17 バシレイアの当主会議
リノケロスとファラーシャが無事共に暮らし始めてから数日後、ハイマの姿は王都エクスーシアにあった。王に講和の内容を報告するためというのが表向きの理由で、真実は勝手なことをしてどういうつもりかと皇太后からの呼び出しを受けたからだ。
エクスロス家に届いた手紙は文字こそ流れるような細く美しいものだったが、言葉は荒々しく
激怒されるほどの内容にした覚えはないので、ハイマは本日何度目かの
「めんどくせ……」
皇太后を相手にするだけでも精神的に
本来関係のあったデュナミス家も来るはずだが、当主であるピルの病状が
「めんどくせえええ……」
大広間へと続く廊下で
長身であるハイマの背丈よりも遥かに巨大な扉の前で、ハイマはもう一度
分厚い扉だ、どうせその向こうに聞こえやしない。たっぷりと息を
「遅くなりましたか」
「ええ。一体何をしていたの。早く席に」
キンと鋭い声が耳に刺さる。隣に座っていたテレイオス・ディアノイアが少しだけ嫌な顔をするのが見えた。王であるエレクトス・エクスーシアを起点にして右回りにマカリオス家が座っているはずなのだが、そこに腰を下ろすのはマカリオス家の当主ではなく皇太后エイレーネ・マカリオスだ。彼女は当主でも何でもない、皇太后でしかないにも関わらずそこに我が物顔で座っていることに対して、
マカリオス家の更に右がテレイオス・ディアノイア、そして珍しくもその隣にフードを被って顔を隠した女性が静かに腰を下ろしている。ヘリオス家の当主であるミラ・ヘリオスだ。一説によるとバシレイア王国が建国された当初から姿を変えぬまま、ずっとこの座に座り続けているとかいう。そんな
ミラの隣、シュガテール家の席を開けてハイマが座るエクスロス家の椅子がある。前回は顔を見たフィオスは今日は欠席しているようだった。ちょうどハイマでほぼ真ん中であり、顔を上げれば王と目が合う。ハイマの左側にいるはずのニュクス家も欠席しているため、体格のいいハイマは両脇に気を遣わなくて済むな、と少しだけ胸を撫で下ろした。
ふとハイマはぐるりと席を見渡して椅子を数える。バシレイア王国の貴族は十二家のはずだが、椅子が一つ多い気がした。
(いつもこうだったか……?)
普段は人の数が今回よりも少ないため目立たなかったのだが、珍しくも半数以上が
「ハイマ、この
思考に沈んでいたハイマの意識は、王の声に引っ張られるようにして
その隣にいる皇太后の姿さえなければ、もっと尊敬できる相手のはずなのだが。
「過日オルキデ女王国より受けた宣戦布告による戦いは、講和という形で終結いたしました」
「なぜ攻め続けて領土を得なかったのですか!」
詳しく話をして彼らが喜ぶとも思えない。たったこれだけの言葉にも、皇太后は口を開けて
攻め込んで領土を奪えばそれは
「攻めても得るものはありませんので」
「それを判断するのは王であってお前ではない!」
事実、クレプト領と地続きのオルキデの土地は見たところクレプトと大差ない。これ以上砂地を領地として持つことにエンケパロスは意味を見出さないだろう。
ただでさえバシレイア国内の中でも食糧生産が
「俺は、不要です」
なおも言い
流石にそれを無視するほど皇太后は愚かではない。エンケパロスをぎっと睨んだかと思うと、むっつりと黙り込んだ。沈黙をこれ以上の異議はなしと受け取って、ハイマはもう一度口を開く。
「
「なんだ。嫁をもらうのか」
野太い声が笑いを
女の話題と聞くなり身を乗り出してきたこの
アグロスは確かに穀倉地帯でバシレイア国内でも屈指の豊作の地だが、そっちの種まきも上手いようだと他領では噂になっていた。
「俺が貰ってやろうか。もちろん、顔が良くて胸がでかい女ならだが」
「生憎と、もう相手は決まっているので」
ハイマは
非常に残念なことに、彼女はゲオルゴスの好みの真ん中にいそうだ。できる限り近づかないように言っておこうと、ハイマは脳内のメモに書きつけておいた。
「ほう? お前がか?」
「いいえ。兄が」
「あいつが? そりゃあ驚きだ! あの
「さて。俺には女を見る目はないようですのでわかりかねます」
テーブルに手を叩きつける勢いのゲオルゴスにハイマは大いに引いた。
リノケロスもハイマもアグロス家からの縁談を断った過去があり、その際に我が家の女を
リノケロスはともかくとして、ハイマが縁談を拒否したのはこの男と縁続きになるのが嫌だったからだが。
「ああ、王よ。私は悲しい……貴方が治めるこの国をより強く富めるものにしようという
「母上……」
よよ、と服の袖口で目元を押さえながら王にしなだれかかる皇太后に鳥肌が立つ。まるで女が愛しい男に甘えるような仕草ではないか。それをいたわしげに抱き止めて目を伏せる王も王である。
どれだけ仲が良くても構わないが、二人きりのときにやって欲しいものだ。
「すでに講和は成りました。これよりは、武力ではなく互いに協力しながら富んでいく時期かと」
こうなるからこそ、さっさと全権を手に入れておいてよかったと心から思うハイマである。
一事が万事この有様だ。王に許可をもらっていてはきっとまだ講和の条件は固まっていなかっただろう。
「陛下、申し上げても?」
今まで黙って成り行きを見守っていたミラが、フードの下から声を出した。ハイマが彼女の声を聞くのは数年ぶりだ。若い女にも年老いた女にも聞こえる不思議な声が、どうにもハイマは苦手だった。
どことなく背筋がぞわぞわして落ち着かない。
「どうした、ミラ」
「講和を成すべきかと存じます」
淡々として
自分がもたらした沈黙であるにも関わらず、ミラはそれ以上口を開くことなくただ静かに座り続けていた。
「何か見えたのか?」
ヘリオス家はバシレイア王国の中でも少し特殊な役割を持つ一族だ。魔術など存在していない国の中でほとんど唯一、不可思議な存在が身近にある。国内
なぜ世話をする
「さあ、どうでしょうか」
ミラが見えた先のことを具体的に言うことはまずない。だがその言葉は見えた事柄から導き出されたものであるとして発言力は強く、王や皇太后でさえその言葉を
「母上。ミラもこう申しておりますし……」
「……わかったわ」
この場で反対できないのなら別の機会に
(……サラッサが、前に言ってたな。)
ちらりとサラッサを見ると、彼もハイマを見ていたようで視線がぶつかる。意味深に口の端だけで笑う彼からすっと目線を逸らした。
今はまだそこまでではないと感じていた皇太后の存在が、次第にハイマの中で邪魔なものとして認識され始めた。
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