6 機嫌の良い兄と釈然としない弟

 エクスロスていの最上階はハイマの部屋があるだけで、残りはほとんどが空き部屋になっている。使用人たちも一日一回の掃除を終えたらもう最上階へは呼ばれない限り上がって来ないため、密談をしたり、個人的な客人を通すのにちょうどいい階層であった。

 つまり、誰と誰が何をしていようと、ほとんど知られることはないということである。


(だからといって、本気で誰かをここにかくまう日が来るとはな。)


 ハイマの部屋の隣の部屋。空き部屋のはずのその扉を見つめながら、リノケロスは皮肉気に口元を吊り上げた。

 かつては愛人との逢引あいびきに使われたりもしていたらしいこの最上階の部屋に、今は珍しくハイマ以外の人間がいる。


「ハイマ。入るぞ」


 扉を叩いて声をかけると、内側から鍵が開く音がした。ご丁寧に普段は外から勝手に開けられないよう鍵をかけているらしい。

 あまりの念の入りっぷりにいっそ笑いがこみあげてくる。だがそれは完璧におおい隠し、リノケロスは鍵の開いた扉からするりと室内へ入り込んだ。


「兄さん、何か用か?」


 まずどこから言うべきか。リノケロスは自身の記憶にある部屋よりずいぶんと生活感の増した室内をぐるりと見渡して、眉間みけんしわを寄せた。

 以前壁だったはずの場所には、隣室であるハイマの部屋に続くよう扉がつけられている。わざわざ廊下に出ることなく行き来できるほか、こちらの部屋にいても自室への来客に対応できるようにだろう。更に念の入ったことにその扉は壁と同じ色に塗られていて、一見しただけでは扉と分からないようになっている。

 ベッドは元々部屋に備え付けてあったものだが、その近くには小さなテーブルと椅子いすが置かれていて、ハイマはそこに腰かけていた。テーブルの上に積んであるものは階下の執務室から持ってきた書類だろう。

 食事と睡眠以外のほとんどを、ハイマはこの部屋で過ごしているようだった。


「馬鹿か?」

「えっ、何が?」


 思わずれた本音にハイマがびくりと肩を揺らす。本気で分かっていない顔をしているので思わず手を上げそうになった。だが彼にとっては幸いなことに片腕しかなく、更にその腕には部屋に来た用事に必要な紙が握られているため殴り飛ばすことはできない。

 代わりにリノケロスは盛大な溜息ためいきいてハイマの下へ歩み寄る。いや、正確に言うのならばベッドで寝ているの下へ。


血染めの鴉コキノス・コローネー、か。こうしていると可愛いもんだな」

「あ、ああ、うん、そうだな……」


 運び込まれた時よりはましだが、幾分血の気の引いた白い顔色で昏々こんこんと眠り続ける鴉がそこにはいる。青銀の髪が白いシーツに流れていて、見下ろすと何とも不思議な気分だ。

 戦場では血を浴びて、仮面の下で爛々らんらんと敵を狙う目つきをしていたが、こうして静かに目を閉じて眠る姿は普通の年頃の女性と相違ない。思うままを口に出しただけだが、やけにハイマが挙動不審きょどうふしんになった。何か、と横目でにらむと曖昧あいまいな顔をして笑う。

 なんとなくいらついたので、軽くすねっておいた。


「どうする気だ、彼女」

「とりあえずは意識が戻るのを待つ」

「その後は?」

「その後は……まだ、考えてはいない、が……」


 口ごもるハイマは、何かをリノケロスに隠している。

 当主として誰にも言えないことがあるのは事実で、それを隠されているからと言って怒るほどリノケロスは狭量きょうりょうではない。今回の戦争でも彼は総司令官だったのだから、何かしら鴉と二人だけで交わした約束がある可能性も否定できない。

 それならばそれで、構わないのだ。


「色けするなよ」

「わかってるさ」


 リノケロスが危惧きぐしているのは、目の前の欲につられて必要以上の肩入れをすることだ。当主として考えるべきはエクスロス家の安泰と平穏である。

 役目を果たせる範疇はんちゅうであれば好きなようにすればいいとリノケロスは思っていた。好きな女を囲おうが何しようが、知ったことではない。


「えーと、兄さんの用事は……?」


 気を取り直した顔で、ハイマが話の方向性を無理矢理変えた。

 リノケロスとしてもこれ以上鴉のことを追求するつもりはなかったので、ハイマから向けられた流れに乗ることにする。


「ああ、そうだ。ファルと旅行をする。後のことは任せた」

「ああ……え? 旅行?」


 先日、ファラーシャと共に互いの国について話をする機会があった。彼女はバシレイア国内について随分ずいぶん興味深そうに話を聞き、リノケロスのうとい話し方にもうなずいたり時折質問を挟みながらで、気づけば半日が経っていた。

 その時にバシレイアにはファラーシャが見たことがないものがたくさんあると知り、せっかくならば見に行けばいいと気づいたのだ。

 当然、理由はそれだけではない。きちんと建前も用意してある。


「最近、ファルが狙われているだろう」

「ああ。なんか多いらしいな」


 リノケロスとファラーシャの結婚が停戦を続ける条件の一つだという条項は、当初はなかったはずのものだ。リノケロス自身、ハイマから講和の儀が壊された後に聞いた話である。

 いかにもあの宰相閣下のやりそうなことだと思う以上の感慨かんがいはなかったが、どうやらその条項がどこからかれたらしい。講和が完成し切らず停戦状態となっている現在の状態に不満を抱く何者かが放った刺客が連日のようにエクスロス家に押し寄せて、おかげさまで超満員だ。いつにない盛況ぶりである。

 当然、そのことはハイマも知っている。エクスロス家に滞在を続けているエヴェンも大車輪の働きをしているが、どうにもネズミという生き物はどこからともなくいて尽きることを知らないらしい。

 一体今まで何人を火口にほうむってきたのか、数えるのもわずらわしいぐらいだ。


おとりになってはどうかと、ファルが言ってな」


 本人は自分一人がおとりになるつもりだと自信満々な顔でのたまった。どういうふうに考えればそういう発想に至るのか分からないでもなかったが、リノケロス自身の感情を計算に入れていない様子のファラーシャになぜかとても苛立いらだった。つい強い口調で叱ってしまい彼女をしょげさせてしまったが、その後彼女の意見にも一理あると思ったのだ。

 確かにこのまま家にこもり続けていても刺客は次々にやってくる。本来ならその根本、つまり送ってくる相手を叩くのが一番効果的なのだが、それをするためには様々な下準備や根回しが必要で喫緊きっきんの解決策としては冗長じょうちょうすぎた。


「なるほど、おとりか……」


 ハイマが感心したようにうなずく。

 きちんと建前の理由をくだいているようで、リノケロスは満足そうに笑みを浮かべた。


「俺とファルが出かければ、奴らは追ってくるだろう。一網打尽いちもうだじんにすればいい」


 護衛もつけずにファラーシャとリノケロス、そして侍女の三人だけで行動をすれば、彼らは好機と思うに違いない。

 もし万が一自分が逆の立場であればそんな無防備な状況に身をさらすなど何かのわなかと疑うのだが、そこまで用心深い相手ではなさそうだとリノケロスとファラーシャの意見は一致した。


「旅行なら、どこへ行くつもりなんだ?」

「ファルが故郷にもあった光景を懐かしがっているから、デュナミスへ寄って、それからヒュドールまで足を伸ばす」

「遠いな!」


 経路はこれだと、手に持っていた紙をハイマに渡す。

 馬を使って行くとはいえ、これは旅行である。全力で走って行くわけではないのでそれなりの長旅になるだろう。

 目をくハイマに、リノケロスは不遜ふそんな笑みを浮かべた。


「嬉しいだろう? 鴉が見つかるリスクが減るものな?」

「うっ……」


 刺客が多いということは、万が一が発生しやすくなっているということでもある。貴族の上位者の部屋は基本的に上階にあるのが一般的であり、刺客も当然上の階を重点的に狙う。

 リノケロスが一階に居を移したことは公表しているわけもなく、まさか扉にネームプレートをぶら下げているなどわかりやすい印もないので、うっかりハイマの隣の鴉が眠る部屋を刺客に見つけられる可能性はゼロではないのだ。

 ハイマもそれを懸念けねんしてできる限り屋敷の外で潰すようにしているようだが、リノケロスらが屋敷を出ればその心配もなくなる。

 ぐぅと喉を鳴らして黙り込んだハイマを見下ろして、正直なやつだと内心で笑った。昔から変わらない妙な素直さがハイマの美点だと、リノケロスは素直に評価している。


「え、っと……なんでデュナミスとヒュドール?」

「実家が鍛治かじと細工の街だったそうだ」

「へえ。オルキデにもあるんだなそういうの」


 慌てて話の方向性をらそうとするハイマを見るのは、この短時間で二度目だ。リノケロスが的確にハイマの弱い部分をつらぬいてくるからか、リノケロスと会話をするハイマはいつだってこうして話題をあっちこっちに飛ばす。リノケロスはそれに乗っかる時もあれば、ひたすらに追求を続けてハイマを弱らせることもある。

 全ては、リノケロスの気分次第だ。今日はひどく気分がいいのでハイマのやりたいように話の流れに乗ってやっている。


「ヒュドールは?」

「実家には港もあるそうだ。この国で港はヒュドールだけだからな」

「へぇ……」


 行き先を決めた理由は建前も本音もなく、ただハイマに伝えたこの通りである。ファラーシャにおとり旅行をするぞと告げた後、どこに行きたいか尋ねたのだ。

 はっきりとこことは言わなかったものの、話をしていて彼女がその表情を和ませた場所がデュナミスとヒュドールだった。どちらもリノケロスには知り合いがいる。特別相手をしてもらおうとか案内をさせようというつもりはないが、何かあったときに顔が効くのはいいことだ。

 つまびらかに話してやると、なぜかハイマが不思議な顔をした。形容し難い、あえて言うのならばっぱいものを飲み込んだ時のような顔だ。


「なんだ。不細工な顔をするな気持ち悪い」

「いやその……義姉ねえさんの行きたいところを選んだんだな、って思って」

「は? 当たり前だろうが。俺が行きたいところなんぞこの国の中にあると思ってんのか」

「それはまあそうだろうけど」


 この弟はひょっとするととても馬鹿なのではないか。数年ぶりに、そう思った。幼少期はよくそう思っていたので、懐かしい気分だ。

 リノケロスはバシレイア王国に生まれ育ち、国内のことは大抵知っている。行ったことがない場所がないというわけではないが、あえて旅行としてその場所に行きたいかと言われると答えは「否」だ。

 行ったことのない領地というのはすなわち知り合いがいない領地で、それはつまりかなり癖のある家が治めている場所である。もっとも、それはリノケロス個人の偏見ではあるけれども。


「まあ、いいや。わかった、のんびりしてきてくれ」

「ああ。行き先にはお前から一報を入れておけよ。刺客の死体を処理することになるかもしれん」

「あー……わかった」


 エクスロス領内であれば死体処理は火口に放り込んでしまえば跡形もないが、他領地ではそうもいかない。いちいち穴を掘って埋めるのは面倒だ。

 よろしくなと滅多に言わない言葉を口にしながら部屋を出ると、一瞬見えたハイマがまたおかしな顔をしていた。

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