7 薬屋と黒豹

 思い返すのはの日。すべては呑まれて消えていく。

 誰よりも、何よりも、殺したいほどに憎かったものも、すべてが消える。ざまあみろと思ったのか、それとも自分の手から復讐ふくしゅうを取り上げられたことを苦々しく思ったのか、その答えすらも未だに見付かってはいない。

 近くにいることすらも苦しくて、三年前に東の国から飛び出した。養父ちちは「行くのか」とだけ問いかけて、守り刀を一本くれた。

 そうしてカナンは一人、バシレイアに流れ着いたのだ。過去のことなど何一つ語ることはなく、自分が何者かを告げることもなく、すべてを笑顔の下に詰め込んで。


「あ……そう、だった」


 さて、エクスロス領で刺客が増えている頃のクレプト領、国境に最も近い街である。

 カナンは薬屋の店舗にしている場所の奥の工房にしている部屋で、癖になっているように戸棚へと視線を動かした。

 少し不格好にひしゃげた花の髪飾り、小鳥の置き物。そしていつもはそこに同じように置かれているものが今はない。エンケパロスに渡してしばらく経つというのに、ついそれを探してしまう。

 あれは守り刀だ。命を絶つためのものではない。そんなことのために養父はカナンに渡したわけではないのだと、頭では分かっている。


「おとう、さん」


 離れて三年も経つのに、そして復讐を失って十年経つのに、どうして未だ脳裏のうりにこびりついているのだろう。

 溜息ためいきいて工房を出て、店へと戻る。忙しくしていないといつもこれで、いっそ何も考えられないほどに忙殺ぼうさつされる方が良い。

 大量の傷薬の発注は、それこそ都合が良かったのだ。材料の採取から薬の調合から、薬を作っている間は他のことを何も考えなくて済んだのだから。


「親を取られて鳴く雛鳥の――」


 からんころんと来客を告げる鐘が鳴り、カナンはそこで唄を切る。定期的にカナンの店に顔を出すエンケパロスは戦地へと向かい、一度だけ追加の傷薬を取りに来たものの以降は顔を見ていない。

 風のうわさで戦争が終わったとは聞いたが、実際のところはどうなのだろう。


「いらっしゃいませ」

「失礼する」


 入口のところには、すらりと背の高い男が立っていた。エンケパロスほどの長身ではないが、少しばかり入口が窮屈きゅうくつそうなのは変わりがない。男は身をかがめるようにして店内に入り、ばさりと砂け用のフードを外した。

 これまでに見たことのない、亜麻あま色の髪をした男性である。年のころは三十代後半くらいだろうか。


「少し尋ねたいことがあるのだが、良いだろうか」

「はい、何でしょう?」


 弁柄べんがら色の瞳を細めて、男性はきょろりと店内を見回す。

 そうして男は少し声をひそめるようにして、カナンには聞こえる声で言葉を紡いだ。外に決して声がれないように。


「錬成薬を扱っていると、聞いた」

「そうですが……何を、お探しですか?」

「警戒をしないでくれ、購入をしたいわけではないんだ」


 錬金術によって作られる薬を、錬成薬と呼ぶ。扱いが危険なものもあるので店内には並べていないが、どうしても必要な時だけは売ることもあるので、噂になっていたとしてもおかしくはない。

 強い薬というものは、毒にもなるのだ。だからおいそれと売ることはできないのだが、男は何を探しているのだろう。そういう意味で警戒をしてしまったのだが、男は苦笑をして肩をすくめていた。


「二十年以上前だが、親友が錬成薬で殺された疑いがある。その手掛かりを探しているんだ」

「二十年以上前、ですか」

「残念ながら周囲に詳しいものがいなくてな。実際に作れる相手に会うのは貴女が初めてだ」


 二十年、カナンとてその長さが分からないわけではない。その間ずっと同じ感情を抱え続ける辛さも分かっていて、なんとなく無下むげにはできない気がした。

 錬成薬が売られることはあれど、作れる人間は群島諸島連合ぐんとうしょとうれんごうの外には滅多にいない。カナンが作ることができるのは、養父が作り方を教えたからだ。そして出身地には、外からそういう人も入ってくることがあったからに他ならない。


「……この辺りに錬金術師の方はいらっしゃらないですからね」

「そうだな。群島諸島連合にはいるらしいが、立場上そちらに行くわけにもいかない。群島の錬金術師はそうそう外には出てこないので、調べるにしても難航していた」


 二十年の果てにようやく見付けた手掛かりが、カナンということなのだろうか。

 警戒をすべきであることは分かっている。けれども男の目の中には嘘の色が見えなくて、カナンは細く息を吐き出した。


「お役に立てれば良いのですが……何をお聞きになりたいのですか?」


 カナンの問いに、男は少しばかり考えるような素振りを見せる。弁柄べんがら色の瞳は一度伏せられて、それからもう一度開かれた。


「心臓に」


 カナンもまた、目をまたたかせる。

 人間の血液を回すのは心臓だ。それだけが急所というわけではないが、心臓に何かあれば人間は死に近付く。


「心臓に作用するような錬成薬はあるだろうか。即効性ではなく、遅効性で」

「心臓に?」

「ああ。特に何も病気など持っていない者が、急に心臓を押さえて呼吸ができなくなって死んだ。当然ながら毒殺は疑われたが、飲み食いをしたのはそれよりもかなり前。毒を飲ませる機会はなかった」


 心臓に作用する薬は確かにある。けれどカナンの知識の中を調べてみても、彼の言うものに該当がいとうするものは見付かりそうになかった。

 健常者に飲ませれば当然毒となるものはある。ことに心臓に作用するものは、その傾向が強い。


「家の毒薬庫を調べて、錬成薬ならば可能性があることを知った。だが如何いかんせん詳細が僕には分からない。だから貴女の知識を借りたく思う」

「……基本的に錬成薬は、即効性です。特に心臓に作用するような強力なものは早々に効果を出す必要がありますから、遅効性にする理由がないのです。少し、お待ちくださいね」


 気になる言葉はあったが、深くは聞かないことにする。彼が何者であるのかは分からないが、なんとか手掛かりが欲しいと求めてここへ来た人を、ないですとだけで追い返すのも気がとがめた。

 実際に説明をした方が早いかと、カナンは入口付近のテーブルを示す。そこはいつもエンケパロスが定位置のように座っているところで、待っていてもらうには一番良い場所だ。


「どうぞ、そちらにお座りください」

「すまない」


 彼の謝罪の言葉を聞いて一礼し、カナンは工房の方へと足を向ける。鍵のかかる戸棚の中に並んだ錬成薬の中から、目的の小瓶こびんを二つ取り出した。

 本当はあまり置いておくようなものではないのかもしれないが、この薬を必要とする人が現れた時というのは一刻を争う状況であるのは間違いない。そこからのんびりと薬を作っているわけにはいかないのだからと、一つずつだけ置いてあったものだ。


「この二つが、有名なものでしょうか。『泥酔でいすい汚泥おでい』と『人魚の悪夢』です」


 持って戻ってきた小瓶を、ことりとテーブルの上に置く。

 どちらも中身は無色透明で、臭いもない。ただ揺らめかせてみると粘度が異なるので、一応はそれで見分けることができる。

 どうしても錬成薬は見た目では分かりにくいものが多く、きちんと管理して名前を書いておかなければ分からなくなってしまうものだ。身の回りの整理整頓や管理ができない人間が錬金術師に向かないなどと言われるのは、これが理由でもある。


「こちらの『泥酔の汚泥』は、植物由来のものです。血液の逆流を防ぐ弁の活動を緩やかにするもので、弁が閉ざされてしまったままになる方に使うものですね。健常者が飲むと血液の逆流を起こすので、酸素が不足して酸欠を引き起こします」


 錬成薬はテーブルの上に静かに乗っている。

 蓋を開けて飲まなければ、効果など何一つとしてない。これは光に当てても効能が変わらないものであるが、おいそれと表に置くものでもない。


「反対にこちらの『人魚の悪夢』は魚由来のもので、弁の活動を活性化させるものです。弁が開いたままになっている方に使うものですね。健常者の場合は、ほぼ閉じた状態にしてしまいますので、血液の流れが止まって同じく酸欠のような状態を引き起こします」


 人魚の悪夢の方が少しばかり粘度が高い。

 けれど、どちらにせよ即効性だ。じわじわと心臓に作用するものはなく、男の言うような遅効性のものは少なくともカナンが知る中には存在していなかった。

 もしかすると新しく作られたものの中にはあるはずだが、そもそも男が探しているのは二十年前の手掛かりである。その当時にあったものが今は廃れていたとしても、少なくともカナンの知識の中にはあるはずだった。


「けれど、どちらも即効性です。濃度を変えれば持続時間を変えることはできますが……遅効性には、とても」

「そうか……我が家の毒薬庫にあったものと同じだな」


 男は先ほどから『毒薬庫』などという物騒な名称を口にしている。どうにも貴族のような外見であるので、貴族というのはそういうものを蒐集しゅうしゅうしている人もいるのかもしれない。

 二十年前のことを受けて集めたということなのかもしれないが、それにしても毒薬庫になるほど集められるものなのか。


「濃度を変えても、効能は同じなのか?」

「はい。その、弁に作用する時間が変わるだけですので。『妖精ようせいの口づけ』のようなものとは違いますから」

「……『妖精の口づけ』?」


 口にした薬の名前に心当たりがなかったのか、彼は少しだけ首を傾げた。

 先ほどの二種よりは出回っているものではあるが、その薬を知っているのは特定の層くらいのものだろう。目の前の男が世話になっていないのならば、知らなくとも無理はない。


「ええ。そちらは所謂いわゆる、その……媚薬びやく、と呼ばれるものですが。あれは、ええと……濃度で効果と持続時間が、変わるので……」


 何となく言いづらいその薬の効能に、カナンは顔が熱くなるのは自覚していた。こういった話は得意ではないし、保管もしているもののあまり声を大にして言おうとも思えなかった。

 それに気付いた男が、すまなさそうな顔になる。


「ああ、すまない。若い女性に言いづらいことを説明させた」

「いえ……」


 どうしたものかと目を泳がせていると、かたんとかすかな音を立てて男が立ち上がる。もう一度すまないなと言った男に目を伏せて「すみません」と言って、二人して謝罪をしあうという変な空気になってしまった。

 男は眉を下げると、どこか柔和な面持ちになる。どこか養父にも似ているその表情に、カナンは少しだけ笑ってしまった。


「ありがとう、参考になった」

「あまりお役に立てなかったようで、申し訳ございません」

「いや、とりあえずはその二つであるという収穫はあった。助かったよ」


 砂けのフードを被ろうとして、男は「あ」と声を上げて途中で止まった。

 なんだろうかと思ってカナンが見ていると、彼はばつの悪そうな顔をする。


「今日は手持ちがないので、何も貢献こうけんできずにすまないが……次は客として来よう」

「あの、お気遣いなく……」

「僕が気にするだけだから、あまり気にしないでくれ。ああ、僕はアスワド・アルナムルという。オルキデの人間なので、あまり来られるわけではないのだが」


 カナンは瞠目どうもくして、ついアスワドと名乗った男を見てしまった。

 見ない顔ではあったが、オルキデの人間だったらしい。正直に言えばこの辺りの人間の顔つきだけで国を判別できるほどではなく、バシレイアの人間かと思っていた。


「オルキデの方、ですか?」

「そうだが」


 つまり彼は国境を越えて来たということになる。ならばとつい気になっていたことをカナンは口走ってしまった。

 戦争をしていたはずだ。終わったとは聞いたが、実際のところはどうなのか。


「あ、あの! 国境の、戦争は……」

「終わったよ、安心して良い。まだ少しばかりきな臭くはあるが、おそらくは大丈夫だろう」

「そうですか……それなら、良かったです」


 ほっと胸をなでおろし、カナンは笑みを浮かべた。気にしすぎであるし恥ずかしいことをしたなと、また頬が熱くなる。

 そんなカナンの様子を、アスワドは眉を下げて見守っているようだった。


「では、僕はこれで。今日は本当にありがとう、感謝する」


 彼がそう告げてきびすを返そうとしたところで、来客を告げる鐘が鳴った。

 開いた扉の向こう、この三年で見慣れた長身の男が立っている。彼は店内にいるカナンを見て、それからアスワドを見て、ほんの少しだけ表情を動かしたようだった。


「いらっしゃいませ、ご当主様」


 今度こそきびすを返したアスワドが足を進める。彼はエンケパロスの前で足を止めて、少し横に退いて彼が中に入るのを待つ姿勢になった。

 エンケパロスが中へ入ってきて、出入口のところが空白になる。


「……悪魔イヴリースか」

黒豹メラン・パンテル

「僕は何もしていない、殺気は引っ込めておけよ若造。それでは薬屋、また」


 一度だけ振り返ってアスワドはそう告げ、扉の向こうへ去っていく。ぱたりと扉が閉じてしまえば、店内にはもうカナンとエンケパロスだけだった。

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