14 好きなんだろ

 目を疑うというのは、まさにこういう時に使うのだろう。カフシモは眼前で繰り広げられた光景を、信じられない思いで見つめた。

 リノケロスが、ファラーシャを片腕で軽々と抱きかかえて階段をのぼっていく。ぐふっ、と変な声がれそうになって咄嗟とっさに口を腕でおおった。

 リノケロスとて貴族である以上、異性に対する最低限の礼儀としてエスコートの仕方、すべき場所は教えられている。例えば馬車を降りるときに手を差し出したり、足場の悪い場所では手を引いたり、そうした姿は何度も目撃してきた。だからカフシモが目を疑い、ついで笑いをこらえきれなかったのは、女性をエスコートしたということが理由ではない。


(随分気に入ってんだな。)


 ファラーシャは確かに足が悪いが、杖をついているし侍女もいる。ゆっくりであれば、デュナミス家の階段を自力でのぼれたであろう。普段のリノケロスであれば黙って足並みをそろえる程度の気遣いで済ませただろうが、彼はこともあろうにファラーシャを抱き上げた。

 積極的に人に触れようとしない彼の性格を考えると、まさに晴天の霹靂へきれきだ。とはいえ、講和のための政略結婚である彼らが親しいことはなんの問題もない。むしろ、歓迎すべきことである。

 階段をのぼっていく間にどうにかこうにか笑いの発作を沈めて客間に案内し、ファラーシャに一言断ってからリノケロスを連れ出す。本当はファラーシャに直接相談をしたかったのだが、デュナミスの領内にいる間は誰がどこで聞いているかもわからない。迂闊うかつなことは口に出せないのだ。


「おい。なんだ」


 半ば引きずるようにしてリノケロスを連れ出す。廊下で堂々と立ち話をするわけにもいかないのでカフシモの部屋へ案内しているのだが、生憎と応接室とは階が違うので少し離れているのだ。

 何も言わないまま連れ出されることに、リノケロスの声が若干のけんを帯び始めた。


「……離れるのが心配か?」

「何がだ」


 ついつい笑いがまた込み上げてきそうで、カフシモは腹に力を入れることでなんとか耐えた。普段リノケロスがデュナミスに来ることは珍しい。滅多にない機会には大抵カフシモが生活している別宅に招くので、このデュナミス家でのカフシモの部屋にリノケロスが入るのは長い付き合いで初めてかも知れなかった。

 一つ階をのぼったところにある部屋に招き入れると、リノケロスは物珍しそうに室内を見回しながら足を踏み入れる。


「殺風景だな」

「まあ、ほとんどここにはいないしな」


 ペンとインクつぼしか乗っていない机に、空きの目立つ本棚。生活感がないにも程がある部屋はかろうじて掃除はされている。

 リノケロスがソファの上を軽くでてほこりがないか確かめている姿に、カフシモは白い目を向けた。


「ありがたいことに使用人が優秀でね」

「そうらしいな」


 嫌味も通じない。腹立たしいことである。


「それで? 用事はなんだ」


 一刻も早く戻りたい様子のリノケロスに、少し溜飲りゅういんが下がった。足を組んでソファにふんぞりかえる姿はいつもと変わらず尊大だが、片方しか無くなった手がトントンと膝の上を軽く叩いている。気持ちが急いている時の癖の一つだ。

 すっかりれ込んでいる様子に、カフシモはふと不思議に思った。彼は一体、ファラーシャのどこを気に入ったのだろうか、と。

 カフシモから見ても、確かに彼女は魅力的な女性だと思う。カフシモの好みとは離れているのでどうこうしたいなどとは思わないが、たおやかな仕草はまさしく令嬢そのものであるし、顔立ちも整っている。ただ華やかな美人というわけではなく、おっとりとした顔立ちはどこか既視感きしかんのような安心感を抱かせた。

 だがそれだけの要素であれば、言い方を悪くすればバシレイア国内にも何人かはいるだろう。実際今までリノケロスにもいくつか縁談が来ていたはずで、更には関係のあった女もいたはずだ。その中には見目麗しい女性もさぞ多かっただろうに、リノケロスはどうして彼女らではなくファラーシャを好んだのか。

 気にはなったが、今はそれを尋ねたくてわざわざファラーシャと離したのではない。


「お前、これ知ってるか?」


 ポケットからいつぞや拾った小さな宝石の破片を取り出す。リノケロスの眼前に差し出すと、彼は怪訝けげんそうな顔をして宝石とカフシモの顔を見比べた。


「お前が知らないなら俺が知るわけもないだろ。こういうものはお前の方が知っている」

「たまにデレるのよくないんだよなあ……」

「は?」


 真顔でそういうことを言うから、どんなに普段が傍若無人ぼうじゃくぶじんでも許されてしまうのだろう。

 つい、ほだされるのだ。


「ファラーシャ嬢にも聞いてくれないか。ここじゃない別の場所で」


 カフシモの念押しの言葉でよくない何かを察したらしいリノケロスの顔が強張る。

 今はまだこれが何に繋がっているのかもわからない。あらぬ相手に繋がっていた場合どうするべきなのかも考えていない。だが、デュナミス領はカフシモの領地でもある。余計な災いの種は摘んでおきたかった。


「わかった。ファルはあれで色々とを持っている。なんらかの答えは出せるだろう」

「へえ? そうなんだ?」


 たおやかなご令嬢然としていたが、どうやらそれだけではないらしい。そういえば先ほど何か紙をもらっていたなと思い出した。

 ポケットに押し込んだ紙を引っ張り出して、リノケロスの前にちらつかせる。


「さっきこれを貰ったが、その一環か?」

「かもな」


 ふぅんと鼻を鳴らしながら紙を開く。何かを調べるのは理論武装するためにも大変有効な手段だが、カフシモはあまりそういったことが得意ではない。重要性はわかっているのだけれど。

 彼女は何を調べて差し出してきたのだろう、と少しわくわくしながら中身を読み始め、最後まで読み終わる前にぐしゃりと握りつぶした。


「どうした」


 血の気が引くような、しかし全身に血が回るような感覚がする。どんな顔色をしていいかわからず、頭の奥の方がガンガンと痛み出した。

 目をまたたかせているリノケロスに紙を突き出すと、怪訝けげんそうに紙を受け取ったリノケロスが中身を見て、そして笑った。


「ははっ、さすがファルだな」

「馬鹿かっ?」


 嬉しそうに笑っているリノケロスの気がしれない。思わず悲鳴のような声で罵倒ばとうしてしまったが、珍しくリノケロスがご機嫌なおかげで報復は受けずに済んだ。

 紙に書いてあったのは極めてプライベートな内容だったが、大いにカフシモにも関係していることであった。言い訳をしておくとするのなら、リノケロスとカフシモは気の合う友人同士であり、それ以上でも以下でもない。ただリノケロスにそういう相手が少ないが故に特別な相手として周知されやすいが、二人の間に横たわっているのはあくまでもただの友情である。

 紙に書かれた内容からして、ファラーシャはその辺りを誤解しているのではないかとカフシモは懸念けねんしていた。全てそっくりそのまま事実であるからこそ、誤解されるのはとても困る。リノケロスがファラーシャを気に入っているからこそ、妙な痴情ちじょうのもつれの一端を担うことになってはたまらない。


「お前の本命は彼女だろうが! こんなもん見せて誤解してたらどうするんだよ!」

「……本命?」

「は?」


 やたらと余裕綽々よゆうしゃくしゃくな様子のリノケロスに我慢できず怒鳴ると、彼は予想外にぽかんとした顔をした。本命という言葉の意味がわかっていない顔である。

 そのあまりに間の抜けた顔にカフシモも思わず毒気を抜かれて固まった。ふと、嫌な予感が背筋を撫でていく。もしや彼は、自身がファラーシャに抱いている感情をわかっていなかったのではないか。


(マジか。無自覚であんなことやるのか。馬鹿じゃねえの。)


 口に出した瞬間殺されそうなことを考えていると、何かを察したのかリノケロスが鋭くにらんできた。

 そういう察しの良さはあるのだから、もっと別の方向に向けて欲しいと切実に思う。


「今までの女の誰にも、抱き上げたりとかあんなんしなかっただろ」

「まあ、そうだな」

「ファラーシャ嬢以外にやれるか? ああいうの」

「無理だな」


 即答が返ってきて、カフシモは頭痛がひどくなるのを感じた。


「じゃあそういうことだろ、常識的に考えて」


 エクスロス一族に常識を説いている今の状況が非常におかしく感じられて、カフシモはまた笑いが込み上げてくる。

 笑いの沸点が特殊だと常々リノケロスに言われているのだが、自分ではあまりわからない。


「そういうこと……」

「好きなんだろ、ってことだ」


 幼児向けの情操教育でもしている気分だ。

 リノケロスに渡った書状を指差して、カフシモはきっぱりと告げる。


「マジでそこの誤解だけは解けよ。早々にな。そうじゃないと受け入れてもらえないぞ」

「わかった」


 何をどこまで理解したかは不安だが、重々しくうなずいたリノケロスに免じて、これ以上の追求はやめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る