18 腐敗する斜陽の国

 ファラーシャは無事にエクスロス領へと送り届けられ、一ヶ月。エクスロスであれば特に何事もないだろうと思うのは、戦地で実際に刃をまじえたエクスロス領の兵士を知っているからだ。恨みをぶつけられるという別の危険性はあるのだろうが、そこは鴉が気にすることではない。そこの采配さいはいは当主であるハイマと夫となったリノケロスがするものであり、万が一そういうことがあればそれは彼らが許容きょようしたこととして扱われる。

 彼らはそんなことを許容きょようすることはないだろう。何せそれは、彼らの矜持きょうじに関わる部分なのだから。

 オルキデ女王国の王都エルエヴァット、王城シュティカ。外朝がいちょう部分にある宰相の執務室で、部屋の主であるアヴレークがつまらなさそうに書類をめくる。その大きな執務用の机の隣、それと比べれば小さな机のところで、鴉もまた渡された書類をめくっていた。


「そういえばさあ、大鴉カビル・グラーブ

「なんでしょう、閣下」

「エハドアルド・ハーフィルから私のところに結婚を許可しろとかいう書状が届いたんだけど」


 ひゅ、と息を呑み込む音が自分から聞こえた。止まりそうになった呼吸を続けるために、鴉は自分の喉元に手を当てる。

 エハドアルドはあの時に大鴉の顔を見て、そしてルシェルリーオであるという確認をしてしまっている。結果としてどこにいるかが判明し、アヴレークにそんな書状を送ったというところだろう。

 けれど、あえて鴉はとぼけることにした。


「誰と誰のです?」

「エハドアルド・ハーフィルと婚約者のルシェルリーオ・エレヴ・


 ルフェソークとは、王族の名である。

 鴉はハイマにそこまで名乗ることはしなかったが、これが本当の名前ではある。けれどそんなものは投げ捨ててしまって久しいものであるし、投げ捨てた原因はエハドアルドだ。

 そもそもまだ婚約者だなどと言っているのか。エハドアルドの頭というのは、余程本人に都合よくできているらしい。呆れ果てて溜息ためいきも出ないというのはこういうことか。


「寝言ですね」

「まだけるには早い年齢だと思ってたんだけどねえ、父親と違って」


 エハドアルドはガドール公爵ではなく、未だ父親は健在だ。しかし現在のガドール公爵は既に七十を超えており、最近は言動が怪しく領地に戻ることすらほとんどないというのがもっぱらの噂である。

 去年か一昨年おととしだかに見かけたときはまだ矍鑠かくしゃくとしていたが、最近は見かけていないのでどうだろう。


「ガドール公爵はそんなに酷いですか」

「あれはもう駄目だ。さっさと隠居いんきょした方が良い」


 耄碌もうろくじじいが、とアヴレークが吐き捨てたのは聞こえないふりをした。年長者ということもあり、ガドール公爵はリヴネリーアやアヴレークにも上から物を言うことも多いのだ。アヴレークの腹の中には恨み言が山と積もっていることだろう。

 そもそも貴族は五十を過ぎれば隠居いんきょする者も多く、七十を過ぎても公爵位にあるというのは本当にまれなことである。そもそもオルキデという国は五十まで生きられれば御の字というようなところもあり、リヴネリーアやアヴレーク、それにシュリシハミン侯爵ですらも長生きの部類だ。

 その中で、七十歳。よくもまあそこまで生き永らえたものである。


「で、エハドアルドの件はシャロのせいと受け取って良いのかな?」

「さて、エハドアルド・ハーフィルに婚約者はおりませんし、ルシェルリーオなどという人間は存在しないはずですが」


 考えるのも嫌で、更にとぼけた。するとそれをとがめるかのように、かつんとアヴレークが机を叩く。

 見ればアヴレークは頬杖をついて、ぺらりと一枚の書状を鴉に見せていた。そうして彼は笑みを深め、決してとぼけることは赦さないというような顔をする。


?」


 息が、うまくできない。

 考えたくないのだ、エハドアルドのことなど。九年前のことで忘れてしまったことだと思っていたのに、結局本人を目の前にしてしまえば鴉の足は恐怖にすくんで動かなかった。

 自分に泣くことすら禁じて雛鳥の訓練にも耐えたのに、人を殺せるようにまでなったのに、それでも未だ弱いままの自分に反吐へどが出る。


「私は今、?」

「……お察しの通りかと、存じますが」


 肯定を、しぼり出す以外にはない。逃げることをアヴレークが赦してくれない。

 仮面の下で目を閉じて、大丈夫かと問われた声がよみがえる。大丈夫だ、誰に心配されることがなかったとしても鴉は一人で翔べるのだから。どれだけリヴネリーアとアヴレークに重いものをのせられたとしても、不格好だとしても。

 落ちることは赦されない。翔び続けなければ意味がない。こうして存在している意味が、どこにもない。


「ああもう駄目だね、折角生かしておいてあげたのに。さて、どうしようかな」


 アヴレークは柔和な笑みを浮かべている。シャロシュラーサは下手を打ったのだ、決して手を出してはならなかった部分に手を出した。

 彼女がどうなるかはさておいて、とにかくもう鴉としては話題を変えてしまいたい。だから、彼に伝えなければならないことをさっさと伝えることにした。


「閣下、それはともかくとしてですね。バシレイア側からの要望なのですが」

「ああそうだった。私に伝えるべきことでも何かあったかな?」

「講和の締結ていけつは、あちらの王城でと」


 これは鴉にも予想外の提案であり、そしてハイマも苦虫を何匹もつぶしたような顔をしていたので彼も望むところではないのだろう。本来全権を持っているのはハイマのはずであったが、どこかから横槍が入ったらしい。

 どこかから、というか、その要望からして十中八九エクスーシアなのだろうが。


「へえ。君とハイマ・エクスロスの間で終わらせるのではなく?」

「はい。どこからか横槍が入ったようで、総司令官殿が非常に嫌そうな顔をしておられました」

「どこか、ねえ……どこだろうね?」


 エクスーシアと言えば王だろうが、果たしてそれは本当に王からか。

 通り一遍いっぺんのことは当然調べているが、そこで出てくるものがある。王は王妃よりも母親である皇太后を尊重そんちょうしていると。


「さて、分かりかねますが。皇太后の可能性もありますね」

「だよねえ。となるとこちらも王族を出さざるを得ないか」


 あちらも王が出てくるのならば、こちらも身分をつり合わせねばならない。鴉では駄目だ、鴉はただの臣下でしかないのだから。

 王族には、王族を。しかしこちらがバシレイアの王城へおもむかねばならないとなると、まるでオルキデが敗北したかのような扱いだ。こちらが宣戦布告をして仕掛しかけた戦争なのだから仕方がないと言えばそれまでなのだが、少しばかり思うところはある。

 どちらも勝利はしていない。敗北もしていない。そうして終わらせた戦争だというのに。


「私が行こう。返答をしておいて」

「閣下自ら、ですか」

「そうだよ? シャロをするのなら、シャロを行かせるのも手だけれども。それでガドールを喜ばせるのもしゃくだからね」


 講和の使者として選ぶということは、ある意味で王位継承権争いで頭一つ抜けるということでもある。確かにシャロシュラーサ当人は女王になどなりたくないと豪語ごうごしてはばからないが、ガドール公爵家としては彼女が女王になるのが望ましいことだろう。

 オルキデの王位継承権争いは、白亜の城が血で染まるなどと揶揄やゆされる。かつては鴉まで利用しての暗殺まであったようだが、今のところそういったことは発生していない


「そう、ですか」


 誰も王家の青銀を持たないのなら、誰がなっても同じならば。青銀が、いたならば。

 そんなことをつい考えてしまって鴉はゆるくかぶりを振った。そんなものはいないのだ、もうどこにも。失われたものを求めたところで、何一つとして意味はない。

 女王の娘は三人いて、玉座は一つ。誰一人として王家の青銀を持たず、そして誰一人として女王の器ではない。これはオルキデにとっての不幸と言うべきことか。

 鴉は結局それ以上は考えないことにして、手元にあった書面をアヴレークに渡す。何も、考えないことにした。多分それは逃げだろうが、考えたくなかったのもまた事実だ。


「閣下、こちらがバシレイアに持って行く品のリストです。確認してください」

「はいはい、分かったよ」


 賠償金ばいしょうきんの支払いは、クレプトから買う食糧の値段を当面の間引き上げるということで話がついた。アヴレークもその条件で良いと言っていたので、それについては話がついている。こちらは謝罪の品ということで、金銭ではなくオルキデで採れるものや作れるもので価値があるであろうものをまとめただけだ。

 今のところ紛糾ふんきゅうしているというか、返答がないのはデュナミスだけだ。当主が病床のためと言われてはいるが、家人であるリオーノのしたことへの賠償ばいしょうである。病床だろうが何だろうが対応して貰わねば困ることではあるが、結局鴉はこれについては強く言えないままだ。

 そもそもデュナミス家に対するものを、総司令官とは言えハイマに言うのもどうかと思っているのだ。もしかするとハイマはオルキデとデュナミス家の間の賠償請求ばいしょうせいきゅうとどこおっていることを知らないかもしれない。


「織物の量を増やして原石を減らした方が良いんじゃないかな? 原石加工は、あちらはできる領地が限られてるだろうし。希少なものほど加工が難しいから、いくら値が高くても加工前だと価値がないと思うよ」

「そうですね……今から加工するには時間も足りませんし、織物を増やします。希少原石はやめておきますか」

「そうだねえ。入れない方が良い、相手の技術力を試しているとも思われかねないから」


 本当ならば加工済みのものを渡すべきなのだろうが、生憎と今はそれが不足していた。売れてしまったというわけではなく、逆に注文がなかったからだ。第三王女の婚姻こんいん以降は主だった貴族の結婚儀礼もなく、王族は第三王女までしかいない。平民は当然希少な宝石など発注することはなく、希少鉱石は原石のまま眠ることになったというわけだ。

 希少鉱石など、何事もなければ加工はしない。普段に使うようなものではないため、研磨けんま済みのものはなかった。加工をして送ろうにも何にするのかという話ではあるし、何かと時間も取られてしまう。

 そうして希少鉱石の話になって、ふと思い出したことがある。


「そうでした、閣下……希少原石のことで一つ」

「どうかしたかい?」


 希少とは言え、採掘がされないというわけではない。腐るものではないので、希少鉱石は採掘はされるし原石のままに取引はされる。

 当然ながらその流通量は通常のものほど多くはないが、どこの鉱脈あるいは鉱床で採掘をされたのか、誰が所持してどこのキャラバンに渡したのかなど、軍事転用のできる危険なものもあるので記録はしなければならない。オルキデにおいては、そういう取り決めだ。そして違反者は当然ながら重罪である。


「シアルゥとラアナからの報告ですが、どうも希少原石の流通量がおかしいと」

「おかしい?」

「採取量と流通量が一致しません。差異はそう大きくはありませんが、どうも秘密裏ひみつりに流れているようで」


 最初にそのことに気付いたのは、シアルゥだった。彼は弟子であるラアナも使って詳細しょうさいを調べて報告を上げてきたが、その数字は鴉が見てもやはりおかしい。

 一度や二度であれば記載きさいれで終わったかもしれないが、長期間となるとやはり看過かんかできるようなものではないのだ。


「……軍事転用できるものかい?」

「いえ、宝石にするものばかりですが」


 衝撃しょうげきを与えると光を発するようなものもある。けれどそういった軍事転用ができる危険なものは採取量と流通量が一致しており、どこかに流れたりはしていない。

 そちらが問題がなければ見逃されるとでも思ったのか。白い鴉はそんなに甘くはないというのに。


賄賂わいろか」

「その可能性は高いかと」


 どこでどうやって加工するつもりかは知らないが、宝石になるだけの希少鉱石は賄賂わいろとしてはうってつけだろう。それを加工して売ることができれば富にはなる。

 けれどオルキデの内部でそんなことをすれば、確実に足がつくのだ。オルキデの人間はそもそも宝石を見る目は誰もが肥えているし、詳しい者であればその加工をどこの工房がけ負ったのかまで分かるという。

 鴉は宝石になどさっぱり興味もないので、そんなことは一切分からないのだが。そういった感性は残念ながら九年前に死んだのか、今となっては色の異なる光る石、という程度の認識でしかない。


「引き続き白鴉に調査をさせておいてくれ。流れた先の目星は?」

「おそらく国内ではありません。外、ですね」


 シアルゥとラアナはそのことに気付いて工房を探ってみたようだが、やはりどこにも運ばれた形跡がないという。そもそも国内で賄賂わいろを送るとして、その先は限られる。今更そんなものを送るような先はほとんどないだろう。せいぜい派閥はばつを変えたい場合だろうが、国内で送るのならば希少鉱石よりも食糧と水の方が余程効果的だ。

 となればやはり、送り先は外なのだ。


「シハリア・バルブールが言っていた。宣戦布告や軍の展開の流れがとどこおりなさすぎると」

「内通者が?」

「通じる先がバシレイアなら簡単だよ、皇太后と通じれば良い。それであるのなら希少原石が宝石ばかりなのも説明がつく」


 そういったものに目がない女性であればね、とアヴレークは言うが、どうなのだろうか。

 身分の高い女性は着飾きかざるのも仕事のようなものではある。リヴネリーアも美しく整えているが、それもまた仕事のうちと彼女は言うのだ。女王としての武装ぶそうである、とも。

 三人の王女も三者三様とはいえ、決して不格好で外を出歩いたりはしない。そしてそれは王族のみならずで、貴族の夫人や令嬢もまたきちんと見目は整えているものだ。

 バシレイアの皇太后もそうなのだろうか。中にはただそういうものが好きで集めるということもあるらしいけれど。


「問題はこちら側、ですか」

「そうだねえ」


 誰がバシレイアと通じているのか。

 戦争を望んだのはラベトゥル公爵かもしれないが、だからといってラベトゥル公爵家だけを疑ってかかるわけにはいかない。裏で誰かが糸を引いているかもしれないし、ラベトゥル公爵は誰かの思惑で動かされただけかもしれない。

 勿論もちろん、彼が通じているという可能性も大いにあるけれど。ともかく内通しそうな者はいくらでもいて、それが今のオルキデ女王国という国の内情なのだ。


「どうせそのうち襤褸ぼろを出すさ。それは結局権力が欲しくて仕方がない誰か、なのだからね」


 アヴレークは笑っているが、その襤褸ぼろが出るのはどんな時なのだろう。どうにかして釣り出さねばならないのだろうが、考えるだけで溜息ためいきが出た。

 どうしてこんなにも、この国は腐ってしまったのだろう。陽は昇れば沈むのだから、今はその沈む時だということか。

 斜陽の国。腐る国。

 その腐敗をすべて取り除けば、沈んだ陽はまた昇るのだろうか。リヴネリーアとアヴレークはそう信じているのだろうけれど、鴉にはよく分からない。

 分からないけれど、翔ぶのだ。ただただ彼らのためだけに。そして、死ぬのだ。この国のためだけに。

 その覚悟だけは、できているのだから。

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