20 建国の王パトリオティス

 オルキデ女王国の一行が到着するまでは、あと二日。

 エクスーシアでの準備は大至急で進められていた。何しろ突然の予定変更であり、準備するつもりなど最初はなからなかったため、ハイマたちは多忙を極めていた。

 エクスーシアにまで至る経路の確認、案内役の選定、そして長期間いるわけではないが一泊はする以上適当な部屋をあてがうわけにもいかないので客間の用意。ルシェは一部屋でいいなどと馬鹿げたことを言っていたが、こちらとしては講和の使者をないがしろにしているなどという受け取られ方をされないよう、二部屋用意するつもりでいる。用意した部屋をルシェが実際使おうがどうしようがそれは彼らの事情なので勝手にすればいい。

 さらには警備の手筈てはずだ。ハイマとしてはルシェがいるから問題はないと思っているのだが、一応体裁ていさいとしては警備を用意していなくてはならない。

 一応、とりあえず、などと、実際は不要だが用意するものが多すぎてハイマは気が狂いそうになっていた。


「死ね!」

「不用意なこと言うなよ……」


 があっとハイマが窓の外に向かってえる。

 窓がめ殺しで開かなくなっている部屋を客間として指定されたのは、おそらくわざとだろう。もう一つ人が通ることなど不可能な小さな窓があるので、そちらを開いて換気かんきをすることだけはできる。

 呆れた顔をしたカフシモが、背後で溜息ためいきくのが聞こえた。


「用事は!」

「なんで俺にキレるんだよ。八つ当たりやめろって」


 ハイマがキレ気味にせまると、カフシモが死んだ鳥のような目をして紙を差し出してきた。いくつか赤いインクで文字を消してある。

 やっておいてくれと渡したリストであることをハイマは目を通してすぐに気づいた。終わったことを報告しに来たらしい。


「悪かったよ」


 命じたことがほぼ終わっている様子に、ハイマは少しだけ八つ当たりを反省した。エクスロス領で行うのであれば全てハイマの裁量さいりょうで行えたはずが、エクスーシアで行うことになったおかげで逐一ちくいち王の――いや、皇太后の意向が入ってくることにハイマは当然ながら苛立っていた。

 やらねばならないことが多いにも関わらず、手際てぎわよく進められないのがこれほどストレスだと思わなかった。長らく総司令官としてしか動いていなかった弊害へいがいだろうか。


「報告によると、道中はさほど問題ないようだ」

「そりゃ何よりだ」


 流石に土地勘のないオルキデ女王国の一行を、彼らだけで歩かせるわけにはいかない。立ち寄ってもらっては困る場所もある上に、他の領地からいらない手出しを受けないとも限らないからだ。

 オルキデ女王国からエクスーシアに至るまでにはクレプト領を通り、アグロス領を縦断じゅうだんする。そこまでの道のりは比較的舗装ほそうされている大通りをひたすらに進めばさほど難しい道でもなく、治安が悪いわけでもないので大々的な護衛ごえいは必要ない。

 ハイマはこの道案内役を、本当ならカフシモにたくそうと思っていた。エンケパロスは当主として講和に出席せねばならないので除外、ハイマの異母兄リノケロスは妻に迎えたファラーシャが落ち着くまでは家から動かせない。戦争に関わりルシェも顔を知っている相手ということで、残るはカフシモだけだった。

 だが、ここで皇太后から横槍が入った。これがハイマの不機嫌の原因一つ目である。

 いわく、知らない間に共謀きょうぼうされていてはかなわないので見知らぬ相手をつけるように、とのことだ。今更何を共謀きょうぼうすることがあるのかとハイマは怒り狂ったが、彼らがやってくるまでは時間がない。ここでやり合っても結局皇太后が自分の意見を押し通す結末が待っているだけで時間の無駄だとさとっていたので、せめてもと案内役の指名権をもぎ取った。

 ハイマが頼ったのは、ヒカノス・ディアノイアである。エクスロス家とは双璧そうへきを成す武家の家柄で、当主であるテレイオスの異母弟にあたる。そして、ハイマとは親友だ。味方と言い切れる者の少ない国内にあって、数少ないハイマが心から信頼できる相手である。当主でもなく、武家の家柄であることで、ハイマの要望は皇太后にすんなり受け入れられた。

 突然仕事がやってきたヒカノスは面食らっていたが、つつがなく仕事を遂行すいこうしてくれているらしい。ヒカノスは元来人見知りのきらいがあるため、会話のない道中だろうことは想像にかたくないが。


「これでひと段落、だな」


 一歩下がって、ハイマは部屋の中を見回した。調度品は磨き上げられていて、中央には小さなテーブル。部屋の隅には天蓋てんがい付きのベッドが一台。簡易な本棚には当たり障りのない国内の歴史書が数冊収められていて、その他紙とペンが本棚についている引き出しの中に入っている。

 窓辺には花が一輪差してあるガラスの花瓶が一つ。外からの日光に照らされて、花瓶は澄んだ水色に輝いていた。


「こんなもんか?」

「まあ、いいんじゃないのか」


 誰に言うでもない言葉だったが、カフシモが拾った。同意を得たならそれでいいだろうと判断して、ハイマは部屋から出る。

 後は当日彼らが到着次第、もてなしの料理と飲み物を運ぶだけだ。毒の心配がないよう、食器はすべて銀製で出すようになっている。そして誰かのせいでそれが守られなかった時の為にも、部屋の中には密かに銀食器を置いた。

 どうしてそんなことまで気を張らないといけないのかと、ハイマは隠しながらひっそり悲しくなった。戦場でルシェと話している方がよほど気楽だ。


「後は、何が残ってる?」

「えー……」


 カフシモに聞かれて、ハイマは頭をひねる。

 もうあまり考えたくないというのが正直なところである。だが、落ち度があっても後で皇太后につつかれるのも分かっていて、何かないかと考え込んだ。


「当日の出迎えは、まあ、その時でいいだろ。警護の兵士の配置は話をつけてあるし……」


 警護とは言っても、部屋の周囲を囲むようなことはしない。ルシェがいるからそもそも不要なのだとハイマは何度も説明をしたが、こちらも聞き入れてもらえなかった。

 これがハイマの不機嫌の原因その二である。

 最終的に、この客間に続く廊下の入り口に兵を配備する方向で決着がついた。まったくもって時間の無駄である。


「なら、一応終わりか?」

「多分な」


 やれやれ、とカフシモが肩を回す。バキ、と嫌な音が隣にいても聞こえた。


 ――ちゅう。


「あ?」


 何かの鳴き声がした気がして、ハイマは振り向く。

 廊下の向こうか、それとも部屋の中か。耳を澄ませてみても、それ以上何の声もしない。


「どうした?」

「いや……ネズミの声がした、ような……」

ネズミぐらいいるだろ」

「まあ、そうだな」


 絨毯じゅうたんかじられなかったらいいけど、などとぼやいているカフシモに、うわの空で返事をする。はっきりと鳴き声が聞こえるほど近くにいれば、足音なりすると思うのだが鳴き声以外何も聞こえなかった。

 どことなく、うすらさむいものがぞろりと背中を撫でる。


「気をつけろよ」


 当主ではないため、カフシモは講和には列席しない。準備が終わっているのならこのまま領地に帰るつもりなのだろう。

 何をとは言わずハイマがそう伝えると、カフシモはにやりと笑った。


ネズミにか?」


  ※  ※  ※


 長い廊下を一人で歩きながら、ハイマは壁を見上げた。客間になっているこのとうは、客人に対しての説明なのか、それとも長く血が続いていることの誇示こじなのか知らないが、歴代の王の肖像画しょうぞうがが飾られている。

 入り口の方から始まり左右両側に交互に肖像画しょうぞうががかけられているが、まだ現在の王のものはない。死んだ、あるいは代替わりした年齢にほど近い絵が飾られるからである。

 ひげも髪も真っ白になった老人の絵もあれば、まだほんの子供だろう絵もあった。何とはなしにその絵を見ていたハイマは、入り口に一番近い絵の前で足を止める。


「初代、パトリオティス・エクスーシア……か」


 絵の下には、名前が書かれたプレートが埋め込まれている。初代の王パトリオティスは、互いに争い合っていた十二の領地をまとめ上げ、今へと続くバシレイア王国の基礎きそを作った王だ。

 統率力だけではなく本人の武力も相当なものだったと伝えられる長剣使いで、国をまとめ上げた後に彼はその剣を新たに打ち直させて十二家を象徴する紋様もんようを入れたさやを作ったのだという。の剣は今でも王のあかしとして受け継がれ続けているというが、ハイマは直接見たことはない。

 今となっては新王即位の際にしか用いられない、儀礼用のものである。


「こんな王が、今この時代にいたらな」


 ハイマが歴代の中で最も尊敬するのが、この初代だった。この絵に描かれたころは何歳だったのか、髪にこそ白いものが混じってはいるがその目は爛々らんらんとしている。

 流石にエクスーシアを除く十一領をその腕っぷしで屈服させた人間の顔つきというべきか。初代の王についてはなぜかあまり文献ぶんけんが残っておらず、散在する資料からしかその人となりをうかがうことができない。

 愛妻家だったこと、信賞必罰しんしょうひつばつで逆らった人間に対して非常に厳しかったこと、各領地がそれぞれ戦力を保持することを嫌ったこと。確実だと言われているのはこの程度で、あとは信憑性しんぴょうせいとぼしい話ばかりだ。

 絵を見つめていると、なぜか不意に初代と目が合ったような気がした。ぞくりと背筋が震えて、ハイマは一歩下がる。

 もう一度見たが、特に何も感じない。光の加減でそう見えただけか、と思ってハイマは知らず詰めていた息を吐き出した。


「なんなんだ……」


 何故か鳥肌が立っていた腕をさすりながら、ハイマは身をひるがえした。

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