4 一度目の話し合い

 王都エクスーシアから文字通り蜻蛉とんぼ帰りしてきたハイマを出迎えたのは、照り付ける日差しと乾いた大地だった。どこを見ても人がいるエクスーシアとは異なり、閑散かんさんとしていてバシレイア軍の陣地があるだけの無機質な風景である。無味乾燥むみかんそうで面白みもない景色なのに、ハイマはそれに酷く安堵あんどを覚えた。


「はー……戻ってきた……」


 どっと疲労感が押し寄せてくる。長距離を馬で駆けたせいなのか、それとも何度訪れても慣れないエクスーシア領に気疲れしたのか。

 これで皇太后に遭遇そうぐうでもしていたら、ハイマは途中で力尽きていたかもしれない。彼女と話していると精神力をけずられるのだ。


「総司令官殿。手紙が届いています」


 ハイマの帰還に気付いて駆け寄ってきた兵士が知らせを伝える。手紙が来るようなことがあったかと一瞬考えこんだが、おそらくオルキデからのものだ。講和の条件を話し合うため、またバシレイア王国が講和に応じるか確認するために場をもうけたいという内容だろう。

 その話し合いのことを考えれば、疲労で沈んでいた気持ちが少し浮上する。


「わかった。三人を集めてくれ。話がある」

「はっ」


 頑張ってエクスーシアとの往復を走ってくれた愛馬を馬小屋に戻し、軽く手入れをしながら告げる。それを受けた兵士は、頭を下げて走っていった。

 バシレイア軍では、戦時には自分の馬は自分で世話をするのが慣例かんれいだ。司令官だろうが一兵卒いっぺいそつだろうがそれは変わらない。平時はこの限りではないが、それでもできる限り乗り手が世話をするのが望ましいとされる。

 自らの足であり、時には身を守るすべでもある馬を大切にするように、という教育の一環だ。馬もそれをよくわかっていて、ぞんざいな扱いをする乗り手は振り落とすこともある。


「よしよし、しばらくは何もないからな。ゆっくり休んでてくれ」


 本当はもっとしっかり手入れをしてやりたいのだが、生憎あいにくとやらなければならないことが山積みだ。なだめるように首筋を叩くと、賢い愛馬はふすんと鼻を鳴らして飼葉をみ始めた。

 元気そうな様子を見て満足そうに笑ったハイマは、ようやく自分の天幕へと戻る。総司令官の居場所を表す一番大きな天幕は陣地のど真ん中に建てられていて、おかげで馬小屋から天幕までが少し遠い。


「遅かったな」

「馬の手入れをしていた」


 言伝ことづてを預けた兵士は、迅速じんそくに司令官三人を集めてくれたようだ。ハイマが自分の天幕の入り口をくぐると、そこにはすでに三人が腰を下ろしていた。勝手に椅子を持ち出して並べたらしい。

 当然のように椅子は四つだ。一つ空けておくこともしていないので、そこに座るべきリオーノがいない事実は全員が完全に忘れることにしたらしい。


(もうちょっとゆっくりでもよかったんだが……。)


 エクスーシアから帰陣して少し息をつきたかった、というのがハイマの本音ではある。だが今更解散は告げられないので、仕方なく用意されていた椅子に腰を下ろした。

 置くべき場所がなかったのだろう、寝台の上に兵士が言っていた手紙が乗っている。手を伸ばしてそれを取ると、開封するよりも前に王都から持ち帰った紙をひらりと三人に見せた。


「王の許可は貰った。この講和、俺たちで全てまとめる」

「ほお」


 手を伸ばしてくるリノケロスに紙を手渡す。じっと空中に透かして眺めているあたり、信憑性しんぴょうせいを疑っているのだろう。

 まったくもって心外である。


「あの女が良く許可したな」


 皇太后のことをなどと言い放つのはエンケパロスくらいのものだ。カフシモが思わず天幕の外をうかが素振そぶりを見せている。

 誰かに聞かれでもして、それが広まると面倒なことになるのだ。エンケパロスは一向に気にしていないようだが。


「皇太后には会ってねぇからな。俺が会いに行ったのは王だ」


 王の許可をもらったというだけで皇太后の名前が出る。それが今のこの国の現状をよく示していた。

 王は国の最高権力者であるが、彼に意思はほとんどない。彼の意思はいつだって皇太后の意見に左右される。ハイマが貰って来た全権委任の許可とて、皇太后の耳に入ればすぐに撤回てっかいされるだろう。


「さっさと話をまとめる」

「それがいい」


 ようやくリノケロスが納得したらしく、ハイマに紙を返してきた。その紙は大事に保管しておくことにして、ハイマは次に届いていた手紙の封を切った。

 案の定、中身はオルキデからだ。上にバシレイアの文字を、下にオルキデの文字を連ねて書かれた手紙は、簡潔かんけつで読みやすい。


「向こうもそのつもりだそうだ。早いうちに講和の条件を詰める」

「用意があるのなら、明日にでもやったらどうです」

「そうだな、そうしよう」


 ハイマはカフシモの提案にうなずいた。そのために必要なのは、この場にいる四人の意見のすり合わせだ。いくらハイマが全て決められると言っても、共に戦力を出した家の意向を無視することは望ましくない。

 さて、何から決めるべきか。ハイマはぐるりと三人の顔を見渡して、ゆっくり口を開いた。


  ※  ※  ※


 鴉の術は影を伝う。はっきりそうだと聞いたわけではないが、実際に使っているところを何度も見ればおよそ察しがつくというものだ。彼女がどういう手段で来るのか不明だったため、ハイマは陣地にほど近い岩場の影の手前でぼんやりとたたずんでいた。

 早々に連絡を取り、翌日でという早急さで話し合いを決めたため、ハイマは少々寝不足だった。バシレイア側が提示したい講和条件が少しめたせいで寝る時間が遅くなったというのも一因である。

 それでも寝ぼけまなこ寝癖ねぐせ姿ではさすがに失礼だろうと、眠い頭に水をかぶって何とか思考をはっきりさせた。


「ひゃ……」

「お。来たな」


 どれぐらいった頃か。ハイマが退屈して欠伸あくびみ殺したくらいに、ずるりと影から待っていた姿が現れた。彼女は目の前に立っているハイマに気付いて驚いた声を上げている。

 びくりと跳ねた姿が鳥の雛がひょこりと歩く姿を思わせて、少し面白かった。彼女はあわてたように、ハイマとの約束通り仮面を外す。ここに来るまでかけていたということは、ハイマの前以外では外す気がないということだろう。


「急な日程で呼び立てて悪かったな」

「いや。こちらもその方がありがたい」


 バシレイア式の挨拶あいさつをするのなら、うやうやしくひざまずいて手を差し出すのだが、おそらくそういうことをルシェは望んではいないだろう。かといってオルキデの風習などハイマが知るはずもない。

 しばし考えた末、ハイマはくるりと身をひるがえして案内役にてっすることにした。ルシェも社交辞令的な会話をしながらついてくる。身長差があるため、一歩の距離が随分ずいぶん違った。

 ハイマは普通に歩いているつもりだったが、足音でルシェが小走りなことに途中で気付いて少し速度を落とす。


「話をするのは俺一人だ。構わねぇな?」

「ああ」


 ふと、ハイマは陣地を見回した。誰かに顔を見られたくないがための仮面だとしたら、今こうしてたたずんでいる兵士たちはどうなるのだろうか。

 ハイマが来たことで気をつかって仮面を外してくれたが、ひょっとすると次からは別の誰かの方がいいのかもしれない。そんなことを思いつつ天幕をくぐる。入り口の布を持ち上げてルシェに当たらないようにしつつ入るよううながすと、彼女は少し戸惑ったような顔をしながら足を踏み入れた。

 中には椅子が向かい合わせに二つ、そして飲み物とちょっとした食べ物。宴会えんかいをしようというわけではないのだから、口を湿しめらせる程度の用意でいい。


「オルキデ側の要望は?」


 お互いが席に着くと、面倒な前口上なしにハイマは話題を切り出した。時間が惜しいのはどちらも同じだ。ぐだぐだと実のない世間話にいそしむほど余裕はないし、そんなものは無駄な時間だ。


「こちらからは、講和の証としての婚姻こんいんを提案したい。それから、食料の取引量を減らさないようにしてほしい。仕掛しかけたのはこちらだが、制裁せいさいなら値上げで頼む」

「なるほどな」


 おおよそ想定の範囲内の要望であったことに、ハイマは安堵あんどした。こうした国同士の和解において婚姻こんいんが使われるのは、古今東西よくある話だ。誰と誰がというのがまた問題ではあるが、姻戚いんせき関係を結ぶこと自体に問題はない。

 言ってきたということは、オルキデ側はある程度人選はしているのだろう。ならば、その相手の年齢に合わせてこちらの人間を選定してもいい。

 望ましいのはこの戦争にかかわった四人のうちの誰かだ。その中で既婚者きこんしゃはカフシモ一人であるから、選ぶことはできる。


「食料供給に関しては、減らすつもりはない。こちらとしても大事な取引だ」


 長くなりそうな結婚の話を一先ひとまず横へ置いておき、まず簡潔かんけつに終わりそうな話に手を付けた。

 オルキデ女王国と国境を近くするクレプトやデュナミスは、その領地で生産した食料の一部をキャラバン伝いに隣国へ流している。特にクレプトではそれは大事な資金源であり、この程度の戦争で減らすことは逆にクレプトの首をめることになる。

 エンケパロスはそれをよくわかっていて、昨夜の話し合いでも供給量は変えないと断言していた。


「だが、戦争で流石に消耗しょうもうもあった。しばらくは純粋に流通量が落ちる可能性はある」

「それはわかっている。今まで通り、余剰よじょう分を取引してくれればそれで構わない」


 バシレイアの補給庫が焼け落ちている以上、その代わりになる備蓄びちくがまた必要だ。しばらくはそちらに回さねばならない。そう告げたハイマにルシェはうなずく。

 賢い相手と話しているのは楽しいもので、ハイマは鼻歌でも歌いそうな気分だった。一方で、ルシェは当たり前だが固い顔をしている。もう少し和らげばもっと可愛らしい顔になると思うのだが、戦争の講和でにこにこと話し合っているのも場違いか。

 不利な条件を飲むなよ、という昨夜のり取りがふいに脳裏のうりによみがえる。

 飲まねぇよとハイマは即答したのだが、お気に入りだか知らんが妙な情に流されるなとエンケパロスには一蹴いっしゅうされたのだ。

 ハイマがルシェを交渉相手に指名したことをどう受け取ったのか、エンケパロスからは酷く冷たいくぎを刺されている。信用がないなと肩を落としたが、そもそもエンケパロスが手放しで信用している相手などそういないことを思い出して気を取り直す。


「お前の言う通り、代わりの要求は値段だ」

「そうだろうな。どれくらいだ」


 エンケパロスは、供給量を下げない代わりにこの戦争における被害を補填ほてんするための費用の負担を提示しろと言っていた。まとめての賠償金ばいしょうきんではなく物資の値上げにしたのは、その方が住民に還元できるからだ。

 領地の民がうるおえばその分領地もうるおう。大きな賠償金を一口にクレプト家の財布に入れただけでは、土地は豊かにならないのだ。


「とりあえず、二割ほど。それを向こう一年間。どうだ」

「持ち帰らせてもらっても?」

「構わねぇよ」


 永遠に値上げするとはさすがに言えない。それは当然、こちらだけが一方的に被害を受けたのではないからだ。バシレイア軍もオルキデ軍にそれなりの被害を与えており、更には負傷兵の虐殺ぎゃくさつも行っている。仕掛けられた戦争の講和とはいえ、あまり強気に出てばかりもいられなかった。

 関係者と話すというルシェにハイマもうなずく。もとより一回の話し合いですべて決まるとは思っていない。


「それで、結婚の話だが。相手はお前じゃねぇんだよな?」

「違う」


 そうだろうとは思っていたが、念のためにルシェではないことを確認をしておく。

 間髪かんぱつ入れず返ってきた答えに浮かんだのは、安堵あんどかそれとも落胆らくたんか。


「年齢や特徴は?」

「ああ……」


 こういう相手だという釣り書きは持ってきていないらしい。どこかかられるのを恐れて秘しておくつもりだったのかもしれない。だが、こちらとしても相手がわからない以上候補が出せなくて困る。今後の為にも、あまりに相性の合わなさそうな二人を結婚させるわけにもいかないのだ。

 しばしし、ルシェが首を傾げる。黙ってルシェが特徴を話してくれるのを待っていると、ようやくルシェが口を開いた。


「年齢は二十五。足が悪いが、賢い女性だ」

「ほお。二十五か」


 若いなとハイマは頭をひねる。

 年齢的に一番近いのはおそらくカフシモだろう。だが、彼は既婚者きこんしゃだ。次に近しいのはハイマ自身だが、自分が貰い受ける気がないのでそもそも候補から外れている。

 残っているのはリノケロスとエンケパロスの二人である、が。


「ううん……」


 どちらも諸手もろてをあげてぜひどうぞとはおすすめできない。

 バシレイアでは複数人の妻を持つことが当たり前なので、すでに妻がいるカフシモと結婚させても構わないのは構わない。だがしかし、仮にも講和のための政略結婚だ。それで嫁いでくる相手を二番手の扱いにするのは見栄えも聞こえも悪い。


「貴殿が結婚したらどうだ?」

「はあ? 俺が?」

「未婚だろう」

「そうだが、なんで俺が?」


 きょとんとした二つの顔が見つめ合う。お互いに相手が何を言っているのかわかっていない顔だった。

 微妙な沈黙ののち、ハイマが腹を抱えて笑う。


「ふっ、はははは!」

「な、なんだ?」


 突然とつぜん響いた大きな笑い声に、ルシェが少し身を引く。彼女が怪訝けげんそうなものを見る目でハイマを見ているのでどうにか笑いをみ殺し、しかし消しきれない笑みに腹筋を震わせながらハイマはまなじりの涙を拭った。


「お前も冗談が言えるんだな」

「冗談ではなかったんだが……」


 はあ笑ったと、変な引きつり方をしている腹をでる。

 そんなハイマには、幸か不幸かルシェのつぶやきは聞こえなかった。


「どっちかを選ぶなら、リノケロス、かな……」


 苦し気に名前を絞り出した。エンケパロスとリノケロスのどちらを選んでも少々人格に難があるが、まだましな方と言われたらリノケロスだろう。年齢的には十以上開きはあるが、貴族の結婚ならば珍しいことではない。

 ハイマの異母兄でありエクスロス家の縁者となるため、人質同然となる女性を守ることも容易たやすいだろう。


「エクスロス領は岩場が多い。足が悪いと動きにくいかもしれねぇが、大丈夫か」


 そういう意味では、平地の多いクレプト領にとついだ方がいいのかもしれない。

 だが、エンケパロスに丁重な扱いは期待できそうにもなかった。


「馬には乗れたはずだが、一度下見に行っても?」

「ああ、いいだろう」


 とついで来てしまってからやはり生活できない、と言われても困る。他国の人間に、それも今の今まで戦っていた相手に国土を案内するのは異例だが、全ての決定権はハイマにあるのだからどうということはない。

 軽くうなずいたハイマに、ルシェの方が面食らった顔をした。今日はころころと表情が変わるな、とハイマはその顔を眺める。仮面の下は、案外こうして表情豊かだったのかもしれない。


「リノケロスには話しておこう。一度、顔見せの機会を」

「こちらも話しておく」


 グラスに注がれていた水に口をつける。ふと、ルシェが全く手を出していないことに気が付いた。

 彼女は警戒心が強そうだ。毒殺の危険性でも考えているのかもしれないが、こちらとて講和は望むところなのである。まして自分が指名して交渉している相手をどうして殺すことがあるだろう。


「毒はないぞ?」


 そう言ってすすめたが、ルシェはやはりどこか戸惑ったような顔をしていた。だが差し出されたものを口にしないのはそれはそれで無礼だと思い直したか、仕方なくといったていでルシェが少しだけ水を飲む。

 食べ物には手を伸ばそうとしないので、果物でも口に入れてやろうかとハイマは思う。だが昨夜のエンケパロスの冷たい視線を思い出して、背筋が冷えた。


「何か?」

「いいや」


 知らない間にじっと見つめていたらしい。居心地悪そうにルシェが身動ぎした。

 なんでもないと首を振って、視線を彼女かららす。いつの間にか、グラスは空になっていた。

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