18 可愛い鴉の姿を想う
ハイマと鴉の一騎打ちは、エンケパロス率いる騎馬部隊の
負傷兵の手当て、破損した武器防具の確認、戻ってもすぐに休めるわけではなく、やるべきことは多い。
「あー……こりゃもうダメだな」
見事に黒
この戦争が始まってから一番興奮し、
炎に
「こっちもダメ……カフシモに文句言われそうだな」
炎に突っ込む際に防護の役割よりもむしろ熱されて火傷を負ったり体温が上がりすぎることを
こうした装備品についてはデュナミス領が一手に引き受けており、戦争が終わった後にこれらを
そう言う本人も決して物持ちが良い方ではないのだから、どの口が言うのだと思ったりもするのだが。ただそれを思うだけで口に出さないのは、
使えない物や修理を要する物を一纏めにしてから、ハイマは立ち上がって伸びをする。深呼吸すると、まだあの独特の焦げた臭いがする気がした。天幕を出れば臭いは一層濃くなる。あちこちに積み上がる焦げた装備品が臭いの発生源だろうか。
この量の防具や武器が損傷したとなると、一度そちらも補給する必要があるかもしれない。
「可愛い鴉だったなぁ……」
ぐるりと腕を回すと、肩の関節がボキリと音を立てた。そのまま体を伸ばす要領で身を
夕暮れの空を鳥が飛んでいて、おや、とハイマは首を傾げる。それ自体は何も珍しいことではないが、ひどく目立つ白い色をしたその鳥が、遠目にもクレプトでは見慣れない種類だと分かった。クレプト領にいる鳥は、そのほとんどが砂と同じ色をしている。
(オルキデの鳥か?)
伝令用に鳥を使う国もあると聞いたことがある。バシレイアでは一般的ではないが、オルキデ軍が連れてきて使っている可能性はある。捕えれば何かわかるかもしれないが、あまりにも遠くて矢が届きそうにもなく、仕方がないので
あの時、炎の向こうに
この二ヶ月どこかで会ってみたいと願っていた『
仮面をつけてはいたが、なぜだかその下でぐるぐると考え込み、
「もう一度やりてぇな。総攻撃でもしたら出てくるか?」
思わず、自身の手を見下ろした。
ハイマの槍と鴉の短剣がぶつかり合った時のビリビリとした感触がまだ残っている。小柄なせいで、鴉の一撃一撃はそう重くはない。だが、小回りのきく動きと手数の多さでそれを
「馬鹿か?」
つい口から
ちょっとした冗談だったのにとハイマが足元の石ころを蹴り飛ばすと、それを敬語がないことへの不服と捉えたのか、エンケパロスが言い直した。
「総司令官殿、火の中に飛び込んで頭に怪我でもされましたか」
「頭の中身の話をしてるか? ひょっとして」
「ええまあ」
どういう心境でそれを口にしているかわからないのが困る。
笑い飛ばせばいいのか、本気で
「……総攻撃は冗談だからな?」
正しくは、やりたいのは事実だけども悪手だとわかっているからやらない、だ。
エンケパロスはそれすらお見通しなのか、鼻を鳴らされた。
「念願のお相手には会えましたか。随分恋しがっておられましたが」
「ああ、会えた。可愛い鴉だった」
「それは何より。人の被害より防具や武器の損傷が激しいので早めの補給を」
「わかった」
聞いておきながらさほど興味がなさそうで、言いたいことだけを言ってエンケパロスが去っていく。ハイマはその後ろ姿を見送りながら、脳内に焼きついて離れない鴉の姿を想った。
可愛いと称しているのは、別段あの鴉を女性として見ているわけではない。小柄なせいかぴょこぴょこと動くところや、ハイマに真正面から向かってくるところ、その他全てを合わせて可愛いと呼んでいる。
ハイマは戦場で会って気に入った相手は
「……仮面外してたほうがいいのにな?」
だが、今回は。
なんとなくあの鴉を思い出すと落ち着かない気分になる。そわそわとして、じっとしていられない。さてどうしてかと首を
気持ちが切り替わらないこういう時には、寝るに限る。ハイマは被害の確認は後回しにして、もう一度天幕へと戻った。寝台に身を投げれば、思っていた以上に疲弊していたらしく睡魔が襲ってくる。
(次に会うときは……こちらから仕掛けてみるか。)
ハイマ自身の策であの鴉を引きずり出せたなら、どれほど気持ちがいいだろう。ああでもないこうでもない、と頭の中で
※ ※ ※
補給庫にいる部隊は、本陣で戦いが起こったとしても参戦することはない。本陣のある方向から煙がもうもうと上がるのが見えて、今までにないぐらい激しい戦闘が繰り広げられていることは察していた。だからと言って命令なしで飛び出すなどするはずもない。
唯一飛び出す可能性があったリオーノは今、リノケロスが天幕に押し込んで文字通り縛り上げている。以前に補給部隊を連れていって勝手に出陣した経験から、彼からいっときも目を離したり信用してはいけないのだとリノケロスは学んだ。
司令官にやる所業ではないなどとキャンキャン
持ってきた椅子に腰を下ろしてぼんやりと遠くで上がっている煙に思いを
「リノケロス、本陣からの伝令だ」
「どうした」
リノケロスが腰を下ろしているのは、そのリオーノを転がしてある天幕のすぐ前だ。兵士たちでは言いくるめられて解放してしまう恐れがあるので、リノケロス直々に見張っている。司令官の一人が直接見張るなど良い待遇だぞ喜べと告げたリノケロスに、リオーノがまた
本陣から伝令が来たということは、あらかた戦闘は終わっているのだろう。
「武器と防具を送って欲しいそうだ」
「ほお。激しかったようだな」
「ああ」
水と食料を定期的に送る算段はすでにできている。本陣から補給の依頼が来るのは、決められた日よりも早く欲しい時や量を増やす必要がある時、そして今回のように食料と水以外のものを運んで欲しい時だ。
本陣からの要求にカフシモは苦い顔をしている。元来が垂れ気味の目で優しげな雰囲気の顔立ちのため、そうして顔を
エンケパロスのような無表情というわけではなく、見え方が穏やかなのだ。
「嫌そうだな」
「ああ。修理だってタダじゃない。資材も消費する」
「修理がなきゃ金も入らんだろうが」
重くため息を吐くカフシモにリノケロスが鼻を鳴らす。自分の領民の
「修理できる低度の損傷を心がけて欲しいって、総司令官殿に伝えてもらえるか」
どうやら不機嫌の原因は
自らにも跳ね返ってくる話題は触れないに越したことはなくリノケロスは少し黙ってカフシモの言葉を無視すると、話の方向を無理やり
「どっちが運ぶ」
どっちというのは、リノケロスかカフシモかという意味である。リオーノは数に入れていない。リノケロスに二発ほど殴られてからはおとなしいが、ここで野放しにするとまた以前と同じことが起こる。
仏心を出すべきではないと、誰よりも主張したのはカフシモだった。
「俺が行こう。防具の状況も見たいし」
「リオーノの見張りが嫌なだけだろう」
「そんなことは、ない、けど……」
カフシモがすぐに手を上げた。その理由を察しておそらく彼の泣きどころだろう部分を突いてみると、カフシモはそっと目を
実際その場で簡単に治せるものがあるのなら治してしまったほうが良いので、カフシモが行くことにリノケロスとしても異論はない。その理由を
「おい! 俺は! 俺が行く!」
「チッ……」
話が聞こえていたらしいリオーノが天幕の中から叫ぶ。リノケロスは舌打ちをして、荒っぽく布を跳ね上げ中へ入った。カフシモがついてくることはない。
足音が遠ざかっていくので、すでに決まったものと判断して準備をしに行ったようだ。
「軍規違反をしたのはお前だ。黙って大人しくしていろ」
「成果を上げればチャラだろ!」
ツカツカと歩み寄りながら最後の忠告をするリノケロスを、リオーノが
それを
「……っ!」
ドガンッ、という大きな音がした。リオーノが声も出せずに
冷然とした目でそれを見下ろすリノケロスは、片足を振り上げたままだ。足でリオーノの頬を蹴り飛ばしたのである。
吹っ飛んで床に転がったリオーノがそれ以上
やはり、馬鹿の躾はこれに限る。
※ ※ ※
それから一ヶ月ほど後のことである。バシレイア軍とオルキデ軍は何度かの小さな衝突を繰り返していた。とはいえやはり補給庫にそんなことは関係なく、定期的な補給と要請されての補給を行っていた。
その日も同じように補給の指示を出していたリノケロスの耳に、慌ただしい足音が聞こえてくる。何事かと顔を上げれば、エクスロスから連れて来た兵士が血相を変えて駆けてくるところだった。
「リノケロス様!」
「どうした」
本陣の方面でも大きな衝突はなく、そんな慌てて伝令が来るようなことはないはずだ。
訝し気な顔をリノケロスが向ければ、兵士は荒い呼吸を整えてから口を開いた。
「リオーノ様の姿が、どこにもありません! リオーノ様の率いる部隊も!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます