20 責任の行き先
とんでもないことをしてくれたと、ハイマは珍しく本気で頭を抱えた。
けたたましい音を立てて吹き飛んだリオーノを気にする事なく、ハイマは天幕を飛び出し伝令兵に補給庫へ走るよう指示を飛ばす。これは、本陣にいるハイマとエンケパロスだけで話し合う話題ではない。軍全体の、ひょっとすると戦争の流れを変えてしまうかもしれないくらいの大問題だ。
知らせを聞いてすっ飛んできたリノケロスとカフシモも含めてハイマの天幕に集まり、車座になって座る。リオーノ以外は全員の顔色が悪い。エンケパロスですら若干白い顔をしていて、ハイマにもその変化がわかるぐらいだ。不満げな顔なのはリオーノ一人で、その頬には先ほどハイマに殴り飛ばされた痕がくっきりと残っている。
「大馬鹿野郎が!」
大まかな状況の説明を終えると、カフシモが怒声を上げた。彼は先だってもリオーノの無断出陣で兵士の多くを失った際、補給庫で大変な
胸倉を掴んでリオーノを
「戦場の
「敵兵を一人でも多く殺すのは当然だろ!」
「負傷兵は敵兵には入らないんだよ!」
カフシモが怒鳴った通り、負傷兵は一時的に民間人と同じような扱いになるのが、戦場での暗黙の了解だ。国によって多少の差異はあれど、戦うことができない、あるいは戦う意思を持たない負傷兵は攻撃の対象ではない。
ましてや、その護送を襲撃するなど無意味な
戦争には当然ながら相手がいる。殺されることはないと思っていた負傷兵を殺されたオルキデ側から見れば、バシレイア軍が暴虐の限りを尽くしているように受け取られるだろう。正々堂々正面から、などどお行儀のいいことを言うつもりはないが、最低限守らねばならない
「リオーノ。本来ならお前の首を持って謝罪に行くべきほどの出来事だ」
「なぜです! 俺は敵の司令官も討ち取ったんですよ!」
「討ち取っちゃならねぇ相手だったんだよ、この馬鹿」
怒鳴る気力も出てこない。討ち取るだけでも問題なのに、リオーノはご丁寧に司令官の首まで持ち帰ってきた。赤く染まった布にくるまれたその中身を確認する気にもならないが、彼は一体これをどうしろと言うのか。手放しでほめられるとでも思ったのならおめでたいことだ。
今にもリオーノを
不服そうなリオーノに事の重大さをわからせるのはもはや無駄な労力だろう。起きてしまったことは取り戻せない。ハイマがやるべきなのは、
例え報復が止められなくとも、礼を尽くして謝罪はした、という事実は残る。どれぐらい先のことかはわからないが、停戦に至った時にその事実の有無が条件を大いに変えるのだ。問題は、果たして誰が何を手土産に出向くのか、である。
「首を差し出したいとこなんだがな」
ハイマは
彼の所業は総司令官たるハイマらにとっては頭が痛いのだが、一部兵士たちからは受けがいい。見栄えと口がいいのだろう、敵は
負傷兵を殺すべきではないという倫理観は、兵士全員に浸透しているとは言い難い。バシレイア王国の中で兵士という職業に
彼らはたまたま自分たちの順番の時に戦争が起こった、というだけだ。戦場における一般的な常識を一から十まで教えられているわけではなく、その倫理観には明確な差がある。そのためそんな命令に従うなどと、兵士を責めてもいられない。
責任を負うべきはどうしたって、命令を下した指揮官の方である。
「差し出せばいいじゃないですか。俺がやりましょうか」
「待て待て待て」
カフシモが
そんな表情が妙にリオーノと似ていて、異母とはいえ兄弟なのだなとハイマは現実逃避気味の感想を抱いた。
「カフシモ、お前同じ領地なんだから行って
「は? なんで俺が馬鹿の
なんだかすべてが面倒になってきたハイマが丸投げしようとすると、カフシモが敬語も忘れて目を
兄なのだから責任を取るのは当然のことではないか。もっと大きく考えるのであれば、デュナミス家の当主が教育が行き届かなかったと頭を下げる必要すらある。だが、デュナミス家の当主であるピル・デュナミスは現在病床にあり出て来ることは
「兄だろ、責任取ってこい」
「馬鹿のために下げる頭なんてないね!」
カフシモも道理はわかっている。だが、感情が追い付かないのだろう。彼は珍しく断固拒否の構えだ。
痛み始めた頭を揉み解しながらどう収束させるかハイマが唸り声をあげていると、珍しいところから手が挙がった。
「俺が行こう」
「兄さ……リノケロスが?」
驚きのあまりうっかり素の対応をしかけたのを、
隣に座っていたカフシモなど、毒気を抜かれてポカンとしている。
「俺は補給庫での上官に当たるから、特別おかしな人選ではないのでは?」
「ま、まあ、そう、か……?」
しれっとした顔で言われてしまうと、そうかもしれないと納得しそうになるのは昔からだ。リノケロスはどんな暴論でも真顔で淡々と口にするので、聞いている側は自分がおかしいような
他の反応はとハイマが見回すと、エンケパロスは自らは全く関係ないという顔をして
ハイマはその顔を原型がなくなるぐらい殴りたい気持ちを必死に抑えた。今はそんなことをしている場合ではない。
「捕えてある
「わかった」
このまま話し合っていてもこれ以上建設的な話は出ないと判断し、ハイマはリノケロスの提案に乗ることにした。この異母兄が何を考えて行動に出たのかわからないのが非常に怖いのだが、悪い方には転ぶまいという計算だ。
捕虜の解放も、停戦なり講和なりがなればいずれは行うことである。それが少々早くなってもバシレイア側に不利益はない。というより今回の一件では多少バシレイア側が不利益を覚悟で謝罪をしなければならないので、損得計算はできないのだ。
「リオーノ、お前も謝罪を書け」
「どうして俺まで!」
「お前のしでかしたことだろう。嫌ならその腕切り落としてやる。安心しろ、謝罪の書状は俺が書いてやる。お前の血でな」
リノケロスの前ですら
最初は冗談だと思っていたリオーノだったが、切っ先で服を撫でられスッパリと布が落ちた段階で本気を察したらしい。慌てて後ずさりしてリノケロスから逃れた。
「わ、わかった、書く、書くから!」
引きつった顔で何度も首を縦に振っている様子は面白く、痛んだ頭が少しだけ軽くなった。
「いつ行く?」
「すぐにでも」
「わかった。用意をする」
捕虜の解放と謝罪文の作成が終わり次第出発するというリノケロスに頷いて、ハイマは立ち上がる。出来る限り早く動くべきだろう。
オルキデ軍からの報復は避けられないかもしれないが、報復の最中に謝罪に行ってリノケロスが斬り殺されるような事態は避けたい。リオーノの首根っこを掴んで引きずりながら机に向かい、急いで筆を執ったハイマの視界の端で、リノケロスとカフシモが何か話をしているのが見えた。
※ ※ ※
負傷兵を
とはいえ、
ラアナからその報告を受けてすぐ、鴉はエヴェンをアヴレークのところへ遣いに出した。理由は単純で、ただ彼にその事実を伝えるためだけでなく、本人をここへ連れて来て貰うためである。
そうして今、鴉の目の前でアヴレークは柔和な笑みを浮かべたまま足を組んで座っていた。けれどその目は一切笑っておらず、きっと
「それで? 謝罪がしたいって?」
「は……虐殺を行ったリオーノ・デュナミスの上官にあたるリノケロス・エクスロスが、謝罪のために単騎で本陣へ来た、と」
「ふうん」
アヴレークは変わらず笑顔であった。
戦地には
「どうされますか、閣下」
そんな謝罪一つでアヴレークが赦すはずがないことを知っていて、それでも鴉は問いを口にした。
この戦争におけるオルキデ女王国軍の総司令官バラックだが、アヴレークがこの場に現れた以上は決定権は最も身分の高いアヴレークとなる。
「当人の首も持たない、己の首でもない。謝罪したという形式だけ欲しいのが丸見えだよね」
「
「そんな謝罪を受けてやる義理はないんだよ、こっちは」
おそらくバラックであっても、そんな謝罪は受け入れないだろう。バラックは騎士という立場に誇りを持っているのだから、当然戦場での振る舞いもお行儀が良い。奇襲すらも使わないが、それは騎士というものに対する彼なりの
そしてそのお行儀の良さを、バラックは相手にも求めるきらいはある。負傷兵虐殺の報を受けて激昂していたのは、周囲の騎士よりもバラックであった。鴉としては総司令官なのだから感情に流されずに冷静であって欲しかったところだが、それを彼に求めるのは酷だろう。
「まあいいさ、顔くらいは見よう。ケヴェス・イェシムの首だけは返してもらわないと、シュリシハミン侯爵にも顔向けはできないからね。君は影に潜んでおくように、
「……かしこまりました」
アヴレークはそのままゆるりと目を閉じる。少しばかり時を稼いで、たっぷりと考えましたというふりをしてからリノケロスを天幕に迎え入れる腹積もりだろう。
入れて良いよ、とアヴレークが告げるまで待ち、鴉は命じられた通りにどぷりと影へ沈んだ。
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