18 腐敗する斜陽の国
ファラーシャは無事にエクスロス領へと送り届けられ、一ヶ月。エクスロスであれば特に何事もないだろうと思うのは、戦地で実際に刃を
彼らはそんなことを
オルキデ女王国の王都エルエヴァット、王城シュティカ。
「そういえばさあ、
「なんでしょう、閣下」
「エハドアルド・ハーフィルから私のところに結婚を許可しろとかいう書状が届いたんだけど」
ひゅ、と息を呑み込む音が自分から聞こえた。止まりそうになった呼吸を続けるために、鴉は自分の喉元に手を当てる。
エハドアルドはあの時に大鴉の顔を見て、そしてルシェルリーオであるという確認をしてしまっている。結果としてどこにいるかが判明し、アヴレークにそんな書状を送ったというところだろう。
けれど、あえて鴉はとぼけることにした。
「誰と誰のです?」
「エハドアルド・ハーフィルと婚約者のルシェルリーオ・エレヴ・ルフェソーク」
ルフェソークとは、王族の名である。
鴉はハイマにそこまで名乗ることはしなかったが、これが本当の名前ではある。けれどそんなものは投げ捨ててしまって久しいものであるし、投げ捨てた原因はエハドアルドだ。
そもそもまだ婚約者だなどと言っているのか。エハドアルドの頭というのは、余程本人に都合よくできているらしい。呆れ果てて
「寝言ですね」
「まだ
エハドアルドはガドール公爵ではなく、未だ父親は健在だ。しかし現在のガドール公爵は既に七十を超えており、最近は言動が怪しく領地に戻ることすらほとんどないというのが
去年か
「ガドール公爵はそんなに酷いですか」
「あれはもう駄目だ。さっさと
そもそも貴族は五十を過ぎれば
その中で、七十歳。よくもまあそこまで生き永らえたものである。
「で、エハドアルドの件はシャロのせいと受け取って良いのかな?」
「さて、エハドアルド・ハーフィルに婚約者はおりませんし、ルシェルリーオなどという人間は存在しないはずですが」
考えるのも嫌で、更にとぼけた。するとそれを
見ればアヴレークは頬杖をついて、ぺらりと一枚の書状を鴉に見せていた。そうして彼は笑みを深め、決してとぼけることは赦さないというような顔をする。
「ルシェ?」
息が、うまくできない。
考えたくないのだ、エハドアルドのことなど。九年前のことで忘れてしまったことだと思っていたのに、結局本人を目の前にしてしまえば鴉の足は恐怖に
自分に泣くことすら禁じて雛鳥の訓練にも耐えたのに、人を殺せるようにまでなったのに、それでも未だ弱いままの自分に
「私は今、君に聞いているんだけれど?」
「……お察しの通りかと、存じますが」
肯定を、
仮面の下で目を閉じて、大丈夫かと問われた声がよみがえる。大丈夫だ、誰に心配されることがなかったとしても鴉は一人で翔べるのだから。どれだけリヴネリーアとアヴレークに重いものをのせられたとしても、不格好だとしても。
落ちることは赦されない。翔び続けなければ意味がない。こうして存在している意味が、どこにもない。
「ああもう駄目だね、折角生かしておいてあげたのに。さて、どうしようかな」
アヴレークは柔和な笑みを浮かべている。シャロシュラーサは下手を打ったのだ、決して手を出してはならなかった部分に手を出した。
彼女がどうなるかはさておいて、とにかくもう鴉としては話題を変えてしまいたい。だから、彼に伝えなければならないことをさっさと伝えることにした。
「閣下、それはともかくとしてですね。バシレイア側からの要望なのですが」
「ああそうだった。私に伝えるべきことでも何かあったかな?」
「講和の
これは鴉にも予想外の提案であり、そしてハイマも苦虫を何匹も
どこかから、というか、その要望からして十中八九エクスーシアなのだろうが。
「へえ。君とハイマ・エクスロスの間で終わらせるのではなく?」
「はい。どこからか横槍が入ったようで、総司令官殿が非常に嫌そうな顔をしておられました」
「どこか、ねえ……どこだろうね?」
エクスーシアと言えば王だろうが、果たしてそれは本当に王からか。
通り
「さて、分かりかねますが。皇太后の可能性もありますね」
「だよねえ。となるとこちらも王族を出さざるを得ないか」
あちらも王が出てくるのならば、こちらも身分をつり合わせねばならない。鴉では駄目だ、鴉はただの臣下でしかないのだから。
王族には、王族を。しかしこちらがバシレイアの王城へ
どちらも勝利はしていない。敗北もしていない。そうして終わらせた戦争だというのに。
「私が行こう。返答をしておいて」
「閣下自ら、ですか」
「そうだよ? シャロを処分するのなら、シャロを行かせるのも手だけれども。それでガドールを喜ばせるのも
講和の使者として選ぶということは、ある意味で王位継承権争いで頭一つ抜けるということでもある。確かにシャロシュラーサ当人は女王になどなりたくないと
オルキデの王位継承権争いは、白亜の城が血で染まるなどと
「そう、ですか」
誰も王家の青銀を持たないのなら、誰がなっても同じならば。青銀が、いたならば。
そんなことをつい考えてしまって鴉はゆるく
女王の娘は三人いて、玉座は一つ。誰一人として王家の青銀を持たず、そして誰一人として女王の器ではない。これはオルキデにとっての不幸と言うべきことか。
鴉は結局それ以上は考えないことにして、手元にあった書面をアヴレークに渡す。何も、考えないことにした。多分それは逃げだろうが、考えたくなかったのもまた事実だ。
「閣下、こちらがバシレイアに持って行く品のリストです。確認してください」
「はいはい、分かったよ」
今のところ
そもそもデュナミス家に対するものを、総司令官とは言えハイマに言うのもどうかと思っているのだ。もしかするとハイマはオルキデとデュナミス家の間の
「織物の量を増やして原石を減らした方が良いんじゃないかな? 原石加工は、あちらはできる領地が限られてるだろうし。希少なものほど加工が難しいから、いくら値が高くても加工前だと価値がないと思うよ」
「そうですね……今から加工するには時間も足りませんし、織物を増やします。希少原石はやめておきますか」
「そうだねえ。入れない方が良い、相手の技術力を試しているとも思われかねないから」
本当ならば加工済みのものを渡すべきなのだろうが、生憎と今はそれが不足していた。売れてしまったというわけではなく、逆に注文がなかったからだ。第三王女の
希少鉱石など、何事もなければ加工はしない。普段に使うようなものではないため、
そうして希少鉱石の話になって、ふと思い出したことがある。
「そうでした、閣下……希少原石のことで一つ」
「どうかしたかい?」
希少とは言え、採掘がされないというわけではない。腐るものではないので、希少鉱石は採掘はされるし原石のままに取引はされる。
当然ながらその流通量は通常のものほど多くはないが、どこの鉱脈あるいは鉱床で採掘をされたのか、誰が所持してどこのキャラバンに渡したのかなど、軍事転用のできる危険なものもあるので記録はしなければならない。オルキデにおいては、そういう取り決めだ。そして違反者は当然ながら重罪である。
「シアルゥとラアナからの報告ですが、どうも希少原石の流通量がおかしいと」
「おかしい?」
「採取量と流通量が一致しません。差異はそう大きくはありませんが、どうも
最初にそのことに気付いたのは、シアルゥだった。彼は弟子であるラアナも使って
一度や二度であれば
「……軍事転用できるものかい?」
「いえ、宝石にするものばかりですが」
そちらが問題がなければ見逃されるとでも思ったのか。白い鴉はそんなに甘くはないというのに。
「
「その可能性は高いかと」
どこでどうやって加工するつもりかは知らないが、宝石になるだけの希少鉱石は
けれどオルキデの内部でそんなことをすれば、確実に足がつくのだ。オルキデの人間はそもそも宝石を見る目は誰もが肥えているし、詳しい者であればその加工をどこの工房が
鴉は宝石になどさっぱり興味もないので、そんなことは一切分からないのだが。そういった感性は残念ながら九年前に死んだのか、今となっては色の異なる光る石、という程度の認識でしかない。
「引き続き白鴉に調査をさせておいてくれ。流れた先の目星は?」
「おそらく国内ではありません。外、ですね」
シアルゥとラアナはそのことに気付いて工房を探ってみたようだが、やはりどこにも運ばれた形跡がないという。そもそも国内で
となればやはり、送り先は外なのだ。
「シハリア・バルブールが言っていた。宣戦布告や軍の展開の流れが
「内通者が?」
「通じる先がバシレイアなら簡単だよ、皇太后と通じれば良い。それであるのなら希少原石が宝石ばかりなのも説明がつく」
そういったものに目がない女性であればね、とアヴレークは言うが、どうなのだろうか。
身分の高い女性は
三人の王女も三者三様とはいえ、決して不格好で外を出歩いたりはしない。そしてそれは王族のみならずで、貴族の夫人や令嬢もまたきちんと見目は整えているものだ。
バシレイアの皇太后もそうなのだろうか。中にはただそういうものが好きで集めるということもあるらしいけれど。
「問題はこちら側、ですか」
「そうだねえ」
誰がバシレイアと通じているのか。
戦争を望んだのはラベトゥル公爵かもしれないが、だからといってラベトゥル公爵家だけを疑ってかかるわけにはいかない。裏で誰かが糸を引いているかもしれないし、ラベトゥル公爵は誰かの思惑で動かされただけかもしれない。
「どうせそのうち
アヴレークは笑っているが、その
どうしてこんなにも、この国は腐ってしまったのだろう。陽は昇れば沈むのだから、今はその沈む時だということか。
斜陽の国。腐る国。
その腐敗をすべて取り除けば、沈んだ陽はまた昇るのだろうか。リヴネリーアとアヴレークはそう信じているのだろうけれど、鴉にはよく分からない。
分からないけれど、翔ぶのだ。ただただ彼らのためだけに。そして、死ぬのだ。この国のためだけに。
その覚悟だけは、できているのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます