2 彼女の墓標
御礼がしたいとラアナから連絡があったとき、カフシモはなんのことか一瞬思い出せなかった。ラアナのことを忘れていたわけではなく、ただ純粋にお礼をされるような何かに心当たりがなかっただけだ。
しばらく考えてようやく、暴漢から助けたことを言っているのだと気付いた。だが助けたとはいえ結局泣かせてしまったのだから特別お礼など必要なかったのに、と苦笑が浮かんだものである。
まるっきり嘘ではないのだが、正しく真実かと言われればそれも少し違う。本当は
そんな理由で、カフシモはラアナに対していつでもいいと返事をしたのだ。それでまさかラアナが家の前でカプノスを拾うことになるなど、
「あのね、それでね」
「カプノス様、危ないです……」
「わぁっ!」
とうのカプノスは、見知らぬ少女が相手でもすぐに
それが通算二桁に到達しそうになったところで、見かねてカフシモは我が子を抱き上げた。
「ふぇ?」
「こうしたら顔見て話せるだろ」
片腕に五歳になった息子を抱く。いつの間にか大きくなったが、まだまだ子供だ。その体は軽く、カフシモでも片腕で軽々と支えられた。
急に高くなった視界に目を白黒させていたカプノスだったが、ラアナの顔が近くなったことに気付いて嬉しそうに歓声をあげている。
「悪いな、付き合わせて」
「いえ……大丈夫、です」
小さく
ラアナが来たのだから翌日にしようかとも思ったのだが、花を用意してしまった以上はできるだけ色鮮やかなうちに墓に飾りたい。考えた結果、二人を
御礼にとクッキーをくれたラアナは渡すだけ渡して帰ろうとしていたが、カプノスが涙目でもっと遊びたいと引き留めたおかげで墓参りに同行している。家族のお墓に私のような部外者がと言って尻込みしていたラアナに、来てくれるならありがたいと告げたのはカフシモだ。
せっかくオルキデから来てもらったのに、お礼をもらうだけもらってはいさようならというのはあまりにも味気ない。前回デュナミスを訪れた時にはさぞかし嫌な思いをしただろうから、今日は少しでもその印象を和らげて帰ってくれたらいいとも思う。
「あ! お姉ちゃん、あそこ! ヤギさんがいっぱいいっぱいいるんだよ!」
カプノスが街の下の方にある緑地を指差した。それなりに高さがある現在の場所からではヤギの姿はほぼ見えず、ただ白や黒の点がモゾモゾしているように見えた。
それを指差したカプノスに、ラアナが少しだけ困ったように笑う。
「たくさん、いるんですね」
「そうだよ! 僕もおてつだいするの!」
「
「うん!」
精一杯胸を張る我が子はとても可愛らしい。どんな神様の気まぐれか、母親であるカフシモの妻に似ているところが極端に少ないカプノスは、なぜか母よりも父に懐いてくれている。戦争中など長期間家を空けている父よりも母の方が一緒に過ごす時間が長いだろうに、なぜ母よりも父が好きなのかカフシモにはいまひとつ理由がわからない。
いや、分かりたくないだけなのかもしれない。理由と思われる事柄から目を
「すごい、ですね」
ラアナは
彼女は決してそういうつもりでデュナミスに足を踏み入れたのではなく、純粋にお礼をしたいという気持ちでやってきたのだ。カフシモにはどうにも、彼女のその真っ
「この辺の子供は、成人するまではヤギの世話係だからな」
あらぬ方向に思考が流れたのを恥じるように、カフシモは無理やりに口角を吊り上げる。ラアナがそれを見てどう思ったかはわからないが、彼女がそうなんですかと
※ ※ ※
カフシモが目指す墓は、街の一番高い位置にある。そこは歴代のデュナミス家の人間が
少ない場所を墓地にすると、あっという間に埋められる場所がなくなる。そこで、いつ頃からか
「ここはな、俺の
カフシモは、ある一つの墓の前で立ち止まった。カプノスを下ろして、反対の手に持っていた花をそっと墓標の前に置く。
まだ真新しいそれは、ほんの数年前に建てられたばかりのものだ。他の
それが、まだ彼女を失ってからそう長い年月が経っていないことをまざまざと突きつけられるようで、胸の奥からギリリと音が鳴った。ちょうどカフシモが結婚した年に亡くなった
「セラス、って言ってな。美人だけどまあ口が
ほとんど初対面に近い相手の家族、それも故人のことなど聞いても楽しくないか、と
「おい、どうした? 大丈夫か?」
「お姉ちゃんどうしたの? どっかいたい?」
「え、あ、あの、私、どうして……」
「変な話したな、悪かった」
どうも彼女のことは泣かせてばかりだ。苦笑しながら謝ると、ラアナが首を横に振った。
あまりに強く振るので、首がもげるのではと不安になる程だ。
「いいえ、私が悪いの、で……こんな、いきなり……すみません……」
「大丈夫、気にしないよ。だから泣きやめ、な?」
謝りながらもラアナの目からはとめどなく涙が
「使っていいから」
「申し訳、ござい、ません……」
頭を下げっぱなしのラアナに苦笑しつつ、墓を見つめる。
この下に眠っているのはセラス・デュナミス。カフシモの
死んだ原因は事故だと知らされているが、果たしてそれは本当なのか。セラスはデュナミスきっての美少女と名高いその外見とは裏腹にとんだお
そんな彼女が、崖から落ちるなどという事故に
「泣いてくれたらセラスも喜ぶよ。故人を偲ぶ涙は向こうの世界での飲み水だ、とか言われるから」
「そうなんですか……?」
「言い伝えだけどな」
ようやく止まった涙で目尻を赤くしたラアナが鼻を鳴らす。
ほとんど無意識にその頭に手を伸ばして、撫でていた。びくりと肩を跳ね上げたラアナの動きで初めてそれに気づいて、カフシモは慌てて手を離す。
「すまない」
せいぜいが名前を知っている程度の関係である相手に対して失礼だった、と頭を下げる。
ラアナはまたも首がちぎれそうなぐらいにぶんぶん振っていたが、その耳が少し赤かったのはカフシモの見間違いだったのだろうか。
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