3 バシレイア王国

 ファラーシャから国のことについて学びたいと言われた時、リノケロスは少しだけ驚いた。戦争を終わらせるための講和の一環での結婚だったが、彼女なりにとついだ先の国のことを学び、自らのかてにしようとしているようだ。

 最初の顔合わせの時にも思ったが、たおやかなお嬢様然とした印象とは裏腹に、割としたたかで自身の価値の高め方を知っている。そういう女性がリノケロスは嫌いではない。計算ずくで可愛らしさを打ち出してくる女は嫌いだが。

 当初、ファラーシャは教師について学ぼうとしていたらしい。金銭は支払うので誰か紹介して欲しいと言われたが、生憎とエクスロス家にはすでにそういった知識の習得を必要とする年齢の者がおらず、喫緊きっきんで雇える教師はいなかった。通り一遍いっぺんのことを教えるだけでいいのならリノケロスでも十分役目は果たせると提案したところ、それならばとリノケロスに対して謝礼を支払おうとしてきた。流石に唖然あぜんとしてリノケロスが固まっていると、反応を見て何か間違えたことに気づいたのかファラーシャが狼狽うろたえたので、ようやく我に帰って不要であることを伝えたのだった。

 一応曲がりなりにも夫婦なのだからただ頼めばいいだけなのだが、彼女にはまだその実感がないようだった。だが無償むしょうで教えをうことに対してどうにも座りの悪い様子を見せたので、それならば反対にオルキデ女王国のことを教えてくれるようにと頼んだ。興味がある国という訳ではなかったが、あの鴉の術といい、バシレイアとはまた違う不思議な慣習があるようだった。そうしたものを理解することでファラーシャとの見えない距離が縮まって、彼女がこちらで過ごしやすくなることに繋がればいい、と思ってのことだ。

 それが今までのリノケロスからは考えられないほどの優しさだと指摘する人間は、幸か不幸かこの場にいない。


「これが、エクスロス家の歴代当主の肖像画しょうぞうがのある部屋だ」


 そんな約束をファラーシャとしてから数日後。エクスロス家の中で食堂を除いて一番広いと思しき部屋に二人の姿があった。

 そこは普段使われることはない、当主の交代や各領地からの正式な使者の対応などを行う時しか使われない場所だ。


「かつて、バシレイア王国の十二の領地は十二の国だった。その時には、この家が王城でここが大広間だった、というわけだ」


 エクスーシアで言うのなら王城エフティフィアの大広間に相当するのがこの場所である。先だって講和の締結ていけつが行われようとした場所だ。

 あちらを知っている者が見れば装飾も広さも全く違うと思うことだろうが、目立たないが柱にほどこされたり物や飾りの像は精緻せいちな細工がされているなかなかの代物だ。ぱっと目を引く豪華さがないところが、リノケロスは気に入っていた。

 足の悪いファラーシャを長く立たせているわけにもいかないので、あらかじめ用意させたおいた椅子の前に手を引いて誘導して座らせる。興味深げに辺りを見回しているファラーシャは、胸の前で手を組んでいた。豊かな胸を強調するような仕草は、結婚してから何度か目にしているから癖なのだろう。

 特別、それに対してリノケロスが何かを思うことはないが。彼は胸より足派である。閑話休題かんわきゅうだい


「あちらにあるのは、剣のあとですの?」

「ああ、そうだ」


 ファラーシャが、一際大きな柱を斜めに横切る不自然な一筋の線を指差す。リノケロスはそっと歩み寄り、ざらりとしたその表面に手を滑らせた。


「敵襲ではなく、クーデターの跡だそうだ」

「クーデター」


 鸚鵡オウム返しにしたファラーシャにうなずきながら、壁の上の方を指で指す。その通りにファラーシャが上を向いた。ふわふわした髪が少し顔にかかっているのが見えて、リノケロスは彼女に近寄り指先で払い除けてやった。

 そうして二人、壁にかけられている肖像画しょうぞうがを見上げる。


「これが歴代のエクスロス家当主の絵だ。過去のものは燃えてしまって、残っていないものもあるが」


 エクスロスの屋敷は、一番最初に建てられた場所と今の場所が違う。他の十二の領地でもそんな場所は多いので、エクスロス家だけが特殊なわけではない。

 かつて十二の領地で争い合っていた頃はいつどこから襲撃を受けるかわかったものではなかった。同盟、裏切り、また同盟。そんな繰り返しの乱世の中で、屋敷は城であり、とりででもあった。使い物にならなくなった屋敷を捨てて新しい場所に移った際に、当時保管していた肖像画しょうぞうがや資料はその大半が炎に飲まれたという。

 今となっては貴重な資料もあっただろうに、惜しい限りだ。


「クーデターを起こして父を殺し、自分が当主に……いや、当時は王になった。だが彼もまた暗殺された、らしい」

因果応報いんがおうほう、ですね」

「そうかもな」


 ファラーシャが切なそうに目を伏せた。リノケロスはぐるりと大広間を見渡す。

 磨き上げられた室内も、かつては血に染まったのだろうか。血液の痕跡こんせきを可視化できたとしたなら、さぞかし凄惨せいさんな光景が見られることだろう。


「バシレイア王国の特徴や産業はどうなっていますの?」


 壁の一部に描かれているバシレイア王国の地図を眺めながら、ファラーシャが問う。ふむ、とリノケロスは腕を組もうとして片方しかないことを思い出す。

 すっかり慣れたと思っていたが、時折無意識下で両腕だった頃の仕草をしようとして空ぶってしまうのはなかなかなくならない。仕方なく、残った右腕であごさする。


「産業か……各領地でそれなりに違っているな」


 ファラーシャが興味があるのはどこだろうと、内心少し楽しみながらリノケロスは地図を指差す。


「一番目立つのはヒュドールだ。港はここにしかない」

「海岸線はほとんどヒュドールの領地ですのね」

「そうだ。かつてはこれをめぐって何度も争ったそうだが、結局この形に落ち着いた」


 海の権利が欲しいのはどこの領地も同じだ。船を持ち、貿易に携われれば領地は豊かになる。

 だがヒュドール一族は他家が力を持つことを嫌い、決して関わらせようとしなかった。不満を抱いた近隣の領地と何度もいさかいいを起こしたが、結局のところ今の形であるということはそういうことなのだろう。


「見ての通り、ヒュドールの主力産業は海洋貿易だ。それを主軸とした国内の交易も手掛けているが」

「ヒュドールは、あまり作物は育たないようですね」

「知ってたか?」

「いえ。土地柄、塩分濃度が高いのではと思いまして」


 ファラーシャの言う通り、ヒュドール領はその大半が海に面しているため土壌の塩分が濃すぎて農業には向かない。食糧生産がないほぼ唯一の領地だ。

 ただし、それがなくとも交易で十分過ぎるほど金が落ちる。


「賢いんだな」


 ぽすりとファラーシャの頭をでた。詳しく説明せずとも一つの事実からその後ろを想像できるのは頭の回転が早い証拠だ。める気持ちででたのだが、ファラーシャがぽかんとした顔をしていたので何か間違ったかと思って手を離す。

 ファラーシャは不思議そうな顔をして、でられた場所をそっと自分の手で押さえていた。


「エクスロスについては、まあ、すぐに知ることになる。オルキデと関わったといえばクレプトとデュナミスか。どちらもそう豊かな領地ではない」


 何かフォローを入れた方がいいのかもしれなかったが、リノケロスはそう口達者くちたっしゃではない。何を言えばいいのかわからず、結局話を強引に元に戻した。

 ファラーシャがもう一度聞く態勢になったので、あながち間違いでもなかったのだろう。


「クレプト領は砂地ばかりでしたわね」

「ああ。領土のほとんどがあんな感じだ。おかげで、エクスロスもクレプトと接している付近は砂地が多い」


 クレプト領はその大半を砂漠が占めている。水源があるのでかろうじて人が住める環境なだけで、あの地で暮らすには少なくともリノケロスには難易度が高い。

 気温の高低差が激しく、また暑い時でもエクスロスの気温の高さとはまた種類が違うので過ごしにくいのだ。


「産業はどうなっていますの?」

イモ類が育つ。オルキデとの交易もやっているようだ。そのあたりはお前の方が詳しいだろうな」


 これと言ってはっきり口にできる収入源がクレプトにはない。水があり食料も取れる。だから人は暮らせる。

 豊かさを求めれば不服はあるかもしれないが、生きて行くのに困るほど貧困ではない。


「昔は餓死者がししゃが出るような事態もあったそうだが、いつからかそういうことがないようにやりくりしているらしい」

「そうですの……」


 ファラーシャは何か真剣な表情で考えながらうなずいている。オルキデ女王国も食料と言う意味では苦労しているそうで、クレプト領の過去は決して他人事ではないのかもしれなかった。


「デュナミスは、鍛治かじと細工の場所だ。つちの音が延々と鳴り響いているし、煙で空は暗いことが多い」

「まあ。そうなんですの? 私の実家と同じですわね」

「そうか。懐かしいか」

「はい」


 エクスロス以上に平地のないデュナミス領は、バシレイア王国における武器や武具の生産を一手に請け負っている。国内外で取引される貴金属の飾り物もほとんどがこの地で作られており、手先の器用な人間が多いことも特徴とくちょうの一つだ。

 リノケロスとともに戦列に加わったカフシモなどはまさにその血を色濃く受け継いでいて、今はおそらく武器や防具の修繕しゅうぜんに追われていることだろう。


「……行ってみるか?」

「え? 何かおっしゃいました?」


 故郷を思い出して懐かしいのかデュナミスの話を楽しそうに聴いているファラーシャを見ると、頻繁ひんぱんに里帰りもさせてやれないのが少し不憫ふびんだ。せめて慰めになるのなら、どうせ隣なのだから連れて行ってもいいかもしれない。

 そんなことを思っていると小さく口に出していたようで、ファラーシャがきょとんと首を傾げた。なんでもない、と首を横に振る。情勢として、それが許されるか今の所わからないのだ。下手に希望を持たせても、駄目だった時にはがっかりさせてしまう。


「あとは……変わっている場所ならヘリオス領だ。国内で神官がいるのはここだけだ」

「そうなんですの?」


 各領地、それぞれ自らの祖先とあがめる神をまつる神殿はあるが、結婚式などの行事で使う以外には手入れをしているだけでそこに仕える人間を置いているわけではない。

 だが、ヘリオス領だけは唯一今でも神に仕える人々がいる。ヘリオス家の女性が神の世話をするため神殿に入るのだそうだ。


「神が気に入った人間を招くんだと。馬鹿馬鹿しい」


 リノケロスは鼻を鳴らす。

 り好みせず黙って世話を焼かれればいいものを、神というのは傲慢ごうまんだ。


「次はどこがいい」


 ファラーシャの興味のありそうな場所から、とリノケロスはファラーシャをうながすす。

 少し考えた末、次はこちらをと指差す彼女が時折投げる質問に答えながら、ゆったりと時は流れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る