17 バシレイアの当主会議

 リノケロスとファラーシャが無事共に暮らし始めてから数日後、ハイマの姿は王都エクスーシアにあった。王に講和の内容を報告するためというのが表向きの理由で、真実は勝手なことをしてどういうつもりかと皇太后からの呼び出しを受けたからだ。

 エクスロス家に届いた手紙は文字こそ流れるような細く美しいものだったが、言葉は荒々しく苛立いらだちが伝わってくるようだった。どういうことも何も、ハイマはただ講和をまとめただけだ。そのための結婚も損害の補償も、何もかも戦争に関わった三領で完結している。したがって国内の他の領地にとっては特にえきもなければ損もない。

 激怒されるほどの内容にした覚えはないので、ハイマは本日何度目かの溜息ためいきいた。


「めんどくせ……」


 皇太后を相手にするだけでも精神的に疲弊ひへいするというのに、今回の呼び出しには当主会議という余計な名目がひっついている。全員が出席することはほとんどないとはいえ、当日席に着くまで誰が来るかわからないので対策の立てようがない。内容が内容なのでかろうじてエンケパロスが来ることはわかっているが、彼がハイマに対して何かフォローをしてくれるなどと期待してはいけない。

 本来関係のあったデュナミス家も来るはずだが、当主であるピルの病状がかんばしくないと聞いている。カフシモの出席はおそらくゼステノにはばまれるだろうから、今回もデュナミスは来ないだろう。


「めんどくせえええ……」


 大広間へと続く廊下で怨嗟えんさのように恨み言をきながら、ハイマは重い足を動かす。不思議なもので、戦場で血を流しすぎた時よりも今の方が余程よほど体が動かない。どれほどだらだら歩こうとも、大広間までの距離はいつもと同じだ。

 長身であるハイマの背丈よりも遥かに巨大な扉の前で、ハイマはもう一度溜息ためいきいた。

 分厚い扉だ、どうせその向こうに聞こえやしない。たっぷりと息をき出してから、取っ手に手をかけてゆっくりと押す。見た目通り重たい扉を押し開けると、そこにはまばらに人が座っているのが見えた。やはりと言うべきか頭数はそろっていないが、思っていたよりも多い。半分は超えている。


「遅くなりましたか」

「ええ。一体何をしていたの。早く席に」


 キンと鋭い声が耳に刺さる。隣に座っていたテレイオス・ディアノイアが少しだけ嫌な顔をするのが見えた。王であるエレクトス・エクスーシアを起点にして右回りにマカリオス家が座っているはずなのだが、そこに腰を下ろすのはマカリオス家の当主ではなく皇太后エイレーネ・マカリオスだ。彼女は当主でも何でもない、皇太后でしかないにも関わらずそこに我が物顔で座っていることに対して、すでに誰も何も言わなくなっている。果たしてマカリオス家の当主はこれをどう思っているのか、ハイマはいつも不思議に思っている。

 マカリオス家の更に右がテレイオス・ディアノイア、そして珍しくもその隣にフードを被って顔を隠した女性が静かに腰を下ろしている。ヘリオス家の当主であるミラ・ヘリオスだ。一説によるとバシレイア王国が建国された当初から姿を変えぬまま、ずっとこの座に座り続けているとかいう。そんな眉唾物まゆつばものな話があるほどには、得体の知れない女性だ。ちなみに、ハイマは彼女があまり得意ではない。

 ミラの隣、シュガテール家の席を開けてハイマが座るエクスロス家の椅子がある。前回は顔を見たフィオスは今日は欠席しているようだった。ちょうどハイマでほぼ真ん中であり、顔を上げれば王と目が合う。ハイマの左側にいるはずのニュクス家も欠席しているため、体格のいいハイマは両脇に気を遣わなくて済むな、と少しだけ胸を撫で下ろした。

 ふとハイマはぐるりと席を見渡して椅子を数える。バシレイア王国の貴族は十二家のはずだが、椅子が一つ多い気がした。


(いつもこうだったか……?)


 普段は人の数が今回よりも少ないため目立たなかったのだが、珍しくも半数以上がそろっている今日は空席がやけに目についた。ハイマよりもさらに左側、ニュクス家の席を飛ばした向こうにアグロス家当主、エンケパロス、そしてサラッサと並んで席が二つ空いている。一つはアルニオン家の椅子だが、もう一つは果たして誰のものなのか。


「ハイマ、このたび決まったことをもう一度この場で話してくれるか」


 思考に沈んでいたハイマの意識は、王の声に引っ張られるようにして覚醒かくせいした。はっと椅子にむけていた顔を元に戻すと、王がりんとした面持ちでこちらを見つめている。

 その隣にいる皇太后の姿さえなければ、もっと尊敬できる相手のはずなのだが。


「過日オルキデ女王国より受けた宣戦布告による戦いは、講和という形で終結いたしました」

「なぜ攻め続けて領土を得なかったのですか!」


 諸々もろもろをすっ飛ばした簡潔かんけつな報告にしたのは、詳細しょうさいに語れば語るだけ面倒ごとが増えるだけだからだ。

 詳しく話をして彼らが喜ぶとも思えない。たったこれだけの言葉にも、皇太后は口を開けてみ付いてきた。それに対してハイマが思ったことなど、正気か、ということだけだ。

 攻め込んで領土を奪えばそれは侵略しんりゃく戦争だ。今回バシレイア王国として戦わなければならない理由は何もなく、ただオルキデ女王国が攻めてきたがゆえ防衛ぼうえい戦争のはず。


「攻めても得るものはありませんので」

「それを判断するのは王であってお前ではない!」


 事実、クレプト領と地続きのオルキデの土地は見たところクレプトと大差ない。これ以上砂地を領地として持つことにエンケパロスは意味を見出さないだろう。

 ただでさえバシレイア国内の中でも食糧生産がとぼしい領地なのだ。更に不毛な土地を増やしてどうしろというのか。


「俺は、不要です」


 なおも言いつのる皇太后にハイマが辟易へきえきとし始めた頃、エンケパロスが静かに口を開いた。端的な言葉の中に、それ以上の追求を許さぬ拒絶きょぜつが込められている。

 流石にそれを無視するほど皇太后は愚かではない。エンケパロスをぎっと睨んだかと思うと、むっつりと黙り込んだ。沈黙をこれ以上の異議はなしと受け取って、ハイマはもう一度口を開く。


賠償金ばいしょうきんの代わりとして食料のしばしの値上げ、そして講和を互いに確実なものとするために婚姻こんいんを結ぶことで話がつきました。その他のことにつきましては、追って詳細しょうさいを書状にて受け取る手筈てはずです」

「なんだ。嫁をもらうのか」


 野太い声が笑いをふくんで割り込んできた。アグロス家の当主であるゲオルゴスだ。

 女の話題と聞くなり身を乗り出してきたこの壮年そうねんの男はバシレイアの貴族めかけが何人もいる。それもどこかの貴族の女性を貰ってきたわけではなく、使用人から平民から商家の娘と様々だ。ゲオルゴスは顔が良い女が好きだと公言してはばからない。

 アグロスは確かに穀倉地帯でバシレイア国内でも屈指の豊作の地だが、そっちの種まきも上手いようだと他領では噂になっていた。


「俺が貰ってやろうか。もちろん、顔が良くて胸がでかい女ならだが」

「生憎と、もう相手は決まっているので」


 ハイマは冷然れいぜんと提案を突き返しながらファラーシャの姿を思い浮かべる。

 非常に残念なことに、彼女はゲオルゴスの好みの真ん中にいそうだ。できる限り近づかないように言っておこうと、ハイマは脳内のメモに書きつけておいた。


「ほう? お前がか?」

「いいえ。兄が」

「あいつが? そりゃあ驚きだ! あの唐変木とうへんぼくが! どんな美女だ? なあ?」

「さて。俺には女を見る目はないようですのでわかりかねます」


 テーブルに手を叩きつける勢いのゲオルゴスにハイマは大いに引いた。

 リノケロスもハイマもアグロス家からの縁談を断った過去があり、その際に我が家の女をめとらないなど見る目がないなどと延々えんえん恨み言を言われた。そのことをハイマは忘れていない。

 リノケロスはともかくとして、ハイマが縁談を拒否したのはこの男と縁続きになるのが嫌だったからだが。


「ああ、王よ。私は悲しい……貴方が治めるこの国をより強く富めるものにしようという気概きがいのある者はいなくなってしまったのでしょうか……」

「母上……」


 よよ、と服の袖口で目元を押さえながら王にしなだれかかる皇太后に鳥肌が立つ。まるで女が愛しい男に甘えるような仕草ではないか。それをいたわしげに抱き止めて目を伏せる王も王である。

 どれだけ仲が良くても構わないが、二人きりのときにやって欲しいものだ。


「すでに講和は成りました。これよりは、武力ではなく互いに協力しながら富んでいく時期かと」


 こうなるからこそ、さっさと全権を手に入れておいてよかったと心から思うハイマである。

 一事が万事この有様だ。王に許可をもらっていてはきっとまだ講和の条件は固まっていなかっただろう。


「陛下、申し上げても?」


 今まで黙って成り行きを見守っていたミラが、フードの下から声を出した。ハイマが彼女の声を聞くのは数年ぶりだ。若い女にも年老いた女にも聞こえる不思議な声が、どうにもハイマは苦手だった。

 どことなく背筋がぞわぞわして落ち着かない。


「どうした、ミラ」

「講和を成すべきかと存じます」


 淡々として抑揚よくようのない口調はまるで目の前に書かれていることを読み上げてでもいるかのようだ。思いもかけないところからの援護えんごに、全員が一瞬呆気に取られる。

 自分がもたらした沈黙であるにも関わらず、ミラはそれ以上口を開くことなくただ静かに座り続けていた。


「何か見えたのか?」


 ヘリオス家はバシレイア王国の中でも少し特殊な役割を持つ一族だ。魔術など存在していない国の中でほとんど唯一、不可思議な存在が身近にある。国内屈指くっしの大きさと荘厳そうごんさを誇る神殿を領地に有しており、ヘリオスの一族の女性は巫女みことしてそこで神に仕え、神はその代わり未来を見通す力を当主に与えるのだそうだ。

 なぜ世話をする巫女みこではなく当主に力を与えるのか、ハイマはそこを常々不思議に思っている。


「さあ、どうでしょうか」


 ミラが見えた先のことを具体的に言うことはまずない。だがその言葉は見えた事柄から導き出されたものであるとして発言力は強く、王や皇太后でさえその言葉をないがしろにはできない。


「母上。ミラもこう申しておりますし……」

「……わかったわ」


 渋々しぶしぶといった風情ふぜいうなずいた皇太后を見て、ハイマは嫌な予感がした。今は引いておく、そんな風に見えたのだ。

 この場で反対できないのなら別の機会に反故ほごにさせよう。そんな思惑が感じられるうなずきだった。


(……サラッサが、前に言ってたな。)


 ちらりとサラッサを見ると、彼もハイマを見ていたようで視線がぶつかる。意味深に口の端だけで笑う彼からすっと目線を逸らした。

 今はまだそこまでではないと感じていた皇太后の存在が、次第にハイマの中で邪魔なものとして認識され始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る