12 小鳥の食べる食事の量

 手際のいい主人のおかげで、ハイマが風呂から上がってくる頃にはすっかり夕食の用意が整っていた。言いつけ通り、ハイマの部屋に二人分の食事が並んでいる。

 今はキャラバンの往来おうらいも少なく人手が余っていたのだろう、思っていたよりも品数が多い。それとも領民たちと同じく無駄むだかんぐりをされてのことか。

 どちらにせよ、腹を満たせるのはありがたい。


「ルシェ、メシだぞ」


 呼びかけながら、隣の部屋の扉を叩く。どうしていいかわからないと戸惑いが如実にょじつに顔に出ていたルシェを、風呂場にまでは流石に連れて行けなかった。結局風呂の近くまで連れて行って解放してやったのだが、その後果たして彼女はどうしたのだろう。

 そもそもオルキデに風呂という文化はあるのだろうか。確かオルキデは慢性的まんせいてきな水不足だったはずで、だとすると風呂などそうそう入れないのではないか。そのあたりからハイマは知らないことにようやく気づいた。

 もっともバシレイア国内でもしっかり風呂に入るという風習がある領地というのは、エクスロスを筆頭に片手で数えられる程度しかない。大抵の領地は湯がいているような場所はなく、かといって水を湯にするためにかそうとすると大量の燃料が必要になる。最低限身だしなみを整えるだけであれば、わざわざそんな燃料代のかかることはしないのが一般的だ。

 そんなことをつらつら考えていると、かぎを外す音がしてから扉が開いた。流石にハイマが案内しているとはいえ、他国で施錠をせずにいられるほど警戒心を捨ててはいないようだ。現れたルシェは髪がしっとりと湿しめっていて、髪が長いせいでそう簡単には乾かなかったのだろう。

 一応風呂には入ったことがうかがえた。それが本当にしっかり湯にまで浸かったのか、それともざっと汚れを流しただけなのかはともかくとして。


「聞くのを忘れていたが、オルキデに風呂の文化は?」

「ないことはないが、贅沢品ぜいたくひんだな」

「そうか。家には風呂場があるが、彼女は足が悪いんだったな。何か配慮はいりょは必要か? それとも使わないか?」

「その辺りは本人と相談してくれ。私には分からない」

「それもそうだな」


 ただでさえ国を越えてとついでくるのは、体力的にも精神的にも大変なことだ。おまけに今回の結婚は講和の一環であり、簡単に実家に帰るわけにもいかない。気が張るのも当然だろう。

 足が不自由なのであれば、気晴らしに外へ出るのも難しい。であれば、せめて少しは居心地いごこち良く過ごしてもらいたいのがハイマの本音だった。リノケロスが予想外に彼女を気に入ったようなので、ハイマの心配は要らぬことかも知れないが。

 そんなことを相談しながら、部屋へまねき椅子をすすめる。ルシェの席はハイマとは向かい合わせだ。テーブルの上に並んだ料理を見て、ルシェは目を丸くしていた。


「見慣れないか?」

「まあ、そうだな……」


 曖昧あいまいうなずいたルシェだが、そもそもどれほど料理を見慣れているかは疑問である。携帯食料があればなどともごもご口を動かしていたところを見るに、彼女はそれほど食事というものに関心がないのかもしれない。

 オルキデの人間の口に合わないものがあればファラーシャがとついできてからの食事を考慮こうりょしようかとも思ったが、ルシェからその情報を得るのは難しいかもしれない。そんなことをハイマは一人考えて苦笑した。

 領地によって多少の差異はあるが、基本的にバシレイアの主食は小麦である。パンにしたり、薄く伸ばして焼き上げてその上に味付けした野菜や肉を乗せて食べたりと、食べ方は色々だ。今夜はよくある丸いパンがかごに盛られていた。香ばしく焼き上がったパンは、ハイマが家で食べるものより少し硬い。


「どうした。毒なんざ入れてねぇから、安心して食べろよ」


 なかなか手を伸ばそうとしないルシェに、ハイマが笑う。

 そんなことをする段階はとうに過ぎているから心配などしなくていいと言ったのだが、ルシェは予想外にそうではないと首を振った。


「他人はあまり、信用できないが……貴殿のことは、信用している。そんなことをするとは思っていない」

「……お、おお」


 思いがけない言葉に、少し反応が遅れた。

 自分が何を言ったのかよくわかっていないのか、ルシェはそんなハイマの反応を見てきょとんとした顔で首を傾げている。


「ただ、その。ちょっと、多いな、と……」

「……ああ、なるほどな」


 せっかく用意してくれたのに申し訳ない、とかなんとか口の中でつぶやきながらルシェがうつむく。そんな彼女の黒い頭を、ハイマは手を伸ばしてでてやった。

 さらりとした髪の感触が心地いい。

 ぱっとルシェの顔が上がる。彼女は驚いたように目をまたたかせていた。


「なんだ?」

「いや……」


 頭をでるのがそんなに驚くようなことだろうか。でていた手が宙に浮き、ハイマが宙ぶらりんの手をひらひらとさせる。じんわりとルシェの耳が赤く染まった気がした。

 暑いかと立ち上がって、ハイマは窓を開ける。硫黄いおうの香りがほんのりとただよう風が、ゆるやかに室内をかき回す。

 クレプトと違って砂が混じっていないので心地よいが、噴火が近い火山があるとこれに灰が混じるので妙な匂いが加速するのが困りものだった。


「一口ずつでもいいから食べろよ。口に合わねぇものがあったら教えろ」

「わかった」


 残してもいいと言われたからか、ルシェがようやく料理に手を伸ばした。

 まずはパン。ちいさく千切ってからはむりとかじり付く口の大きさが、ハイマの三分の一程度しかない。小さい口だなと思いながら、ルシェがちまちまと千切って時間をかけて食べているのと同じパンを、ハイマは二口で食べ切った。


「オルキデでは、鳥は食べるか」

「ああ、食べる」


 一際大きい皿に乗せられているのは、タレに漬け込んだ後にオーブンでこんがりと焼かれた鳥肉だ。エクスロスでは一般的な、スィモス・オルニスの丸焼きである。『いかる鳥』と名付けられているこの鳥は飛べないが、その代わりに大変気性が荒くて時折人を殺す。だが、この鳥はなぜかとても美味いのだ。肉汁もたっぷりで油が乗って、野菜とも合う。

 ナイフで切り分けて、ルシェの皿にも乗せてやった。ちらちらと視線で量を確認しながらだったが、ハイマからすれば一口にも満たないような量を欲したので本格的に彼女の食生活が不安になった。肉の代わりに一緒に焼かれている野菜を多めに乗せてやる。


「多い……」

「よく見ろ、俺の半分もねぇぞ」

「貴殿とは体の大きさが違う」

「俺の半分よりは大きいだろお前」


 小さく文句を言ったのでそれ以上は減らさないとぴしゃりと言い放つと、ルシェは渋々しぶしぶ口を動かし始めた。特に口が止まる様子もないので、食べられないことはなさそうだ。

 料理の大半をハイマが平らげ、デザートがわりの果物も一つ二つルシェに渡してやれば、全ての皿が空になった。苦しそうに息を吐いているルシェにハイマは呆れた顔をする。


「その程度で……お前……」

「仕方ないだろう、普段それほど食べないんだ」

「小鳥かよ」


 エクスロス家の庭先にやってくる鳥の方がまだ食べていそうだ。

 腹がふくれると途端とたんに眠くなってきたのか、ルシェは目をこすっている。そんな彼女を見て、ハイマは立ち上がった。


「寝るか。明日はまた朝一でここを立つぞ」

「ああ」


 おやすみと、挨拶あいさつをし合う。なんとなく腹の奥がむずむずとするような、不思議な感覚だった。


  ※  ※  ※


 翌朝、出立はかなり早い時間であった。それにも関わらず、宿屋の主人は見送りのために宿の入口に立ってくれる。


「またな、おっさん」

「ええ。道中お気をつけて」


 ひらひらと手を振るハイマと、深々と頭を下げるルシェと。

 一頭の馬に乗って仲良く去っていく二人を見送った主人が使われた形跡のない片方の部屋のベッドを見てあらぬことを連想し、更にそれが領地に広まるのはそう先の話でもない。

 特段噂になるような何かがあったわけではない。ハイマには後々露見ろけんすることであるが、これはルシェの布団で眠れないという悪癖のせいであった。


  ※  ※  ※


 ルシェとはバシレイアの陣地の手前で分かれた。ここまでは馬で戻ったが、これより先は影伝いに自力で帰れるとルシェが言ったからだ。


「ではまた後日」

「ああ」


 ファラーシャ嬢へよろしくと言いかけて、ハイマはその言葉を飲み込んだ。まだ誰と誰がという話はおおやけにはしていない。誰が聞いているともわからない場所で話題に出すべきことではないかと思い直し、簡単な挨拶あいさつだけを交わす。

 どちらかにとってのみ有利にならないよう、講和の話し合いはお互いの陣地で交互に行うことにしていた。今回はバシレイアにルシェが来たので、次はハイマがオルキデの陣地にへ向かうことになる。日程の調整を簡単に口頭で済ませたハイマは、意気揚々いきようようと陣地に帰陣きじんした。

 講和が成立した今、いつまでも物々しく陣を構えているわけにもいかない。したがって、バシレイア軍の陣地は解体作業が進んでいた。まずは負傷兵を各領地に帰還させ、残った兵士で天幕の解体や片付けを行う。ある程度は最後まで残しておくが、それ以外は全て撤去てっきょだ。

 いつまでも構えていては、相手に未だ戦意ありと見做みなされてしまう。


「朝帰りか。いい身分だなハイマ」

「うっ」


 司令官であるリノケロスたちも片付けには手を貸す。むしろ、積極的に行うと言っても過言ではない。

 それはどの領地へ持っていくものだ、などという指示をしなければならないからだ。朝早くからそうして薄着で動いていたリノケロスに声をかけられ、ハイマはびくりと飛び跳ねた。

 別段、悪いことをしているわけではない。リノケロスの結婚に関しての下見を行ってきたのだから、むしろ彼には感謝されてもいいぐらいだ。それなのになぜか後ろめたさがあるのは、夜を押して帰ってこずのんびりルシェと宿泊を楽しんだからか。あるいは思いの外彼女との下見が楽しかったからか。


色惚いろぼけも大概たいがいにしろよ」


 言い捨てて去っていくリノケロスの背後から、こちらも同じくひどく軽装のカフシモが歩いてきた。


「なんであんなに機嫌悪い?」


 出会い頭にしかられたおかげですっかり総司令官としての立場が頭から抜けてしまったハイマである。苦笑したカフシモが、肩をすくめた。

 ハイマは今でも機嫌の悪いリノケロスに対して強くものを言えない上に恐怖心があるが、カフシモは平気な顔をしてそんなリノケロスに近づける数少ない人間の一人である。


「腕がないのに慣れなくて、思うように動けないからイラついてんの。ほんと馬鹿。あと昨晩、面白くないことがあったんだと」

「命知らずだなお前……」


 けらけらと笑っているカフシモには、ハイマも引かざるを得ない。リノケロスを馬鹿にして笑える人間は、世界広しと言えどもそうはいないだろう。


「それはそうと、昨日は楽しんだか?」


 総司令官として振る舞っていないことで、口調がいつものものに戻っている。別に構わないかと思ったハイマだが、内容は聞き捨てならない。


「おい待てどういうことだ。昨日は別に遊んでたわけじゃねぇぞ」

「あれ、そうなのか? 夜帰ってこなかったから、そういうことかと。みんな言ってたぞ」

「みんなって誰だ。おい、なあ、おかしな噂流すなよ! なあ、ちょっと!」


 言うだけ言ってさっさと離れていくカフシモを呼び止めようと声を上げたが、そのせいでかえって兵士たちがハイマの帰還に気づいてしまった。

 愉快ゆかいそうな顔をしてわらわら近づいてくるエクスロス領の兵士たちの輪の向こうで、振り向いたカフシモの口が笑っているのが見えた。

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