10 「灰」の異母兄弟

 もうもうと立ち上るけむりで空はいつも薄くくもり、カンカンと鉄を打つつちの音が響き渡る。それが、バシレイア王国のデュナミス領の常だ。

 岩山に囲まれるような形で作られた街は音はとてもよく反響し、慣れない人間は耳鳴りのような音が続いて気分を悪くすることもある。生まれた時からこの街で育っているカフシモなどは反対に他の街へ行くと静かすぎて落ち着かないのだけれども。

 デュナミス領には大きな街が二つある。アンティカトとプトリスモスと名付けられた街は、はそれぞれが一つの岩山のようになっている。互いにつり橋でつながっているおり、遠くから見れば街の屋根がゴツゴツとした岩山に同化して見えるせいでそこに街があるとはにわかに信じがたい。それ故に『蜃気楼アンティカトプトリスモス』と名付けられたのだ。

 言い伝えによると、かつてはこの地はドラゴンの繁殖地はんしょくちであったとか。岩山に所々できたくぼみは彼らの巣の名残なごりであり、ドラゴンたちは我が子を守るために魔法をかけてこの場所がただの岩山であると見せかけていたとも伝えられている。街が今もなお遠目に見えにくいのは、街の建物や色だけではなく魔法が残っているからだと街の年寄りたちはまことしやかにささやくものだ。

 デュナミス領で多く産出する鉄や銅などの鉱石はドラゴンが残した遺物であり、彼らのふんうろこや骨が変質したものだ、というのがデュナミスに古くから伝わる伝承だった。

 そんなことをふと、思い出した。何とも信じがたい話である。


「ほんとかどうか知らないけどな」


 ついそれを口にして、カフシモは苦笑いしながら赤く焼けた鉄を冷却水にひたす。視界の端には木箱の中に山盛りになった鉱石があり、確かにそれらは黒っぽくてごつごつと不規則な形をしている。これが古代の生物のふんだと言った人々の気持ちは分からなくもないのだ。

 だが、そうだと思うと途端に触れるのが躊躇ためらわれる。なるべく考えないようにしていると、じゅうと水が一瞬で煮え立つ音と共に水蒸気で視界がくもった。心の中で数を数えて引き上げると、鉄は思った通りの形を成して引き上げられる。


「よし、こんなもんだろ」


 カフシモが現在手掛けているのは、戦争で消耗しょうもうした武器や防具の補修ほしゅう、及び補充ほじゅう作業だ。

 デュナミス領の収入源の八割を占めるのがこれらの鍛冶かじ仕事であり、戦争があると発注が増えて領地がうるおうのはなんとも皮肉なことだ。カフシモはデュナミス家の人間でいわゆる貴族の身分にあるが、それでもこうして汗みずくになり作業をする。それは代々受け継がれてきたことであり、デュナミス家の人間は領地の誰よりも技術が高くあるべきだというのが家の方針だった。

 もっとも、方針通りだったことなどそうそうないのだけれど。当たり前のことだが、頻繁に鍛冶に手を出せるわけでもない貴族よりも、職業として毎日つちを振るっている平民の技術者の方が腕はいい。


「カフシモ様、おられますか?」


 ふう、と一つ息を吐き出して続きの作業に取り掛かろうとしたカフシモの耳に小さな音が届いた。カフシモが使っているこの部屋は扉が分厚く、窓も最低限の採光のための小さなものしかついていない。つちを振るっている時であればおそらくその声には気づかなかっただろう。

 いや、もしかしたらこれが何度目かの呼びかけだったのかもしれない。


「どうした?」


 悪いことをしたかと思いながら、返事をしつつ扉を開ける。

 長い時間こもり続けていたおかげで部屋の中の温度は気づかないうちにかなり上がっていた。扉から流れ込む外気が思ったよりひんやりと感じる。


「ゼステノ様がお呼びです」


 扉の外に立っていた使用人は、手短に用件を伝えるとさっさと去っていった。面倒ごとの気配がして、カフシモは溜息ためいきく。

 同年の異母兄弟であるゼステノとは全くと言っていいほど気が合わない。お互いに向いていることも得意なことも真逆であり、ともに何かをするという経験にとぼしいことも理由だろう。病床の父ピルに代わって執務を行っているのはゼステノだが、それは任されているのではなく自分が勝手に全て引き受けて抱え込み、他へらさないようにしているにすぎない。どうしてもカフシモが携わらなければならない案件についてはこうして人をやってカフシモを呼び寄せるのだが、それがお互いの上下を表しているような気がしてカフシモは嫌いだった。

 端的たんてきに言うならば、腹が立つ。


「チッ……」


 馬術も下手、用兵もできない、そして鍛冶かじもさほど上手くない。そんな相手に使われていると思うのは良い気がしない。

 だからといってゼステノを殺せば全て丸く収まるのかというとまたそれも違う。彼を支持する一派もやはりいて、彼らが暴動を起こしかねない。デュナミスを真っ二つにしてまで争いたいかと言われればカフシモはそこまでの欲はなかった。ないからこそ、溜息ためいきと舌打ちと悪態だけで済ませている。

 いっそのことピルがはっきり決めてくれれば話は早いのだが、彼はとにかく妻たちに弱い。気の強い妻を二人も別の領地からめとったのがよくなかったのか、どちらに対しても押され気味でゼステノとカフシモのどちらを選ぼうにも選べない状況がここ数年続いていた。


「……病気の一因、心労じゃね?」


 カフシモは常々、そう思っている。


  ※  ※  ※


「よお。用事だって?」


 カフシモにはわざわざ扉を叩いてやるような優しさはないので、ゼステノの執務室を足でり開ける。重い音と共に開いた扉の向こうは昼間だというのにランプをつけないといけないぐらいには薄暗く、血色けっしょくの悪いたんぽぽ色の頭の男が机に向かって一心不乱に書き物をしている。丸みを帯びた背中は細く、筋肉どころか必要な肉がついているかも妖しい。

 体の厚みがカフシモの三分の二ぐらいしかないようなこの男が、ゼステノ・デュナミスだった。


「……礼儀を知らないのか野蛮人」

「来てやっただけありがたく思えクソモヤシ」


 わざと低められた声は早口で、相変わらず聞き取りにくい。椅子をすすめられるようなことはないと知っているので、備え付けてある応接用のソファに勝手に座る。

 ゼステノは物言いたげな様子を見せたが何も言わず、代わりに一枚の紙をつかんで放り投げてきた。


「それが用事だ」

「落ちたぞ。拾えよ」

「は? お前が拾えば?」


 ひらりと舞う紙がまっすぐ飛ぶわけもなく、ゆらりと空中をただよってカフシモよりずいぶん手前に落ちた。それをただ視線で追っていたカフシモは、あごをしゃくって用事がある方が拾うべきだと示す。

 だがゼステノは机の上の紙を示して忙しいことを示してきた。硬直した室内の空気は、しばらくの間そのままになる。


「……チッ」


 カフシモが動かないでいると、ややあってゼステノが舌打ちをした。そういう時の仕草ばかり似ている気がするのは大変剛腹ごうはらである。


「リノケロス・エクスロスがやってくるんだそうだ。お前、適当に相手しておけよ」

「は? リノケロスが?」


 お互いに拾う気がないと悟ったゼステノが、口頭で用件を伝えてきた。最初からそうすればいいのにと思うが、余計な口を挟むと口論が長引くので何も言わないことにする。

 だが、内容が不思議だ。

 リノケロスは確かにカフシモとは親しいが、ゼステノが親書を受け取っているということはエクスロス家からの正式な知らせだ。つまり、個人的に会いに来るなどといった内容ではない。


だと。あの唐変木とうへんぼくもただの男か」

「へえ……」


 鼻で笑ったゼステノより何より、という響きがリノケロスに似合わなさ過ぎてカフシモは笑いをみ殺すのに必死だった。講和のためにオルキデ女王国から妻をもらう話は知っていた。実際に会ったこともある。足が悪いと聞いていたがそれを感じさせないほど自然なふるまいを身に着けている、背の高い穏やかそうな女性だった。

 政略結婚にしては割と気に入っているような言動をリノケロスがしていたので、ああいう女性が好みなのかと、何となく納得したことをよく覚えている。


(いや、だからってなんでここに?)


 それはそれとして、デュナミスを訪れる理由はよくわからない。

 エクスロスも同じだが、岩場の多いデュナミス領は足の悪い彼女にとってはあまり過ごしやすい場所とは言えないはずだ。


「まあいいや。わかった」


 要件はそれだけとみたカフシモは立ち上がる。笑いの発作は何とか腹の奥に飲み下した。

 ゼステノに使われるのは腹立たしいが、彼に全て任せてリノケロスの逆鱗げきりんを踏み荒らされるよりよほどいい。気が長そうに見えて、リノケロスは案外短気だ。いや正しくは、沸点が分かりにくいのだ。突如として切れたように見えるために、どこまで踏み込んでいいのかが分かりにくい。

 ゼステノなどあっという間に首をねられるに違いない。そうなればカフシモとしては願ったりかなったりだが。


(……ん?)


 落ちた手紙をせっかく立ち上がったのだから拾ってやろうとゼステノの机の前でかがんだ時、ふとカフシモの鼻を甘い香りがくすぐった。

 ゼステノがつけるにしては、甘すぎる。この香りは女性用の香水だろうか。


「おい。ぼーっと突っ立ってないでどけよ。そこに立たれると邪魔なんだよ」

「は? 何の邪魔になってんだ言ってみろよ」


 どこかでいだことのある匂いを考えていると、固まっているカフシモにゼステノが罵声ばせいを浴びせてきた。捕まえかけていた思考の糸を切られた腹いせに、机をがつんと蹴ってやる。

 そのままさっさと出ていくと、大した強さで蹴っていないはずだが、ゼステノの悲鳴と紙が落ちる音が追いかけてきた。


「馬鹿じゃねーの」


 ぎゃんぎゃんと吠える声を遮断しゃだんするように、カフシモは鼻で笑って、ばたんと音を立てて扉を閉めた。

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