22 君に賭けることにする

 やはりこれは遺書いしょなのだと、アヴレークは読み返しても思う。これで明日何事もなく終われば考えすぎだったねと笑って終わる話ではあるが、何となくそんな風には終わらないとアヴレークは予想していた。こういう要らぬかんというのは当たるもので、今までも何度となく経験してきたものだ。

 ペンを机の上に転がして、椅子にもたれかかって天井を見上げる。そうして過去を思い返すなど、まるで走馬灯そうまとうのようではないか。

 リヴネリーアへの手紙、ファラーシャへの手紙、ルシェへの手紙。それから、ラベトゥル公爵家へと送るもの。アヴレークはシャロシュラーサを赦すつもりはないし、見逃してやるほど甘くもない。


「ジェラサローナはいずれ失態を犯す、シャロシュラーサはこれで終わり。クルタラージュはどうせ一人では何もできないのだから、ラベトゥル諸共もろともに終わる」


 愛称で呼ぶこともなく、その名前を連ねた。

 オルキデの王族を愛称で呼ぶことができる相手は限られている。身内は愛称で呼ぶものではあるが、別にアヴレークは三人の王女をそう呼びたいと思ったことがない。そもそも彼女らを、身内だとも思っていなかった。


「リヴを苦しめるものはすべて、むくいを受けよ。何も果たせぬままに死ね」


 呪詛じゅその言葉を吐き捨てた。魔術も奇跡きせきも何もかもがない国で、呪詛じゅその言葉は空気にけて消えていく。

 アヴレークはオルキデの出身ではなく、そこからさらに東のフォルモントを通り南に隣接するハイライの出身である。群島諸島連合ぐんとうしょとうれんごうにほど近いハイライは、近いからこそ少し群島諸島連合の人間と近い気質を持っていたのかもしれない。

 恩義おんぎ怨嗟えんさも忘れるなかれ、これは群島諸島連合の人間がよく口にするものだ。なんとも粘着質ねんちゃくしつなものであるが、ハイライの呪詛じゅそもこれと大して変わりはない。

 扉を叩く音がして、アヴレークは姿勢を正す。ぼさぼさになっていた髪を手櫛てぐしでつけて、少しは見られるようにする。


「はぁい」

「ハイマ・エクスロスです。お呼びとうかがいましたが」

「いいよ、入って」


 低い声が扉の向こうからして、アヴレークは入室の許可を出す。窓はめ殺しで逃げる場所はなく、もしも彼がアヴレークを殺そうとするのならば応戦して殺すしか逃げ場はない。それでもアヴレークは微笑ほほえんで彼を迎え入れる。

 ルシェが彼を信用している。アヴレークの判断材料など、それだけで十分だ。


「時間がないからさっさと本題に入らせてもらうよ。とりあえずそこ、座ってくれる?」


 挨拶あいさつだのなんだのをしているのは時間の無駄だ。ハイマとアヴレークは初対面であるが、はじめましてという言葉すらも省略した。

 机の片隅に置いてあったくるりと巻いた紙に手を伸ばし、それを机の上に広げる。これは明日バシレイアの王に渡す予定の、停戦と講和に関わる協議内容の書状だ。


「これに、一文付け足しをさせて貰おうかと思ってね。一応君の立ち会いが欲しかった」

「そうですか」


 さすがにアヴレークとルシェだけで勝手に追記するのもハイマに失礼かと、彼を立ち会わせることにした。

 ハイマは眉間にしわを寄せて、書状の中身へと視線をすべらせている。今はまだ、これは彼らが作ったものから何も変わってはいない。


「何か、不足が?」

「不足じゃない。僕は君と大鴉カビル・グラーブの仕事に満足している。よくやってくれた」


 柔和な笑みを浮かべて、ハイマを見る。すると彼はどこか嫌そうな辟易へきえきとしたような顔をしていた。どうやら兄弟そろってアヴレークのことはお気に召さないらしい。

 だが、気に入ろうが入らなかろうが、アヴレークのやることは変わらない。これは後々のためにやっておかなければならないことだ。

 バシレイアの王家については握っている情報がある。この急な呼び出しが誰の思惑によるものか、そして何をするつもりであるのか。オルキデの誰かと繋がっている誰かは十中八九皇太后だろうが、ならば繋がる先は誰なのか。

 明日すぐにそれをあぶり出すことができるとは思っていない。けれど、取り掛かりにすることくらいはできるだろう。


「付記事項は追記するが、とりあえずは一つ。『エクスロス家とオルキデ国民の婚姻こんいん関係が続く限り、何があろうともバシレイアとオルキデの停戦を反故ほごにしないものとする』と」


 名指しにしなかったのは、逃げ道を用意するためだ。

 そもそもリノケロスともアヴレークは約定やくじょうを結んでいて、それを果たすためにもこの一文は必要なものだ。一年間何事もなければ、リノケロスとファラーシャの婚姻関係は白紙になる、そうなった時の代わりは必要だろう。


「異論は?」

「ありません、が」


 ハイマは更に眉間のしわを深くしていた。そうしていると気の弱い者など悲鳴を上げて逃げ出しそうではあるが、生憎とアヴレークはそんな可愛らしい性格はしていない。

 彼の眉間のしわの意味を考えて、アヴレークは笑みを深める。


「何故かを考えている、といったところかな」

「……万が一この講和が成らなかった場合の、再戦回避ですか」

「大正解! 考える頭がある人間は好きだよ、会話がきちんと成立するからね」


 オルキデの貴族ときたら、話が通じない者も多いのだ。こちらの意図など考えることもなく、自分の権利や利益だけをがなり立てる。そういう手合いを相手にするのはひどくわずらわしい。

 そういう意味では、アヴレークから見てハイマは好印象である。リノケロスもそうであったが一応はこちらの話を聞こうという姿勢があるし、言われたことを考えることもする。


「ただし付記事項。当人たちの意思は関係なく、エクスロス家の上位者とオルキデの王族の許諾きょだくがあればこの婚姻を取り消すことを可能とする」

「取り消す? 最初からなかったことにすると?」

「そういうことだね」


 すべては白紙になる、なかったことになる。

 当然何もかもすべてというわけではないし条件もあるが、それはそれだ。そしてこれはどちらかの一方的なものでは不可能であるとして、付記事項として記載きさいする。


「バシレイア王族にした方が良いかい? でも君たちは各領地での裁量さいりょうの方が大きいだろう?」

「そこに異論はありませんが」


 一応バシレイアの王族も入れて尊重しているという姿勢を見せても良かったが、それはそれで面倒な口出しをされることになるだろう。同じ理由で、オルキデの貴族の介入はさせていない。

 現状リノケロスとファラーシャの場合、エクスロスの上位者というのはハイマしかいない。これが別のきょうだいであったのならば、リノケロスも該当がいとうするようになるだろうか。

 オルキデの王族は何人かいるが、さすがにハイマに働きかけてこの婚姻こんいんを白紙にしようとは思わないだろう。そもそもこの男がそんなもので首を縦に振るとも思えない。


「これを書き加えることは、君のところで伏せておいてくれ。これを作ったのは君と大鴉カビル・グラーブであり、今更バシレイアの王が口を挟むようなものではないだろう。君はこれを最初から書いていましたという顔をしておいてくれれば良いよ」

「わかっ……り、ました」


 恐らくは「分かった」と言いそうになったのだろう。奇妙なところで言葉を切り、ハイマは何とか誤魔化ごまかすようにして敬語でべた。

 敬語に慣れていないのだろうなとアヴレークは笑う。無理をして敬語を使うようなこともないのに、一応はオルキデの宰相という身分を尊重しようとはしているようだ。


「さて、じゃあオルキデ宰相の私として、エクスロス当主の君への話は終わりだ」

「では……」

「本題はここからだよ、ハイマ・エクスロス。ここからは僕もアヴレーク・イラ・アルワラとして話をしよう」


 帰ろうとして腰を浮かせた彼に、更にたたみかけた。

 先ほどの話も確かに本題ではあるのだが、アヴレークとして重要なのはここからの話である。ルシェが信用していないようならばこれを持ち掛けたりはしなかったが、どうにもルシェは彼を信用している。

 あの無条件にうなずくような危険な信用を悪用するかどうかは知らないが、それならばとアヴレークは彼に持ち掛けることに決めたのだ。


「は?」

「エクスロス家当主ではなく君個人に、オルキデ女王国宰相ではなく僕個人から、取引を持ちかけたくてね」

「何です」


 ハイマは一度浮かせかけた腰を引き戻している。そうして座り、聞く姿勢になった。

 さすがにアヴレークの言葉を無視して帰るほどには無礼になれなかったらしい。リノケロスだったら帰ったかもしれないなと思ってしまったのは、先日彼のところに秘密裏ひみつりに行ったときのことを思い出したせいだ。


「一応聞いてくれるんだ? それはありがたいね」


 そうして、また笑う。

 この急な呼び出しには必ず何か裏がある。この講和を望まないのならば、壊すための機会は明日しかない。そして生半なまなかな方法では壊せないのだから、やることなどすぐに想像できた。

 けれどもそれは、考えないことにする。


「もし明日万が一何かあったとして、ルシェルリーオを保護しておいて欲しいんだ。オルキデへすぐに帰らせないように」

「ルシェを? それは別に、構いませんが……」


 ハイマの口から滑り落ちたのはルシェルリーオの愛称で、思わずアヴレークは笑ってしまった。

 彼女も大鴉になっているとはいえ、王族であることに変わりはない。愛称で呼ぶことを赦す意味を彼女がきちんと覚えているかどうかはさておいて、許可なく呼ばせるとも思えない。


「あっは、君、ルシェって呼んでるんだ? あの子が許可した?」

「……そうですが、何か」

「いや別に?」


 その意味が分かっているから、あのエハドアルドですら身勝手に彼女を愛称で呼んだりはしないのだ。

 オルキデの王族の愛称を呼ぶのは身内か、それに準じる者だけだ。しかもその身内も、近しい者に限られる。だからルシェは三人の王女を愛称で呼ぶことがない。


「取引だからね、僕からも何か出さないと。君、何か欲しいものないの?」

「特に、何も」

「ふうん」


 これで何か欲しいものを口にしてくれればさっさと取引成立とできたのだが、ハイマは何もないと言う。物欲がないというのも考え物だが、当主という立場にあればそんなものか。

 ならばアヴレークから出せるものは何もない。となれば「構わない」と言ったハイマの言葉にゆだねておくしかないだろう。


「じゃあ、欲しくなったらあげるよ、とだけ言っておこうかな」

「話はそれだけですか」

「これだけだよ。君たち兄弟はせっかちだなあ、本当に」


 再び椅子から腰を浮かせようとしているハイマに笑い、こつりと指先でテーブルを叩いた。長々とおしゃべりをするというのが、彼ら兄弟は嫌いなのかもしれない。

 というよりも簡潔な報告が好きなのだろう。その辺りはある意味武人らしいと言うべきか。


「君の欲しいものなんて一つだけだろう、。ああ気持ち悪い、でも仕方ないよね。欲しいと願うのならば手を伸ばせ、その願いがたとえ傲慢ごうまんだとしても。たとえ神を殺しても」


 こんな場所にいるからいけない。何かを思い出しそうになって、けれど知らないはずで、そんないつかを想起させるようなものをアヴレークは必要としていない。

 見るべきものは今だけだ。意味不明の既視感きしかんに気を取られたくはないし、そんなものを深く考えたいとも思わない。そこにリヴネリーアがいないのならば、尚更なおさらに。


「僕はルシェが君を信用しているから、君にけることにするよ」

「そりゃどうも」

「話はそれだけ、ご足労どうもありがとう。違えないでくれることを信じているよ」


 今度こそハイマは立ち上がる。アヴレークは立ち上がるつもりも見送るつもりもなかったが、彼もそれを望んだりはしないだろう。足を組んで、頬杖をつく。そうして、彼の背中に言葉を投げた。

 アヴレークは別にハイマを信用しているわけではない。ただ、ルシェが信用したからそれにけるだけ。


「もしも違えたらその時は……君も、むくいを受ければ良い」


 そうなったのなら、アヴレークはハイマが死ぬまで赦さないだろう。

 この世で一番大切なものがリヴネリーアで、そして二番目がルシェルリーオである。それ以外のものなど十把一絡じっぱひとからげで同じであり、どうなろうとも構わない。

 大切なものを苦しめるのならば、裏切るのならば、どうか無惨に死ねば良い。

 ただただ笑顔を浮かべてハイマの背中を見送る。ややあってから戻ってきたルシェがアヴレークの様子を見て首を傾げるのを、やはりアヴレークは笑って見ていた。

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