8 エクスロスという領地

 エクスロス領とオルキデは、地図上で見れば国境を接してはいる。しかしオルキデから直接エクスロス領へ入ることができないのは、かつて大蛇が尾を振り下ろした際にくずれてできたという何とも眉唾物まゆつばものな伝説が残る断崖絶壁だんがいぜっぺきが広がっているせいだ。

 その断崖絶壁は山羊ヤギすらも降りて行かないほどであり、到底とうてい人が移動できるような場所ではない。どこか一部分をくずして道にするようなことでもしない限りは、直接行き来ができるようにはならないだろう。

 ごつごつとした岩場の続く大地は少しだけ歩きにくい。一応道というものはあるが、それは岩場をうようにして曲がりくねっていた。これは主な移動手段が馬になるわけだと、鴉は内心で納得する。


「どうした?」

「いや……随分ずいぶんと岩だらけだなと」


 ひょいひょいと慣れた様子でハイマは歩いて行く。鴉も別段突っかかるというわけではないが、気を付けていないと岩場に足を取られて転びそうだ。

 つんと鼻についた臭いは、ぎ慣れないものだった。硫黄いおう、という知識は知っていれど、実際にこうしていでみると何とも言えない。不快ということはないが、火山のないオルキデではまずぐことがないものだった。


「しかし、良かったのか」

「何がだ?」

「兄君だ。まさかたった一度で了承されるとは思わなかった」


 ファラーシャはいなと言わないだろうと踏んではいたが、リノケロス側の反応が鴉としては意外だった。実際に顔を合わせたのは腕を落とした時の一回きりで詳しく人となりを知っているわけではないが、武人であればこそ足が悪いという部分はいとうかと思っていた。

 彼女が何かしたのだろうか、とも思う。ファラーシャは見た目こそたおやかで優しげであるが、その実中身はしたたかである。この政略結婚が講和のためということと、そして自分の身を守るものであるということを理解している彼女であれば、何かしら取引をした可能性すらあった。


「俺も少し意外ではあったけど、まあ……女性への気遣きづかいがない人ではないからな」

「そういうものか」


 だからといって異国からとつがされるファラーシャを憐れんで、ということもないだろう。鴉の勝手な所感でしかないが、そういう同情とか憐憫れんびんとかいうものとは無縁な気がする。

 少し遠くをあおぎ見れば、高い岩山から赤々と光る溶岩ようがんが流れ落ちていた。エクスロスはオルキデとは異なる意味で暑い。オルキデが太陽によってじりじりとかれる熱さであると言うのならば、こちらはじわじわと下からあぶられるような暑さである。

 慣れない暑さに体力が奪われるような気がして、鴉は詰襟つめえりを少しだけゆるめた。エクスロスでは砂が吹きつけてくることもなく、だから彼らは風通しのよさそうな服装なのだと納得する。オルキデは確かに暑いのだが、かっちりした服装でないと服の中に砂が入ってしまうのだ。


「と、この辺りからなら一望いちぼうできるか。どうだ」


 ようやく目的地に辿たどり着き、鴉は案内してくれたハイマの隣に立って眼下がんかを見渡す。どこから見たいかとハイマに問われた時に、まずは領地全体を見渡したいと要望を出した。普通ならば敵対していた相手に了承するような内容ではないのだが、鴉が驚いてしまうほどにあっさりとハイマは了承したのだ。

 攻め込む場所を考えるつもりであったのならば、どうするつもりなのか。見た限りそう簡単に攻め込める場所ではないし、この領地に入ろうと思うのならばおそらく道は一か所しかない。そう考えれば案内してしまっても然程さほど問題はないのかもしれなかった。


「……これは、壮観そうかんだな」


 見慣れない光景に、鴉は目を丸くする。

 するどくとがった岩山が立ち並び、その合間から滝のように溶岩ようがんが流れ落ちていく。ごつごつとした岩の黒と硫黄いおうらしき黄色、そして湯がき出ている場所は青くも白くも黒くも見えた。白っぽく見える部分は、きっと人々が集まって暮らしている街なのだろう。

 美しいと言うような景色ではない。無骨ぶこつで、過酷かこくそうで、けれど鴉の隣に立つ男には似合いの風景であるように思えた。

 鴉の隣で、ハイマがからりと笑う。まるで己の領地をほこるかのように。


「気に入ったか?」

「私が気に入るも気に入らぬもないだろう? ファラーシャが気に入るかどうかだ」


 社交辞令であろう問いかけに、本当ならば鴉も社交辞令で「気に入った」と返答すべきだっただろうか。けれど考えるよりも前にすべり落ちた言葉は、撤回てっかいすることができない。

 どうせ鴉は講和がされればオルキデへと戻る身の上だ。それさえ終わればハイマと顔を合わせることもないだろう。

 自分がどんな顔をしていたのか鴉には分からないが、振りあおいでハイマの顔を見れば彼は弾かれたように笑っていた。何ともよく笑う男である。戦場でも笑っていたのだから、平時でもこんなものなのかもしれない。


「じゃ、街の方に行くか。エクスロスの屋敷の周りは馬じゃねぇと入れないが、街は馬車も入れる」

「ファラーシャは乗馬が得意だぞ?」

「はは、馬車が入れないことに文句を言うヤツもいるんだ」


 そういうものかと、鴉は首をかしげてしまった。

 馬に乗れないのならば歩けばいいというのは、鴉が勝手に思っていることである。言ってしまえば鴉も馬には乗れないし、訓練すらしたことがない。やってみれば乗れるのかもしれないが、やってみたことすらなかった。

 そもそも国内であれば、移動は影を伝えば事足りる。流石に加護というものがない外の国では人前で使うのがはばかられるが、それでも人目がなければ使えばいい。そういう理由があって、鴉は馬を必要としていなかった。

 エヴェンやラアナは馬に乗れたはずだ。それは彼も彼女も乗馬の教育を受けたことがあるからに他ならない。


「お前、馬は」


 そんなことを考えていたせいだろうか、考えたことを言い当てるようにハイマに問われた。え、と一瞬口を開けて固まり、それを払拭ふっしょくするように鴉はゆるくかぶりを振る。

 馬に乗れないということを恥じるのは、貴族だけだ。鴉は貴族ではないのだし、特別恥じるようなこともない。


「乗れない。昔閣下に乗せて貰ったことはあるが、それきりだな」


 それこそ鴉になるより前、アヴレークに強請ねだって乗せて貰ったことならある。

 本当に幼い頃であり、立場というものも分かっていなかった。それが赦されていた頃だった。そういえばあれば鴉にならざるを得なかった時の直前くらいだったなと、嫌なことまで思い出す。

 ハイマは少しだけ意外そうな顔をしていて、けれどすぐにまた笑顔になる。鴉よりも七つほど年上のはずだが、そうして笑っていると少年のようだった。


「じゃあ、乗せてやるよ」

「……何故?」

「乗れねぇなら、人に乗せてもらうしかないだろ?」


 それはそうかもしれないが、どうしてそんなことになったのか。

 よく分からないがそんなことを話しながら、鴉はハイマと共に岩場を下っていく。街までは馬で三十分くらいかかるのだというハイマの言葉に、だからかと得心がいった。

 そもそもエクスロス領へ来るのに馬を使っていないのだから、鴉は馬を持っていない。エクスロス家が馬を持っていないはずもないので、乗れると言えばその中の一頭を貸してくれる予定だったのだろうか。

 整えられた道ならば、ファラーシャも移動はできるだろう。そもそもカリサがついているのだし、彼女がなんとかする気がする。馬にも乗れるのだしこれならば心配はないだろうか。


「そういえば、兄君の部屋の階層は? 階段はのぼれるとは思うが」

「あ、あー……最上階だな……大丈夫そうか?」


 エクスロスの屋敷が何階建てなのかは知らないが、一応後で見せて貰う必要はあるかもしれない。今日中にオルキデに戻れるだろうかと時間を計算し、もし戻れなければどこかで野宿をすれば良いかと結論付ける。

 ファラーシャは足が悪いからと言って、何も自分でしないというようなことはない。基本的なことは自分でするし、カリサもいる。特にリノケロスをわずらわせることはないはずだ。


「大丈夫だろう、おそらくは。基本的に侍女がついているし、あちこち歩き回るような性格もしていない」


 おとなしいかと言われれば確かにおとなしい。ただそれは部屋の中でのんびりしているという意味であって、その頭の中はおとなしくなどない。

 常に何もかも計算くというわけではないが、それでも人よりは頭を動かしている時間が長いだろう。


「悪いな」

「何がだ? 身分の高い人間の部屋など、上の階にあるのが普通だろう」


 むしろそうでなければ、刺客から狙われ放題になってしまう。下層階というのは逃げやすいかもしれないが、侵入経路が多くなる場所でもある。

 そんなものは当たり前だろうと告げれば、ハイマはどこか複雑そうな顔をしていた。


  ※  ※  ※


 馬を三十分ほど走らせたところに、エクスロスで最も大きな街があった。ハイマの手を借りて馬から降り、人生二度目の馬上から解放されて鴉はひっそりと息をく。慣れない揺れに思わずハイマの背中にしがみついたのは気付かれていただろうが、彼からは特に言及はなかった。

 そうして馬から降りたところで彼から手を差し出され、はてこれは何だろうかと鴉は少しばかり考える。そしてそれが女性に対する礼儀れいぎであることに気付き、鴉は首を横に振った。


「不要だ。そういう扱いはしなくていい」

「そうか」


 気を悪くしただろうかと思ったが、慣れないのだから仕方がない。普通ならば立場上受け入れるべきものであるのだが、こうしてぽんと返してしまうということは随分ずいぶんと気を許してしまっているのかもしれない。何をしているのだろうかと自分に問うが、答えはなかった。

 連れ立って街へ入れば、ハイマの姿に気付いた領民が「ご当主様」と次々に声をかけてくる。彼はそれに片手をあげて応じ、笑っていた。

 領民にしたわれる領主であるらしい。大したものだなと鴉は内心で感心していた。


「なんですご当主様、女性連れで……あ! ようやくですか!」


 店先に立っていた男が「おめでとうございます」などと言っている。一体何の話だと鴉は首を傾げたが、次にかけられた言葉で納得がいった。


「ご当主様! デートですか!」


 デート。デートってなんだ。男女が出かけることか。

 ハイマは気にした様子もないが、流石に誤解ごかいは解いておくべきものだろう。ハイマと鴉の間にあるのは講和のための交渉相手というものだけで、色恋沙汰いろこいざたなんてものは存在していない。


「案内をしてもらっているだけだ。貴殿らの領主に良縁があると良いな」


 けれどそうして慕われている様子がどうにも微笑ほほえましくて、鴉もほんの少しだけ口元をゆるめる。

 思えば、外で笑ったのはいつぶりだろうか。そもそも鴉の仮面も被らずに外にいることが鴉にとっては異例のことであって、当然人前で笑うことなど普段はない。

 こういう領主の下で生活ができる領民は幸せなのだろう。ただ上から押し付けて搾取さくしゅばかりする領主とは比べるまでもない。けれどオルキデにおける貴族は残念ながら、そういう者が多いもの事実なのだ。


「お前、そんな顔してる方がいいぞ」

「そうか」


 そうは言われても、鴉にそれは難しい話である。

 今だけだ、こんなものは。交渉をするための条件であるから、顔をさらしているに過ぎない。これが終われば元通り、また顔も名前も隠してただの大鴉になる。

 そうしてあちこちを見て回り、気付けば日は暮れていた。

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