18 可愛い鴉の姿を想う

 ハイマと鴉の一騎打ちは、エンケパロス率いる騎馬部隊の突撃とつげきによって終わりを迎えた。役目は果たしたとばかりに鴉はそこから姿を消し、残った敵もいない。ここで敵を追うことなど当然下策げさくであり、バシレイア側も兵を退いて本陣へと戻ることとなった。

 負傷兵の手当て、破損した武器防具の確認、戻ってもすぐに休めるわけではなく、やるべきことは多い。


「あー……こりゃもうダメだな」


 見事に黒げになったマントを目の前にぶら下げて、ハイマは苦笑いをする。単騎で炎の中に突進していくなど狂気の沙汰さたと言われそうだが、今はとても爽快そうかいな気分だった。

 この戦争が始まってから一番興奮し、高揚こうようし、爽快感を味わった戦いと言っても過言ではない。地形と気象条件をきっちり計算に入れた作戦は見事としか言い様はなく、多少最初の用兵がもたついていた感は否めなかったが、それを差し引いても大幅にプラスだ。

 炎にかれた損害は人員だけではなく、バシレイア側も結構な痛手を受けた。だが、うっかりすると鼻歌が出そうなぐらいにハイマは今機嫌が良い。具体的に言うと、リオーノが目の前に現れても殴らずにいられ――はしないが、一発で済ませてやれるぐらいの上機嫌である。


「こっちもダメ……カフシモに文句言われそうだな」


 炎に突っ込む際に防護の役割よりもむしろ熱されて火傷を負ったり体温が上がりすぎることを懸念けねんし、ほとんどの防具は投げ捨てた。それらは撤退てったいの際に拾われてハイマの元へと届いていたが、砂に埋もれて踏み荒らされたのか、一部へこんだりしていてこのまま使うのは難しそうだ。腕や足の防具はかろうじて身にまとっていたものの、火にあぶられたおかげで少々黒ずんだり変質したりしている。こちらも使用するのは不可能だ。

 こうした装備品についてはデュナミス領が一手に引き受けており、戦争が終わった後にこれらを修繕しゅうぜんするのもデュナミス領だ。それで金銭を得ているのだから、仕事が増えることはすなわち貰える金が増えるということで何ら問題ない。そうハイマは思うのだが、カフシモはハイマの荒い使い方を見るたびに嫌な顔をして苦言をていする。いわく、作ってもらったことへの感謝と物への愛情が足りないらしい。

 そう言う本人も決して物持ちが良い方ではないのだから、どの口が言うのだと思ったりもするのだが。ただそれを思うだけで口に出さないのは、へそを曲げてお前のは作らないなどと言われてしまうと困るからである。

 使えない物や修理を要する物を一纏めにしてから、ハイマは立ち上がって伸びをする。深呼吸すると、まだあの独特の焦げた臭いがする気がした。天幕を出れば臭いは一層濃くなる。あちこちに積み上がる焦げた装備品が臭いの発生源だろうか。

 この量の防具や武器が損傷したとなると、一度そちらも補給する必要があるかもしれない。


「可愛い鴉だったなぁ……」


 ぐるりと腕を回すと、肩の関節がボキリと音を立てた。そのまま体を伸ばす要領で身をらす。けむりくもる空は暮れかかっていて、また今日も一日が終わることを告げていた。

 夕暮れの空を鳥が飛んでいて、おや、とハイマは首を傾げる。それ自体は何も珍しいことではないが、ひどく目立つ白い色をしたその鳥が、遠目にもクレプトでは見慣れない種類だと分かった。クレプト領にいる鳥は、そのほとんどが砂と同じ色をしている。


(オルキデの鳥か?)


 伝令用に鳥を使う国もあると聞いたことがある。バシレイアでは一般的ではないが、オルキデ軍が連れてきて使っている可能性はある。捕えれば何かわかるかもしれないが、あまりにも遠くて矢が届きそうにもなく、仕方がないのであきらめた。

 あの時、炎の向こうに邂逅かいこうを願っていた存在がいると証拠があったわけではなかった。だがハイマは、なぜかと確信していた。だから躊躇ためらわず、炎の中へと踏み込んだ。

 この二ヶ月どこかで会ってみたいと願っていた『血染めの赤鴉コキノス・コローネー』に会えると思うと、火の熱さなど気にもならなかったのは不思議だ。実際目にした鴉は思っていたよりもずっと小柄で、そしてずっと強かった。ハイマとしては無茶をして会いに行った甲斐かいがあったというものである。

 仮面をつけてはいたが、なぜだかその下でぐるぐると考え込み、すきをうかがっていることは手に取るようにわかったものだ。


「もう一度やりてぇな。総攻撃でもしたら出てくるか?」


 思わず、自身の手を見下ろした。

 ハイマの槍と鴉の短剣がぶつかり合った時のビリビリとした感触がまだ残っている。小柄なせいで、鴉の一撃一撃はそう重くはない。だが、小回りのきく動きと手数の多さでそれをおぎなっているようだった。狙ってくる箇所も正しく急所で、戦いを楽しむハイマとは違い、明らかにさっさと戦いを終わらせることを目的としていた。


「馬鹿か?」


 つい口からあふれ出た欲望を、よりにもよってエンケパロスに聞かれた。普段は総司令官とその下にいる司令官という立場を守っているはずのエンケパロスに、ほとんど素の口調でののしられてしまう。

 ちょっとした冗談だったのにとハイマが足元の石ころを蹴り飛ばすと、それを敬語がないことへの不服と捉えたのか、エンケパロスが言い直した。


「総司令官殿、火の中に飛び込んで頭に怪我でもされましたか」

「頭の中身の話をしてるか? ひょっとして」

「ええまあ」


 どういう心境でそれを口にしているかわからないのが困る。

 笑い飛ばせばいいのか、本気でなじっているのか判別がつかない。


「……総攻撃は冗談だからな?」


 正しくは、やりたいのは事実だけども悪手だとわかっているからやらない、だ。

 エンケパロスはそれすらお見通しなのか、鼻を鳴らされた。


「念願のお相手には会えましたか。随分恋しがっておられましたが」

「ああ、会えた。可愛い鴉だった」

「それは何より。人の被害より防具や武器の損傷が激しいので早めの補給を」

「わかった」


 聞いておきながらさほど興味がなさそうで、言いたいことだけを言ってエンケパロスが去っていく。ハイマはその後ろ姿を見送りながら、脳内に焼きついて離れない鴉の姿を想った。

 可愛いと称しているのは、別段あの鴉を女性として見ているわけではない。小柄なせいかぴょこぴょこと動くところや、ハイマに真正面から向かってくるところ、その他全てを合わせてと呼んでいる。

 ハイマは戦場で会って気に入った相手は大概たいがいそう称するので、エンケパロスらもそれをわかっていて勘違いしたりはしない。


「……仮面外してたほうがいいのにな?」


 だが、今回は。

 なんとなくあの鴉を思い出すと落ち着かない気分になる。そわそわとして、じっとしていられない。さてどうしてかと首をひねったが、あまりに戦いが楽しすぎたのだろうと結論づけた。上がりきったテンションが元に戻っていないのだ、おそらくは。

 気持ちが切り替わらないこういう時には、寝るに限る。ハイマは被害の確認は後回しにして、もう一度天幕へと戻った。寝台に身を投げれば、思っていた以上に疲弊していたらしく睡魔が襲ってくる。


(次に会うときは……こちらから仕掛けてみるか。)


 ハイマ自身の策であの鴉を引きずり出せたなら、どれほど気持ちがいいだろう。ああでもないこうでもない、と頭の中で試行錯誤しこうさくごをしているうちに、いつしかハイマは眠りの世界に落ちていった。


  ※  ※  ※


 補給庫にいる部隊は、本陣で戦いが起こったとしても参戦することはない。本陣のある方向から煙がもうもうと上がるのが見えて、今までにないぐらい激しい戦闘が繰り広げられていることは察していた。だからと言って命令なしで飛び出すなどするはずもない。

 唯一飛び出す可能性があったリオーノは今、リノケロスが天幕に押し込んで文字通り縛り上げている。以前に補給部隊を連れていって勝手に出陣した経験から、彼からいっときも目を離したり信用してはいけないのだとリノケロスは学んだ。

 司令官にやる所業ではないなどとキャンキャンえ立てていたが、リノケロスの耳にはふたがついているのでさっぱり聞こえなかった。

 持ってきた椅子に腰を下ろしてぼんやりと遠くで上がっている煙に思いをせていると、カフシモが足早に近づいてきた。


「リノケロス、本陣からの伝令だ」

「どうした」


 リノケロスが腰を下ろしているのは、そのリオーノを転がしてある天幕のすぐ前だ。兵士たちでは言いくるめられて解放してしまう恐れがあるので、リノケロス直々に見張っている。司令官の一人が直接見張るなど良い待遇だぞ喜べと告げたリノケロスに、リオーノがまたみ付いてきたのは記憶に新しい。こちらの文句もまた、耳に蓋をしていたので聞こえなかった。

 本陣から伝令が来たということは、あらかた戦闘は終わっているのだろう。


「武器と防具を送って欲しいそうだ」

「ほお。激しかったようだな」

「ああ」


 水と食料を定期的に送る算段はすでにできている。本陣から補給の依頼が来るのは、決められた日よりも早く欲しい時や量を増やす必要がある時、そして今回のように食料と水以外のものを運んで欲しい時だ。逐一ちくいち戦況の報告は受けているものの、細かな部分は伝令ではなく偵察ていさつ兵の仕事であり、補給庫にいる人間だけで決められることではない。

 本陣からの要求にカフシモは苦い顔をしている。元来が垂れ気味の目で優しげな雰囲気の顔立ちのため、そうして顔をゆがめていてもさほど嫌がっているようには見えない。おそらく本来その胸中で渦巻いている感情の半分も表には表れていないだろう。

 エンケパロスのような無表情というわけではなく、見え方が穏やかなのだ。


「嫌そうだな」

「ああ。修理だってタダじゃない。資材も消費する」

「修理がなきゃ金も入らんだろうが」


 重くため息を吐くカフシモにリノケロスが鼻を鳴らす。自分の領民のふところに入る金が増えるのだから文句を言うなという無言の圧を、実に鬱陶うっとうしそうな顔をしてカフシモは跳ねけた。


「修理できる低度の損傷を心がけて欲しいって、総司令官殿に伝えてもらえるか」


 どうやら不機嫌の原因は異母弟ハイマらしい。

 自らにも跳ね返ってくる話題は触れないに越したことはなくリノケロスは少し黙ってカフシモの言葉を無視すると、話の方向を無理やりじ曲げた。


「どっちが運ぶ」


 どっちというのは、リノケロスかカフシモかという意味である。リオーノは数に入れていない。リノケロスに二発ほど殴られてからはおとなしいが、ここで野放しにするとまた以前と同じことが起こる。

 仏心を出すべきではないと、誰よりも主張したのはカフシモだった。


「俺が行こう。防具の状況も見たいし」

「リオーノの見張りが嫌なだけだろう」

「そんなことは、ない、けど……」


 カフシモがすぐに手を上げた。その理由を察しておそらく彼の泣きどころだろう部分を突いてみると、カフシモはそっと目をらした。無言の肯定である。

 実際その場で簡単に治せるものがあるのなら治してしまったほうが良いので、カフシモが行くことにリノケロスとしても異論はない。その理由をもっともらしく言っているのが気に入らなかっただけで。


「おい! 俺は! 俺が行く!」

「チッ……」


 話が聞こえていたらしいリオーノが天幕の中から叫ぶ。リノケロスは舌打ちをして、荒っぽく布を跳ね上げ中へ入った。カフシモがついてくることはない。

 足音が遠ざかっていくので、すでに決まったものと判断して準備をしに行ったようだ。


「軍規違反をしたのはお前だ。黙って大人しくしていろ」

「成果を上げればチャラだろ!」


 ツカツカと歩み寄りながら最後の忠告をするリノケロスを、リオーノがにらみつける。負けん気が強く上昇志向なのは結構なことだが、噛み付く相手は選ぶべきである。

 それをしつけるのに最適な方法は、やはりこれだろう。


「……っ!」


 ドガンッ、という大きな音がした。リオーノが声も出せずに悶絶もんぜつする。

 冷然とした目でそれを見下ろすリノケロスは、片足を振り上げたままだ。足でリオーノの頬を蹴り飛ばしたのである。

 吹っ飛んで床に転がったリオーノがそれ以上しゃべらなくなったのを見て、リノケロスは満足そうに口元を吊り上げた。

 やはり、馬鹿の躾はこれに限る。


  ※  ※  ※


 それから一ヶ月ほど後のことである。バシレイア軍とオルキデ軍は何度かの小さな衝突を繰り返していた。とはいえやはり補給庫にそんなことは関係なく、定期的な補給と要請されての補給を行っていた。

 その日も同じように補給の指示を出していたリノケロスの耳に、慌ただしい足音が聞こえてくる。何事かと顔を上げれば、エクスロスから連れて来た兵士が血相を変えて駆けてくるところだった。


「リノケロス様!」

「どうした」


 本陣の方面でも大きな衝突はなく、そんな慌てて伝令が来るようなことはないはずだ。

 訝し気な顔をリノケロスが向ければ、兵士は荒い呼吸を整えてから口を開いた。


「リオーノ様の姿が、どこにもありません! リオーノ様の率いる部隊も!」

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