2 彼女の墓標

 御礼がしたいとラアナから連絡があったとき、カフシモはなんのことか一瞬思い出せなかった。ラアナのことを忘れていたわけではなく、ただ純粋にお礼をされるような何かに心当たりがなかっただけだ。

 しばらく考えてようやく、暴漢から助けたことを言っているのだと気付いた。だが助けたとはいえ結局泣かせてしまったのだから特別お礼など必要なかったのに、と苦笑が浮かんだものである。律儀りちぎなものだと思いながら、いつがいいか知らせて欲しいという文面に対して、今は急ぎの用事がないからいつでも領地にいると返したのは嘘ではない。

 まるっきり嘘ではないのだが、正しく真実かと言われればそれも少し違う。本当は修繕しゅうぜんが終わった武器や防具をエクスロスに届けなければならない。だが近々戦いがある予定はないし、ハイマからも急かされてはいない。おまけにカフシモと親しいリノケロスはおそらくまだ旅行中で、ハイマ以外にいるのは面倒なハイマの異母姉とさして親しくないハイマの実弟とあって、行く気が起こらない。見知った相手がいないエクスロス家に行くぐらいなら、いつくるか定かではないラアナを待っている方がよほど気が楽である。

 そんな理由で、カフシモはラアナに対していつでもいいと返事をしたのだ。それでまさかラアナが家の前でカプノスを拾うことになるなど、つゆほども想定していなかったのだけれども。


「あのね、それでね」

「カプノス様、危ないです……」

「わぁっ!」


 とうのカプノスは、見知らぬ少女が相手でもすぐになついた。ぎゅっと離さないようにラアナと手を繋ぎ、小さな足を一生懸命動かしながら歩いている。彼女の顔を見ながら話をしようとするために足元がおろそかになり、そこかしこに落ちている石ころに何度も蹴躓けつまづく。

 それが通算二桁に到達しそうになったところで、見かねてカフシモは我が子を抱き上げた。


「ふぇ?」

「こうしたら顔見て話せるだろ」


 片腕に五歳になった息子を抱く。いつの間にか大きくなったが、まだまだ子供だ。その体は軽く、カフシモでも片腕で軽々と支えられた。

 急に高くなった視界に目を白黒させていたカプノスだったが、ラアナの顔が近くなったことに気付いて嬉しそうに歓声をあげている。


「悪いな、付き合わせて」

「いえ……大丈夫、です」


 小さく微笑ほほえむラアナは手持ち無沙汰ぶさたなようで、両手をぎゅうと握り合わせている。カフシモがラアナとカプノスをともなって歩いているのは、ちょうど墓参りをしようと思っていたところだったからだ。

 ラアナが来たのだから翌日にしようかとも思ったのだが、花を用意してしまった以上はできるだけ色鮮やかなうちに墓に飾りたい。考えた結果、二人をともなって墓参りすることにした。

 御礼にとクッキーをくれたラアナは渡すだけ渡して帰ろうとしていたが、カプノスが涙目でもっと遊びたいと引き留めたおかげで墓参りに同行している。家族のお墓に私のような部外者がと言って尻込みしていたラアナに、来てくれるならありがたいと告げたのはカフシモだ。

 せっかくオルキデから来てもらったのに、お礼をもらうだけもらってはいさようならというのはあまりにも味気ない。前回デュナミスを訪れた時にはさぞかし嫌な思いをしただろうから、今日は少しでもその印象を和らげて帰ってくれたらいいとも思う。


「あ! お姉ちゃん、あそこ! ヤギさんがいっぱいいっぱいいるんだよ!」


 カプノスが街の下の方にある緑地を指差した。それなりに高さがある現在の場所からではヤギの姿はほぼ見えず、ただ白や黒の点がモゾモゾしているように見えた。

 それを指差したカプノスに、ラアナが少しだけ困ったように笑う。


「たくさん、いるんですね」

「そうだよ! 僕もおてつだいするの!」

えさやりな。たまにやってくれるもんな」

「うん!」


 精一杯胸を張る我が子はとても可愛らしい。どんな神様の気まぐれか、母親であるカフシモの妻に似ているところが極端に少ないカプノスは、なぜか母よりも父に懐いてくれている。戦争中など長期間家を空けている父よりも母の方が一緒に過ごす時間が長いだろうに、なぜ母よりも父が好きなのかカフシモにはいまひとつ理由がわからない。

 いや、分かりたくないだけなのかもしれない。理由と思われる事柄から目をらしている自覚はあるが、今それをあばき立てて自らに利があるとも思えなかった。


「すごい、ですね」


 ラアナはひかえめに笑っている。こんな子と一緒にいれたのなら穏やかな家庭を築けるのだろうか。と、そんなことを考えてしまってカフシモはあわてて首を横に振った。

 彼女は決してそういうつもりでデュナミスに足を踏み入れたのではなく、純粋にお礼をしたいという気持ちでやってきたのだ。カフシモにはどうにも、彼女のその真っぐさがまぶしい。純粋さも真っぐさも、カフシモはどこかに投げ捨ててきてしまったものだ。


「この辺の子供は、成人するまではヤギの世話係だからな」


 あらぬ方向に思考が流れたのを恥じるように、カフシモは無理やりに口角を吊り上げる。ラアナがそれを見てどう思ったかはわからないが、彼女がそうなんですかと微笑ほほえんでくれたので良しとしておこう。


  ※  ※  ※


 カフシモが目指す墓は、街の一番高い位置にある。そこは歴代のデュナミス家の人間が埋葬まいそうされている墓地で、一般市民のそれとは別の場所にあった。

 土葬どそうが主流であるバシレイア王国において珍しく、デュナミス領は火葬かそうが主な埋葬まいそう方法だ。その理由は、ひとえに埋葬まいそうできる土地の問題である。

 土葬どそうにするには、ひつぎを埋めるためにかなり大きな穴を掘らなければならない。だが岩山が多いデュナミスでは、そもそも人の手で簡単にある程度の大きさと深さを掘れる場所というのが極端に少なかった。

 少ない場所を墓地にすると、あっという間に埋められる場所がなくなる。そこで、いつ頃からか火葬かそうを行うようになった。火葬かそうであれば、燃え残った骨を壺や箱に入れて埋めれば良いので、穴の深さは浅くてもいい。その結果、街を作ろうとしたらうっかり百年前の骨が発掘される、などという事件も起こったりはするが。


「ここはな、俺の従妹いとこが眠ってるんだ」


 カフシモは、ある一つの墓の前で立ち止まった。カプノスを下ろして、反対の手に持っていた花をそっと墓標の前に置く。

 まだ真新しいそれは、ほんの数年前に建てられたばかりのものだ。他の色褪いろあせている墓標と違い、未だ白くつやを帯びている。

 それが、まだ彼女を失ってからそう長い年月が経っていないことをまざまざと突きつけられるようで、胸の奥からギリリと音が鳴った。ちょうどカフシモが結婚した年に亡くなった従妹いとこは、最期までカフシモの結婚に反対していた。


「セラス、って言ってな。美人だけどまあ口が達者たっしゃ生意気なまいきで……ラアナ?」


 ほとんど初対面に近い相手の家族、それも故人のことなど聞いても楽しくないか、とびようとして振り返る。そこでラアナの目からはらはらとしずくが流れ落ちているのを見て仰天ぎょうてんした。


「おい、どうした? 大丈夫か?」

「お姉ちゃんどうしたの? どっかいたい?」


 呆然ぼうぜんとした表情で、ラアナはただ泣いている。慌ててハンカチを取り出して押し付けるようにしてラアナの目元に当てると、その時初めて自分が泣いていることに気づいたらしい彼女がびっくりした顔でれたハンカチを見つめた。


「え、あ、あの、私、どうして……」

「変な話したな、悪かった」


 どうも彼女のことは泣かせてばかりだ。苦笑しながら謝ると、ラアナが首を横に振った。

 あまりに強く振るので、首がもげるのではと不安になる程だ。


「いいえ、私が悪いの、で……こんな、いきなり……すみません……」

「大丈夫、気にしないよ。だから泣きやめ、な?」


 謝りながらもラアナの目からはとめどなく涙があふれている。カフシモが押し付けているハンカチをかたくなに受け取ろうとしないので、そっとラアナの手を掴んでハンカチを半ば無理やり握らせた。


「使っていいから」

「申し訳、ござい、ません……」


 頭を下げっぱなしのラアナに苦笑しつつ、墓を見つめる。

 この下に眠っているのはセラス・デュナミス。カフシモの従妹いとこであり、心許せる数少ない身内であった。彼女の死について、カフシモは今でも不思議に思っていることがある。

 死んだ原因は事故だと知らされているが、果たしてそれは本当なのか。セラスはデュナミスきっての美少女と名高いその外見とは裏腹にとんだお転婆てんばで、ヤギに混じって走り回り、時には岩山をよじ登ったりしていた。

 そんな彼女が、崖から落ちるなどという事故にうだろうか。カフシモの中のセラスは、崖から落ちてもヤギの真似をして飛び跳ねて下に着地するような子なのだけれど。


「泣いてくれたらセラスも喜ぶよ。故人を偲ぶ涙は向こうの世界での飲み水だ、とか言われるから」

「そうなんですか……?」

「言い伝えだけどな」


 ようやく止まった涙で目尻を赤くしたラアナが鼻を鳴らす。

 ほとんど無意識にその頭に手を伸ばして、撫でていた。びくりと肩を跳ね上げたラアナの動きで初めてそれに気づいて、カフシモは慌てて手を離す。


「すまない」


 せいぜいが名前を知っている程度の関係である相手に対して失礼だった、と頭を下げる。

 ラアナはまたも首がちぎれそうなぐらいにぶんぶん振っていたが、その耳が少し赤かったのはカフシモの見間違いだったのだろうか。

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