2 それ相応の報いを受けよ

 ともかくしなければならないのは否定ではあるが、それと同時にその情報を誰がシャロシュラーサにもたらしたのかは確認しなければならない。その情報を他に誰に渡したのかということも。

 どうにも面倒なことになりそうで、今はそんな場合ではないというのに嫌にもなる。ようやく停戦にぎ着けたところだというのに、シュティカでのんびりとくつろいでいた彼女にはそんなものは関係ないだろう。どうせこれは、彼女自身のためでしかない。


「だとしたら、どうするおつもりですか」

「決まっているじゃない。わたくし、女王にはなりたくないの」

然様さようですか」


 シャロシュラーサが女王になりたがっていないのは知っている。それは彼女が事あるごとに豪語ごうごしていることではあるし、それならばそれで好きにすれば良いと鴉は思っている。

 けれどもそれに他を巻き込むというのは、どうにもいただけない。

 王女という立場にありながら、女王になりたくないというのは我儘わがままだ。本気でなりたくないのならば王族でなくなれば良いだけであり、方法はいくらでもある。けれど王女という立場を失うこともせずにただなりたくないなどと言うのは、どうしようもなく甘えた考えではないのか。


「でもジェラスお姉様がシュリシハミンと結婚してしまったでしょう? ガドールがうるさいのよね」


 その言い草には、溜息ためいきも出なかった。

 シュリシハミン侯爵家も、オルキデにおける立派な侯爵家の一つだ。ましてシュリシハミン侯爵は人格者であるし、その息子たちもまた人間として他の貴族と比べても余程好感が持てると勝手ながら鴉は思っている。

 シャロシュラーサの言葉の端々には、シュリシハミン侯爵家を下に見ているのがにじみ出ていた。確かにシュリシハミン侯爵領は裕福ではないし、権力があるとも言えない。


「そうですか。殿下のご夫君はガドール公爵家出身ですから、仕方のないことでは」

「そうよ。お姉様のせいでね」


 自分は何も悪くないというような言い草だが、シャロシュラーサとてその結婚を受け入れたのだからとかく言える立場にはない。嫌だったのならば拒否をすれば良かったのだし、無理強いされた結婚というわけでもない。

 彼女が頷いたからこそ、その婚姻は成立している。だというのに彼女はその結婚すらも姉のせいにした。


「気が弱い夫で助かっているわ。指一本触れるなと言えばその通りにするんだもの」

「それはよろしいことで。お話はそれだけですか。私も暇ではありませんので、いつまでもお喋りに興じているわけにはいかないのですが。今は有事であると、賢いと噂のシャロシュラーサ殿下であればお分かりになるかと思うのですが」


 三人の王女の中ではシャロシュラーサが最も賢い。それは確かに間違ってはいないのだ。ただそれはあくまでも三人の中でということであり、では一般的に見てどうなのかと言われれば鴉は黙り込む他にできることはなかった。

 言外に邪魔であるから帰れというのをふくませたものの、残念ながら彼女には伝わらなかったらしい。シャロシュラーサは笑みを浮かべて、鼻を鳴らした。


「だからこそに決まっているでしょう。今なら慌ただしくて、そうそう誰もわたくしのすることを止められないわ」

「お遊びなら後にしてくださいますか」

「お遊びではないのよ、わたくしにとってはね。ガドールが女王にできる駒をもう一つ手にすれば、わたくしは解放されると思わない?」


 溜息ためいききそうになって、やはり呑み込む。いっそお帰りはあちらですと扉の方を指し示してやりたいくらいだが、一応の立場というものもある。

 いくら鴉と言えども、王族をないがしろにはできない。まして彼女の後ろ盾となっているのはガドール公爵家であり、要らぬ口を挟まれるのは避けたい家だ。なんとも面倒で、鴉は仮面の下で顔をゆがめるしかなかった。

 解放されたい、そのためには他人が必要。まずその前提が間違っていることになぜ気付かないのだろう。


「駒などありませんよ」

「あるじゃない、ルシェルリーオという立派な青銀の駒が」


 ここにいるのはただの鴉だ。ルシェルリーオという人間はこの世のどこにもいない。

 けれど確かに鴉が生まれ落ちた時に名付けられた名前はそれであり、決して消えてしまうものでもない。それまで与えられていた何もかもすべてを投げ捨てて、そうして鴉になったとしても。

 女王になりたくないのなら、シャロシュラーサもそうすれば良いのだ。何もかもすべて、それこそ自分の名前と顔すらも塗り潰して、そうすれば女王になる道も閉ざされる。


「貴女、エハドアルド・ハーフィルに傷物にされたんですってね?」

「……何の話か分かりかねます」

「エハドアルドが言っていたわよ? 貴女は自分の婚約者だとね」


 頭のどこかが麻痺まひするような感覚におちいりそうになり、口の内側の肉を噛んで意識を保つ。下卑げびた笑みを浮かべる男、伸ばされた腕、痛みと苦しみと叫びの記憶。

 九年前に過ぎたことだ。その当時の鴉の年齢を考えれば、決してエハドアルドはそのことを声を大にして言うことはできない。それでもあの男はルシェルリーオを婚約者などと称するのか。

 息が苦しい。呼吸がうまくいかない。

 オルキデのために死ぬことはできるのに、それに躊躇ちゅうちょすることなど何もないのに、この国にいると息ができなくなる瞬間がある。どこに行けば溺れずにすむのか、どこにいればきちんと呼吸ができるのか、オルキデしか知らない鴉には分からない。


「それを、誰に調べさせましたか」

「教えてあげないわ。人の口に戸は立てられないし、鳥は見ているものよね」


 帰るわ、とシャロシュラーサはきびすを返す。付き従っていた侍女も護衛も共に踵を返し、鴉の巣から彼らの背中は遠ざかっていく。

 かつりかつりという足音が聞こえなくなって、鴉は扉をそっと閉めた。苛立てば扉を思い切り閉めることもあるのだろうが、鴉の中にあったのは苛立ちよりも疲れである。


「はー、やれやれ。お疲れ様」

「閣下」


 ぐるぐると肩を回して伸びをして、そんなことをしながらアヴレークが隠れていた机の下から姿を見せた。ここまでの会話をすべて聞いていた彼には、言いたいこともある。

 オルキデにいる王女は三人。それは当然女王と王配の娘である――そうでなければ、ならない。


「娘のしつけくらいきちんとしてください」

「あはは、娘? アレが?」


 声を上げて笑ったかと思えば、アヴレークは途端に笑みを消してぞっとするほど冷たい表情を浮かべた。そうなると分かっていて鴉も口にしたが、ぞくりと背筋を冷たいものが這う。

 これは彼の逆鱗げきりんだ。鴉はそれを知っていて、あえてそこに触れた。


「僕の娘はだよ、ルシェ」

「存じております」

「女王になりたくないのなら死ねば良いんだ、アレも。本当に逃げたいのならね。そうやって嫌だ嫌だと言いながら王族の美味しい部分だけは手にしたいんだろう、甘い話だよね」


 王族というものは権力がある。与えられるものも多い。

 けれどもそれは、義務を果たすからこそ与えられているものである。それこそ最後に国を背負って死ぬのが王族の責務であるのだから、その時のために与えられているのだと言っても過言ではない。

 本当に女王になりたくないのならば死ねば良い、それはまさにその通りなのだ。そうすれば決して女王になるということもない。けれどそれはしたくない、王族という立場は失いたくない、そんな部分は透けて見えている。


矜持きょうじだけご立派なのと、責務を果たさずに拒否だけする我儘わがままと、自分で何も考えられないお人形と、まったく笑えるねえ」


 笑えるなどと言いながら、やはりアヴレークの表情はてついていた。

 これ以上何かを言うのは更に彼の機嫌を損ねると判断して、鴉は次に彼が口を開くまで黙り込むことに決めた。そうして待っていれば、アヴレークはどかりと机の上に腰を下ろす。

 当然鴉は、それをとがめない。一度咎めなかったのだから当然だが、苛立っているアヴレークは好きにさせておいた方が得策だ。


「ところでルシェ、気付いたかい? シャロが情報を探らせた相手」

「人の口に戸は立てられぬ、鳥は見ている――ファラーシャ・バルブールですね。ただ彼女が自ら望んで関与するとは思えませんので、何かしらおどしをかけたものと思われますが」


 シャロシュラーサが口にした言葉は、まさしくファラーシャを指し示していた。

 ベジュワ侯爵バルブール家、その家の長女の名前である。知略と礼節のバルブールと呼ばれる家ではあるが、現在の侯爵は愚鈍と有名であり、領地に引きこもっていて滅多に出てくることはない。けれどファラーシャはそんな父親に似ることはなかった。


「どう思う?」

「……危険かと。情報という意味でもですが、ファラーシャ・バルブール自身も」


 何かしら不都合が出て来た時に、シャロシュラーサがファラーシャに何をするかは分からない。口封じのために殺してしまうということも考えられる。

 まして彼女はガドールを動かせる立場にある。ガドール公爵家にとって権力を握るための鍵であるシャロシュラーサのご機嫌取りというのは重要で、もしも彼女がガドール公爵にファラーシャの排除を願ってしまえばそれは間違いなく叶うだろう。


「生かしておいてやっているのに、面倒事ばかり巻き起こして。どうせどれかは残しておかないと面倒だから残しておいているけれど、一人くらい減っても平気かな」


 アヴレークは要らないとは言わなかったが、もう一押し何かあれば言いそうではある。

 女王の三人の娘には欠点が多い。どれも次代の女王には相応ふさわしくない。そもそも王家の青銀がいないではないかと、人々はそう口にする。だから誰がなっても同じこと、とそう続くのだけれども。


「ああそうだ、良いことを思い付いた」

「何です?」


 彼の言う良いことが何なのかが思い当たらず、鴉は思わず聞き返す。

 ともかくファラーシャはこちらで保護しておかなければならない。かといって鴉の巣に置いておくわけにもいかず、シュティカに置くにも危険が付きまとう。

 何か良い案があるのだろうかとアヴレークを見ていれば、彼はにんまりと笑った。


「お見舞いの品だよ」

「はい?」

「お見舞い。悪いことをしたなあとは僕だって思っているんだよ? 一応は、ね?」


 やはり何の話かは分からない。けれどアヴレークは問い詰めたところで答える気はないだろう、だから鴉はそれ以上聞くことはやめておいた。

 見舞いの品。悪いことをした。なんとなく想像はつくものの、それもいかがなものかとは思う。

 確かに今の状況であれば、不自然にならずにまとめることができる話ではある。かといってそれは当人たちのあずかり知らぬところで決めてしまって良いものか。


「とりあえず草案を作ろうか。シャロのことはおいおい……ラベトゥルでもき付けておけばどうとでもなるからね。どれだけ執着したってシャムスアダーラが認めないのなら青銀なんて生まれようがないんだよ、あのクソババア」

「閣下、口から出ておりますが」

「おっと」


 しまったとアヴレークは少しだけ舌を出し、柔和な笑みを仮面を被る。

 その本質は決して穏やかなものではなく、むし苛烈かれつと言えるだろうか。それらすべてを柔和な笑みの下に押し込んで、腹の底では何を考えているかも分からない。

 青銀。

 オルキデにおいてどこまでも重い色ではある。太陽と正義の神シャムスアダーラが愛し、次代の女王にだけ与えると言われる色だ。


「けれど、覚えておいで。僕は誰のことも赦しちゃいない。彼らは必ずその報いを受けるだろう」

「そういうものですか」

「そうさ。群島諸島連合の人間ほどじゃあないけどね。ハイライの人間も案外怖いんだよ」


 群島諸島連合のことも鴉は特に詳しくはない。群島諸島連合と交流があるのはもっと南、それこそバルブール家の領地である。

 アヴレークはかつてあちらこちらを旅して回ったらしく、オルキデ以外のことにも詳しかった。過去にその話をせがんだこともあるが、今となっては遠い記憶だ。


「どのように」

呪詛じゅそだよ、呪詛」

「魔術と同じくすたれて久しいのでは?」


 少なくともオルキデではほとんど聞かないものだ。呪いというのもはある、けれど明確にどのようなものか分かっている人間はきっといない。

 魔術も何もかも、今となっては加護として残滓ざんしが残るだけ。人間が単独で使えるようなものはなく、神や精霊からの加護がなければ人知を超えたものというのは与えられない。

 これでも近隣諸国に比べれば、オルキデはまだ神と人との距離が近い方だろう。五柱の神に人々は何かしら祈りを捧げているのだから。


「何も大がかりなものではないさ。ものすごく単純なんだよ、口に出していれば叶うっていうね」


 願いは秘めておけという人もいる。

 呪いとは願いと異なるものなのだろうか。けれど鴉には、それらは近しいものであるような気がしてならないのだ。誰かの願いは誰かの呪い、そう思ってしまうのは何故だろう。

 かつて誰かが何かを願った。その願いに絡め取られてしまえば、それは呪いに変わるのか。


「閣下は何を願われたのです」

「そんなの簡単だよ」


 アヴレークの笑みは、どこまでも冷たい。

 それが自分に向けられたものではないと分かっているのに、どうしようもない寒気が鴉を襲った。冷たくて、鋭くて、押し潰される。

 息ができなくなりそうで、口を開いた。なんとか口から息を吸い込んで、呼吸を続ける。


「リヴを苦しめたものはすべて、


 きっとアヴレークはオルキデのことも好きではないのだ。けれどリヴネリーアが女王であるから、彼はここに宰相という立場として留まっている。

 その感情の名前を愛と呼ぶのならば、鴉にはやはり分からない。それは己を殺して何かを呪い続けてまで、抱き続けるものなのか。

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