4 かつての当主

 一通りリノケロスからの説明を聞いて、ファラーシャはざっと壁に並んだ肖像画しょうぞうがを見る。その色の濃淡や種類は違えども、誰も彼も髪は赤い。そして目の色もまた黄金色なのは共通で、これがエクスロスの色なのだということを実感させる。

 いくつも並んだ中で、ふと目をくものがあった。杖をついて立ち上がり、ふらりとその肖像画しょうぞうがへと近寄っていく。


「どうした?」

「いえ……こちらの方が、気になりまして」


 指を差すのははばかられて、ファラーシャはその肖像画しょうぞうがを手で示した。二十代半ばか後半か、それくらいの年若い当主のものである。

 その髪は赤銅しゃくどう色で、目は当然黄金色で、どこかけわしい顔のまま描かれている。


「……エマティノス・エクスロス、七百年前の当主だ。隣のアマルティエス・エクスロスの兄だとか」


 リノケロスに言われ、隣にも目を向けた。その隣は臙脂えんじ色の髪に白いものが混じった、もっと年嵩の男の顔が飾られている。

 その二つの顔からは、とても兄弟には見えない。それはきっと年齢の違いのせいなのだろうが、ファラーシャの目から見れば親子のように見えてしまった。


「ご兄弟ですか……」

「ああ。エマティノスが早くに死んで、アマルティエスが当主になったということだな」


 兄の早逝そうせいにより、弟に当主の座が転がり込んだ。

 おそらくはエマティノスに子供がいなかったか、その子供が幼すぎたか、そのどちらかなのだろう。別段そこを聞こうとはファラーシャは思わなかったけれど。


「七百年前と言いますと、建国の頃ですか?」

「初代王のパトリオティスに従ったのはアマルティエスの方だ。アマルティエスが早々にパトリオティスの配下についたからこそ、エクスロス家は今でも軍を持つことを赦されているらしい」

「ではその頃にはもう、エマティノス様は亡くなっていらしたのですね」


 バシレイア王国になる前、十二の領地が十二の王国であった頃。となるとエマティノスとアマルティエスはエクスロスという王国の最後の王たちということか。

 そして、アマルティエスがエクスロスという領地を治める初代当主となり、バシレイア王国の中に組み込まれた。続く戦乱を嫌がったのか、パトリオティスに何か感じるところでもあったのか、早々に彼が追従することを決めた理由は何なのだろう。


「そうだな」


 リノケロスは少しばかり何かを思い出すように考え込んで、それから再び口を開く。


「彼らはエクスロスの歴史の中でもなんだと」

「悲劇と狂気、ですか」

「エマティノスは婚礼を前にして婚約者を失い、発狂して死んだとか。アマルティエスもまた、妻をその手にかけたのだとか。結果アマルティエスは大層なだったらしい」


 愛した人を失い、手にかけ、狂い。

 その当時まだ人と神とは近かったのだろうか。エクスロスにも神殿はあるのだろうが、ファラーシャはそこに挨拶あいさつをした覚えもない。彼らが神に祈る言葉を口にするところを見たこともない。

 エクスロスはきっと、神から既に遠く離れた場所だ。それはもしかすると、七百年前のアマルティエスが神をみ嫌ったことに起因しているのかもしれない。


随分ずいぶんと詳しく伝わっていますのね」

「七百年前の建国以降は資料が多く残っているからな。彼らがちょうど境目ということだ」

「そう、ですか……」


 それまで争い合っていた十二の国は一つとなり、一先ず落ち着きを見せたということなのか。

 よくもまあパトリオティスという王は国々をまとめ上げるに至ったものである。それほどに強く勇ましい王であったのかと思えども、その姿を想像することはファラーシャにはできなかった。

 ファラーシャの知る最も強く人々を掌握しょうあくできそうな人物と言えば、アヴレークである。そんなアヴレークでもオルキデ女王国をまとめ上げるには苦労をしていたのだし、そう考えるとパトリオティスは彼よりも上だったということか。


「オルキデ女王国も建国は七百年前なんですの。同じですわ」

「そうか」


 杖をついて、椅子のところへと戻る。

 いくつもの目が自分を見ているようで少しばかり落ち着かないのは、この場所であるから仕方のないこととしておこう。そう結論付けて、ファラーシャは再び椅子に腰を下ろした。

 本当ならば謝礼を払うべきところだったのだが、そうではなく知識の交換という形に落ち着いた。リノケロスが変な顔をしていたので何か間違えたのかとファラーシャは慌てたものだが、提示した謝礼の金額が低かっただろうか。結局詳しいことは聞けていないこともあって、理由は分からないままだ。


「カリサ、本を」

「かしこまりました、奥様」


 結婚以降、カリサからの呼ばれ方はお嬢様から奥様に変わった。どうせまたお嬢様に戻るのだろうと思ってはいるが、一先ひとまず今はこれである。

 式も何もない、ただファラーシャがエクスロスの屋敷へ来て生活を始めただけという結婚である。別に仰々しい何かをしたいと思ったこともないので、何一つとして面倒がないのはファラーシャとしても助かったものである。そもそも足が悪いので、長時間立っていなければならない儀礼というのも困りものなのだ。


「旦那様もお座りくださいませ。簡単にご説明しますわ」


 用意されていたテーブルの上に、本を広げる。リノケロスがその向かいに座ったのを確認してから、彼から読める向きに本を直した。

 とはいってもこれはオルキデの文字で書かれている。話す言葉は同じであっても書く文字が違うバシレイアとオルキデであるので、彼がこれを読めるとは思っていない。


「オルキデ女王国は元々何もない砂漠で、けれどそこに太陽と正義の神シャムスアダーラの託宣を受けた初代女王ファムルフートが建国したとされています。彼女は金と銀の竜を連れており、それがシャムスアダーラとカムラクァッダであったとか」


 挿絵さしえには女性と竜が描かれている。シャムスアダーラとカムラクァッダは人間の形で描かれることはなく、その姿は常に竜として描かれていた。どちらも空を飛ぶことができるそうだが、シャムスアダーラは地に丸くなって眠ることを好み、カムラクァッダは悠々と空を飛ぶことを好むとされている。

 建国の女王ファムルフートがどこから来たのかは、どこにも遺されていない。ただ見事な青銀の髪をした女性であったと、それだけしか書物には書かれていないのだ。


「オルキデ女王国における神は五柱で、太陽と正義の神シャムスアダーラ、月と裁きの神カムラクァッダ、火と戦いと生命の神ラハブレワハ、水と豊穣と芸術の神シャッラールナバート、土と鍛冶と知恵の神サフラサカーです。このうちシャムスアダーラとカムラクァッダは兄弟で、他は特にそういった関係性はございませんの」


 竜として描かれるシャムスアダーラとカムラクァッダとは異なり、残りの三柱の神々は人の形をしている。けれどそれぞれ頭部が人間とは異なり、ラハブレワハは燃え盛る焔の角を持った牡鹿、シャッラールナバートは長い舌を伸ばした蜥蜴トカゲ、サフラサカーは細長いくちばしの鳥となっている。

 その挿絵を一つずつ指し示しながら説明していくのを、リノケロスは静かに聞いているようだった。


「王都エルエヴァットの王城シュティカはシャムスアダーラの主神殿も兼ねております。エルエヴァットには他にカムラクァッダとラハブレワハの主神殿があります。シャッラールナバートは旧サラーブ侯爵領に、サフラサカーは私の実家でもあるベジュワ侯爵領に主神殿がありますわ」


 エクスロスに比べれば、やはりベジュワ侯爵領は主神殿があることもあって神との距離は近かった。シハリアは神殿に参じるのは気がすすまないようではあったが、それでも月に二回は顔を出していたようである。

 ファラーシャもよくサフラサカーの神殿には行っていた。どこか薄暗く祈りの間も地下にある主神殿であったが、ざわついた心を落ち着けによく通ったのだ。どこか懐かしさすら覚えたのは、あの場所が母の胎内にでも似ていたからだろうか。


「オルキデには、その……、というものが残っております。魔術ですとか、そういうものの残滓ざんしとされていまして、神やその眷属けんぞくたる精霊から与えられるものですわ。旦那様のご存知ぞんじの『女王の鴉』の鴉は、シャムスアダーラの眷属けんぞくである闇の精霊ズィラジャナーフの加護を得ておられます」


 く言うファラーシャも加護は得ている。得ているが、それは未だリノケロスに伝えられてはいなかった。そもそも伝えたところでどうなるようなものでもなく、使いどころはあれども今のところ出しゃばろうとも思っていない。

 サフラサカーの眷属けんぞく治癒ちゆの精霊ダワーイラージュ。それがファラーシャに加護を与えた精霊の名前である。ただこれも怪我けがを治せるとかそういうものではなく、誰がどこに怪我けがをしているとか不調を抱えているとか、そういったものが視えるくらいのものだ。

 そう考えると、やはりズィラジャナーフの加護は破格だ。彼らは影を移動し影を操るのだから。


「主に加護を与えるのは精霊ですの。精霊の加護は貴重ですが希少ではなく、神の加護は希少である、というのがオルキデ女王国での認識ですね」

「なるほど。鴉の不思議な術はその加護というものからか」

「ええ。もっともそれも、かつてほどの効果は持たないそうですけれど」


 かつては神も加護も精霊の加護も、ずっと強かったのだという。加護を与えられた人間の数も多く、それらは何も珍しくはなかった。

 そう考えれば、オルキデもまた神との距離は徐々に離れていっているのだろう。そしていつか、人と神とは完全に切り離されるのかもしれない。


「オルキデ女王国は近隣諸国からよく『富めども飢える国』と呼ばれます。これは、鉱石や金属はいくらでも採取できるのに、作物が育てられないことが一因です。オルキデ女王国において食糧生産ができるのはここ……ラヴィム侯爵領であるクエルクス地方だけです。ここもまた北の大国から狙われる場所ですけれど」


 本のページをめくり、オルキデ女王国の地図を示す。最も北にある少し出っ張ったような形の場所がクエルクス地方であり、ここがエヴェンの叔父でもあるアスワド・アルナムルの治める領地だ。

 ここだけがオルキデの食糧庫であり、他の場所ではイモすら枯れる。バシレイアでは今はそうそうあることではないらしいが、オルキデにおいて平民はいつだって餓死がしと隣り合わせにいる。


「ファルの故郷は、どこだ」

「私はこちらです」


 クエルクス地方からそのまま南、隣国フォルモントとの国境線もある海に面した場所。

 ベジュワ侯爵領はバシレイアから最も遠い領地である。かんかんと鳴り響くつちの音、上がる黒煙が懐かしくはある。


「ベジュワ侯爵領、オルキデ最大の港を持つ交易都市にして、鍛冶と細工の領地ですわ。デュナミス領と同じで、いつだって槌の音がして、煙が上がっておりますの」


 この結婚は講和の一環であり、そうそう戻ることはできない。別に帰りたいと思うこともないだろうと、そう考えていたというのに、どうしてだか懐かしく思えてしまった。

 シハリアはどうしているだろうか。彼のことだから、きっと元気にしているのだろうけれど。

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