26 そして男は王都へ向かう

「停戦?」


 陣地の中で一番大きなハイマの天幕に、怪訝けげんそうな声が響いた。車座になって座る司令官の顔ぶれは始まりの時から一人減っているが、誰もそのことを口に出したりしない。人が一人いなくなったというのにいっそ不自然なまでの無関心さだが、努めてそれを口に出そうとはハイマ自身も思わないので良しとしておいた。

 こういう、他人への関心のなさがバシレイア特有の気質かもしれない。


「そうだ。お互い、いい頃合いだろ」


 バシレイアは補給庫を失った。オルキデは総司令官を失った。

 それぞれ軍の再建にはそれなりの時間がかかるだろう。いや、人ひとりえればいいだけのオルキデの方が立て直すのは早いかもしれない。燃えてしまった補給庫を元通りにするには、物資の調達から必要になる。

 武器を振り上げるのに理由は要らないが、置くには理由が必要だ。何事も機というものがある。一度機をいっしてしまえば再び訪れるのはいつになるかわからない。泥沼どろぬまとなり、どちらかが全滅するまで続く可能性とてある。

 そこまでの殺戮さつりくをハイマは好まない。そもそも戦うことと、殺戮は明確に違う。


「いい頃合い、か」


 エンケパロスが鼻を鳴らした。無機質な黄金色の瞳がハイマを見つめる。

 バシレイアにおいて貴族を名乗る上で重視されるのは、髪か瞳の色だ。各家に定められた色があり、それから逸していればたとえ当主の子供でも貴族は名乗れない。貴族から生まれ落ちたとしても、色を持たねば平民になるのだ。

 一夫多妻制が通常であるバシレイアにおいては、生まれてきた子供の父親が誰かという確信を持てることが少ない。というのも、男が場末の女に後継者を産ませることもあれば、正妻がどこの馬の骨とも知らぬ男と交わって平民を産むこともあるからだ。

 決まった色を持つ者同士で婚姻こんいんをしているからか、その髪や瞳の色を見ればどこの家と血が繋がっているのか、おおよそ察しが付くことが多い。

 エンケパロスの黄金色の瞳はエクスロス家に特有の色であり、ハイマとリノケロスと同じ色をしている。それはつまり彼がエクスロス家とは近い親戚であることを示しているというわけだ。

 だからと言って彼から情け容赦があるとか、あるいはお互いに親しい気持ちがあるとか、そういったことは一切ないけれど。


「昨夜は、楽しんでたみたいで」


 表情一つ変えずにエンケパロスが紡いだ言葉で、カフシモのハイマを見る目が一気に冷めた。

 その言い草は明らかに誤解を招くものであり、ハイマは慌てて口を開く。そんな風にあらぬ誤解をされるというのは本意ではない。


「いや待て、違う、なんか違う!」


 こういう時、エンケパロスは非常に掴みにくいので困るのだ。ただハイマを揶揄からかって遊んでいるだけなのか、本気でそう思ってとがめているのか、どちらであるのか察しがつかない。

 冷めた目でこちらを見てくるカフシモより、一切目が合わないリノケロスの方が怖かった。即座の否定も疑惑の一材料になってしまうかと、慌てて立ち上がり昨夜の出来事を口にする。


「昨日、夜に俺のところへ単身ルシェが来た。オルキデの女王からの書簡に停戦したいむねが書かれていたんだ。条件は出したが、俺は呑もうと思ってる。その話をしてただけだ」

「ルシェって誰です」


 リノケロスからの静かな突っ込みに、ハイマはぐぅと喉の奥でうなった。失言であると察したところで、後の祭りだ。

 鴉と呼ぶべきだったのだと初めて気付いたが、昨夜覚えて口慣れた名前は既にこぼれ落ちており、口の中へ戻ってくることはない。


「……鴉の名前だ」

「へぇ……」


 物凄く白い目で見られている気がする。あまりの理不尽さにハイマは歯噛はがみした。

 何も悪いことはしていない、後ろめたいこともない、そのはずだ。本心を包み隠さず言えば、多少ルシェに対しての私利私欲を盛り込んだのは否定しない。だが、誰ともわからない宰相なぞに出てきてもらっても困るというのもまた事実である。

 こちらはそれに相応する役職の者を出すことはないのだから、停戦協議の席にく両者があまりにも立場が違っていても良くないだろう。


「まあ、遊びはこの程度にして。講和には賛成だ」


 むぐぐ、と唸っているハイマを見て、リノケロスが溜息ためいききながらそう言った。異母兄ながら分かりにくいが、どうやら揶揄われていたらしい。

 釈然しゃくぜんとしない感情を持て余しながら、ハイマはもう一度椅子に座り直した。どうしてこんなところで年長者から揶揄われなければならないのか。これでも一応国同士の比較的真面目な話だというのに。


「出した条件とは?」

「ルシェ……鴉が交渉の席に就くこと、だ」


 聞かれて、ハイマは素直に答えた。隠したところで、どうせ後日わかることである。

 リノケロスの反応をうかがえば、彼が愉快ゆかいそうに口の端をゆがめたのが見えた。


「随分気に入ったんですね?」

「知っている相手と交渉する方がやりやすいんだ」

「へえ」


 リノケロスは鼻で笑い、それきり口を閉じる。彼はもう目を伏せてしまって、ハイマの方を見ることもない。

 これはもう話したいことがない時のリノケロスの所作である。もう何年も彼の異母弟をやっているのだから、それくらいのことは知っていた。


「細かい条件は?」

「これからだな」


 話す気のなくなったリノケロスの続きを引き受けるかのように口を開いたカフシモが、若干心配そうに首を傾けている。

 ルシェとの間で決まったことは何もない。ただ停戦する、兵は退く。そして互いに交渉の席に就く。少しばかり負傷兵を虐殺ぎゃくさつした件についてのことはあったが、それもまだ細かなところの調整は必要だ。


「陛下には?」


 ハイマは、その言葉を聞いた途端とたん苦い顔をした。

 この場で何もかもを決めてしまえれば楽なのだが、そういうわけにもいかない。戦争の最中にどう動くかであれば総司令官であるハイマに最終決定権はあるが、国同士の話となってくるとまた違う。


「これから、だ」


 バシレイアは、である。十二の領地は自治権があり、それぞれに当主が領地を治めている。そして領主の地位は全員同格で、王とてエクスーシアという領地の一当主でしかない。

 ただそれはあくまでも十二の領地の話であり、一つの国としてまとめて考えればやはり王が一番上である。国として意思決定を行う上で、唯一是非を決められる存在が王だ。ハイマがどれだけ講和を望んでも、王が拒否すれば戦いは続く。

 今の王はほとんど皇太后の意のままであり、どういう意図にせよ皇太后は戦争を望んでいるような節がある。


「陛下に直接話をしたらどうです」

れを出さずに?」


 エンケパロスが、ある意味で彼らしいことを言った。通常国として意思決定をするときには、各当主に集まるよう知らせが送られる。そうして集まった場で話し合い、方向性を決めるのだ。先日オルキデから宣戦布告があった時もそうだった。

 だが、エンケパロスはその過程を飛ばしてしまえ、と言う。


「どうせ集めたところで集まりもしない。実のある話もない。邪魔されるぐらいならさっさと決めてしまえばいい」


 エンケパロスの言う通り、そうして当主を集めようとしたところで、全員が集まったためしなどない。議題に関わりのある家は限られていて、それ以外の家はほとんどの場合無関心だ。要らぬ口を出して火の粉がかかりたくない、という保身もあるだろう。

 会議には基本当主しか出席できないが、なぜか皇太后はいつも顔を出す。それだけではなく、口も出す。どうにかしようと思うのならば、確かに王に直談判するのが一番早いだろう。


「オルキデよりも時間がかかるのは良くないんでは?」


 カフシモもまた、エンケパロスに同意するようなことを口にする。彼は当主ではないので、会議が開かれても出席は叶わない。

 この場で会議に出る権利を持つのはハイマとエンケパロスの二人だけだ。二人では、多数決と鳴った場合押し負ける可能性もある。


「……そうだな。直接、話をつける」


 脳内で様々な可能性をぐるぐるとかき回し、ハイマはパチンと手を叩いた。

 悠長に喧々諤々けんけんがくがくとやり合ってる暇はない。何せこれは、相手のある話だ。皇太后の口出しもそうだが、オルキデ側の気が変わらないとも限らない。


「少し空ける。後は任せた」


 戦場となったのはクレプト領でもかなり端の方だ。ここから王都エクスーシアまでは馬を飛ばしても一朝一夕では行けない。ましてや、すぐに王と話がつくかもわからない。

 留守の間のことをエンケパロスにたくすと、彼は黙ってうなずいた。


  ※  ※  ※


 馬を繋いである簡易な馬小屋では、血飛沫しぶきで汚れた馬具を外されて綺麗に洗われた馬たちが、のんびりと草をんでいた。そこらへんの人間よりもよほど賢い彼らは、ハイマがやってくると挨拶あいさつするように軽くいななく。一頭ずつに声をかけてもいいのだが、それをすると嫉妬しっと深い愛馬が機嫌を損ねて走らなくなってしまうので、ハイマは一直線に愛馬の元へおもむいた。

 総司令官の馬だからと言って、別のところに入れられているようなことはない。ハイマの愛馬はその他多数の騎兵の馬に混じってもぐもぐと口を動かしていた。

 一頭だけ別にけられている馬もいるが、それはカフシモの愛馬だ。特別扱いと言えばそうなのだが、気性が荒すぎてほかの馬を蹴り飛ばし怪我をさせてしまう恐れがある、という特別扱いである。

 持ち主に似ずとんでもない荒れ馬で、ハイマですら近寄る気にはならない。


「よしよし、いい子だ。ちょっと遠出するぞ、走ってくれよ」


 体格の良いハイマがまたがるこの愛馬は、他の馬たちより一回りほど馬体が大きい。そうでない馬は、すぐに潰れてしまうのだ。

 首筋を軽く叩くと、愛馬はふすんふすんと鼻を鳴らしてやる気を示した。


「よし」


 ふと、ハイマは足元に伸びる影を見つめる。昨夜もルシェは影からずるりと出てきていた。次に出会ったときは、どんな感触がするのか試しに連れてもぐってもらうのも良いかもしれない。

 などと考えたところで、ルシェから危害を加えられる恐れを欠片かけらも抱いていない自分に気づいた。そんな自分に思わずハイマは苦笑を漏らす。刃を交えれば何となく相手のことは分かるが、いくらなんでも彼女はオルキデ軍の有力な指揮官の一人だ。そしておそらく隠密行動の組織の頭でもある。

 そんな相手にのこのこと自分の領域に入れてくれと頼むなど、正気の沙汰さたではない。


「……まあでも、やり合う理由もねぇしな」


 トントンと軽く影を足で叩く。当然ながら、鴉は現れない。

 少しだけ残念な気持ちになったことは見ないふりをして、ハイマは今度こそ愛馬に跨った。

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