3 『幸福』の城エフティフィア

 戦場を馬で離れたハイマは、ようやくエクスーシアへと到達しようとしていた。

 バシレイア王国の首都エクスーシアは華やかな街だ。かつてエクスーシアとして一つの国だった頃の名残をふんだんに残しているのは、それだけ争いが少なかったことの証明である。街のどこからでも見える巨大な城が、王とその一族が住む王城エフティフィアだ。

 白い壁は塗られているのか、それとも白い石で作られているのか、どちらであるのかをハイマは知らない。言い伝えによれば、あの城は魔法で建てられたものだという。外観のわりに中に入れば奥行きがあり、見た目以上に広く感じるのも魔法でそういう仕掛けがほどこされているのだとか。今となっては眉唾物まゆつばものの話である。


(どこまで本当なんだか。)


 王城へと続く大きな橋を馬にまたがって悠然ゆうぜんと歩きながら、ハイマは鼻を鳴らす。城は確かに大きく、建造するのは難しいだろう。だが、時間と人手と金をかければ不可能はない。見た目以上の広さをしているのも、内部で増改築を繰り返しているからだ。

 大体の物事には不思議はなく、理由がある。ハイマはそう思っている。

 大勢の人が行き交ってもなお余裕がある大きな橋の両脇には、日銭稼ぎの大道芸人や物売りが声を張り上げて人々を呼び止めていた。ガタゴトと音を立てながら荷物を運ぶ馬車がハイマとすれ違う。ここしばらく戦場で過ごしていたせいで、どうにも自分が浮いているような気がした。

 クレプト領の砂埃すなぼこりまみれたハイマとは違い、すれ違う誰もが綺麗で整った衣服を身に着けているのも一因だ。ちらちらとハイマの方を見てくる市民もいるが、その髪の色からハイマがハイマ・エクスロスであることを察しているのか声をかけてくることはない。むしろ、恐々と遠巻きにされている。

 争いごとから遠ざかって久しいエクスーシア領の住民には、血と砂に塗れたハイマはさぞ恐ろしく見えることだろう。


(こっからが長ぇんだ……。)


 エクスーシア領内ならいざ知らず、王城の膝元の街では馬を走らせることは禁じられている。人が多いため、事故のおそれがあるからだ。

 ここに至るまで全力で飛ばしてきたハイマには、かっぽかっぽと一歩ずつ進む歩みがもどかしくて仕方ない。苛立たし気に赤銅しゃくどう色の髪に指を差し込むと、ザラリとした砂の感触がした。手入れなどしていないので、指通りが悪くきしむようだ。川に飛び込んで全力で水浴びがしたいなどと、どうでもいいことを考えてしまった。

『幸福』の城エフティフィア。遅々として一向に近付かない城の内情を裏切るその名は、一体誰が名付けたのか。まったく似つかわしくないその名前が、ハイマにとっては愉快ゆかいで仕方がない。王が住む城にしては案外武骨な見た目をしていて、白い意外に特別美しく見える要素がない。それは建てられた頃の用途が今とは違うからだ。


「ハイマ・エクスロスだ。火急の用につき、陛下にお目通りを」


 ようやくたどり着いた王城の門の前には、当然ながら兵士が立っている。普段は閉ざされている扉の前で律儀りちぎに手足をそろえて槍を持ってたたずんでいる兵士に要件を告げると、彼らは驚いた顔をした。それでも彼らはうやうやしく門の片隅にある小さな扉を開ける。

 巨象でも通れそうな大きさの門が開くのは、エクスーシア一族が外出する時だけだ。それ以外の時には、こうして小さく開けやすい扉から出入りする。いっそ全員ここでいいではないかなどと思うのだが、そうはいかないらしい。まったく、くだらない。


「今、陛下はどちらに?」

「自分たちにはわかりかねます。執務室におられる時間ではありますが……」

「わかった」


 王城の内部は広いが、普段ハイマら貴族が行くことのある場所は決まっている。会議を行う大広間、儀式や行事で使われる謁見えっけんの場、それぞれの休憩室として与えられている客間。それ以外の部屋はエクスーシア一族の私的な空間のため、足を踏み入れることはない。そのためハイマも王城の内部の構造はほとんど把握はあくしていないが、かろうじて王の執務室はわかっている。

 執務室にいなければ、奥の方で母親と蜜月を過ごしているに違いなく、そうなると呼びだすのは非常に手間だ。まともに仕事をしてくれていることを願いながら、ハイマは執務室の扉を叩いた。


「誰だ?」

「ハイマ・エクスロスが参りました」

「入れ」


 幸いなことに、部屋からは王の声がした。凛としてよく通る、聞こえのいい声だ。

 この声だけを聞いていると有能な人物だという印象を受けるのだけれど。


「久しぶりだな。元気そうだ」

「おかげさまで」


 内側から開かれた扉の中へ入ると、馬鹿みたいに大きな机を前にした王が穏やかに笑っていた。バシレイア王国は王国とは言えども王が絶対の存在ではない。各領地に自治権が与えられているので、王家への忠誠心などこれっぽっちも抱いていない家がほとんどだ。

 ハイマとて敬うべき相手として認識はしていても、何が何でも王のために力を尽くさねばなどとは欠片かけらも思わない。こうして王を目の前にしてもひざまずくことがないのが、全てを表しているだろう。


「戦況はどうだ」

「そのことで、許可を得に来ました」


 王にとって、クレプトの地での戦争はきっと遠い場所から聞こえてくる物語のようなものなのだろう。どこか楽し気に浅黄色の瞳を揺らす王に、ハイマは溜息ためいきを飲み込む。

 そう愉快そうな顔をされるような実情ではないのだが、それを訴えても始まらない。


「許可?」


 きょとんと首を傾ける王の仕草は、年齢よりも随分と幼い。母である皇太后に溺愛できあいされているからだろうか、子供心が抜けていなさそうだ。


「この戦争に関する全ての決定権を頂きたい」


 ぱちくりと王がまたまばたききをする。どういう意味かを測りかねているようだ。

 このままそれが意味するところに何も気づかずうなずいてくれればそれでいい。決して愚鈍ぐどんな王ではないのだが、あまりにも幼少期からすべての物事に対してお膳立てされすぎてきたからか、深く考えるということをしないのだ。

 普段なら悪癖であるそれを、ハイマは今こそ発揮はっきしてくれと心から思っている。


「それは構わんが、今更どうした?」


 ハイマの思惑通りあっさり頷いた王に内心拳を突き上げる。

 当然、表向きには平然とした顔だ。


「いえ。念のため、確認をと思いまして」

「そうか」


 にっこりと笑う王は人好きのする顔をしている。民衆にも人気がある。

 その外見のせいなのか、何もしないからなのかはハイマの知るところではないが。


「陛下、一筆したためて頂いても?」

「ああ、いいぞ」


 口約束だけでは、そそんなことは言っていないなどと反故ほごにされる可能性もある。ハイマがうながすと、王は気軽に頷いた。彼は手近にあった紙にさらさらと筆を走らせ、あまつさえ印まで押してくれている。この警戒心のなさが恐ろしくて、ハイマは身震いした。

 万が一、ハイマがよからぬことを考えていたらどうする気なのだろうか。あらゆることを排除され、母から慈しみだけを与えて育てられるとこうなるのかと、ハイマは我が身を戒めた。

 もっとも、子育てはおろか結婚もしていない身だが。


「さあ、これでいい」

「ありがとうございます」


 皇太后への口止めをしようかと一瞬思ったハイマだったが、どうせ無駄なことだと口をつぐむ。どれほど黙っていてくれと言われたところで、この王は母に懇願こんがんされたら簡単に口を開くのだ。

 王直筆の命令書は、たとえ皇太后でもそう簡単にはくつがせない。王を説得して命令を撤回するまでに講和を固めてしまえばいい。


「では、これで」


 そう思うと、時間が惜しい。

 早々に部屋を辞すと、変わらずにこやかな顔で王はひらりと手を振った。


「ハイマ? お前、ここで何を?」


 足早に王城を後にしようとしていたハイマの背中を、聞きなれた声が叩いた。

 振り向いてもそこには誰もいない、ことはなく。


「よお、サラッサ」


 視線を下に向けると、白藍しらあい色の短髪が目に入った。

 丸みを帯びた輪郭りんかくは実年齢よりも彼を幼く見せているが、目尻を吊り上げている風貌ふうぼうはあまり彼には似合わない。


「お前、今下向いただろ」

「仕方ねぇだろ、小せぇんだ」

「平均! だから!」


 きゃんきゃんとえる彼はサラッサ・ヒュドールと言う。ハイマの友人の一人であり、バシレイア王国で最も豊かな領土であるヒュドール領の当主だ。現在の当主の中では最年少でもある。

 本拠ほんきょであるヒュドールの仕事はなかなかに多忙のはずだが、どうして彼がこのエクスーシアにいるのか。詳しく聞きたい気持ちはあったが、今ハイマがすべきなのは王城で情報集めにいそしむことではない。


「悪いが、急ぐんだ」

「少し耳を貸せ」

「は?」


 そういえば、戻ってきたら話があるとかなんとか言われていた。命の削り合いのなかですっかり摩耗まもうしていた記憶だったが、サラッサの顔を見てふと思い出す。長い話は無理だぞと一言添えてから、身を屈めた。

 上半身を曲げないと耳と口が近づかないことに対してサラッサが口をへの字に曲げたのが見えたが、無視して話を促すと彼は低い声でこう耳打ちした。


「皇太后が邪魔だと思わないか」


 こんな、王城のど真ん中で話すようなことではない。思わずハイマは周囲をうかがった。人通りが少ないとはいえ衛兵が定期的に巡回しているし、使用人たちも行き来する。

 確かに急いでいるからと部屋に腰を落ち着けなかったのはハイマだが、こんな場所で何を言うのか。黙って目線だけでサラッサをとがめると、彼はどこ吹く風で肩をすくめた。

 よしんば誰かに聞かれていたところで気にならないのだろう。皇太后の悪口一つで飛ばせる首ではないと、自分の価値をよく知っている。


「今は、思わねぇな」

「そうか。残念だ」


 サラッサの言葉に込められた誘いを正しく受け取って、それでもハイマは首を横に振った。鬱陶うっとうしい存在だと思うことは多いが、だからといって排斥はいせきしようとまでは思わない。

 実害がない分にはどうあってくれていてもかまわないというのが、この国に生きている貴族の大半の意見だ。サラッサのように、積極的に目の上のたんこぶを取り除こうとする方が珍しい。


「気が変わったら教えてくれ」


 サラッサが笑う。

 王の笑みよりも、どうしてか冷めたものを感じる笑みだった。

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