21 まずは、腕ひとつ

 リノケロス・エクスロスは、背の高い男であった。その髪の色も目の色も総司令官であるハイマ・エクスロスと同じで、彼の異母兄であるというのも一目で納得できる。ただハイマほどがっちりとして筋骨隆々きんこつりゅうりゅうということはなく、むしろ細身と言えるだろうか。

 彼を迎え入れたアヴレークは、居丈高いたけだかに足を組んで睥睨へいげいしていた。到底使者を受け入れるような態度ではないが、リノケロスは気にした様子もなく涼しい顔をしている。


「ようこそ、バシレイアの使者殿。立ち話も何だから、座ったらどうだい?」


 穏やかな声音で告げているものの、そこに椅子はない。座るとなれば当然地面しかなく、敷物一枚しかないその下は荒地の地面だ。

 リノケロスはアヴレークの言葉に「いいえ」と首を横に振る。


「こちらは謝罪に赴いた身ですので。遠慮いたします」

「そ。じゃあ好きにしたら良いよ」


 アヴレークは笑って、腹の前で手を組んでいた。リノケロスから見て、果たしてアヴレークはどう見えているのだろう。そもそも戦場にいなかった、総司令官でもないアヴレークを、彼は知っているのだろうか。

 リノケロスの手には、包みが一つ。その中身は予想ができていて、鴉は思わず影の中で眉をひそめた。結局あれは虐殺ぎゃくさつを命じた司令官の暴走であって、バシレイア軍の本意ではないということなのだろう。けれど発生したものは発生したものであり、その過程が何であろうとオルキデ側の受け取り方は変わらない。

 それ即ち、バシレイアは戦争において暗黙の了解である部分を破り、非道を行ったということである。


「まずはそちらの言い分を聞こうか?」

「……この度は部下の暴走により、負傷兵に損害を与えたことを誠に申し訳なく思っております。上官である私のみならず、総司令官ハイマ・エクスロスも心からの謝罪をしたいとのことです」


 滔々とうとうよどみなく発されたその言葉は、用意していたものを読み上げたというのが相応しい形容だろうか。心からそう思っているのかいないのか、少なくとも鴉には判断がつかない。

 天幕の入口のところに立つ兵士二人のうち、片方がわずかに眉根まゆねを寄せたのが分かった。その気持ちは分からなくもないが、顔に出して良いものでもない。


「つきましてはバシレイアが捕虜ほりょとしたオルキデ軍の兵士すべて、そしてこちらに運んで参りました負傷兵を護送していた指揮官の首を、お返しいたします」


 やはりあの包みの中は、ケヴェスの首であった。

 彼はどうも負傷兵を守ろうとして殺されたようだと、ラアナからの報告にはあった。そうして司令官の首であると、意気揚々いきようようと持ち帰ったのか。そんなものは手柄にはならず、むしろ卑怯者のそしりを受けるものであるというのに。それすら分からないとは、考えが足りないのかもしれない。


「そしてこちらが、実際に不届きなことをいたしました、リオーノ・デュナミスからの謝罪、ならびに総司令官ハイマ・エクスロスからの謝罪の書状になります」

「ふうん」


 アヴレークが手で指示すると、入口のところにいた兵士の片方がやって来る。兵士はリノケロスの手から謝罪だという書状を受け取った。そしてアヴレークにその二通の書状を渡し、また自分の持ち場へと戻っていく。

 二通ともぱらりと開いたアヴレークは、ざっとその中身に目を通していた。


「まず、この謝罪文だけれども」


 ひらひらとアヴレークがリノケロスから文面が見えるようにして書状を振る。

 影の中にいる鴉からは中身が見えない状態で、何が書かれているのかは分からない。けれど実際にどのような言葉を並べ立てられたとて、そんな書状だけで赦せるものでもないことは確かだ。


「総司令官はともかく、当人のこんな形だけの謝罪文なんて価値はないんだよね。本気で謝罪したいと思ってるのなら、その首を此処に転がして然るべきではないかい? 少なくとも君は上官として、そうすべきだ」


 アヴレークは笑顔を浮かべたまま、組んだ足もそのままに書状を半分に裂く。そして更にそれを細かくして、まるで吹雪のようにばらりと散らした。

 ひらひらと書状の欠片は舞い散って、敷物の上へと落ちていく。


「ケヴェス・イェシムの首は受け取ろう。というよりそれは奪ったものであるのだから、返すのが道理だろう? 謝罪だなんだは関係なく。謝罪は受け入れない。当人の首が此処に転がらない限り。捕虜も別に返してくれなくて結構、愚か者は要らないからね」


 捕虜になっている兵士は、バラックに付き従い戦争を始めた者たちだ。捕虜の中に雛鳥はおらず、アスワドの率いるラヴィム侯爵家の私兵もいない。

 傭兵がいるかもしれないが、それとて結局はラベトゥル公爵家が金銭で雇っているのだからアヴレークにとっては不要のものだろう。


「君たちはオルキデを……引いては我が太陽を侮辱ぶじょくし、おとしめた。その代償は当然支払って貰う。私は君たちを、赦したりはしない。


 バシレイアではどうかしらないが、オルキデにおいては国を侮辱することは女王を侮辱することと同義である。その逆もまた然り。

 女王とは国である、国とは女王である、ただそれだけのことだ。


「お帰りはあちらだ、リノケロス・エクスロス殿。これまで折角してあげたというのに、君の部下のせいでそうも言っていられなさそうだ」


 アヴレークの言葉はリノケロスに言っているようであって、その実鴉にも告げている。やれと、つまりそういうことだ。

 これまで戦場における奇襲は行ってきたものの、それはあくまでも戦場でのことだ。

 報復はお行儀よく行う必要はない。バラックが報復するとなれば戦場で正面切ってのものになるだろうが、鴉はそうではない。リオーノがどこにいるのか鴉は知っている。ラアナから上がって来る報告で、補給庫に配置されていることは分かっていて、ならば補給庫に襲撃をかけることになるだろう。


「総司令官殿に伝えてくれ。不届者の首一つねられないのなら、おぜんてをして差し上げましょう、とね」


 リノケロスが持っていた包みだけを兵士に渡し、きびすを返す。これで一応誠意を見せようとしたというバシレイア側の実績はできた。ならば停戦となった場合に、暴虐ぼうぎゃく行為はあれど総司令官の本意ではなく誠意は見せた、という考慮こうりょはされる。

 最初から謝罪を受け入れられるなどと思ってはいないだろう。けれどしないよりはしておいた方が良いことはある。

 天幕の入口になっている布を跳ね上げて出て行こうとするリノケロスの背中に向けて、アヴレークが口を開いた。


「ああそうそう、もう一つ。君、利き腕はどっち?」

「……右ですが」

「そ」


 少し間を置いて振り返って、リノケロスは僅かに眉間に皺を寄せていた。

 かつりと音を立ててアヴレークが立ち上がる。まるでおどけるようにして両手を広げ、芝居がかった仕草で彼は笑った。


「では、


 今度こそリノケロスは天幕から出て行った。その姿を見届けて、鴉はずるりと影の中から浮かび上がる。

 アヴレークはまた椅子に腰かけて、足を組んだ。相変わらずの柔和な笑みの仮面を被り、その視線の先は天幕の入口へと向いている。


「聞いていたね、大鴉カビル・グラーブ

「は」

「部下の暴走を止められなかった責任は、彼にも取って貰おう。何、利き腕でない方の腕一本で済ませてあげようというのだから、温情だよねえ」


 それはつまり、リノケロスの左腕を落とせという命令だ。

 この場に彼がリオーノの首を転がしていればアヴレークも腕を取れとは言わなかっただろうが、ここに首が転がっていないのだから仕方がない。部下の首一つ取れないのなら、両の腕など不要だろう。そういうことである。

 司令官の首を刎ねることが容易ではないことは分かっている。けれど刎ねなかったということは、バシレイア側からのこの程度は首を刎ねるものではないという意思表示だ。バシレイアがそう断ずるのであれば、オルキデはその判断に対して答えを返す。


「それから――。我らの太陽を侮辱した罪は重い。その首は敵の総司令官直々に胴から切り離させろ」

「……かしこまりました」


 オルキデは報復として首を落としたりはしない。本来それをするべきは、バシレイア側なのだから。

 連座を求めないだけ、まだ温情だろうか。これでも尚首を落とすことを固辞こじするようであれば、ならば補給庫にいる司令官全員の首か、リオーノの身内の首をアヴレークは差し出させるかもしれない。


「補給物資は奪いますか」

「要らないよ、僕らは泥棒どろぼうじゃあないからね」


 補給物資に手は付けない。それを奪うことが目的ではない。

 けれど襲撃をかけるのならば、それを停戦に持ち込むための一手とする。ただ報復するだけでは虐殺を仕返すだけになり、ともすれば泥沼になってしまう。そんなことは望んでいない。


「さぞ夜空には炎が映えるだろうね?」

「かしこまりました。閣下の仰せのままに」


 燃やせ。

 この乾いた大地では、水で押し流すこともできはしない。オルキデを流れる大河は遠く、ここまで水を引いてくることはできない。

 ならばすべてを焼き尽くしてしまうことが、相手の補給を断つことになる。補給庫にいる司令官のうち一人の腕を落とし、一人の首を落とせば、残るは一人。そうなれば当然一万以上いる兵士の補給には手が回らず、停戦を呑むしかなくなるだろう。

 ならば補給庫を潰し、今が好機とバラックをあおって衝突しょうとつを発生させる。そこで敵の総司令官にバラックを討ち取らせれば、停戦に持ち込むための道がひらけるはずだ。

 ここからは時間との勝負になる。相手が補給庫が潰されたことで総攻撃を仕掛けてくる前に、王都エルエヴァットにいる貴族たちがバラックの死を知って要らぬ口を挟んでくる前に。このすべてを終わらせなければ。


「まずは腕ひとつ、取って参ります。その後雛鳥と共に補給庫に、襲撃をかけます」

「よろしくねえ、大鴉カビル・グラーブ。失敗は赦さないよ」

「重々、承知しております」


 ただただ笑って、アヴレークは鴉の背中にずしりと重たいものを乗せてくる。

 うまく呼吸ができないような感覚におちいりながら、酸欠の魚のように鴉は口を開いた。うまく言葉が紡げない、それでも自分の中で言葉を探し、喉の奥から声を絞り出す。


「すべては、我らが太陽のために」


 アヴレークは柔和な笑みを浮かべている。彼はここには留まらず、このままエルエヴァットに戻るのだ。そうして鴉からの報告を待つ。

 失敗したらどうなるかなど、考えたことはない。そんなものは考えても意味はない。

 すべてはオルキデのために。すべては女王リヴネリーアのために。鴉の存在意義はそれだけで、この国のために死ぬことであってもいとうことではないのだから。


  ※  ※  ※


 太陽は荒地をいている。引き渡しのために連れて来たのであろう捕虜の移送を他の兵士に指示を出したリノケロスが、己も馬にまたがろうとしているのが見えた。

 ずるりとその前に烏は姿を見せる。リノケロスは即座に反応し、鴉の方に身体を向けて腰に吊るした剣の柄に手をかけた。


「報復か?」

「それは、別の機会だ」


 彼への奇襲は報復ではない。これはただ、部下のしでかしたことに対して彼に責任を取らせるだけだ。アヴレークが利き腕ではない方の腕を落とせと言った、ならば狙うのは左腕だ。

 防具がないのならば、腕を落とすのは難しくない。もちろん技術と切れ味の良い武器、他にも条件を揃える必要はあるけれど。


「これは、と、それだけのこと」


 腰に吊るした剣は普段使い捨てている短剣よりは長いが、通常兵士たちが扱う剣よりは短い。これはいつもの量産品ではなく、一点ものだ。

 腕を落とすのならば、普段使いの短剣では不十分だ。あまり使うことはないものの、これは鴉が大鴉として行動する場合に使える最も切れ味の良い武器である。

 すらりとさやから剣を引き抜けば、美しく磨き上げられた白銀に太陽の光が反射する。刃を下にするようにして柄を握り込み、その拳を心臓の前で止める。そうして仮面の下で一度だけ目を伏せて、顔を上げた。

 リノケロスもまた、剣を抜く。

 くるりと剣を回すようにして、鴉もまた剣を構え直した。狙う場所はただ一つ、リノケロスの左腕だ。どこから落とすかを考えて、その肘のところに狙いを定めた。

 乾いた風が駆けていく。どこか熱を孕んだ風が、鴉の黒い髪を揺らして舞い上げた。

 どちらともなく、地面を蹴る。上段から振り下ろされたリノケロスの剣を下から受け、その重みに思わず顔をしかめた。ハイマもそうであったが、やはり体格の良い相手からの攻撃というのは酷く重い。それも彼らはただ振り回すだけではなく、自分の体重の乗せ方も知っているから余計にだ。

 彼らの長身に対して、鴉は小柄だ。比べればその胸の辺りまでしか身長はない。その分小回りは利くものの、そういう相手との戦いにも彼らは慣れていることだろう。

 ぎりぎりと押し合いになったところで、ふっと一瞬力を抜く。リノケロスの剣の切っ先が下がった瞬間に、鴉はそのまま横へと体を滑らせた。

 その切っ先が地面をえぐる前に、リノケロスが剣の軌道を変えた。横に薙ぐようにして振り払われたその切っ先を後方へ跳ぶことで避け、鴉は再び剣を構える。


「チッ……」


 舌打ちの音が聞こえたが、気にするようなものではない。

 何も命を取るわけではない。剣を握っていない左側へと滑り込み、その腕を斬り飛ばすだけ。

 彼の位置を確認し、その足元の影を見る。そうして鴉は、ずるりと影に沈んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る