8 苛立ちと混乱と告白と

 の差し金によって講和の席が惨状さんじょうへと変わってからおよそひと月。エンケパロス・クレプトの姿は領地にあった。

 凶弾に倒れたアヴレークの遺体は即座にエンケパロスが引き取り、そしてそのままエクスロス領へと運び入れた。エクスーシア一族に任せておいたなら何に使われるやらわからない。講和が破綻はたんしただけでも計算違いだと言うのに、その上余計なことをして関係をこじらせられてはたまったものではなかった。

 エンケパロスは特別平和主義ではないが、かといって戦争が好きというわけでもない。自領を守るためであれば手段は選ばないが、そうでなければ至って平穏に暮らしていたいと思う。

 特に、最近はより強くそう思うようになった。

 エクスロスに運び込んだその後遺体がどうなったのかまでは把握はあくしていないが、ハイマが何らかの手段でオルキデに返すのだろうとは思っている。びを入れるのか、はたまたそちらも共謀きょうぼうしていたのではなどと因縁をつけるのかは知らないが、ハイマのことだからそう悪いようには話をもっていきはしないだろう。

 エクスロス家にはオルキデからとついできたファラーシャもいる。上手くの関係者に繋ぎをつけるはずだ。


「当主様、よろしいですか?」


 静かに扉を叩く音と共に、落ち着いた声が聞こえた。室内で紙を目の前に、今にもサインを書き入れようとしていた手を止めてエンケパロスは返事を返す。入っていいと言えば、扉はきしむような音を立てて開いた。

 クレプト家が建てられてからもうかなりの年数が経っている。適宜てきぎ修繕しゅうぜんはされているものの、部屋の扉の立て付けのような小さなところは限界かもしれなかった。

 大規模な修繕が必要だろうかと、エンケパロスは内心で眉をひそめる。それはとても面倒だ。予算の面でも資材の面でも、必要となる仮住まいへの引越しという点でも。


「どうした」

「エクスーシアより手紙が届いています」


 入ってきたカタフニアは穏やかな表情を変えることのないまま、エンケパロスの元へと歩み寄る。気まぐれにまだ十代の頃のエンケパロスが買い上げて以降、彼は忠実なエンケパロスの右腕だ。自らの意見を主張しすぎることなく、しかし意思を持たない人形でもなく。

 エンケパロスが意見を求めれば自分なりの考えをべてみるし、反論無く従ってほしい時には何も言わずただだくとして従う。そうした空気が見えているのではないかと疑うほど、カタフニアはエンケパロスがそうあってほしいように動いていた。

 年齢も出身も本名も、彼のことは何も知らない。ただぼんやりとした顔をして空を見上げている目がガラス玉の様だと思って、丁度その時ガラス玉を集めるのにっていたからと、そんな単純な理由で決して安くはない金をポンと投げ出した。運よく貼られていた値札が財布の中の金額相当だったのを、エンケパロスはよく覚えていた。

 当時の自分の判断は間違っていなかったのだと、今になって胸を張れる。


「捨てておけ」


 受け取った手紙は確かに稲妻の印が押されており、エクスーシアからの親書だ。舌打ちを隠さないまま封を切り、中身を一瞥いちべつしてエンケパロスは鼻を鳴らした。

 即座に突き返された手紙を、カタフニアは何も聞くことのないまま破って近くにあった屑入くずいれに捨てる。


「よかったのですか?」


 何の反論もなく捨ててから聞くことではないと思う。だがそれを口には出さず、構わないとだけ言った。中身は予想通り、アヴレークの遺体を王の許可なく持ち去ったことへの追求だ。

 王城へ来て王の前で申し開きをせよと書いてあるそれは居丈高いたけだかだが、エンケパロスには効力を発揮はっきしない。王の命令など、よほどでない限り従う理由などないのだ。


「俺と話がしたいなら、直接来てもらわないとな?」

おっしゃるとおりで」


 鼻を鳴らすエンケパロスに、カタフニアは穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。


「当主様、書類にインクが」


 何かに気づいたようにカタフニアがさした指を追って、視線を手元に落とす。サインを描こうとした体勢のままカタフニアを招き入れたおかげで、ペン先についていたインクが紙の上に丸い水玉模様を描いていた。


「……やれやれ。王は余計なことしかしない」


 大袈裟おおげさ溜息ためいきいて責任を遠い地の王へとなすりつけ、ペンをペン立てに戻す。紙を持ち上げてみると下の紙にも染みていたが、幸い文字が見えなくなるなどの被害は免れた。

 だが、エンケパロスのやる気ががれたのも事実だ。


「少し出る」

「承知いたしました」


 こんなふうに気が途切れた時に無理やり仕事を続けても、いいことはない。

 立ち上がりながら机の引き出しを開ければ、そこにはバシレイアではあまり見ない装飾の小刀が鎮座ちんざしていた。大切なものにでも触れるような手つきでそっとそれを取り出すが、小刀はエンケパロスの持ち物ではない。

 彼の大きな手では持て余すほど小ぶりな小刀は、カナンから借り受けたものだ。戦争中に傷薬が不足したため追加分を受け取りに行った際、エンケパロスの無事を祈ってカナンが渡してくれた。エンケパロスは、そうやって他人から無事を祈念きねんされることなどなかったためひどく驚いたのだけれど、カナンにはおそらく伝わっていない。

 受け取ったその小刀はカナンにとってとても大事なものなのだろうことは分かっており、早々に返しにいかなければならないと思い続けていた。だがすでにこれほど月日が経ってしまった、というのも講和をエクスーシアで、などと王が言い出したからである。本当であれば、もっと早く講和の儀式は終わっていたのだ。

 気分を変えたい時はカナンの元を訪れる、それはエンケパロスの中でいつからか習慣のようになっていた。最初は突然やってきて薬屋を開く許可が欲しいと言ってきた少女が不可思議で、どこか別の領地や、あるいは他国からの偵察ていさつではないかと疑っていた。だがその疑いは的外れだったことは、比較的早くに知ったのである。誤解が解けて以降は単純に女一人でそれほど治安が良くないクレプト領で店を開いているのが気がかりで、時折訪れては街に顔を見せた。

 エンケパロスの顔は、流石に領民であれば職業を問わず誰もが知っている。当主が出入りしている店に無法を働こうとする者はいない。それどころか街からもならず者が消えたのは嬉しい誤算だったが。

 カナンは口数が多い方ではなく話題もさほど豊富ではなかったが、エンケパロスも同様なのでそれは気にならない。ただ、時間がゆっくりと流れるような錯覚に陥るあの空間が、エンケパロスは存外気に入っている。


  ※  ※  ※


 そんな気に入っている場所に、気に入らない相手がいたのだから機嫌を損ねるのも無理はないだろう。

 エンケパロスよりは少し低いがそれでも十分な長身に亜麻あま色の髪。年齢は同じぐらいだろうか、あるいは少し年上か。

 ここ半年で見慣れてしまった顔の男は、本来であればこの地に足を踏み入れることはないはずの男だ。


「……悪魔イヴリースか」

黒豹メラン・パンテル


 本名は知らない。ただ戦場の働きで呼ばれることになったあだ名でのみ認識している。

 彼は非常に鬱陶うっとうしい男だった。お互いに騎兵を率いている関係上、どうしたってよくぶつかったものだ。エンケパロスも用兵術にはけているがこの男もかなりの腕であり、また本人の武術の腕前もなかなかのものだった。何度も激突げきとつし、そして結局最後まで二人とも首が繋がっている。

 彼はオルキデ女王国の人間だ。キャラバンならいざ知らず、貴族の男が、それもつい最近まで兵を率いて戦っていた男がなんの知らせもなく領内を闊歩かっぽしているのは、看過かんかできることではない。


「僕は何もしていない。殺気は引っ込めておけよ若造」


 エンケパロスの苛立ちをわかっているかのように男は牽制けんせいをする。カナンの前で剣を抜くわけにもいかず、店を出ていく彼の背中を見送った。


「あ、あの、ご当主様……?」


 いつまで経っても扉をにらむように突っ立っているエンケパロスに、カナンが戸惑ったように声をかける。振り向いて久しぶりのように感じるカナンの姿を見下ろすと、色白の頬が少し上気していた。

 知らず、また苛立ちがつのる。


「何をしていた?」

「えっ……? あ、いえ、違います、決してご当主様達のことをお話ししていたわけでは……!」


 思わず強い口調になってしまったらしい。カナンがはっとした顔をして慌て始めた。

 時折つっかえながら必死に弁明する彼女に言い方を間違えたことに気づいたが、だからといって上手くフォローできる気もしない。


「先ほどの方は、その、お探しのものがあったようで……それを尋ねに……」


 探しているものについては話すつもりはないようで、エンケパロスはそっと慌てふためいているカナンのほっそりした肩に手を乗せて落ち着かせた。


「わかった。大丈夫だ」


 カナンがオルキデにクレプトの情報を渡す、などという誤解はしていない。それを言葉少なに伝えるとカナンはようやくほっとした顔をして微笑ほほえんだ。


「これを返そうと思って」


 そっと、カナンの手に小刀を握らせる。カナンが懐かしそうな、けれども悲しそうな、あるいはどこか乾いたような不思議な表情でそっと小刀の表面をでた。

 小刀の何が彼女にそうさせるのだろう。エンケパロスは不思議に思ったが、口には出さなかった。踏み込んでいい話かどうかがわからないからだ。人との心の距離の測り方はひどく難しい。


「ありがとう」


 なんとも言い慣れない礼を述べると、カナンが顔を上げた。身長差があるせいで、やたらとカナンが見上げるような形になる。


「ご無事で、よかったです……」


 少しばかりその目が潤んでいることに気づいて、エンケパロスは内心でひどく驚いた。彼女はそれほどまでに心配していたのだと、今この瞬間にようやく気づいたのだ。

 何を言えばいいのかわからず、かといって彼女から視線を離すこともできず、しばし硬直した時間が流れる。


「また、来る」

「あ……」


 本当はもっと話をすればいいのかもしれない。久しぶりに腰を落ち着けて、来れなかった間のことを聞けばよかったのかもしれない。

 だが、この時のエンケパロスは彼らしくもなく混乱していて、得体の知れない何かが体の中を駆け巡るのを抑えるのに必死だった。それが勝手にあふれ出さないうちにこの場を離れるのが最適解だと思っていたのだ。

 くるりと身をひるがしたエンケパロスだったが、くい、と引かれる感覚に立ち止まり、振り向いた。エンケパロスが身にまとう砂よけのマントの端っこを、カナンが掴んでいる。

 珍しい行動に、また思考がままならなくなった。


「好き、です……」


 それは、ぽつりと落とされた告白だった。二人の呼吸音しかない室内に、小さな一言はやけに大きく落ちた。どちらも言葉を拾えないまま、双方違う理由で目を見開いていく。

 先に口を開いたのは、カナンだった。


「あ、ち、ちが、え、あう、わ、忘れて、忘れてください!」


 まるで悲鳴のようにそう叫んで、カナンは店の奥へと駆け込んでいく。ぽかんとしたままその姿を見送ったエンケパロスは果たしてどうすればいいのかわからないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

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