。その葬儀の日に、兄の首が投げ込まれた。弟はこの女のおいだか従弟いとこだかの遊び相手にすると言って、葬儀の次の日に無理矢理この屋敷へと連れてこられ、そして冷たい池の底へと沈められた。

 この屋敷の庭で、兄は殺された。この屋敷の池で、弟は殺された。ならばいっそすべてなくなってしまえと、そう思って何が悪いのか。


「ねえ、死んでください。貴女だけが特別なはずがないでしょう」

わらわはこの八洲葦原やそあしはらの――!」

「いいんです、そういうの。貴女も私も、どうせ価値のない存在ですよ」


 大切なものはすべてうしなわれた。泣いて泣いて、涙も枯れた。どうして価値があると思っていたものがなくなって、価値のないものだけが残っているのか。

 その答えは、簡単だ。


「神だろうが人間だろうが何だろうが。どうせすべてに価値はないんです」


 ねえ、そうでしょう。

 だから貴女は虫けらのように誰かを殺せたのでしょう。どうして自分ひとりだけが、価値があると思えるのですか。


「兄様に好かれたかったですか、ミコト様」


 だから無理に結婚したのでしょう。だから一度断られたのに命令にして、逃げられないようにしたのでしょう。

 けれど決して自分が好かれることがないと悟ってしまって、だから兄は殺された。手に入らないものを子供のように癇癪かんしゃくを起こして、そして壊して。けれど彼女が壊したものは、玩具がんぐではなくて人だった。

 他の誰にも渡したくないから、殺された。やってもいない罪を着せられて、罪人として首を落とされた。


「どうして他人の心まで、自分の思うようになると思ったのですか。すべて手に入ると思ったのですか」


 漣花が、漣花たち家族が、彼女に何をしたというのだろう。漣花だけが生き残っているのは、きっと彼女にとっては取るに足らないという、この国においてだったからだ。

 どうせ漣花は何もしなくても死んでいく。命の刻限は近く、長いことは生きられない。


「思い違いも甚だしい。好きだの恋だのと、吐き気がします」


 この女が兄に向けたが、どうしようもなく気持ちが悪い。

 そんなものにみんなみんな、漣花の大切なものが殺されてしまったことが腹立たしくて腹立たしくて、泣けばいいのか怒ればいいのかも分からない。


「首を落としましょうか、それとも心臓を突きましょうか。さて」


 目の前で震えるのは卑小ひしょうな女。こんなものを敬えなどと、いったい誰が言ったのだろうか。ただ狂い、ただただ壊す、そんな女を。

 父は毒で苦しんだ。兄は首を落とされた。弟は冷たい水の底。

 さあ、どんな方法で殺そうか。


「特別な死に方なんてさせませんよ。貴女も他の人たちと同じ。みんなみんな平等に、価値などないのですから」


 ぴしりぴしりと音を立て、女の顔が凍っていく。みしみしと何かがきしんでくだけていくような音が自分のうちから聞こえたのを、漣花は気付かないふりをした。

 もう用はないと女の体を投げ捨てて、漣花は燃え盛る炎に飲まれることがないように、巨大な篝火かがりびとなった屋敷を後にする。

 ねえ、終わりましたよ。ねえ、全部壊しました。だから。


「ああ……うあああああああ!」


 屋敷を出たところで、膝を付く。背中の篝火かがりびが熱くて、けれどもう一歩も動けない。

 殺すと誓った、復讐ふくしゅうを心に刻んだ。これはその、なれのはて。

 ただ天を仰いで慟哭どうこくの声を上げる。終わりました、なにもかもすべて。だというのにどうしてこの身はくだけない。どうしてここで終われない。

 何もかもすべて、同じように終われたら良かったのに。ただそこに残った空虚くうきょから目を背け、声が枯れるまで叫び続ける。

 涙は、一滴も出なかった。

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