24 最後の激突

 補給庫を襲撃した、翌朝。

 今こそ総攻撃をかけてバシレイアに勝利する好機ですとバラックにささやけば、彼は鷹揚おうよううなずいた。それが彼を殺すとも知らず、憐れなものかもしれない。けれどラベトゥル公爵に踊らされてオルキデに損害を与えたのだから、その責任を負えというものだ。

 中央と左翼と右翼、オルキデの部隊は三つに分かれて進軍している。国境の狭くなっているところではなくオルキデ側の平原に展開し、そこでバシレイア軍を迎え撃つという形だ。

 鴉はただ、地平線の方を見る。やがて向こうから見えてきたのは、同じように広く展開するバシレイア軍の姿。中央には総司令官であるハイマがおり、その姿を見たオルキデの兵士たちがわずかに後ろへ下がろうとするような気配すらあった。

 ハイマは鴉の姿を認め、そしてにんまりと獰猛どうもうな笑みを浮かべたように見えた。


「騎士団長」


 敵を見据みすえるバラックの隣に近づき、小さく彼に耳打ちする。討たれてくれという本心は覆い隠し、彼が総司令官に向かっていくように道を作る。

 彼をバシレイアの総司令官に討たせる。それは最初から決まっていたことだ。アヴレークがそう決めて、リヴネリーアも異を唱えなかった。騎士団長の座を空白にしてでも、彼らはラベトゥルに踊らされたバラック・ジャザラは不要と断じたのだ。


「敵の総司令官を討ってください。そうすれば輝かしい勝利と共に、この戦争も終わります」

「そうか! そうだな!」


 鴉はバラックにハイマが討てるとは思っていない。決してバラックには伝えない本心を嘘で塗り固めて覆い隠してしまえば、彼は鴉の本当のところには気付かない。

 鴉自身はバラックに対して何かを思うこともない。もしかするとアスワドはあるのかもしれないが、彼とてこうなることは承知の上だ。

 ならば、派手に散ってくれ。すべてはこの腐りかけた斜陽の国のために。陽はまた昇る、腐り落ちてしまわない限りは、だから。


「皆の者、私に続け!」


 どちらともなく、声が上がる。そうしてバラックにとっては最後となるだろう衝突しょうとつが始まった。

 バラックさえ討ってくれれば。総司令官が討たれれば、オルキデは撤退てったいを選択する。まずはそこまで戦況を運ばなければならない。

 彼らの戦いを確認できて、けれど巻き込まれはしない程度の距離にいることを決めて、鴉は短剣を引き抜いて構えた。さすがに血染めの赤鴉コキノス・コローネーとまで呼ばれるようになってしまっては、向かってくるのは精鋭ばかりになる。一つの動きが鋭く重い彼らを複数相手にするのは骨が折れるが、それでもバラックからつかず離れずの位置にはいたい。

 鋭い突きを軽く跳んで避けて、首を狙う。けれどそう簡単にいくはずもなく、剣に短剣がはね飛ばされた。即座に影に手をついて、次の短剣を取り出して引き抜く。

 あと何本あるか、数えることはしていない。


「バシレイアの総司令官は腰抜けか!」


 バラックの剣を退けて、ハイマが近くにいた兵士に何事かを命じている。彼らが警戒しているとすれば、目の前にいるバラックではなく鴉の策だろう。確かに何度となく鴉は策によって戦場を自分たちの有利になるように動かしている。だが、今回はもうそんなものは必要ない。

 それを好機と勘違いしたバラックが、上段からハイマに斬りかかった。けれどそれは槍の柄の部分で受け止められ、弾き返される。

 彼ら攻防を観察しながら、ようやく目の前にいた一人の首に短剣を突き立てるに至る。血染めの赤鴉コキノス・コローネー、何も間違ってはいない。首ばかりを狙ってしかも躊躇ちゅうちょなく引き抜くものだから、いつだって雨のように血が降り注ぐ。

 ほんの少し、バシレイア軍の前線が後ろに下がった。全員一律に下がったところを見ると、何かしらの策の可能性は高い。味方すら巻き込む可能性があるとすれば、火を使うのか矢を放つか。どちらであっても鴉はバラックを助けるつもりはない。ただ自分の身を守るべく、少しだけ後ろへと退いた。


「放て!」


 鋭い命令が戦場を駆ける。引き絞られ放たれ、曲射された無数の矢がバシレイア軍の頭上を飛び越えてオルキデ軍に襲い掛かってくる。立ち向かう気力のある者は、飛来した矢を剣で薙ぎ払っていた。しかしそれに失敗をした兵士は矢に貫かれ、命を落とした者もいれば深々と突き刺さった矢で負傷した者もいる。

 自分のところに飛来した矢を影に潜んでやり過ごしてから、バラックを確認した。彼は鎧と籠手の隙間に突き刺さった矢を引き抜いて捨てているところであった。


「この、卑怯者が!」

「戦場で卑怯もクソもあるかよ」


 バラックの叫びを、ハイマが嘲笑あざわらう。

 ここは戦場だ、卑怯も何もない。鴉たちとてこれくらいの策はいくらでも使ってきた。

 鐘の音が聞こえる。鴉たちのような距離と時間を短縮できる伝令を持たないバシレイア軍の伝達手段である、陣鐘じんがねの音だ。

 再びバシレイア軍が戦線を押し上げてくる。再び精鋭歩兵と対峙する形となり、鴉はその隙間をうようにして体勢を低くして最前線へと駆け上がる。

 バラックを助けるためでは断じてない。彼が討たれた時に一刻も早く命令が出せるように、ただそれだけだ。

 最前線では再びハイマとバラックの攻防が始まっていた。目の前に迫った刃を弾き、駆ける。影に沈んで背後を取るのは卑怯なのかもしれないが、持てるすべてを使わなければ鴉とて取り囲まれて命を落としかねない。それほどに押し寄せる敵兵の数が多かった。

 砂埃と血に塗れ、短剣を握る。何人殺したかなど数える暇はない。戦場でそんなことをしても意味はない。ただ国のために血に塗れ、ただ国のために命を落とす。

 どこに傷を負ったかなど、後で確認する。致命傷でないのなら、放置して良い傷であるのなら、そんなものは気にかける余裕もない。ただひたすらに傷つき、ほふり、誰かの叫び声だけが耳へと届く。

 一際大きなバラックの声がした。気合の声は言葉にもならず、大きく振りかぶった刃でハイマを狙う。けれどそこでがら空きになった胴体を、ハイマが見逃すはずもなかった。

 横薙ぎに払われた幅の槍が、バラックを跳ね飛ばす。金属の音を立てて地面に落ちたバラックを、躊躇も容赦もすることなくハイマは足で踏みつける。


「じゃあな」


 小さく紡がれたのは、別れの言葉。

 なんとか体勢を立て直そうとバラックが藻掻いたところで、鎧の重さと鳩尾を力強く踏みつける足とで起き上がれもしない。

 長い槍の穂先が、バラックの首に突き立てられる。言葉にならない最期の声を上げた後、その首がごろりと転がった。あれを回収してやるべきなのかもしれないが、おそらくその余裕はない。ならばバシレイア軍に戦利品としてくれてやる。


「伝令! 騎士団長が討たれた、これより我が軍は撤退する! 殿しんがりは大鴉が務める! 早急に退け!」


 バラックが討たれたのならばこれ以上この戦争を続ける必要はない。ここで敗北をするわけにはいかないのだから、ここは戦い続けるよりも当然撤退を選択する。

 影から現れた雛鳥たちが、鴉の命令に従って四方へと散った。


「右翼と左翼にも撤退の伝令を!」


 生きて戻り停戦を持ち掛けようと思うのならば、ここからが正念場だ。鴉の死に場所は此処ここではない。

 撤退というものは戦術的には劣勢だ。殿を務めると自ら叫んだが、それがどれだけ危険なことであるかは理解している。オルキデ軍が撤退を始めれば間違いなくバシレイア軍の追撃が始まる。何があろうと生き延びることだけを決意して、鴉はただ短剣を構えた。

 じりじりと後退しようとする兵に迫った剣の先を弾き、そのまま地面を蹴って鎧の隙間に突き立てる。撤退するのを見逃してくれるのならばさておいて、追われるのであれば躊躇っていてはこちらが殺される。

 ごうと風が吹いて、砂埃を巻き上げた。弾いて、突き立てて、引き抜いて、投げ捨てて、大鴉は更に砂埃と血に塗れていく。口の中に砂が入ったようで、その場でつばごと吐き捨てた。


「可愛い俺のコローネー、会いたかったぜ。やっと邪魔者がいなくなったな」


 友人にでも会ったかのような女性を口説くかのような、そんな気安さで槍を手にしたハイマが笑っていた。

 彼にとって鴉など、獲物の一つでしかないのだろう。この戦場における彼の最大の獲物が、鴉であったのかもしれない。


「私はできれば会いたくなかった」

「まあそうつれないことを言うんじゃねぇよ。俺とお前の仲だろう?」


 剣戟けんげきの音がする中、血に塗れた男は獲物を見つけた肉食獣のように笑っていた。

 鴉一匹を屠ったところで腹など膨れないだろうに、それでも喉笛に喰らいついて引きちぎろうとする。


「殺し合った覚えしかないが」

「その通り」


 何も楽しいことなどない。

 果たしてこの男は女王の要求に応えてくれるのか。どちらかが死に絶えるまで、どちらかが敗北を認めるまで戦い続ける。そんなことをするようには見えないというのは、鴉の願望でしかないのかもしれない。

 周囲から音が引いていく。あれほど騒がしかったはずなのに、ただ目の前の男の存在だけが際立って、他が薄れていく。


「ズィラジャナーフ、我に加護を!」


 ゆらりとハイマが動く。精霊への祈りの言葉を口にして、鴉は姿勢を低くした。

 地面を蹴って、前へ。槍と短剣ではどうしても長さの分だけ鴉が不利だ。ならば、相手の懐に飛び込むしかない。突き出された槍の先を短剣で弾くようにして軌道を逸らし、もう一歩。

 近付いたところでハイマは何かしらの対応策は持っているだろう。けれどそれを警戒しすぎて遠ざかれば、鴉の刃は彼には届かない。肉を切らせて骨を断つことを覚悟した上で何とかしてその懐に飛び込むか。致命傷でなければ構わない、今更傷の一つや二つ何を躊躇することがあるだろう。

 どこまで使うか。どこまでならば許されるのか。目の前の男を何としても退けようと思うのならば、持てるすべては使わなければならないだろう。

 突き出された槍の先を避け、再び肉薄すればハイマが笑う。槍を一度投げ捨てた彼に首を掴まれ、そのまま鴉は地面に叩きつけられた。


「あ、ぐ……」


 幸いにして押し付けられた先は地面であり、そこには影。そのままずぶりと影に沈めば、ハイマの手からは解放された。は、と影の中で息を吐き、ごほと一つせきをする。

 まだだ、まだ撤退は終わっていない。

 影から抜け、ハイマの背後へと翔んだ。振り上げた短剣を首目がけて振り下ろすが、突き立てるよりも前に彼が反応した。

 それでも刃は届いた。短剣の切っ先は男の頬を裂き、そこから鮮血が滴り落ちる。


「ほお?」


 ハイマの顔が、愉悦ゆえつゆがんだ。この状況でなぜ笑える。なぜよろこぶ。鴉にはまるで理解できず、やはり嫌な予感だけが背筋を駆ける。

 何度か刃のぶつかり合う音が響き、力負けして鴉の小柄な体は再び弾き飛ばされる。そこへ踏み込んだハイマの槍の穂先がみぞおちへと迫り、鴉は無理矢理体をひねって急所は外した。


「く……」


 それでも脇腹を突かれる形となり、刺し貫かれた脇腹からはどろりとした血があふれ出る。

 致命傷ではない。それでも血を失いすぎるわけにはいかない。ひとまずの応急処置のために奥歯に仕込んでいた増血剤ぞうけつざいをかみ砕き、心臓の拍動を速くする。

 一歩たりとも、退いてはならない。


「ズィラジャナーフ、我に加護を! 我らが太陽のために、どうか!」


 空へと叫ぶ。鴉の内側で影がうごめき、さざめいて笑っているようでもあった。

 ふらりと立つ。心臓を動かせ、血を回せ。喪われるよりも多く血を回せ。

 槍の穂先に阻まれて、肉薄することは難しい。ハイマとしては鴉を近づけない方が有利に運べるのだから当然だろう。けれど彼の顔には若干の不満が浮かんでいた。


「使えよ、赤鴉コキノス・コローネー。それとも負けた時の言い訳でも用意してんのか?」

「まさ、か!」


 オルキデにもバシレイアにも、魔術というものは存在しない。数百年前の文献にならば記載のある超常の力というものは廃れて久しく、今となっては加護というのがその残滓ざんしのようなものでしかない。

 加護を持たないものに対して加護を使って戦うことは対等か。そんな鴉の躊躇など踏みつけて、ハイマが笑っている。使えと、そうでなければ何も面白くないと、そう告げるように。

 鴉の足元にある影から細く細く糸のように伸びあがった影が、一直線にハイマへと向かう。ハイマの口角が吊り上がった。おそらく未知であろう攻撃を心待ちにするかのように、彼は槍を構えて笑っている。

 何を口にする必要もない。ただ短剣の先をハイマに向けて、影に命じる。細かな操作も命令もなく大雑把おおざっぱなものではあるが、動きを封じるだけであればそれで構わないだろう。それがどうなるか見届けることはなく、鴉はどぷりと影に沈んだ。

 ただじりじりと時間を稼いでいるだけでは何の意味もない。そもそも全力でかからなければ、ハイマが満足するような戦いにはならないのだ。

 本来ならばそこまで付き合うような必要はない。ただ、彼の機嫌を損ねないようにしはしておきたい。戦場でご機嫌取りも何もないが、この後彼を交渉の席にかせることを考えれば必要なことだ。

 影から浮かび、ハイマの背後を狙う。けれどぶちりと音がして、ハイマは腕と足に絡みついていたはずの糸のような影を

 加護などない、それでもこの男は笑いながら己の腕でそれを凌駕りょうがする。

 影を引き千切ったその勢いのままにハイマは槍の柄で鴉の刃を弾き、そしてまた向き直る。影を引き千切った影響か、腕と足からは血が滴っていたものの、彼にとってはそんなものないのと同じなのだろう。

 脇腹から流れ続ける血など無視して、体勢を低くして、もう一度。


「はは、楽しいなぁ! お前もそうだろう!」

「楽しいわけが、ある、か!」


 戦いを楽しいと思ったことは一度もない。

 再び地面を踏み、駆ける。男が笑って舌なめずりをしている。零れ落ちる血など意にも介さず、鴉は再びその首を狙って飛びかかった。

 手のひらが血で滑る。それでも手が白くなるほどに短剣を握りしめ、それを振り下ろす。

 消耗しょうもうしすぎた、とは思う。ただそれでも鴉は仮面の下からハイマの顔を睨み上げる。愉悦の滲んだ黄金色が、更に細められた。

 弾き飛ばされて、また落ちる。血を失って指先が冷え、それでも血を回せと心臓に命じ続けた。普段ならしないくらいの失態は、脇腹の傷のせいか。


「ズィラジャナーフ!」

「逃がすかよ!」


 影に沈もうとしたところで、地面から引き離されて投げ飛ばされた。近場にあった大きな岩の方へと投げ飛ばされて、鴉はしたたか背中をぶつけてずるりと落ちる。

 ハイマがぐっと腰を落として、槍の先を突き出した。倒れているわけにもいかず、気力だけで鴉は立ち上がる。槍の先を短剣で弾き、その反動で別方向へ跳ぶ。空には太陽、足元には影。ずぶりと影に足が沈む。


「逃げるか?」

「撤退、する。殿軍の役目は、果たした」


 逃げた、と言いたければ言えばいい。別に目的はこの男を殺すことではなく、味方が撤退する時間を稼ぐだけなのだから。

 ひらひらと黒い羽根が舞う。どぷんと波間に落ちていくような音を立てて鴉は影に沈み、やがて羽根の残滓も消えてしまった。

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