23 男三人の前夜譚

 オルキデ女王国の宰相アヴレーク・イラ・アルワラと会うのは初めてのはずなのに、妙な既視感きしかんぬぐえない。これ、とわからない、何とももどかしい感覚にハイマは首を傾げながら彼の下を辞した。

 アヴレークと顔を合わせていると何故か息がしにくいような、ずしりと体の上に重しが乗っているような、そんな気持ちになる。ルシェも果たしてそうなのだろうか、彼女に聞いてみるのもいいかもしれない、などとつらつら考えながら廊下を歩いていくと、ランプにぼんやりと照らされた肖像画しょうぞうがが暗闇に浮かび上がった。

 やたらと精巧せいこうに描かれているせいで、夜に見るとぎょっとする。


「あ。これだ」


 取り立てて暗闇が怖いとか、お化けにおびえるとか、そういった性質ではない。だが、暗い中にぼうっと浮かぶ人の顔は誰が見ても少々おどろおどろしい。

 その中の一つ、一番端にある初代の王の肖像画の前でハイマはいつかのように足を止めた。思わず夜だということも忘れて、声を上げる。


「……似てる」


 アヴレークを見た時の妙な既視感きしかんは、彼が初代の王とどこか似ていたからだと気づく。すとんと疑問がに落ちて、ハイマは腹の中の何かが軽くなった気がした。

 どうして別の国の人間だというのに似ているのかそれはそれで別の疑問を産むが、そこまで気にするほどハイマは詮索せんさく好きではない。彼のことだから問えばあの笑みを浮かべながら何らかの返答が返ってくるだろうが、それはハイマが知るべき情報ではないだろう。

 疑問が解消されてすっきりした、ハイマにはそれだけでいい。

 王城エフティフィアには部屋が余り放題なので、客間としてハイマが寝泊まりしようと思えばそうできる。実際数日間にわたってエクスーシアに滞在する必要がある場合、王城に泊まっている当主もいたりする。

 だがハイマはこの城に、特に今のこの城に長くは居たくない。したがって、城にほど近い場所にあるエクスロス家の別邸べっていを利用することにしていた。エクスロス領にある自宅とは比べ物にならない小さな家で部屋数も最低限しかないが、それでも城の中よりははるかに居心地いごこちが良い。

 エクスロス家以外にもヒュドール家やディアノイア家など他の家も別邸べっていを構えているため、特別珍しいことではないのだ。


「なんだ、まだいたのか」


 何となく疲れた心持ちで帰宅したハイマを待っていたのは、ルシェが迎えに来た時にも来ていた二人の友人だった。流石に明日のことがあるので酒は開けていないが、机の上に空っぽになった皿とバスケットがある。

 もういい時間だというのに、まだ何か食べていたのか。


「ご挨拶あいさつだな。勝手に帰るのも悪いと思って待っていてやったのに」


 そんなことを言いながらふんぞり返っているのは、サラッサ・ヒュドールだった。ヒュドール家の若き当主は普段は尊大で冷徹れいてつな態度をくずさないが、友人の前だと案外子供っぽい。

 サラッサはハイマよりいくつか年下だが、ハイマも当主の面々の中では下の方なのでサラッサとは身を寄せ合って過ごしている。お互い肩身が狭いな、などと思ってもいない事を言いながら。


「嘘つけ」


 ぼそっと悪態あくたいいたのはヒカノス・ディアノイアである。アヴレーク一行を無事案内する役目を終え、彼はのびのびとした顔で椅子の上で伸びていた。

 そもそも今夜彼らが家に来たのは、ハイマがヒカノスを唐突とうとつに指名したことのびとねぎらいをするためだ。ハイマが呼んだのはヒカノスだけでサラッサには知らせていなかったのに、どこからどう聞きつけたのかお前たちだけずるいぞと扉を叩いてきたのである。

 ルシェが来た時に二人を家に置いてけぼりにして彼女に従ったのは、彼らが気の置けない友人だからだ。何をするかも何をしないかもお互いに知っているので、好き勝手させてもそれほど害はない。飽きたら帰るだろう、とも思っていた。


「はいはい、お気遣いどーも」


 ハイマが出て行ったときには皿もバスケットもまだ中身があったはずだが、戻ってくるハイマのことなど考えずに食い尽くしたらしい。

 パンの欠片かけらすら残っていない中身を見て、舌打ちする。


「てっきり食べてくるのかと」


 サラッサがいけしゃあしゃあとそんなことを言った。

 別にそんなことで腹を立てたりはしないが、そう言った彼の顔を見て言えることがあった。


「口の端にパンくず」

「む……」


 端的たんてきに指摘してやると、サラッサはばつの悪そうな顔でぐしぐしと口をこする。そういうところがどうにも子供っぽいのだ。


「女性だっただろ。いい相手か?」

「馬鹿言うな。そういうんじゃねぇよ」


 ニマニマとしながらヒカノスがハイマの脇腹をつついた。べしりとその手をはたき落としながら、ハイマは鼻を鳴らす。

 ルシェとは断じてそういう関係ではない。強くて可愛らしくて話をしていてとても楽しいが、今そういう感情をいだいても仕事の邪魔になるだけだ。


「お前こそ、いい相手いないのか」


 返す刃でヒカノスを切りつけると、彼は乾いた笑みを浮かべてだらけ切っていた体を起こした。

 ともすれば長い髪も相まって女性的に見えなくもないヒカノスは、見目も良い。すらりとした長身でハイマと同じく槍を持つ姿は立ち姿もすっきりとしており、遠目にも彼だとわかるくらいだ。町娘たちがこっそり黄色い声でさわぐのを聞いたのは一度や二度ではない。


「残念ながら、ね」


 ヒカノスはディアノイア家の当主ではない。当主である彼の異母兄テレイオスはすでに結婚していて子供もいるため、急いで結婚する必要も今のところはない。だからなのか、立場的には婿むこに欲しいという家もありそうなものなのに、未だに結婚の話はまとまっていないようだった。

 テレイオスの妹でヒカノスにとっては異母姉に当たる人物も未だに独身であるから、テレイオスがあまり他家とのつながりを得ることに積極的ではないのかもしれない。ヒカノス自身も自らそういう相手を探す気もないのか、ハイマの問いかけに肩をすくめて笑っていた。


「俺もいい人ほしいんだよな……」


 サラッサがまるで夢物語でも話すような浮ついた口調で溜息ためいきく。十代の少女じゃあるまいしと、ハイマは鼻を鳴らした。

 ハイマやヒカノスより年下とは言っても、サラッサもいい年をしたおとなである。


「適当に見繕みつくろえばいいだろ」

「そうそう。ヒュドール家の当主様ならより取り見取り」


 空っぽの皿を眺めていても空しいだけなので、ハイマはテーブルの上を片付けた。部屋の外にある台の上に置いておけば、翌朝使用人が片付けてくれる。

 ヒュドール領と言えばバシレイアにおいて人口も多く豊かな領地だ。それこそ誰か嫁に来て欲しいと口に出せば、候補者がサラッサの前に列をなすだろう。


「そうじゃないんだよなあ……」


 はふんと形容しがたい溜息ためいきと共に、サラッサが机に頬をつける。

 日に焼けない白い頬がむに、と歪んだ。それがまた、もちもちの白パンでも見ている気分になるハイマである。


「欲しい人がいるんだ……」

「へえ?」


 男三人で恋の話をするというのもうすら寒いが、とりあえず話を聞いてやらないと終わらないことはわかっている。欠伸あくびをしながら、ハイマは適当な相槌あいづちを打った。

 ヒカノスなど聞く気もないのか、自身の爪を見下ろして甘皮をき始めている。


「でも、誰かわかんないんだ」

「なんだそれ」


 欲しいと言うからには明確な相手がいるのではないのか。

 首を傾げるハイマに、言った本人のサラッサも首をひねっている。さらりと、つややかな白藍しらあいの髪が揺れた。


「欲しい欲しいって思うのに誰かわかんない」

「ふぅん……」


 何となく小腹が減ってしまった。立ち上がって戸棚をあさると、いつ入れたのかわからないクラッカーの入った包みがあり、手に取って開けて匂いをぐ。香ばしい香りが鼻を擽ったので大丈夫だろうと判断して一枚かじった。

 ヒカノスとサラッサに一枚ずつ差し出せば彼らも口に入れたので、これで腹を壊すときは同じように道連れである。


「それあれじゃないか? 運命? とかいうやつ」


 聞いていないようで聞いていたのか、ヒカノスがやたら真剣な顔で御伽噺おとぎばなしめいたことを言った。

 何を馬鹿なことをとハイマが笑い飛ばす前に、サラッサが身を乗り出す。


「そうかな!」

「そうそう。そうだって。前世からの運命? とかいうやつ」

「おい、あんまりきつけるな」


 ヒカノスが真面目な顔をして言う時は、おおむ揶揄からかっている時と相場が決まっている。普段は猜疑心さいぎしんかたまりの癖に、相手が友人になるなりサラッサは警戒心がゆるむ。

 本気にして運命の相手を探し回られても困るのだ。サラッサの性格からして、そうなったら罪もないその相手が可哀想なことになるのは目に見えている。


「会ったらわかるかなあ……」

「わかるわかる」


 ぼやんとした顔で虚空こくうを見つめ始めたので潮時しおどきだ。

 適当な返事をしながら爪をこすっているヒカノスの頭をひっぱたいて、ついでにサラッサも軽く小突こづいて正気に戻す。


「おい。馬鹿言ってないで帰れ。俺はもう寝るぞ」

「おっと。こんな時間か」


 我に返ったサラッサが、窓の外を見て目を丸くする。明日は大事な講和の締結ていけつが行われるのだ。それに寝坊しましたなど笑い話にもならない。

 挨拶あいさつをかわすような間柄ではないので、ハイマはさっさと寝室へ引き上げた。二人もまた。適当に帰るだろう。あるいは泊まるのかもしれないが、勝手知ったる家なのだから適当な部屋で寝ることだろう。

 眠る直前、窓から見えた月はやたらと明るく輝いていた。

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