9 人の厚意は受け取るものだ

 自分は一体何を言ったのだろうと、工房に駆け込んで閉ざした扉にもたれかかった。ずるりと落ちそうになる体を支えて、手の甲を自分の口に当てる。

 言うべきものではなかったし、そもそも伝えようなどと微塵みじんも思ってはいなかったのだ。身の程をわきまえろという声がする。お前は所詮しょせんではないか、と。


「う……うう……」


 気持ち悪くて、吐きそうだ。

 これはカナンが一生秘めておくべきものだった。相手はこの領地の領主である、対してカナンはどこから流れ着いたかも言えない異国の平民でしかない。

 エンケパロスは忘れてくれるだろうか。それとも二度とこの薬屋には来ないだろうか。いっそ来ないでいてくれる方がカナンにとっても良いのかもしれない。身の程をわきまえることのできない平民がいる場所など、嫌ってくれた方が良いのだから。


「……おとうさん」


 こんな自分を見たら、養父ちちは何と言うだろう。馬鹿だなあと笑って、頭をでてくれるだろうか。あの人はカナンにどこまでも優しくて、けれどそれは母のことがあるからで、それがどうしようもなく苦しかったのも事実だ。


「親を取られて鳴く雛鳥の、憐れ哀しき叫び声」


 エンケパロスは帰っただろうか。客として来た人を見送らないなど店主として失格だろうが、今は顔を合わせられそうにもない。

 三年前に流れ着いたカナンを気にかけてくれたのは、カナンが怪しかったからだろう。だとしても定期的に見に来る必要もないだろうが、わざわざこの国境に最も近い街までやって来る。

 そのやさしさに甘える自分が、何より嫌だ。


「よみするちどり、唄う声。叫びの声は、うとふやすかた」


 手の上には、守り刀。

 養父ちちの打ったそれはエンケパロスに渡す前と何も変わっていない。これが手元にあることに安堵あんどするのか、それともない方が良いのか、自分の中では答えが出なかった。


「うとふ、善知鳥うとう


 すらりと守り刀を引き抜いた。一度も血を吸ったことのないやいばは、白く光り輝いている。

 美しい刀を打つ人であると、誰かが養父ちちを評していた。カナンにはよく分からないが、吸い込まれそうな光があることは間違いない。


「これ、いかなる罪のなれる果てぞや――」


 そのやいばを己に向けた。先端を喉元のどもとに押し当てて、けれどそれ以上やいばが進むことはない。

 ここで血をき散らしてどうなるというのだ。毒鳥が、と声がする。

 からんと音を立てて守り刀が床に転がった。ああいけないと拾い上げて、じっとそのやいばながめてからさやにおさめる。


「馬鹿じゃないの、私」


 守り刀を戸棚に置いた。そこが、いつもの定位置だ。ひしゃげた髪飾りと小鳥の置き物の隣、手に取ろうと思うのならば少し手を伸ばさなければならない場所。

 ふと脳裏を過ぎった光景は、思い出さなかったふりをする。


「私なんか、どうせ」


 また吐きそうになって、口を押さえる。

 こんな自分を誰かに見せられはしないのだ。殺したいほどに憎いものがあって、それを見失って。結局何を殺したいのか、何を赦せないのか。

 その答えを知っているのに、知らないふりをする。

 ようやく落ち着いて店の方に戻れば、すでにエンケパロスはそこにはいなかった。泣きそうな、吐きそうな、そんな感覚が襲い掛かって来る。

 ぐ、と奥歯をみ締めて、何もかもすべてを呑み込んだ。


  ※  ※  ※


 採取に行こうとカナンが思い立ったのは、するりと言葉が落ちてしまった数日後のことであった。薬を作っていれば何も考えなくてすむ、そんな逃避のような思考のせいだ。

 髪を結い上げて動きやすい服を着て、かごを抱えて外に出る。クレプト領は砂漠と荒地が多い土地だが、北へ行くとオルキデとはまた別の国との国境線がある。その付近には黒々とした森が広がり、カナンにとっては材料の宝庫でもあった。

 しばらく店を閉じるむねを扉に貼って、扉を閉ざす。かちゃりと鍵を閉めたところで、隣に影がさした。


「ああ、出かけるところだったか? 先日の礼も兼ねて薬を購入しようかと思ったのだが」


 そちらを見れば、亜麻あま色の髪が乾いた風に揺れていた。すらりと背の高い影は今日も軽装で、その顔には穏やかそうな笑みが浮かんでいる。

 アスワドはざっと扉に貼られた紙を見て、それからカナンを見る。どこか透明な弁柄べんがら色の瞳は、エンケパロスの黄金と似ているようで異なる色だ。


「あ……す、すみません。その、採取に出ますので」

「そうか。見て貰いたいものもあったのだが」


 どうしたものかとアスワドはあごに手を当てている。では入ってくださいとしても良いのだが、あまり遅くなると目的地に到着する前に日が暮れてしまうのでそれは避けたい。

 カナンが困って眉を下げていると、それに気付いたアスワドが「そうだ」と声を上げた。


「……採取はどこへ?」

「クレプトの北、ロベリアとの境にある黒い森ヒューレー・デ・メランへ、行こうと」

「徒歩でか?」


 ここから北の国境線はそれほど遠くはないが、かといって近いということもない。馬車か馬かであれば半日もかからないが、徒歩で行くのならばそれなりに時間はかかる。

 けれどもカナンは馬には乗れず、馬車を頼むような身分でもない。


「はい、いつも歩いておりますので」


 そうか、とアスワドはまた何かを考えるような素振りを見せる。彼を目の前にしてどうしたものかとカナンも考えていると、ようようアスワドが口を開いた。


「折角だ、手伝おう。馬の方が早い」

「え、いえ……ですが」

「ああ、特に下心とかはないから気にしないでくれ。君に危害を加えるつもりはないよ」


 カナンが言葉をにごしたのをどう受け取ったのか分からないが、アスワドが苦笑してそんなことを言う。わずかに首を傾げて彼を見てみるが、そういった色はその目にはない。

 そもそもカナンに危害を加えるつもりなら、先日すでにしているだろう。そもそも彼は何らかの手掛かりを探していて、そしてそれに至る答えを持っていそうなカナンに危害を加えてもそこに利はない。


「そこはあまり、心配しておりませんが……ただその、申し訳ないので」

「人の厚意こういは受け取っておいた方がいい。謙遜けんそんも過ぎれば相手を不快にしかねないからな」


 そういうものだろうか。少なくともカナンはそうは思えないのだ。

 人から何かを受け取ることは難しい。ついその相手が何を考えているのかを疑い、そして自分はそこまでしてもらう価値もないと考えてしまって、差し出されたものを喜んで受け取れない。


「渡りに船と素直に受け取った方が、楽だぞ」

「そういうもの、でしょうか」

「僕のこれも受け売りだがね。幼馴染おさななじみが言っていた」


 これはありがたいと笑顔で受け取れる方が、人としては好かれるのだろうか。けれどもう二十年以上を生きたカナンにとって、今更その考え方を変えるなど土台無理な話でもある。

 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、既に形成されてしまった考えというのはなかなか変わらない。良くも悪くもそれまでに積み上げてきたものがあるからだ。


「また、随分と豪気ごうきな……」

「そうだな」


 アスワドがどこか懐かしむような、泣き笑いのような笑顔を浮かべる。きっとその人を思い出しているのだろうが、それは養父ちちが母のことを語る顔に似ていた。

 似ていたけれど、養父ちちの顔にあったような恋慕れんぼの色はない。そこにあるのは後悔と懐古かいこだ。


「そう。豪気ごうきなお姫様だったよ、あれは」


 それ以上カナンは何かを問おうとは思わなかった。きっとアスワドもそんなことを望んでいないのだろうとも思う。ただ懐かしみ、何かを悔いて、それだけだ。

 ふつりとアスワドはその表情を切り替えて、またカナンに向き合った。


「採取も手伝おう。男手があった方が楽だろう?」


 それは確かにその通りなのだ。そもそもカナンでは手が届かない場所もあるし、野生の獣がいることもある。実際採取に行って怪我けがをすることはしょっちゅうで、その度にカナンは溜息ためいきいている。

 アスワドがどの程度のものかは分からないが、その腰に剣を吊るしているということはそれなりの腕なのだろう。ならば彼の言ったとおり、とするべきか。


「で、では……お言葉に、甘えます。が、その……大丈夫、なのですか?」

「何がだ?」


 ここはクレプト領だ。エンケパロスはアスワドを歓迎していない様子でもあった。

 ならば彼が領内をうろつくというのは、エンケパロスはどのような心境になるのだろう。


「その、ええと」

「……アスワドで良い、気にしないから」


 名前を呼ぶべきか迷っているカナンに気付いたらしいアスワドが、助け船を出した。そんなにも顔に出てしまっているのかどうか分からないが、彼は心でも読んでいるのかと思ってしまう。

 当然呼び捨てはできるはずもなく、カナンは少しばかり考えてしまった。


「ではアスワド様。その、オルキデの方、なのですよね?」

「そうだが」


 いくら戦争が終わったとは言え、すぐそこが戦地なのである。自分はオルキデの人間ですという事実を首からぶら下げて歩いているわけではないが、先日のエンケパロスのように見る人が見れば分かるのではないだろうか。

 そもそも名前でこそ呼んではいなかったが、エンケパロスは彼を『黒豹メラン・パンテル』と呼んだ。戦場で異名がつくということは、目立つ存在だったということのはずだ。


「ここは、クレプト領ですし、その」

「一応正式な手続きは踏んでいるよ、大丈夫。これでも色々と面倒な立場なのでね、後々問題になることは避けたいんだ」


 もっとも当主殿の心境は分からないがね、とアスワドは肩をすくめた。

 ここで話をしている間に、時間は過ぎていく。そもそも彼はカナンに何かしら見て貰いたいものもあったようで、ならばやはり言葉に甘えて採取先でそれを見せて貰えば良いだろうか。


「そう、でしたか」

「ああ」


 お手をどうぞお嬢さん、とアスワドが手を差し伸べる。貴族というものはそういうものなのか分からないが、彼はごくごく当たり前のようにそんなことをした。

 その大きな手に、手を重ねる。どうしようもなくちっぽけで、自分は取るに足らないもののようにも見えた。


「では、行こうか。案内はしてくれ」

「かしこまりました」


 すぐ近くに馬が繋がれている。利発そうな顔をしたその馬はカナンを見ても静かなままで、乗れと言っているようでもあった。

 動物に忌避きひされなかったのは、久しぶりのことかもしれない。内心そんなことを考えてしまって、カナンは曖昧あいまいな笑みを浮かべた。

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