7 手痛い躾

 最初に彼女を見た時の感想は、背が高いなという実に見た目通りのものだった。

 人間は外見ではなく中身だと言う意見もあるが、リノケロスはそうは思わない。一目ひとめ見ただけで性格などわかりようもないのだから、まず最初に会った相手へと何らかの印象を与えるのは外見だ。例えば見た目が美しいかそうでないか、背が高いか低いか、髪が長いか短いか。人によって注視するところは違うだろう。だがどこを見て判断するにせよ、快不快かいふかいを印象付けるのは見た目だというのがリノケロスの自論じろんである。

 もっとも、だからと言って不特定多数の誰かに好感を持ってもらおうと、自分の見た目を変えることはしないが。そうやってまで関心を引きたい相手を、きっと世間はと言うのだろう。

 ファラーシャ・バルブールと名乗った女性は、そういう意味ではリノケロスの興味を引く外見をしていた。背が高くて、おっとりした雰囲気ふんいきと見た目。小柄な女性もきつすぎる女性も好きではないから、これはある意味うまい相手と当たったと称すべきだろう。

 本来の貴族同士の見合いであれば、少し話をした後は本格的な食事でもとなったり、あるいは領地の案内をしたりするのだが、今回は講和のための結婚の顔合わせである。


「時間だな。そこまで送ろう」


 万が一のことがあってはいけないので、一定の時間になると兵士が呼びに来る手筈てはずになっていた。二人で話をしている時にはなかった気配が近づいてくるのを察して、リノケロスは立ち上がる。

 つかつかとファラーシャの方へ歩み寄り手を差し出すと、彼女は驚いたように銅色の目を丸くした。


「どうした」


 女性の手を引いてエスコートするのは最低限の礼儀の一つである。リノケロスとてそれは例外ではない。

 そうするべきだと教えられているから、息をするよりも簡単にその仕草が出る。だが、リノケロスは触れたくないほど嫌いな相手や関係がどうなってもいい相手にはそんな真似はしない。本人が意識するかしないかはともかくとして、リノケロスがファラーシャのことを気に入ったのは確かだ。


「いえ。ありがとうございます」


 戸惑っていた様子のファラーシャは差し出された手とリノケロスの顔をしばし交互に見比べていたが、ややあってたおやかに微笑ほほえむと手を取った。音もなく近寄ってきた侍女が杖を差し出す。

 片手をリノケロスの手にえ、反対の手に杖を握って立ち上がったファラーシャは、確かに片足が使えないようで歩き方がぎこちない。左足を少し引きずるようにしてるのは見て取れた。だが、そんなことが気にならないほど彼女の所作しょさは美しく整っている。

 外で待機たいきしていた馬車の所まで同伴どうはんすると、ファラーシャは手を離して流れるように優雅ゆうがな礼を取った。


「ありがとうございました」

「道中、気を付けて」


 バシレイアでは見慣れない礼だが、オルキデ式の所作しょさなのだろう。まったく知らない形の礼でもその所作が完璧であることがわかるぐらいだ。

 がたごとと揺れながら遠ざかっていく馬車をながめて、ふぅんとリノケロスは鼻を鳴らす。実に、愉快ゆかいな気分だった。がらんどうの左腕を見下ろして、案外お似合いかもしれないなと笑う。

 ふと、近付いてくる気配に足を止めた。一応振り返って、待っていてやる。


「兄さん」


 終わったことを聞いたらしいハイマが、不安げな顔で近寄ってきた。この結婚話をリノケロスに持って来た時も、まるで悪戯いたずらを告白するときの子供のような沈痛な顔をしていたものだ。一体全体、ハイマはリノケロスを何だと思っているのだろう。

 さしものリノケロスも、この結婚が講和のために必要なものであることぐらいわかっている。ここで無体なことや無礼をすればもう一度戦うことになる、と。バシレイアとオルキデ――というよりリノケロスたちとあの鴉と、お互いにそれは望んでいないからこそこうして迅速じんそくに事を終わらせようとしているのだ。

 分かっているからこそ相手の女性に対して品定めするような心づもりではなく、極力長所が目に入るような気持ちでのぞんだというのに。


「どうだった?」


 本人は何食わぬ顔をよそおっているつもりだろうが、そわそわとしているのが手に取るように分かる。ここで万が一リノケロスが気に入らなかったと言えば、ハイマはどんな顔をするのだろうか。

 ふと、リノケロスはそんなことが気になった。エンケパロスに話を振るのかもしれないが、リノケロスよりもはるかに気難しく人の好き嫌いの激しい男だ。どうしても必要とあれば結婚するかもしれないが、さぞ無味乾燥むみかんそう婚姻こんいんになることだろう。


「断れ」

「えっ!」

「と言ったら、お前どうする気だ」

「え……えっ?」


 鸚鵡オウムのようになってしまったハイマを鼻で笑う。

 どうもこの異母弟おとうとには冗談が通じない。リノケロスは冗談を言わないとでも思っているのか、たまにこうして気分がいい時に揶揄からかうと非常に狼狽うろたえる。

 それが大変に愉快なのだが、それはハイマ本人だけが知らぬ話である。


「話を進めておけ」

「え……あ、ああ……」


 まだどこかぼんやりしているハイマのすねを、リノケロスは情け容赦ない力で蹴った。悲鳴も上げられずにハイマが崩れ落ちていく。

 戦時中ならいざ知らず、講和の話し合いをしている段階では常に防具は外しているのだ。生身でリノケロスの蹴りを受けて痛みに身もだえしているハイマを置き去りにして、リノケロスは自分の天幕へと戻り始めた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 涙目になって片足だけでぴょこぴょこ飛び跳ねながら、ハイマが後を追ってきた。そうしていると幼少期を思い出す気がする。

 特別思い出してなごむような微笑ほほえましい記憶はないが。


「なんだ」

「気に入ったのか?」

「そう言ったが?」


 リノケロスは眉間みけんしわを寄せた。

 一度で話の通じない相手がリノケロスは嫌いだ。たとえそれが半分とはいえ血の繋がった兄弟であろうとも。


「言ってない……」

「何か?」

「なんでもないです」


 小さな小さな声でハイマがつぶやいた。

 残念なことにリノケロスは耳がいい。おまけにこの距離だ。聞き落とす方が難しい。ぎらりとにらんでやると間髪入れずに否定が返ってきた。

 そうして、ふと思い出す。


「ハイマ、戻ったら一階に部屋を用意しておけ」

「一階に? なんで?」

「彼女は足が悪いだろ」


 エクスロスに限らず、貴族たちは基本的に自分の部屋を上階に持っている。それは襲撃しゅうげきがあった際に侵入されやすいからだ。

 他領地からの敵襲に備えていたかつての名残を残しているという側面もあり、今なお秘密裏ひみつりに行われる暗殺や、あるいは盗賊などの襲来しゅうらいへの防備でもある。

 例にれず、リノケロスの部屋も最上階にある。だがあのファラーシャの足の様子では、そこまで階段をのぼるのも一苦労だろう。

 おまけに、食事は一階の大広間で取るのが通常だ。食事のたびに杖をついて危なっかしく階段を上り下りするのはあまり望ましくない。毎日三回、そんなことをいるのもどうかという話だ。


「あ、ああ。うん、まあ、そうだな……」


 講和としての結婚なのだからせめて居心地いごこちよく過ごせるようにしてやるべきだ、というのがリノケロスの意見だ。だというのに、ハイマは何かすっぱいものでも飲み込んだような顔をしている。

 もう一度目を覚まさせてやるべきかと片足を振り上げて準備をした瞬間、ハイマが飛びのいた。


「わかった! 手配する! それじゃ!」


 脱兎だっとのごとく逃げて行ったハイマの背中を見送って舌打ちをする。行き場を無くした足を下ろし、リノケロスは今度こそ自分の天幕へと戻っていった。


  ※  ※  ※


 一方、逃げたハイマである。こちらもまた自分の天幕へ逃げ込んで、激しく震える心臓をおさえていた。冷や汗をかいて肩で息をするなど、戦場でもなかなかない経験である。


「いってぇ……」


 じんじんと痛むすねでながら机の前までたどり着き、紙とペンを引き寄せる。ルシェにリノケロスが承諾しょうだくしたむねの報告をしなければならない。


「……まあ、いいんだけどな」


 まさかリノケロスが前向きに承諾するとは思ってもいなかったので、少々反応が遅くなってしまったハイマである。おかげで手痛いしつけを食らってしまった。承諾するとしてもせいぜいが勝手にそこにいてくれという毒にも薬にもならないような扱いだと思っていたが、先ほどの話を聞くに大切に扱う意思はあるらしい。

 珍しいこともあるものだと、手紙を書きながらハイマは思う。バシレイアの貴族は、そのほとんどが政略結婚だ。早ければカフシモのように成人してすぐ結婚する。遅くとも三十になる前には結婚しているか、少なくとも話が決まっていることが多い。だからこそリノケロスのように三十半ばで完全なる独り身というのは珍しかった。

 異母兄に早く身を固めてほしいと思っていたハイマにとっては、嬉しい誤算ではある。


「こんなもんか」


 手早く、けれど乱雑にならないように気を付けた手紙に息を吹きかけて、インクを乾かす。リノケロスの気が変わらないうちに、早く話をまとめ切りたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る