3 面倒な手紙と面倒な従妹

 一通の封書を前に、ハイマは地の底まで届きそうな重い溜息ためいきいた。何度見直しても稲妻の印は、変わらず白い封筒の上でこれでもかとばかりに存在を主張している。エクスーシア家、つまり王からの呼び出しを示すものだ。

 よほどのことでない限り、これに対して拒絶することはできない。もっとも、そのをでっち上げて王からの呼び出しを無視する連中もいるにはいる、のだが。


「めんどくせぇ……」


 残念なことに、エクスロス家は代々そういう不正は行わない。バシレイア王国が王国として成立した頃からの取り決めだというから、果たして初代はどんな弱みを建国王パトリオティスに握られたのだろうとハイマは常々不思議に思う。

 今朝届いた封書は、昼前になってもまだ封を切られないままにハイマの手元にある。中身についてはどうせわかりきっているのだから開かなくてもいいかという無精ぶしょうな気持ちと、一応中身を見て確認すべきだという律儀りちぎな気持ちがハイマの中でせめぎ合っているのだ。

 数時間に及ぶ脳内での押し問答の末、最終的に内容がはっきりわかっていた方が墓穴を掘らずに済むし対策も立てながら行けるという意見が採用され、ハイマはペーパーナイフを手に取った。いつも振り回している大槍に比べたら百分の一にも満たないような大きさのペーパーナイフだが、この時ばかりは過去手に取ったどんな得物よりもずっしりと重い。

 ノロノロとした手つきで封を切り、手紙を取り出す。ふわり、と香った香水に顔をしかめた。


「チッ」


 思わず舌打ちも出るというものだ。

 王は香水をつけていない。というより、基本的にバシレイア王国では香水は女性が身につけるものだとして認識されている。男性が香水の香りを漂わせていると、ああそういう香りの女性と共に過ごしていたのだな、というような解釈をされるのが主流だ。ごくまれに臭いが体につく仕事をしている人々が臭い消し代わりに振りかけることもあるものの、貴族の中でそういったことをする男性はいない。いたとすれば、よほどの変わり者か、外国かぶれか、だ。

 当然ながら、現在の王はそのどちらでもないことをハイマはよく知っている。つまり、この香水の香りがする手紙を書いたのは王ではない。


「クソババアか……」


 王の名前を使ってはいるが、この手紙の主は皇太后なのだろう。彼女の香水を知っているわけではないが、王妃がわざわざハイマにこんな手紙を送る意味はない。したがって、皇太后から、という説が一番有力だ。

 中身は案の定、オルキデ女王国との今後について、と書かれている。これはある意味では言葉通りだが、その奥にあるのはハイマへの疑いだ。王や皇太后の意見を聞かぬままに死したアヴレークの遺体を持ち去ったこと。そして傷を受けたはずだが未だ姿が見つからないルシェの所在。それらをハイマに問いただしたいのだ。

 当然ながら、ハイマは全てしらばっくれる気でいる。アヴレークの遺体に関しては、あらかじめ彼が残していた遺言通りにエヴェンにたくした。その後のことは知らないので、何も存ぜぬと言うのもあながち嘘ではない。

 ルシェに関しては、完全にハイマのである。未だ目覚めていない彼女をエクスロス家でかくまっているのはハイマとリノケロス、エヴェン、ファラーシャ、そして一部の使用人しか知らないこととなっていて、姉や弟といった身内にも知らせていなかった。バシレイア側の不手際で傷を負わせてしまったことへの贖罪しょくざいと、アヴレークから受けていた「ルシェをオルキデに戻すな」という遺言がハイマのになっている。


「早く起きろよ、ルシェ」


 ちらりと横を見るれば、ベッドで穏やかな顔をしてルシェが眠っている。彼女が生きているのか不安になる瞬間もあるが、微かに上下する胸元が生きている証左である。

 ひたすらに眠りつづけているルシェだが、体を清潔にするために一日に一度体をいてやり、傷の治りを早めるためにスープをさじすくって口から流し込んでいる。そんな世話を焼かれているなどと本人は夢にも思っていないだろう。手が空いている時はハイマが。どうしても離れなければならない時には年配の女性使用人が彼女の世話を行なっていた。

 この部屋はハイマの自室の隣であり、壁をぶち抜いて外に出ることなく行き来できるようにしてある。ハイマはルシェをかくまうようになってからというもの、ほとんどの仕事をこの部屋で行なっていた。そのため、わざわざ廊下から部屋に入り直したりして怪しまれることのないようにしているのだ。


「お兄様、いらっしゃいますか?」


 時折、こうしてハイマの部屋に人が訪ねてくる時がある。そういう時には、自室へ戻って返事をする。その際、扉をしっかり閉めておけば壁と同じ色をした扉はよほどその場所を注視しない限りは見えることはない。


「どうした」


 可愛らしい声の主は、エクスロス家には一人しかいない。

 ハイマが答えながら扉を開けると、そこには思った通りの相手が立っていた。肩に届かないくらいの長さの牡丹色の髪に、エクスロス家特有の黄金色の瞳。毛先は緩やかにカーブさせているのでふわふわとして見える。

 ゆったりしたスカートの広がりと髪型がよく合っていて、贔屓目ひいきめなしに美少女だ。


「お兄様、わたくしお願いがありますの」


 彼女は名をスキラ・エクスロスといい、ハイマにとっては従妹いとこに当たる。兄、と呼ばれてはいるものの兄妹ではない。

 彼女はまだ未成年だが、その可憐な容姿からすでに結婚の申し出が舞い込んでいた。エクスロス家には珍しく料理や裁縫さいほうが得意な女の子らしい女の子で、武器を怖がり、血を見ると悲鳴を上げる。蝶よ花よと両親が育てた結果、まるで世間知らずのお嬢様になってしまった。

 エクスロス一族は大抵男まさりな女が多いので、スキラのような女性は希少種だ。


「どうした?」


 例にれず、ハイマもこの年の離れた従妹いとこを可愛らしく思っている。

 もう一人身内にいる女性の異母姉ラグディナ・エクスロスが大層であるため、余計に可愛く見えるのかもしれない。


「わたくし、恋をしてしまいましたの!」

「……お、おお」


 彼女について唯一ゆいいつ困っているとするならば、少々夢みがちなところだろうか。

 両手を胸の前で組んでキラキラと輝く目でハイマを見上げてくるスキラに、ハイマは気圧されながら引きった笑みを浮かべた。なぜだろう、とても嫌な予感がする。


「最近家に若い男の方がおられるでしょう? あの方に恋をしてしまいましたの! ああ、寝ても覚めてもあの方の顔が離れず……とても胸が苦しいのです……」


(まさか、エヴェンか……?)


 うっとりと虚空を見つめているスキラが怖い。

 彼女の目を通して見たエヴェンの姿を知りたい気もするが、それは怖いもの見たさに他ならない。ハイマは傷み始めた頭を抑えた。

 エヴェンを選ぶスキラの目はある意味で確かだろう。ハイマの大槍から何度も逃れた彼の実力はよく知っている。見た目以上に戦闘能力は高く、また頭も悪くない。自分のやるべきことがわかっていて、それ以上出しゃばることがない。

 所属がない身の上ならエクスロス家で飼ってもいいと思うぐらいに、ハイマはエヴェンのことを気に入っていた。だがそれはそれとして、スキラの恋を実らせてもいいかはまた別の話である。

 そもそも、スキラとエヴェンはおそらく話をしたことすらなく、お互いの名前すら知らないはずだ。


「あいつは一時的にここにいるだけだぞ」

「ええ……わかっております……恋をしても、引き裂かれてしまう運命……ああ……」


(うわ、めんどくせぇ。)


 ハイマは生まれて初めて、従妹いとこにそう思った。

 普段は大人しくて聞き分けの良い子なのだ。夢みがちなところはあるが、それも御伽噺おとぎばなしを読んでぽうっと窓の外を眺めながら想像の世界で遊ぶ程度だった。

 だが、その夢が現実になった瞬間これほど面倒臭いとは思わなかった。


「俺は今からエクスーシアに行かないといけねぇ。スキラ、帰ってきたら話を聞いてやる」

「はい、お兄様。お気をつけて」


 先ほどまで億劫おっくうで仕方なかったエクスーシアからの手紙が輝いて見える。

 スキラはハイマに食い下がることなく、可愛らしく微笑んだ。こういうところは扱いが簡単でいいのだけれど。


(エヴェンに言わねぇと、か? いやルシェが起きたらそっちの方が……?)


 頭を悩ませながら、ハイマはスキラが出ていった扉を見つめ、溜息ためいきいた。

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