23 討ち死にだ

 そういう存在なのだとわかっていても、突如とつじょとして足元からずるりと人が出てくるのは心臓によろしくない。突然出現された方はなかなかに驚くのだが、出てきた方はこことわかって出てくるようだ。

 果たして彼らはこちら側をどんなふうに見ているのだろう。

 返り血で濡れた鴉と無様に転がるリオーノとを見下ろして、ハイマはそんなことを思った。無機質に転がる腕は異母兄リノケロスのものだと鴉は言う。鴉が言うならそうなのだろう。間違いない、と断言できるほどハイマは異母兄の体の造形には詳しくないし、衣服とてそこらへんにあるようなもので華美なものを身に着けていない上にハイマ自身がどんなものを着ていたかなど注視していない。覚えていないので言われてみればそうかもしれないな、程度の感慨かんがいだ。

 冷淡れいたんだと言われるだろうか。だが、所詮しょせん人間観察が趣味でもない限り、こんなものではないかとハイマは思う。むしろ切断された腕を見て言われるよりも先に身内だと断定できる人間の方が、気味が悪い。刺青いれずみや指輪などよほど特徴的なものが残っていない限りは、分かるものではないのだ。だからこそ、兵士たちは自身の衣服に身元がわかるものを縫い付けている。誰に見つけられても、家族のところに返してもらえるように、と。


襲撃しゅうげきされたのか、仕方ねぇな」


 口に何かをまされてモゴモゴしているリオーノを見下ろして、ハイマは芝居がかった調子で溜息ためいきいた。

 彼は今度こそ補給庫でこってりと絞り上げられていたはずだ。それが鴉と交戦しているということは、補給庫が襲撃を受けたということに他ならない。リオーノが突出して勝手な行動をした可能性も否定できないが、今オルキデ軍は表立って動いていないはずだ。敵の陣地に向かって突進していくほどの度量はリオーノにはなく、仮にあったとしてもそれほどの規模の衝突しょうとつが起こっていれば、放っている偵察ていさつ兵からハイマの方にも伝わってくる。

 見たところ、リオーノに派手な外傷はないようだ。対して鴉が前回会ったときよりもましとはいえその羽を赤く染めているところを見るに、それなりの被害は出ているのだろう。リオーノに対しては捕らえることを優先したということか。こうしてハイマに、判断を委ねるために。

 鴉はただ静かに成り行きを見守っている様子だった。最早何を迷う段階でもないが、ここでハイマが躊躇ちゅうちょすれば彼女は牙をいてくるだろうか。そうなればハイマとしては酷く楽しいが、とはいえ今はそんな個人の愉悦ゆえつを優先している場合ではない。

 ゆっくりと歩み寄りながら腰から剣を抜く。静かに立ってこちらを見ている鴉の周りを兵士たちが囲むが、ハイマは手を上げてそれを制した。


「補給庫に行ってこい。ことは終わってるだろうが、片付けを手伝ってやれ」

「しかし……!」

「いい。行け」


 これは報復だ。

 鴉の言葉がそれを裏付けている。形ばかりの謝罪では、オルキデは納得しなかったというわけだ。

 それもそうだろうと、ハイマは内心でうなずく。あれしきの謝罪で留飲りゅういんを下げるようであれば、オルキデという国はたかが知れている。そう思われないためにも、冷然とした報復は必要だ。

 ハイマが逆の立場でも同じことをするだろう。もっとも、ハイマが行う場合、国の威信いしんなどではなくただ自身の矜持きょうじのためではあるが。目の前にいる鴉はどうだろう。彼女の場合はやはり国の威信か。

 総司令官たるハイマの指示を受けて、兵士たちが不承不承ふしょうぶしょう散っていく。補給庫の安全は最優先で確保すべきことだというのは、末端の兵士ですらわかっている。補給庫に何かあればえるのはまず自分達だからだ。

 エンケパロスが相変わらずの無表情さでたたずんでいるのが見えた。襲撃自体は終わっているだろうことから自ら出向くことはしないらしい。ハイマとしても司令官の一人である彼が残ってくれるのは都合が良かった。


「ああ、リオーノ。敵に深手を負わされて気の毒に。今楽にしてやろう」


 歌うように、ささやくように、低い声が終わりを告げる。弁明か、はたまた命乞いかわからない何かは耳を素通りしていって残響すら聞こえない。

 篝火かがりびの焔を受けて、美しく白銀の刃が煌めいた。それから、赤。

 鴉は一礼して転がった首だけを掴み、影に沈んで消えていく。次に彼女と相まみえるのは戦場で、その時はまた高揚する戦いになるだろうか。


「エンケパロス、兵士たちに知らせてやれ。リオーノ・デュナミスは討ち死にした」


 黒い羽根が舞い散る中、ハイマは足元に倒れ伏した物言わぬ肉塊を爪先で突く。どうせなら、丸ごと持ち帰ってくれたら処分に困らなかったのだがとも思う。ただこんなものを持ち帰ったとて、オルキデ側も処分に困るか。

 あの目にもうるさいたんぽぽ色はなくなって、赤色だけが広がっている。いっそ目障めざわりなもう一つのたんぽぽ色の前にこれを投げつけてやろうかなどと考える。


「討ち死にですか」


 エンケパロスが鼻で笑った。

 珍しいなとハイマは目をぱちくりとさせる。こんな風に、はっきりとわかるぐらいエンケパロスが感情を表に出すのは滅多にない。


「そうだ、討ち死にだ」

「わかりました」


 集まっていた兵士たちはリオーノが生きているところを見ている。彼らがこの知らせを聞いてどう反応するかが少し問題だったが、幸いなことに集まっていた兵士たちはハイマの直接の部下、つまりはエクスロスから連れてきた兵士たちである。彼らならどうとでもなる。

 討ち死にだ、表向きには。そうでなければまた面倒なことになる。だからそういうことにしてやった。ある意味でリオーノの名誉は守られるのだから感謝して欲しいくらいだ。


「誰かにデュナミスまで運ばせねぇとな」


 何に入れて運ぶべきか。ハイマは眉間にしわを寄せて考え込んだ。今時分の夜は寒いとはいえ、昼間は馬鹿みたいに暑いクレプトの地だ。放っておいたらあっという間に腐敗する。そうなると酷い臭いが周囲に漂うことになるのは目に見えていた。

 流石に腐乱死体を配達する趣味はないので、いち早くデュナミス領へ送り付けたい。だがそのためには何かに入れなければならない上に、人手もいる。


「死んでも迷惑だなこいつ」


 溜息を吐きながら、少しだけ地面をかかとで叩く。この音で鴉がひょっこり顔を出してくれたら体ごと押し付けるのにとも思ったが、硬い地面は静かに砂をたたえているだけだった。


  ※  ※  ※


 リノケロスがオルキデ軍の陣地から補給庫に戻ってきて最初に目にしたのは、黒く焼けげた物資や天幕だった。まだブスブスと燃え残っている木片を、グシャリと足で踏み潰しながら歩く。


「何があった?」


 あちらこちらで兵士が走り回っているのが見えた。どう見ても失火ではない。地面の上に兵士たちが倒れ伏していることといい、明らかに敵襲である。

 此処は本陣よりも戦場からは奥に位置していた。その本陣を飛び越えて襲撃をしてきたとなれば、その実行者は間違いなくオルキデの鴉だろう。


「それはこっちの台詞せりふだが?」


 すすで汚れた頬を拭いながら歩いてきたカフシモが、呆れたようにリノケロスを見た。頭の上から足元まで見下ろして、朝まではあったはずの腕に目を止める。

 リノケロスの左腕の肘から先、そこにあるべきはずのものがない。


「何が?」

「なんでもないことだ」

「ああそう」


 かろうじて止血はしたので、出血は止まっている。だが傷口をそのままにしておいては感染や化膿かのうの恐れもあり、手当が必要だ。

 リノケロスを追ってきた鴉はなかなかに腕が立った。リノケロス自身に然程さほど抵抗する気がなかったのもあるが、綺麗に肘から先を持って行かれている。ただ幸いなことに綺麗に落ちているので、手当は楽だ。

 物言いたげなカフシモを無視して自分の天幕の方へと足を進める。リノケロス自身が先ほどまでオルキデ軍の陣地にいたのだ、兵を動かしている気配があれば流石に気づく。やはり襲撃者は鴉たちで間違いない。

 的確に補給物資がある場所を燃やして回ったようで、リノケロスらが生活の場としていた天幕は無事だった。流れてきた煙で少々色が変わっているが、さほど気にならない。

 ふと、あの甲高い声が聞こえないことに気がついた。


「リオーノは」

「さあ? 姿が見えない」


 あらかた被害の把握はあくは終わっているのか、カフシモはリノケロスの後ろについてきた。勝手知ったる他人の家とばかりに、リノケロスの天幕に置いてある棚の中から清潔な布を引っ張り出して放り投げてくる。

 手で受け取ろうとしたリノケロスだったが、それは叶わずパサリと乾いた音を立てて布は床に落ちた。


「……慣れないとな」

「馬鹿じゃないのか?」


 大した感慨もなく、動かそうとした空虚な左腕を見下ろした。そんなリノケロスにカフシモが呆れたような声を上げる。

 拾い上げて差し出してくる布を今度は右手で受け取った。


「総司令官殿に報告は?」

「……ああ。まだだな」

「おい、本当に大丈夫か」


 言われて初めて、本陣に帰還すべきだったと思い当たったリノケロスである。あまりにもぼんやりとした返事をしていたのか、カフシモが呆れが一周回って心配そうな顔をした。

 確かに、普段はもう少しパキッとしたやり取りをしている。自覚はなかったが、それなりに体はダメージを受けているのかも知れなかった。おそらくは、血を失いすぎた。


「リオーノがいないことの報告もしなきゃならん。ついでに知らせてくる」

「ああ」


 衛生兵を呼ぼうかと言われて、それには首を横に振った。傷薬などの手当てに必要なものは一通り備えてある。自分でどうにかできる人間の手当てより、今は補給庫の再建が急務であった。

 順番を違えてはいけない。

 カフシモはリノケロスの返答がわかっていたようで、呆れ返った顔をしつつもそれ以上口を出そうとはしなかった。

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