7 くだらない謁見

 何度訪れても、王都エクスーシアはハイマに馴染なじまない。荘厳そうごん雰囲気ふんいきかもし出すエフティフィアはエクスロス邸とは造りも違えば役目も違っていて、ハイマからすればなんとも物足りないのだ。スカスカすると言えばいいのか、心もとないと言えばいいのか、とにかく防備が目に見えて薄い。

 エクスロス邸はそもそも建っている場所からして、軍勢が進みにくい場所になっている。だがエフティフィアは大きな橋を渡れば城はもう目の前で、大軍勢で押し寄せることも可能だ。

 本当のエクスーシア一族の居住地は流石にハイマも入ったことはなく、またそこまでの道もわかりにくくなっている。だが政務を行う国の中枢ちゅうすうとも言える場所の制圧は非常に容易たやすい。職業柄か、城を歩きながらいつもどうすれば制圧できるかという進軍ルートを考えてしまう。

 これは単なる職業病であって謀反むほんこころざしがあるわけではない、はずだ。

 その制圧ルートも、もう何通りも頭に描けるようになってしまった。それほどいくつもも考えつくというのは、万が一があった時どこを重点的に守ればいいか定まらず、守りが手薄になるということでもある。


「ま、そんなことを考えて建てられてねぇよな」


 少なくとも、エフティフィア幸福と名付けられた部分については、そうでなければならないのだ。平和の象徴、国民の幸福の象徴としてそびえ立っているのだから。


「帰りてえなー」


 まだ謁見えっけんを果たしてすらいないというのに、本日何度目かの溜息ためいきれた。

 エクスロスには、今なお眠り続けるルシェがいる。彼女がいつ目覚めるのか心配でならないのは、目覚めた時にルシェが知らない場所にいるから説明が必要というだけではない。目を覚ました時に彼女が直面するであろう現実が彼女を打ちのめさないか、それをハイマは案じている。

 アヴレークの死という現実を、果たしてルシェはどう受け止めるのか。ルシェとは戦争が始まってから戦地で知り合い、それこそ命の奪い合いもした。穏やかに話をしたのは本当にごく最近という付き合いの浅さだが、その忠誠心は短い間でもよく伝わってきている。信じていたもの、守らなければと思っていたものを失った人間は、時に自暴自棄じぼうじきになる。


「兄さんには馬鹿にされたし……」


 リノケロスに万が一ハイマがいない間にルシェが目覚めたら事情をやんわり伝えてほしいと頼んだ時、彼はそんなハイマの心配を鼻で笑った。馬鹿かお前と真っ直ぐに言い放たれては腹も立たない。

 ハイマとほとんど入れ違いのようにしてファラーシャとの旅行から帰ってきたリノケロスは、ルシェを案じるハイマに対してそれは自分の役目ではないときっぱり拒絶した。そして、講和したとはいえ敵国の将に入れ込んでどうする、とも。


「んあー……」


 思い返してガシガシと髪をかき回す。

 リノケロスは、ハイマがわざわざルシェを気にかける理由は何故だと言っていた。当然それは義務感からである、はずだ。講和の場においてバシレイア側の手落ちでアヴレークは死に、講和の席は台無しになった。場を整えたハイマの面目も丸潰れである。

 これでルシェを放置していたとしたら、もう一度戦いの火蓋ひぶたが切られてもおかしくはない。アヴレークからの遺言のことは抜きにしても、ハイマには彼女を保護する必要があると自分では思っていた。だが、リノケロスから見れば少しおかしく見えるのかもしれない。

 あの兄は何にも興味がないような顔をして俯瞰ふかんをしているから、ハイマとはまた見えている景色が違う。


「おお、ハイマ。よく来たな」


 意識が遥か遠くにいっていたとしても、習慣とは恐ろしいもので足は勝手に王の執務室へと向かい、さらには扉を叩いて礼の姿勢をとるところまで行っていたらしい。

 王から声をかけられて、ハイマはようやく彼が目の前にいることに気づいた。


「ハイマ?」

「あ、ああ、いえ」


(あぶねー……気づいてなかった。)


 反応が遅れたハイマを、王が不思議そうに見つめている。わざとらしく咳払せきばらいをして、ハイマはひざを付く礼の姿勢を崩して元通り直立した。

 心の中で冷や汗をぬぐうが、それをおくびにも出さずにしれっとした顔で用件を問う。


「お呼びだとか」

「うん。そうなんだ」


 王は少し年齢にしては幼いように見える顔で、困ったように笑った。


「母上がね、確かめたいことがあると言っていたんだが、生憎と戻って来られていなくて」


(やっぱりな。)


 王からの手紙ではない、と思ったハイマの予想は正しかったらしい。この場に本来ならば皇太后もいて、彼女問い詰められたのかと思うと、何かは知らないが皇太后を足止めしているものに全力で礼を言いたい気分だ。


「俺も忙しい身です。戻って来られないのであれば帰っても?」

「うん……そうだなぁ……」


 言外に今すぐ帰りたい雰囲気ふんいきを押し出しながら問いかけたが、王は全く意に介さず、飄々ひょうひょうと笑う。


「勝手に帰らせると母上に叱られてしまうから、待っていてくれないか」

「そうですか」


(知らねえよ! 王はあんただろ!)


 心の中では罵声がとどまるところを知らないが、幸いにして口かられることはなかった。表情は引きっているだろうが王は良くも悪くもそういう相手の表情から心の機微きびを読まない人だ。

 平坦な声で返事をして、勝手に近くにあった椅子に腰を下ろす。王の御前の行動としてはかなり無礼なのかもしれないが、そもそも呼びつけておいて人を待たせるのも大概たいがい無礼なので気にしないことにする。


「母君から用件は何か、伺っておられないので?」


 ハイマとしてはいつ来るかもわからない皇太后をぼんやりと待ちぼうけるより、少しでも話を先に進めたい。そう思って話を切り出したが、王はふむ、と顔を斜め上に向けて考え込んだ。


「そういえば、あの、講和の場にいた少女はどうしたのだと母上が気にしておられた。何か知っているか?」


 思った通り、いくらか内容は聞いていたらしい。

 ルシェのことは手紙にも書いてあったので、道すがら答えを用意してある。当然のことだが、エクスロス邸にて治療ちりょうしている、などと馬鹿正直に答えるつもりはない。


「さて、俺も探しているのですが……とんと足取りが掴めず。国に戻ったのではありませんか?」

「それが、どうもそんな様子はないようなのだ」

「その情報は、どこから?」

「母上がおっしゃっていた」


(だからその母上はどっから聞いたんだって聞いてんだが。)


 皇太后はオルキデ女王国と直接的な繋がりはないはずだ。

 そもそも両国は積極的に国交を持ってきたわけではなく、せいぜいが接しているクレプト領を通して食料や水の売買をしている程度でしかない。皇太后がルシェは国内に戻っていないと言っているのは、どう考えてもおかしい。

 すうっとハイマが目を細めた。王はおそらく何の疑いも持っていないのだろう。彼にとって母親が絶対であることを、ハイマは嫌と言うほどよく知っている。


「陛下!」


 どうにかして皇太后が繋がりのある相手を探れないかとあれこれ質問を考えていたハイマだったが、その思考は外から飛び込んできた衛兵にさえぎられた。

 随分ずいぶんあわてた様子の衛兵を見て、王が目を丸くする。


「どうした」

「皇太后様が何者かに襲われました!」

「なんだと!」


 がたんと椅子を蹴立けたてて、王が立ち上がる。ハイマは思わず歓声をあげそうになって、なんとか飲み込んだ。その代わりに、自らもあわてて立ち上がった振りをする。

 幸い衛兵も王もお互いに意識を向けていて、ハイマが若干挙動不審きょどうふしんであっても気にしていない。


「ご無事なのか!」

「はい。誰かに助けられたようです」

「そうか、よかった……」


 余計なことを、とハイマはうつむいて小さくつぶやいた。

 そのまま死んでくれればおそらくこの国はうまく回っていくというのに。皇太后の悪運が強いのかそれともその助けたという相手の星回りが悪いのか。


「しかし、その後少々何かあったようでご傷心になっておられまして……」

「そうか。わかった、すぐに向かう」


 衛兵の言葉に若干被せるようにして、王が足早に執務室を出ていく。あわてて後を追っていく衛兵の背中を見ながら、ハイマは大きく息を吐き出した。

 王は母の名前を聞いた瞬間、あっという間にハイマのことなど頭から吹き飛んだ様子だ。どうやらこのまま待っていても無駄だなと断じたハイマは、これ幸いとエフティフィアを後にすることにした。


「ま、一応来たし。義務は果たしたろ」


 きちんと王に謁見えっけんもしたのだ。それを放り出したのは彼らの都合であって、そこまでハイマが配慮してやる必要性はない。また呼び出しがきたら、その時にまた考えればいい。

 思ったよりも早い解放に、ハイマは鼻歌など歌いながら足取りも軽く歩き始めた。

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