5 自分の危険を省みろ

 他に何かございますかと問えば、リノケロスはしばし考え込むような姿勢であった。特に何もなければこれで終わりではあるが、どうだろう。

 少し首を傾げれば、癖のある鉄色の髪が落ちてくる。勉強をするのならば、すべて結い上げてしまった方が良かっただろうか。


「オルキデは、女王国だったな」

「はい」


 世界各地を見てみても、為政者いせいしゃとなるのが女性に限るというのは珍しいかもしれない。女性もなれるというのと、女性しかなれないというのは、大きく違うものだ。

 オルキデはである。その名の通り、国の頂点に立つのは女王である。


「女王以外が立つことは?」

「ございません」


 オルキデは未だかつて女性以外が王になったことはない。

 女王が産んだ子供はすべて王配との子供とされるが、本当にそうであるのかなど誰も知らない。王配とだけで血脈など繋げるものかと疑問視する声も当然あって、けれどその真相は闇の中だ。

 ともかく女王の胎から生まれ出でれば、あるいは王家の女性の胎から生まれ出でれば、それはすべて王族だ。オルキデにおける王族というのは、そういうものである。


「そもそも王族の男性に継承権はございませんので、その王族以降子孫の身分は妻の身分に左右されます。貴族に婿入りすればその子は貴族、平民をめとればその子は平民ですの」


 ある意味極端きょくたんな話なのかもしれないが、王族の男性はオルキデにおいては何一つとして価値がないのである。歴史書を紐解いてみてもその存在の記載はなく、いたとしてもきっと抹消まっしょうされているのだ。

 何者にもなれない価値なき王子、そうして彼らは歴史の波間に消えていく。

 たしかリヴネリーアにも弟がいたという噂があったが、その真相をファラーシャは探ってはいない。曰く生まれてすぐに捨てられたという話だが、実際に先々代の女王は生まれた男児を捨てたのか。


「王族の女性にはすべて継承権が与えられ、それはその子にも継がれます。つまり王女の子供が女であれば、そのまま継承権が発生する、というわけです。女性の場合はずっと王族の扱いです」


 ただし、一つだけ例外が存在はする。

 その例外が、鴉だ。女王の鴉になる場合、特殊な事情がなければそれまでに持っていたすべてを捨てることになる。それは王族とて例外ではなく、王位継承権は捨てることになる。

 つまりにはもう、王位継承権はないのだ。たとえその髪の色が、青銀だったとしても。けれどその娘には再び継承権が発生するのだから、そこがまた問題点ではある。


「王位継承権の順は、基本的に年齢の順です。ただし……王家の青銀がいる場合だけは、その色が優先されますけれど」


 すべて女王の胎から産まれるのだから、そこに優劣はない。したがって年齢が上であるものから順番に数字が与えられていくが、王家の青銀が産まれればその子が継承順位一位として扱われる。

 あれはシャムスアダーラがつける印だ。王族の中でも女王になるに相応ふさわしい者がここにいると、そう知らせるために。


「といっても、女性が優位なのは王族だけですの。他は男性が優先されますし、女性はなかなか武官にも文官にもなれないものですわ」


 オルキデ女王国という名前であっても、別に女尊じょそん男卑だんひというわけではない。むしろ王族以外は男尊だんそん女卑じょひのきらいはあるし、男性の浮気には寛容かんようさを見せるところはあれども女性のそれには厳しい部分もある。

 貴族に公然とあるめかけというのもそれを端的に示しているのかもしれない。夫はそうして愛人を囲うことに目をつむられているのに、妻のそれは赦さない。


「そういうものか」

「ええ。私も一応は後継ぎとしてベジュワ侯爵家に引き取られましたけれど、異母弟が生まれましたから用済みになったのですわ。ですからこうして使い道があっただけありがたいと言うものですの」

「引き取られた?」


 つい、口が軽くなっていたことにそこで気付いた。

 リノケロスはファラーシャの来歴など知らず、その身分もベジュワ侯爵家の令嬢というものでしかない。迂闊うかつなことを口にしてしまったと、ファラーシャは内心で自分に呆れた。


「あ……その」

「いや良い、言いたくないのなら構わない」


 言葉をにごしたせいか、リノケロスが気遣いのような言葉を紡ぐ。けれどここで隠したところで、いずれは知れることだろう。

 どうせ出自は変えられない。ならば今ここで明かそうが後から知られようが、結局は同じことである。むしろ今の方が騙したと思われる期間が短くてすむかもしれない。


「いえ、それで旦那様が失望されなければと思っただけですので。私は、めかけの子ですらないのです。父がたわむれに手を付けた使用人の子で、十五年前までは平民として暮らしておりました」


 そして何事もなければ、ファラーシャは生涯しょうがい平民として暮らしていたことだろう。

 十五年前、あのサンドリザードの暴走さえなければ。母を失い、そして父にファラーシャの存在が露見ろけんすることがなければ。


「この足の怪我けが……これを負った際に、母を亡くしましたの。その時に父が誰なのか判明しまして、その時はまだ正妻に子がないということで引き取られたのです。もっともそのすぐ後にお義母かあ様の妊娠にんしんが発覚しているのですが」


 令嬢らしい振る舞いなど知りもしなかった。けれど「らしくなれ」と命じられるままに、足も動かなくなったというのに、知略と礼節のバルブールに恥じるなと叩き込まれたものがある。父は自分が愚鈍なくせに、愚鈍だからこそか、賢くあることをファラーシャに課した。

 幸いにして生まれ持った頭はそれなりで、ファラーシャは取りつくろうことを覚えられた。そうしてなんとからしく仕立て上げられのが、今のファラーシャ・バルブールという存在だ。


「真っ当な令嬢ではありませんし、失望されます?」

「……ないな。バシレイアならよくある話だ、俺の母も貴族ではない」

「そうですの」


 思えば、バシレイアはそうかもしれない。オルキデにおいて平民は貴族にとつぐ場合めかけにしかなれないが、バシレイアはどうだろう。そもそも倫理観から何から異なるのだから、そこを考えても仕方のないことである。

 沈黙が流れてしまって、どうしたものかと考える。そこで一つのことに思い当たり、ファラーシャは「あ」と声を上げた。


「そうでした、旦那様。私、旦那様に一つご相談をしようと思っていたのです」

「何だ」


 アヴレークの遺書のような手紙は、ファラーシャのところに届いた。それはエヴェンにも見て貰ったが、彼もその内容を正しく把握しただろう。

 彼はファラーシャを駒にした。もっと言うのならば、えさにもした。圧倒的に弱者であるのでそういう扱いは別に何を思うこともない。確かにそれはファラーシャが最も適任だろう。

 この停戦を反故ほごにしたいのならば、一番簡単なのはファラーシャを殺すこと。その状況をアヴレークは作り上げたのだ。


「刺客が連日、送られてきていると」

「誰から聞いた?」

「エヴェン様です。でも、叱らないであげてくださいませ。私が聞き出したのですから」


 リノケロスのまとう空気が鋭くなったが、ファラーシャはどこ吹く風で微笑ほほえんだ。そもそもエヴェンは言いづらそうにしていて、それでも尋ねるから渋々教えてくれたのである。

 誰からであるのかはまだ不明ですと、エヴェンは言っていた。大方オルキデであれば戦争推進派のどこかの家からだろうが、ラベトゥルの傘下に今どれだけの家があるのか正確なところが掴めていない。

 バシレイア側はどうだろう。戦争を再度起こしたい家があるかどうかは確認すべきか。


「面倒な手合いは、手出しができると思っているからこそですわ。手出しができないと知らしめておけば、少しは愚か者も減らせると思いますの。ですから私、おとりになろうかと思いまして」

「……は?」

「その下準備として私の悪評を流しておく必要はあるのですが。そうしておけば万が一殺されても旦那様には同情が集まりますし、殺されないにしても狙われるのが私になりますでしょう? 元々私の方が弱いですし私が狙われるとは思いますけれど、一応は保険をと思いまして。旦那様の許可を得てからと思っておりましたから、まだ実行してはいないのですけれど」


 こう少しずつちまちまと対応していても、結局は面倒なだけである。ならば何らかの手を打って、いっそ一網打尽いちもうだじんにしてしまう方が良い。

 好機とばかりに多数差し向けた刺客がすべて掃討そうとうされてしまえば、さすがに命じている方も学習するはずだ。今は手を出さない方が良いと思われるのならば、エクスロスも静かになるだろう。

 エクスロスは確かに天然の要塞ようさいのようなもので、鴉のような存在でもない限りはこの領地に入る場所は一つしかない。そしてエクスロスの屋敷はその中でも更に岩場の中にあり入り辛いとあれば、当然守りは堅牢けんろうだ。

 ならばその堅牢けんろうな場所から出て、おとりになる。圧倒的に弱者であるファラーシャが一人でいれば、刺客はそこに群がってくるだろう。


「その悪評を流した後に一人で外出をするという情報を流しまして、実際に出かけようかと思いますの。そうすれば多数釣れると思いますので、エヴェン様とカリサに刺客を処理していただこうと……旦那様?」


 リノケロスが一つ溜息ためいきいたのが聞こえて、ファラーシャはそこで言葉を切った。彼は眉間みけんしわを寄せている。


「あの?」

「許可できん」

「何故です」


 また、深々と溜息ためいきかれてしまった。

 何か問題でもあっただろうか。ファラーシャなりに考えて、一番他人に迷惑をかけなさそうな策を選んだつもりだったのだが。また何かを間違えたのかもしれない。


「危険すぎるだろう」

「私でしたら平気ですわ。旦那様のお手を煩わせることもございませんが……」


 リノケロスがまとう空気が、重苦しくなった気がした。

 片眉をはね上げるようにした彼が、鋭い眼光でファラーシャを見ている。やはり怒らせるようなことをしただろうかと、ファラーシャは首を傾げてしまう。


「ファル」


 呼ぶ声は、低かった。

 ぞわりと背筋に寒気が走るほどのその声は、彼の不機嫌さと怒りを示しているようでもある。


「お前、分かっていないな?」

「な、なにが、でしょう」


 リノケロスが怒っていることは分かる。それも、ファラーシャに怒っている。

 それは分かったものの、その理由まではやはり思い至らない。内容に何か不備があっただろうかと思っても、これ以上のものはファラーシャでは思い浮かばなかった。

 分かっていないと言われても、それが分からない。エクスロスではない場所でおとりになるべきだっただろうか。


「自分の危険をかえりみろ。一人で勝手に危険な行動をするな」


 え、と思わず声を上げてしまう。

 それはまるでファラーシャを心配しているかのような言葉で、うまく呑み込みきれない。そんな風に誰かに心配をされたことなど、いつ以来だろうか。


「俺の許可を取ろうとしたのは間違っていない。だが、一人でそういうことをしようとするな、悪評も要らん、流すな」

「申し訳、ございません……」


 勝手をしすぎただろうか、とも思う。

 今までずっと一人でこういうことを考えて、一人でやってきたのだ。アヴレークに命じられることがあっても、やはり方法はファラーシャ一人で決めてきた。

 その時に、自分というものは最大限使うものだと認識したのだ。ファラーシャは弱く、自分一人で逃げることすらもままならず、だからこそ使えるものであると思っていたのに。


「俺が怒っているのは自分一人を危険にさらそうとしたからだ、いいな」

「はい……」


 普段それほどリノケロスは口数が多くはないが、怒ると口数が増えるのだろうか。なんとなくしょげたような気持ちになってうつむきながらも、そんな関係のないことを考えてしまう。

 自分など本当にどうでも良いもののはずなのに。そもそも他人よりも自分を危険にさらす方がファラーシャにとっては納得ができることで、十五年前のことに比べれば何も思うことなどないはずなのに。

 それは駄目だと、リノケロスは言うのだ。


「だが、刺客に対して手を打つのは悪くない」


 顔を上げれば、彼は笑みを浮かべていた。

 怒りがとけたのかどうなのか、それはファラーシャには読み取れない。けれど何かしら考えがあるのだろう、彼は右腕であごさすっていた。

 左腕のあるべき場所で、ゆらゆらと空っぽのそでが揺れている。


「少し遠出をするとしよう。お前の少なすぎる私物を買いそろえるにも、良い機会だ」

「え? いえ、それは」

「いいな、ファル?」


 お構いなく、という言葉は封じられた。リノケロスに真っ直ぐに顔を見られて、ごくりと拒否の言葉は呑み込むことになる。

 何もかも一人で、というよりはカリサの協力さえあればできるはずだったのに。


「は、はい」

「いい子だ」


 にんまりと笑ったリノケロスが何を考えているのか分からなくて、ファラーシャは再び首を傾げる。

 それにしても誰かに心配されるなどいつ以来か分からなくて、やはりどこか落ち着かない。シハリアは心配するような言葉を紡ぐことはあったが彼は弟で、ファラーシャが庇護するべきものである。

 対してリノケロスは、夫婦という間柄になってはいても赤の他人だ。その赤の他人に心配をされて𠮟られるなど、考えてみれば初めてのことかもしれない。

 どこか落ち着かない心臓を落ち着けるように、胸の前で手を組んだ。半ば癖になっているようなそれで少しは落ち着くかと思ったのに、結局しばらくは落ち着かない心臓を抱えることになった。

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