13 螺旋階段を上る

 ファラーシャもリノケロスもそこまで馬車が好きではないというのは、エクスロス領を出る前の相談で判明したことである。ただどうしても遠出であることと危険性、荷物の問題、馬の乗り降りの問題ということで、馬車での移動となった。

 カフシモに迷惑をかけたようであるラアナはオルキデに戻り、ファラーシャの手元には彼女が持ってきたシハリアからの書状だけが残されている。再び乗り込んだ馬車の中で、ぱらりとその書状を開いてざっと中身を確認した。

 シハリアは余程ファラーシャの結婚が心配であるらしい。どうせ関係性が安定すれば離縁でもしてオルキデに帰るのだからそこまでしなくても良いだろうと思っているのだが、彼がそれでも納得できない様子だったのは事実だ。


「カリサ」

「はい」


 名前を呼べば、隣で静かに座っていたカリサが返答をする。

 向かいにいるリノケロスは何を気にすることもなく、視線を窓の外にやっていた。書状の中身について彼に問うことはせず、ファラーシャは書状をカリサの前に出す。


「預かっておいて。中身はもう頭に入れたから」

「かしこまりました」


 カリサは書状を手に取って、己のふところにしまっていた。

 人の口に戸は立てられないし、鳥は見ている。シハリアが調べたものについてはリノケロスの極々個人的な部分であろうこともあり、一切他人に見せられるようなものではない。

 ガタゴトと進む馬車の隣を、カフシモが馬で並走していた。一応は彼が出迎えであったようで、ファラーシャは以前シハリアと確認したバシレイアの情勢についてを思い出す。デュナミス領はごたついている、というと語弊ごへいがあるのかもしれないが、当主は病床にある。そして、後継者は決まっていない。

 異母兄弟の仲は悪く、到底共同統治をしようとはならないだろう。兄弟揃って母の親類を他領から妻に迎えており、そしてどちらも息子がいるというのもまた後継者問題に拍車をかけている。

 どちらにも決め手がなければ、下手をすればデュナミスを二分する争いになるだろう。そういうことを避けるのが当主の手腕なのだろうが、妻二人に頭が上がらず正妻も決められず、そして病床にある当主には何の期待もできそうにない。

 案内された先はデュナミス家の本宅があるという場所であった。ただその先に入口があるというわけではなく、見上げた高い岩山に螺旋らせんのように階段が続いている。

 リノケロスの手を借りて馬車を降り、カリサから杖を受け取った。カフシモとリノケロスが何かを話している間に、ファラーシャはその階段へと歩み寄る。かつかつと杖が岩を叩いた。


「あら……」


 どうしたものかと考える。一応階段を上ることはできるが、さすがにこの高さだ。入口がどの辺りにあるのかは下からは見えない。そもそも日頃から人より歩くのが遅いのである、階段ならば尚のことだ。

 これを毎日のように上り下りするのであれば、デュナミス家の人々というのは相当な健脚けんきゃくになりそうである。


「ファル、どうした……ああ」


 じっと階段を見上げていたファラーシャに気付いたリノケロスは、何を考えているのかに思い至ったのだろう。遅くとも構いませんかとファラーシャが問うよりも前に、彼が口を開く。


「手伝うか?」

「え? ええ、手を貸していただけるのならば、助かりますが」


 手を引いて貰えるのかと思っている間に、リノケロスはカリサに何事かを告げている。カリサは一つうなずいて、ファラーシャのところへ寄って来る。

 失礼しますとだけ口にした彼女が、ファラーシャの手から杖を取った。え、と思っている間に自分の体がふわりと浮き上がる。


「きゃっ……」

「……落ちないように、つかまっておけ」


 ひょいとファラーシャを右腕だけで抱え上げたリノケロスは、平然としている。ファラーシャはそれほど軽いわけでもなければ小柄こがらでもない。それでもリノケロスにかかれば片腕で持ち上げられる程度らしい。

 掴まっておけと言われてもどこを掴めば良いのか分からずに迷った挙句、リノケロスの頭を抱えこむような形になる。

 行くぞとリノケロスが階段を上り始める。ふと見たカフシモは腹を押さえて肩を震わせていた。


  ※  ※  ※


 デュナミスの本宅の入口に辿たどり着いて、ようやく地面へと降り立った。すかさずカリサが杖を渡してきて、ファラーシャはそれを受け取り地面につく。


「ありがとうございました、旦那様」

「ああ」


 ファラーシャとしては落ち着かないのだが、リノケロスは平然としている。太っているわけではないが、バシレイアにとついでから食事量は増えているので、オルキデにいた頃よりも肉は付いた気がする。重くはなかったかと問うのもどうかという気がして、深呼吸をして自分を落ち着けた。

 多分彼にとっては荷物を運ぶのと何ら変わりのないことだったのだろう。きたえている人の腕力というのはすごいものなのだなと、そういうことにしておく。


「とりあえず、ようこそデュナミス家へ。入ってくれ、案内する」


 カフシモに案内されるまま、本宅の中へと足を踏み入れる。どこかでちゅうとネズミの鳴き声がしたような気がしたが、岩山にはネズミがいるものだろうか。

 かんかんと響くつちの音は懐かしいが、それ以上にこの光景に懐かしさを覚えたのはなぜだろうか。鉱山は確かに岩山で、そこへ行ったことはある。けれどこんな眩暈めまいがしそうなほどの既視感きしかんを覚えることはないはずなのに。

 客間と思しきところへ通されて、ようやく腰を落ち着ける。ただおとりになるだけの話であったというのに、どうにも大事になってしまっているような気もした。そもそもこうして顔を知られてしまって、リノケロスは事が終わって離縁となった時にどうするつもりだろうか。

 その道筋をどうするのか、ぼんやりと考える。完全に講和のためだったとしてしまえば、彼の経歴に瑕がつくこともないかもしれない。


「ファラーシャ嬢」

「はい」


 カフシモの声に、思考を断ち切った。彼は少し困った顔をしているように見えるが、それは顔の造作の問題だろうか。癖のある短髪に垂れ気味の目と太い眉、全体的に困り顔と言うか、柔和と言うべきか。

 どこか少し自分と似通ったところのある顔立ちに、ふと笑みを浮かべる。ファラーシャも目は垂れ気味であるし、眉も太目だ。髪だって鉄の色をした癖毛である。

 そこまで思って、先ほどのシハリアから届いた書状を思い返す。あれの一枚目はリノケロスもだが、カフシモにも関係している部分だ。


「少し、リノケロスを借りても?」

「お構いなく。カリサもおりますから、ご用事でしたらゆっくりお話しくださいませ」


 行くぞとカフシモがあごをしゃくってリノケロスをうながした。彼らの用事というものに首を突っ込もうとも思わないし、その内容を気にすることもない。

 部屋を出て行こうとするカフシモを呼び止めたのは、他の理由だ。


「あ、そうでした。カフシモ様、こちらを……」

「これは?」


 カリサに合図をして、シハリアからの書状を受け取る。二枚目については彼に渡すべきものではないので、一枚目だけにして折りたたんだ。

 どうぞと差し出せば、カフシモがそれをおそるおそるといった手付きで受け取る。

 彼はバルブール家のことなど知るはずもないし、どのようにして情報を集めているかも知らない。問われればファラーシャも答えるが、そもそもリノケロスが知っているのだから問うのならリノケロスでも良いだろう。特に口止めはしていないし、オルキデ国内では知っている人は知っている。


「中身を、ご確認くださいませ。存じ上げておりますと、私からはそれだけしか。特に口外する予定はございませんし、こちらにつきましては確認していただいてから処分してくださって構いませんわ」

「はあ……では、預かります」


 よく分からないという顔をして書状を受け取ったカフシモが、今度こそリノケロスと共に部屋を出ていく。

 窓の外には黒煙こくえんが上がり、空はくもっている。ベジュワ侯爵領も黒煙は上がっているが、そこはオルキデ女王国の砂漠地帯で、空がくもるということはない。むしろいつだって晴れていて、暑い日ばかりが続いている。

 音や生業なりわいとしていることは同じでも、そこは違うのだなと目を閉じる。かんかんと鳴り響くつちの音は心地良くて、ふと笑みを浮かべた。

 そうして、どれくらいの時間が経っただろう。リノケロスとカフシモはまだ戻らず、時折カリサと他愛もない話をする。そんな中で部屋の扉が開いた。叩かれることもなく開いた扉の向こう、リノケロスでもカフシモでもないやせぎすの男が立っている。

 その髪の色はあざやかなたんぽぽ色で、彼がゼステノ・デュナミスであるとファラーシャは即座に判断した。

 彼はデュナミス家の人間で、当主であるピルの息子でもある。訪れているのはこちらであるし挨拶あいさつをしなければとカリサを見たところで、カリサが少しばかりけんのある表情になる。

 何を言うでもなく、ゼステノはつかつかとファラーシャに近付いてきた。彼の実弟であるリオーノは戦争でしているのだし、文句でも言われるのかと警戒する。


「初めまして、美しい奥方様」

「は、い?」


 ゼステノの口から飛び出した言葉が、うまく脳内に伝わらない。

 するりと手を取られて、振り払うのも失礼かと一先ひとまずはその動向を見守る方向には決めた。いざとなればカリサが止めには入るだろうが、ここでゼステノとめるのもけたい。


「あの唐変木とうへんぼくはこんなにも美しい奥方を置いてどこへ? もしやうちの馬鹿とよろしくやっているとか?」

「旦那様はカフシモ様とお話があるということで、席を外されておりますわ。それが何か?」

「でしたらしばらくは戻らないことでしょう。どうです、その間俺がお相手を務めさせていただいても?」


 できれば手を離してもらいたいものだが、ゼステノにその気はないらしい。頭の中が急速に冷えていくような感覚をいだきながらも、表面上だけは困ったような笑顔を取りつくろう。

 多分ファラーシャの目は冷めきっているだろうし、その自覚もある。けれど気づかれないように、それは奥底へと押し込めた。

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