12 書状を届けに

 眠ればいつも見る夢がある。最初はふわふわとしてとても幸せなのに、だんだんと黒く染まって最後には泣き叫ぶ夢。

 こんなのはみにくいと声がする。

 こんなにもきたなくなってしまったと声がする。

 そうして返してと泣き叫び、けれどそれは手に入らずに終わる。夢の終わりはいつもこの言葉で終わっているのだ――希望なんて抱かなければ良かったのに、と。

 待って、と手を伸ばす。けれどその手には何も掴めない。

 そうして伸ばした手は空を切り。


「……い、おい! 起きろ馬鹿!」


 聞き慣れた声に揺さぶられて、ゆるりと意識が浮上する。手の中のあたたかいものを手放してはいけないような気がして、ぎゅうとそれに抱きついた。

 深々とした溜息ためいきのあと、すうと息を吸い込む音がする。


「毎日毎日、誰彼構わず抱き着くなと言っているだろう、馬鹿ラーラ! 寝惚ねぼけるな起きろ!」

「ふぇっ!」


 大きな声に、ようやく意識が覚醒する。はたと気付いたその腕の中に、鉄の色をした髪。起きたのならば放せとぐいと押しやられて、ぼすりとラアナの体は布団の上に落ちていく。

 仰向けにひっくり返ったままに見たのは、呆れ果てたシハリアの顔だ。バルブール家にいると毎朝この顔を見ている気がする。

 かんかんと窓の外からつちの音が聞こえてきた。黒煙が上がっているのも見える。


「お、おはよう、ごじゃます……」

「起きたな、まったく寝起きの悪い。お前に何かあったら顔向けができないんだ、いい加減にしろ」


 さっさと起き上がれと両手を腰に当てて立っているシハリアを見た。いつまでも転がっているわけにはいかず、ラアナはのそりと布団の上で起き上がる。シハリアが何か言うということがないのは分かっているが、顔の右半分を隠すように前髪を手の平で上から押さえ付けた。

 ベジュワ侯爵領にあるバルブール家の屋敷、ここにラアナの部屋がある。別に血縁者だとかそういうわけではなく、所謂いわゆる『持つものの施し』の一環だ。オルキデにおいて身寄りのない子供は神殿かあるいは領主が面倒を見るのが常である。

 ラアナはファラーシャに拾われ、そしてバルブール家に庇護ひごされる立場になった。それは結局のところにこだわるシハリアの実母の自己顕示欲じこけんじよくを利用したものではあるけれど。

 まだ成人をしていないラアナは鴉の雛鳥とは言え、バルブール家に未だ世話になっている立場である。貴族の屋敷で預かられている孤児こじは使用人や教師から何かしら仕事になる者を学ぶものであるので、ラアナはそれが鴉であったというだけだ。


「それいつも言いますけど、ファラーシャ様じゃない、んですよね?」

異母姉ねえ様もそうだけど、それだけじゃない。僕には色々あるんだ」


 ふんとシハリアが鼻を鳴らす。ラアナの二つ年下のシハリアは、年が近いこともあって遊び相手を務めていたこともある。けれどいつからか、シハリアはラアナの兄かと思うような言動をするようになった。

 そういう時のシハリアは、どこか懐かしむような、けれど苦しいような、そんな変な顔をする。それはなんだかラアナがいつも見る夢に似ているような気がした。


「お前、今日の仕事は」

「情報操作、くらいです。その……閣下と大鴉カビル・グラーブの件、を」

「ああ、


 バシレイアとの講和の場で何が起きたのか、アヴレークからの書状とエヴェンが飛ばしてきた報告でいち早くリヴネリーアのところに情報は届いている。

 けれど、それを明るみに出すわけにはいかなかった。戦争推進派の貴族たちもそうだが、彼らのあおりによって民衆の意識が戦争に傾くのは防がなければならない。報復だなんだとやっていては、戦争は泥沼化してしまう。

 いずれ報復はするにせよ、それは今ではない。そして必ずそこには糸を引いている者がいたはずで、それを探し出すまでの時間も必要だ。ある意味で時間稼ぎとも言えるのかもしれないが、リヴネリーアは迅速じんそくに情報統制をせよとシアルゥに命令を出した。


「そう、です」

「僕も手伝おう。バシレイア方面から入って来る死亡の噂話は遮断しゃだんしなければならないし、あちらから来るキャラバンに金を握らせて行方不明の噂をばらかせる方が早い」


 噂も何もアヴレークの死亡は事実ではある。大鴉の居場所は分かってはいるものの、それについてはリヴネリーアが難しい顔をしていた。

 結果としてオルキデでは現在、「宰相と大鴉は講和の儀から帰る途上で行方不明になった」「戦争は終わっている」という情報が流れている。事実ではないが、完全な嘘でもない。講和ではなくとも、停戦はしている。

 本来それは鴉たちの仕事であるが、シハリアが手伝うと言うのならばリヴネリーアも拒否しないだろう。シハリアだけが事実を知っている分には問題はなく、彼がその真実を誰かに公表することはないという信用もある。


「その代わり、一つ頼まれてくれ。陛下には僕が手を貸すことも含めて連絡を入れる。当然、許可が出てからではあるんだけど」

「何です?」


 ラアナの最優先はリヴネリーアの命令である。それは鴉という立場にあるのだから当然だ。

 リヴネリーアが許可を出すのであれば、ラアナに否はない。そもそもシハリアには散々世話になっている身分なのだから、拒否のしようもない。


「リノケロス・エクスロスについて調べた。異母姉ねえ様に届けて欲しい」

「ファラーシャ様にですか? イフィルニか、いなければシハリア様のシャヴィットでも届けられるのでは?」


 窓の外には鳥たちがいる。その中で一際ひときわ目立つつややかなこげ茶の羽毛を誇るように止まり木にいるのが、シハリアの使うシャヴィットだ。

 当然ファラーシャを探すことなどわけのないシャヴィットを使えば、ラアナを使わずとも書状は届く。


「ばぁか」

「何ですか、何するんですか」


 びしりとひたいを弾かれて、ラアナはその場所を手で押さえる。うまいことシハリアの爪が当たったのか、少しばかりひたいがじんじんと痛んだ。


異母姉ねえ様に久しぶりに会わせてやると言っているんだ。せいぜい甘えておけ」

「え? あ、は、はい。ありがとう、ございます?」

「何で疑問形だよ」


 さっさと準備しろよとシハリアが苦笑して、彼は部屋から出て行った。

 穏やかな朝である。あんな苦しくて悲しい夢など嘘だったかのような空模様に、頭の中がおかしくなる。

 ラアナはしばし目を伏せて、じくりと痛んだ火傷やけどあとには気付かないふりをした。そっと床に爪先をおとして、立ち上がる。


「……サフラサカー、どうか今日も一日平穏でありますように」


 神への祈りの言葉を口にする。

 ラアナはどうしても、他の神に祈る気にはなれなかった。ことにラハブレワハの名前など、絶対に口にしたくもない。


  ※  ※  ※


 顔を焼いた炎の熱を今でも覚えている。今でも痛みを失わないそれは、傲慢ごうまんなる神からもたらされているものなのか。うっそりと笑う神官長の顔まで一緒くたに思い出されて、石を投げる人の顔も思い出されて、ただ恐怖しか湧き上がらない。

 殴らないで、ごめんなさい、隠さなければ。

 そうして混乱して泣くしかできなくなったラアナの背中を、誰かがなだめるように叩いている。ようやく落ち着いてきて今度はあまりの情けなさに申し訳なさだけが生まれてくる。


「ご、ごめんなさ……」

「ラアナ? 貴女、どうしてこんなところに?」


 謝罪を口にしようとしたところで、聞き覚えのある声が耳に届いた。はっと気づいて顔を上げれば、滲んだ視界に見覚えのある鉄色のふわふわとした髪がおどっている。

 ファラーシャにシハリアからの書状を渡さなければならない。そのためにラアナはバシレイアに、デュナミス領にやって来たのだから。


「あ、あの、その、私……」

「カフシモ様、ラアナに何をなさったのです?」


 少しばかりけんを含んだファラーシャの声の矛先は、ラアナではない。


「違う、俺じゃない! 誤解だ!」

「ですがラアナは泣いておりますし……事態が掴めておりませんので、ご説明をいただいても? その子はバルブール家が預かっている子なんですの、何かあったとなれば困りますわ」


 ラアナの後ろから慌てたように声を上がる。少しばかり困っているような響きも含んでいて、どうにも申し訳ないことをしてしまっている。

 確かにファラーシャの疑いは誤解なのだ。といってもこの場にラアナに声をかけて来た三人の男はおらず、当然彼女に事態が掴めるはずもない。どうしたものかと呼吸を落ち着けていると、ファラーシャの苦笑が聞こえて来た。


「まずはラアナ、使っても構いませんからこちらへおいでなさい。貴女は泣き始めてしまうと会話もままならないですから」

「は、い……かしこまり、ました、ファラーシャ様」


 ずるりと一度影へと沈み、ファラーシャの隣へと出る。

 ようやく誰がいるのか認識ができたが、ファラーシャの隣にいる赤い髪の男性も、それからラアナを助けてくれたと思しきすす色の髪の男性も、どちらも見覚えがあった。馬車があるところからしてファラーシャたちは馬車で来たのだろうが、泣いていたせいで音に気付けていなかったらしい。

 男性はどちらも、戦争の際に補給庫にいた二人である。もっともあの時は、もう一人明るい黄色の髪をした人もいたけれど。


「それで?」

「ファラーシャ様、その、シハリア様が、こちらを、ファラーシャ様に、と」

「シィが?」


 とりあえず用件だけはとラアナは懐から書状を取り出して、ファラーシャへと差し出す。彼女はそれを手に取って、後で確認するわとカリサに手渡していた。

 カフシモと呼ばれたすす色の髪をした人は、困ったように眉を下げている。それを見て弁明をしなければと、ラアナは慌てて口を開いた。


「知らない方に、声をかけられて、それで……その、そちらの方、は、助けて、くださったの、です」


 どもりつつ、途切れつつ、なんとか事実をファラーシャに告げる。

 カフシモが何かをしたわけではなく、寧ろ彼には礼を言わなければならない。ラアナのせいでファラーシャに疑われることになってしまったのだから、尚更なおさらだ。


「あの、あの、本当に、申し訳、ございません」

「いや別に良いんだが……」


 深々と頭を下げれば、またも困ったような声が聞こえた。誰かが笑いをこらえるような音も聞こえた気がしたが、それが誰のものなのかは分からない。

 ともかく用件はこれで終わりだが、本当にきちんとお礼をしなければならないだろう。


「後日、御礼に参ります、ので……その、ご迷惑で、なければ……」

「え? あ、ああ」


 何とも変な状況になってしまったので、ラアナはもうここにはいない方が良いだろう。そう判断してファラーシャと、その隣にいる男に頭を下げる。カフシモにも向き直って再び頭を下げ、後日書状を送りますと告げた。

 ファラーシャの許可もあることだしと、影へと沈む。しかしこの態度はファラーシャにもシハリアにも怒られそうだと、ラアナは内心で自分に呆れ果ててしまった。

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